第64話 消えた教徒たち(5)
テーブルの上に注文した料理が運ばれてくる。
鳥肉と野菜の炒め物。量にしては少々値段が高かったが、死門の停滞によって一時的に居住者が増えているルシード街においては、仕方のないことなのだろう。
「あんたは何も腹に入れなくていいのか」
水のみを注文し、片手に木のコップを持つアベルを見て、不思議に思うカウル。
アベルはカウルの前にある肉を見下ろしながら、
「俺は不老不死だ。食っても食わなくても関係ない。筋肉や栄養が無くなり体に悪影響が出れば、勝手に再生し通常時の状態へ戻る。なら、むやみに何かの命を消費する必要は無いだろう」
不必要な命は極力奪わない。三神教の教えだ。どちらも信仰していないとの話だったが、ある程度倫理的な教義については守ってるのだろうか。しかし食事も睡眠もとる必要が無いと言えば聞こえはいいが、それは逆に言えば味を楽しむことも気を休めることも出来ないということだ。カウルにはそれが幸せなことだとは思えなかった。
アベルは僅かに水を飲み込み、カウルを見据える。
「食事中で悪いが、これからの行動について話してもいいか。今のうちにまとめておきたい」
「ああ。構わない」
フォークを口に運びながらカウルは答えた。
災禍教寺院での聞き込みを終えたカウルたちは、一度ルシード街の中心部へ戻って来ていた。最初にこの町へ来た時と同様、酒場の中は多くの客で溢れ、賑わっている。
「まずは、トンバロが言っていた災禍教の者が頻繁に訪れてくるという件だな。あれは恐らく、彼らにトンバロを脅す意図は全く無かったのだろう。単純にトンバロが死門停滞時に教徒の姿を目撃したと証言したことから、葬使や失踪した一部の教徒の行方を調べるために、聞き込みをしていただけだと考えられる」
「そうだな」
カウルは口を動かしながら同意した。アベルは言葉を続ける。
「偽祈祷師の行方として現状可能性が高いのは、災禍教で証言のあったアザレアの奈落街だ。とりあえずは、黒陽の国アザレアへ向かうということで問題は無いか」
「ああ。他に手掛かりは何も無いんだ。可能性があるのなら、行くしかない」
この四年間、グレムリア中を渡り歩いたが、偽祈祷師に関する情報は他に何も無かった。国外に出たことは一度も無いため、不安が無いわけでもないが、初めての他国への旅に少しだけわくわくもする。
「黒陽の国アザレアと灰夜の国グレムリアは、比較的国交が盛んな間柄だ。そのため街道は整備されているし、禍獣や盗賊対策として見回りを行っている兵士や国に雇われた退魔師も多い。順当に行けば一か月半か、二か月で王都ノアブレイズに辿り着くことは出来るだろう。勿論それは、余計な寄り道をせず馬を十全に走らせた上での計算だがな」
「意外とすぐなんだな」
「古来より、グレムリアは死門によって死んだ生物や禍獣の亡骸をアザレアに売りつけ、アザレアはそれを元に呪具や研究を行うという協力関係がある。
それにグレムリアの南部には砂漠しかないからな。アザレアに近い位置へ王都が形成されるのは、自然なことだ」
アベルはもう一度水を口に含んだ。恐らく本当は水を飲む必要も無いのだろうが、何となく気分でそうしているのだろうか。
「国境付近には多少の山岳地帯もあるが、街道を通ればそこまで苦にはならないはずだ。唯一問題があるとすればそれは……俺の馬だな」
アベルは自嘲気にそう言った。
そういえば、彼は大峡谷の中で愛馬に逃げられてしまっていたのだった。何だか嫌な気がしたカウルは、すぐにアベルへ問いかける。
「もう一頭、馬を買う金はあるのか」
「いや無い。この槍の加工で手持ちの金はほとんど使い切ってしまった。君に借りることは可能か?」
アベルはテーブルの横に立てかけていた死呪の槍を指差した。
「俺だってそんな余裕は無い。ティアゴを買ったせいで貯金はほとんど無いし、食費だってあと三日分あるかどうかだ」
「なるほど……ならば、いつもの手を使うことにするか」
木製のコップをテーブルの上に置くアベル。
「いつもの手?」
「村や街の外を根城にしている野盗たちは、禍獣や追手の兵士から逃れるために必ず馬を持っている。ルシード街ほど大きな街であれば、近場にそういった連中がいてもおかしくはない。それを奪いに行こう」
「……却下だ」
カウルは即時にそれを否定した。
「野盗を襲うってことは、人を斬るってことだろう。師の元で生活していた時に何度かそういった輩と争うことがあったけど、あれはあまり気分のいいものじゃない。出来れば、極力避けたいんだ」
「別に相手を殺すつもりは無いんだが……ならどうする。他に案はあるのか」
「ルシード街は死門の停滞の影響で、付近に禍獣が大量発生している。報酬の高い依頼をいくつかこなせば、安い馬を買えるだけの金はすぐに集まるはずだ」
「だがそうなると、二~三週間はここで身動きが取れなくなるぞ。それでも構わないのか」
「どのみち旅の資金は必要だ。仕方がない。なるべく急いで依頼をこなすさ」
ため息交じりに、カウルはそう言った。
死門停滞の影響で、ルシード街には周辺の村から避難してきた者たちや、噂を聞きつけて集まってきた聴聞師や呪術師、退魔師、そして招集された兵士などが大勢駐在している。
避難民はより安全な場所へ移動するための護衛として、呪術師は死門や発生した禍獣、呪物の調査の護衛として、そして兵士は溢れた禍獣の駆除を行うために、常に退魔師たちへ仕事を依頼している。
王都グレイラグーンほどではないものの、街の中には簡易的な焔市場のようなものも形成され、常に多くの退魔師や仲介屋が行きかっていた。
当初は二週間ほどかかると思われたカウルたちの資金集めも、高額で危険な依頼に絞って受注したことですぐに集まり、わずか六日ほどで目標額に到達することが出来た。
価格の安い馬の中で出来るだけ若く頑丈そうな馬を買った二人は、トンバロたちに挨拶を済ませると、その足ですぐにルシード街を発った。
灰夜の国アザレアの南部は荒野が多く、砂漠に近づくほど荒れ果てた土地になっていたが、北部は逆でアザレアに近づけば近づくほど草木が増え、山や傾斜の多い土地が増えていく。
何度か村を中継し、たまに禍獣討伐などの依頼を受け進むこと一か月弱。灰色の木々の中に段々と緑色のものが混じって見えるようになっていた。
「凄いな……本当に木が緑だ」
灰夜の国の南部を中心に活動していたカウルにとって、草木は灰色であるという認識が常識だった。
初めて目にする色鮮やかな緑葉に思わず視線が奪われ、まるで高価な花を眺めているような気分になる。
「アザレア本土へ行けばこんなものじゃないぞ。そこら中が一面緑の森と赤い茨に溢れている。そして緑の国マグノリアでは、これの数倍の大きな木々が海のように広がっているんだ」
アベルが微笑みながらまだ見ぬ他国の景観について説明した。
「にわかには、信じられないな」
海のように広がる緑の森。一体どれほどの壮大な景色なのだろうか。想像するだけで圧倒されそうだ。
感動しながらティアゴを走らせていると、話題を変えるようにアベルが口を開いた。
「そういえば……カウル。アザレアに入る前に、君に言っておくべきことが二つある」
カウルは視線を横に向けた。
「南部で砦に拘束されていた時に、イザークという聴聞師の男と友情を深め、一緒に脱獄したんだ。彼とはルシード街に向かう前に別れたんだが、自身の生存を家に伝えるために、アザレアの王都ノアブレイズに戻ると話していた。
呪術師であり王都の居住者である彼ならば、色々とこちらの助けになることもあるはずだ。どうせノアブレイズに向かうのであれば、挨拶をしておきたい」
慣れない土地で最も重要視するのは、信用に足る知人だ。アベルが親しい仲であると言うのなら、会っておいて損は無いだろう。
「ああ。別に構わない」
緩い丘の上を進んでいるため、常に体が斜めに傾く。カウルは手綱を僅かに引きティアゴの進路を正しながら答えた。
「もう一つは……重要な話だ」
邪魔な枝を手で避けながらアベルが口を開いた。
場に合わない神妙な表情に、カウルは自然と意識を集中させられる。
「ルシード街を訪れる前。俺は死門停滞という前代未聞の現象を前にし、どうしてもその原因を知りたかった。だから、中に入ってみたんだ」
一瞬、アベルの言葉の意味が理解出来なかった。咄嗟にカウルは聞き返す。
「中って、死門の中にか」
「ああそうだ」
全く表情を変えず、堂々とアベルはそう言い切った。
「死門の呪いだろうと俺は死なない。船が転覆する危険さえ乗り越えれば、中心部にっだって近づくことが出来る。そこで、俺はあるものを見た。
巨大な亀裂だ。傷のように伸びる亀裂が死門の中心に浮かび上がり、まるでその場に縫いつけるように広がっていた。恐らくはあれが、死門を止めている原因だろう」
「亀裂……?」
カウルの脳内に真っ先に刻呪の禍々しい姿が浮かぶ。
アベルは一呼吸置き、
「聖騎士に拘束されていた際、俺はロファーエル村の顛末を聞いた。確か村人たちは、その場に残り続け拡散する危険のあった傷の呪いを抑えるために、封印されたのだったな。もしそれと同じような影響を与えることが出来るとすれば、刻呪は死門に自身の呪いを押しつけ、今も影響を与え続けているということになる」
「……でも、傷の呪いで損傷を受けたからといって、何で死門が動きを止めるんだ?」
「さあな。俺にだってわからない。単純に縫い留めているのか。それとも……死門と世界の繋がりを妨害しているか。恐らくそのあたりに、偽祈祷師の目的が関わっているような気がする」
まるで何かに気が付いているかのようなアベルの物言いに、カウルは妙な違和感を覚えた。一体彼は、どこまで事態を把握しているのだろうか。
こちらを見つめるカウルの視線に気が付いたのか、アベルは取り繕うように視線を反らす。
「この話をしたのは、傷の呪いを持つ君ならばその事象に対して何かわかることがあるかも知れないと思ったからだ。……だがその様子では、手掛かりは無さそうだな」
カウルは黙り込んだ。頭の中で必死に思考を巡らせるも、考えなど浮かばない。何も、何もわからないのだ。偽祈祷師の正体も、刻呪が何なのかも。
「まあ何にしても、偽祈祷師を捕まえ、問い詰める以外に道は無いだろう。これほどの異常事態なんだ。いくら推測を繰り返したところで、真意などわかるはずもない」
「……ああ。そうだな」
他に返す言葉が無い。カウルはただ静かにそう頷いた。
道が下り坂へと移行する。体重がティアゴの前方へと傾き、体が自然と後ろへのけ反った。葉の揺れる音だけが耳横を通り過ぎていく。
色々と考えては見るも当然答えなど出るはずがない。そのうち疲れたように息を吐き、場を取り繕うようにアベルへ質問した。
「しかし……不死っていうのは本当に凄いな。死門の中に入っても平気だなんて、呪いを解く以外であんたが死ぬことはありえないのか」
ただの興味本位の質問だった。深い意味はない。カウルはアベルが肯定することを予想してのだが、帰ってきた返事は意外なものだった。
「いや……実は一つだけ方法がある。それを使えば、俺は死ねるんだ。死のうと思えばいつでも」
前を向いたままアベルが話す。カウルは思わず驚きの声を漏らした。
「え、そうなのか」
「ああ。誰でも知っている単純な原理だ。聞けば君にも納得がいくだろう。だが……それを使うつもりは無い。仲間の呪いを解くまでは、な」
単純な原理? 一体何のことを指しているのだろうか。どんな傷でも治るのに、そんな簡単に殺せる方法があるのか。いやそもそもそんな方法があるのなら、どこかで彷徨っているという彼の仲間をとっくに救えていたはずだ。それをせずに傷の呪いを持つ刻呪に希望を見出しているということは、その方法はアベル個人にしか使えない手段ということになる。
カウルは彼にさらに詳しい話を聞きたかったが、何とかそこで言葉を押し留めた。協力関係を結びはしたが、まだそれほどお互いのことをわかってはいないし、信頼関係も無い。何となくアベル自身も言いたく無さそうな雰囲気を感じ、これ以上は踏み込まない方がいいと判断した。
坂道が曲がり角へと差し掛かる。正面が崖になっていたので、手綱を引きティアゴの行先を変えると、視界の先いっぱいに緑の森が広がっていた。
思わず感嘆の声が漏れる。
「圧巻だな……」
これでも緑の国には及ばないというのが信じられない。既に別世界に来たような気分なのに。
――……モナとゴートにも見せたかったな。
ふと故郷で封印された二人のことを思い出す。きらきらと輝く瞳を想像し、カウルは寂しい気持ちになった。
「これほど緑が増えてきたということは、国境は間近だな。いい調子だ」
ルシード街で買った馬の灰色の毛を撫でながら、満足げに呟くアベル。
いよいよ黒陽の国アザレアへと入るのだ。
この先に偽祈祷師がいる。そう思うと、緊張感と期待で柄にも無く心臓の音が高まった。
――絶対に偽祈祷師を見つける。絶対に……。
「行こう。ティアゴ」
覚悟を胸に手綱を引くと、こちらの要望に答えるように、ティアゴが短く嘶いた。
街の中心にそびえたつ漆黒の巨塔――黎明の塔。
まるで槍のように見えるそれは、アザレア王都ノアブレイズのどこからでも目にすることが出来る、この国の象徴だ。
黎明の塔は王家直属の組織であり、世界中のあらゆる呪術師が学徒入りを目指す呪術の最高研究機関でもある。
そこの所属となった呪術師は呪術の研究に対してあらゆる設備の利用が許され、また一定以上の成果を上げて、専用の研究施設の所持が許された塔専呪術師ともなれば、貴族にも引けを取らないほどの権限が与えられる。
王都ノアブレイズを訪れた多くの呪術師は、強い羨望と期待を持ってあの塔を眺めるのが常だ。ほとんどの者があそここそが呪術師の総本山。世界中の呪術の粋を集めた場所だとそう認識させられる。――アザレア王家の狙い通りに。
王都にある大きな公園の中に、彼女は居た。
子供連れの家族が休日を謳歌する中、黒いドレス姿で噴水の前に設置された椅子に座ったまま、ただある場所だけを見つめている。
円形に広がったつばを持つ帽子の下から覗く眼光は鋭く、それでいて妙に妖艶だった。
彼女――造影の魔女マヌリス・マヌマリリスは、公園を挟み、黎明の塔とは反対の場所に位置する王城を見つめ、ゆっくりと自身の下唇を舐め上げた。
「そろそろ……いい頃合いかな」