第62話 消えた教徒たち(3)
ルシード街はかつての王都跡地に、周辺地域の村人や旅人が集まって形成された街だ。
街の中心部では商店や住居が数多く設置され、灰夜の国グレムリアの東部ではそれなりに大きな街として機能を維持している。
しかしその外周部にはかつての瓦礫や家屋が放置されたままとなり、盗賊が根城にしたり、禍獣が紛れ込むなど、危険地域と化している場所も多々あった。
それらは普通ならば極力近寄りたくは無い。身の安全を考えるのであれば、避けるべき場所だ。
だがどうしてだろうか。そこに、災禍教の寺院はひっそりと建てられていた。
三神教の協会のように優雅でも綺麗に塗装されたわけでもない、ありふれた建造物。災禍教の証である九つの円環が描かれた垂れ幕が大きく壁に掛けられていなければ、廃墟の一つと見間違えてしまいそうなありさまだ。
カウルは思わず頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。
「何でこんなところに……。街の中にはまだ建物を設置出来そうな空地はたくさんあるのに」
ちらほらと目にする貧相な服装をした者たち。それを眺めつつ、アベルが答えた。
「この辺りは元々、重度の呪いを受け隔離されたり、街から追い出された罪人たちが住んでいた区域らしい。災禍教としては、この場所の方が信者を集めるのに都合が良かったのだろう」
「都合がいい?」
「まあ中に入ればわかる」
それ以上説明はせず、アベルは金属製の柵を開けた。
灰色の草木が生い茂った中庭を通り抜け、短い階段を上がり両開きの扉に手を掛ける。最後にカウルを振り返ると、アベルは意味ありげに言葉を投げかけた。
「カウル。入る前に言っておくが、誤解はしないでくれ。本来、災禍教は決して悪の組織なんかじゃない。信者たちの多くも善良な市民だ。傷つき、他に行き場がないからこそ、集まっているだけの」
何を言いたいのだろうか。カウルが意図を組みかねていると、アベルはそれ以上何も言わず、ゆっくりと扉を開けた。
一瞬視界が闇に包まれかけるも、カウルは事前につぶっていた片目を開けることですぐに変化に対応する。まず目に飛び込んできたのは、部屋の両端から上階へ伸びる階段と、その間に立てかけられた垂れ幕だった。外に掛けられていたのと同じ、九つの円環が木のように絡み合った模様と、その下に抽象的な嵐のような絵がある。どうやらあれは死門を表しているらしい。
そのまま入口で中を見渡していると、垂れ幕の前で机に向かって作業をしていた男がこちらに気が付き、顔を上げた。たれ目の、それなりに歳をとった男だった。
彼は杖を突きながらこちらへ近づき、カウルたちの顔を見比べた。
「こんにちは。どうかされましたか」
「ここは、災禍教死門派の寺院だと聞きました。間違いありませんか」
親し気な調子で聞くアベル。
「ええそうですよ。何か御用ですか」
「我々は王都グレイラグーンを中心に、聴聞師として活動している者です。死門停滞の噂を聞きつけ確認しに来たのですが、この街に死門派の寺院があると聞きましてね。せっかくですので、ぜひお話を聞かせて頂けたらなと思い、お邪魔させて頂いた次第です」
「ああ。聴聞師の方ですか。わざわざご苦労様です。構いませんよ。我々は来るもの決して拒まず、誰であろうといつでも歓迎致しますから」
杖の男は穏やかな笑みを浮かべ、「こちらへ」とカウルたちを右側の通路へと促した。
ここは偽祈祷師と繋がりのある連中の根城かもしれない。いつ襲われてもいいように、カウルは意識を張りつめさせながら彼の後に続いた。
通路の壁には複数の絵が掛けられていたが、どれも相当古いようで、色落ちしているものまであった。この建物が建てられた当時からあるものだろうか。
杖の男はゆっくりと歩きながら質問した。
「お聞きしたいのは、死門の停滞についてでしょうか。あいにくと我々にも原因はあまりよくわかっていないんですよ」
「災禍教の方々でも、原因は不明だと?」
別人のように流暢に会話を続けるアベル。いつも以上に前に出てくれるのは、こちらの緊張を気にしているからかもしれない。単にぼろが出るのを懸念しているだけという線もありえるが。
小さな机と椅子が何組か並べて置かれた場所に出る。見ようによっては、酒場に見えなくもない。杖の男はそこにカウルたちを促し、自身も対面に腰を下した。
「私は来賓対応のナズイールと申します。あなたたちは?」
「私がアベル。この若い男がカウルです」
アベルはさらりとカウルの本名を口に出した。
ナズィールと名乗った男は、杖を壁に立てかけ、
「死門の接近時、我々は毎回、身の安全を確保できるぎりぎりの距離であの方を観察し、祈りを捧げるのが日課でした。ですが……あの日は違った。突然激しい白い稲妻が走ったかと思うと、それっきり死門の動きが止まってしまったのです」
「やはり、白い稲妻ですか。ふむ。我々が他で聞いた話とも一致しますね。それはどちらで目撃したのですか? この街から?」
恐らく演技だろうが、アベルが興味深そうに尋ねる。
「いえ。ここはかつて死門の直撃を受け崩壊した場所ですが、最近の死門の軌道では、あまり直前まで接近することは無くなってしまったのです。目撃情報を得次第、すぐに海辺の方まで信者たちと向かいました。たいていは見晴らしのいい丘の上とか、海岸沿いだとかになりますねぇ」
カウルは最初にこの東部近辺を訪れた時のことを思い出した。確かにひと気の少ない妙な丘の上に、災禍教の少数集団が立っていた覚えがある。
アベルが質問を続けた。
「長年死門を信仰していたあなた方であれば、些細な異変でも気が付いたはずです。何か、そういった前兆などは無かったのですか?」
「お恥ずかしながら、一切そういった異変は捉えることが出来ませんでした。本当に何もわからないのですよ。何故あの方が動きを止めたのか。何が起こったのか」
「……死門派にとって、死門は行動指針の全ての元だと認識しています。今現在の状況を、あなた方はどう考えておられますか」
なんだか本物の聴聞師のようだ。最初会った時は挙動のおかしい怪しい男にしか見えなかったのに、普通に振舞おうと思えば振舞えるらしい。カウルは今のアベルの姿を見て、果たしてどちらが素の彼なのか疑問に思った。
「様々な意見が飛び交っています。何かの啓示だとか、世界の終わりだとか、我々の中には呪術を嗜む者もおりますが、彼らの間でも見解が別れています。今もっとも多い意見は、もしかしたらあの方が神の呪いを乗り越え、人として復活しようとされているのではという意見ですね」
「復活……それは面白い意見ですね。災禍教でも三神教においても、九大災禍は神に接触した九人の魔法使いが変質し、世界を彷徨い続けている姿だとされています。確かに漂ようのを止めたとあれば、そう考える者たちが現れてもおかしくはないかもしれません」
「ですが、誤解しないで下さい。そう考えたいと思う者が多いというだけで、あくまでただの憶測や妄想に過ぎない内容です。これは決して我々死門派の総意ではありません。聴聞師の講談には加えないで下さい」
「ふむ。面白い意見だと思ったのですが、残念ですね」
アベルはナズィールを見つめたまま自分の顎に生えた無精ひげを撫でた。
冗談を交えながら会話が続く。カウルは何か偽祈祷師に対する手掛かりを得られないか注意して耳をそば立てていたが、いつまで立っても実りのある話は聞けなかった。
「いやはや、ナズィールさんは中々深い見識をお持ちの方ですね。お話をさせて頂き、とても参考になりました。ここまで深い考えを持つ方は、中々いません。もしかして、来賓対応と名乗っておられましたが、あなたが死門派の葬使でしょうか」
アベルがそう言うと、僅かにナズィールの表情が曇った。
「……私はただの古参信者に過ぎません。葬使などではありませんよ」
「そうですか。それは失礼しました。……――では、葬使の方はどちらに? せっかくですので、ご挨拶にお伺いしたいのですが」
先ほどから飛び交う葬死とは何だろうか。あまり災禍教について詳しくないカウルには、単語の意味がわからなかった。
「葬使は今、用事があって遠出しておりましてね。ルシード街からは離れているのですよ。申し訳ありません」
「そうですか。それは残念です」
寂しそうに肩を落として見せるアベル。
僅かに無言の間が空く。しばらくして、思いついたようにアベルが口を開いた。
「では代わりと言ったらなんですが、もしよければ、寺院の中を見学させて頂いても宜しいでしょうか。我々は元々災禍教の教義に強い興味を抱いておりましてね。王都グレイラグーンからここまで来ることなんて、めったに無いことですから、これを機会に是非記憶に焼き付けておきたいのです」
アベルの提案を聞いたナズィールは、ほっとしたような笑みを浮かべた。
「構いませんよ。最初にも言いましたが、我々は来るもの決して拒まず、誰であろうといつでも歓迎致しますので。いくらでもご自由にご見学下さい」
そう言って杖を手に取り立ち上がる。
「二階は寺院の管理関係の部屋などがあるため立ち入りはご遠慮願いますが、一階や礼拝堂であれば、いくらでも歩き回って構いません。私は先ほどの受付におりますので、何か質問等あれば、いつでもお越し下さい」
「わかりました。ありがとうございます」
アベルが手を差し出すと、ナズィールは快くそれを掴み、応じた。
通路を玄関に向かって歩いていくナズィールを見送りながら、カウルはアベルに向かって問いかけた。
「葬使って?」
アベルはシャツの首紐を緩めながら、
「災禍教の各派閥の代表のことだ。災禍教は三神教とは違い、教主、五大司教、各地域の司教といった縦型の組織体制をとってはいない。災禍教とひとくくりにされてはいるが、彼らは信仰する九大災禍の派閥ごとに完全に独立しており、横や縦の繋がりもほとんど無い。ただ純粋に自分たちが信仰する九大災禍へ祈りを捧げることが目的で、信者はどこの誰だろうと平等だ。
ただ、人数の関係で対外的にどうしても代表者を選抜しなければならない場合もあってな。そういう場合に各派の代表として権限を与えられている者を葬使と読んでいる」
つまり、村の村長のようなものだろうか。他の地域ではどうか知らないが、ロファーエル村では村長が引退する度に、投票を行い次の村長を決めていた。実際のところ資金や家柄なども影響してはいるけれど、対外的には平等に選出しているということにはなっている。あれと同じ認識で良いのだろうか。
カウルが考えていると、アベルが怪訝そうに聞いた。
「カウル。君は災禍教についてはどこまで知っている?」
「どこまでって、九大災禍を信仰している人達ってくらいしか。俺の出身村は三神教の信仰が主だったし」
「……そうか」
アベルは何故か若干気まずそうに目を伏せた。
カウルが見ていると、小さく息を吐き出した後、話し始める。
「歴史的に見れば、災禍教は三神教よりもずっと古い宗教なんだ。三神教が台頭してからは信者も減り、今でこそ細々と活動しているのみだが、かつては災禍教こそが主流であり、多くの者たちが信仰していた」
――災禍教の方が古いのか。
それはカウルにとっては初めて耳にする話だった。
「彼らの教義では、九大災禍はあの世とこの世の境目であり、神への門とされている。人々は九大災禍を通すことで神を視て、そして畏怖しているんだ。この場合の神とは三神教の三柱のことでは無く、もっと根本的な“原始”とでも言うのかな。他に表現する方法がないため、三神教では名義的に神と、そう呼んでいるが」
「神への門? 九大災禍は神の呪いを受けた罪人たちじゃ無いのか?」
「三神教の教義ではそうだ。だが災禍教では違う。九人の魔法使いが変質したという背景は同じだが、災禍教における彼らはいわば救世主だ。滅びゆく世界の呪いを彼らがその身に受け止めたことで、世界が均衡を保っていると、そう信じられている。
三神教は元々、初代教主とその仲間たちが、世界に振りまかれる呪いや禍獣、戦乱への絶望から人々を救うために、青影の国ロズヴェリアに伝わる精霊信仰や、世界各地の民家伝承などを集め作り上げたものだ。その流れの中で、人々を呪いへ立ち向かわせるために激励してた言葉がだんだんと劣化し、いつの間にか九大災禍が罪人であるという認識に落ち着いた。
どちらが正しいかは今となっては定かでは無いか、とにかくそういう違いはある。三神教の常識で災禍教の信者と会話すれば、良くない感情を抱かれる場合もあることを覚えておけ」
少し情報量が多すぎる。カウルは今耳にした話を頭の中で必死に整理しようとした。
自分がロファーエル村で学んできた教えと、災禍教の教義とでは随分と世界観に差異がある。しかも歴史的には災禍教の方が古いと、アベルはそう言っているのだ。
カウルは熱心な三神教の信者では無いが、そこに疑いを持ったことは一度たりとも無かった。一体なぜここまで教義の内容に差が出るのだろうか。
災禍教をおかしな集団だと決めつけるのは簡単だが、あいにくとそこまで短絡的な人間にはなれない。ずっと三神こそが正義であり、九大災禍は罪人だとそう信じてきた。それを覆すような災禍教の話を聞いて、ただただ混乱する。
「あんたは……どっちを信じているんだ?」
何となくアベルの考えが気になったのでそう聞くと、彼はこちらから目を反らしたまま淡々と答えた。
「俺はどちらも、信じてはいないさ」




