8.
クーラーの効いた室内はまるで異質な檻の中のようだ。外の自由を知らずに、快適という名の檻に飼い慣らされたちっぽけな人間。文明が進んでいるというのに、孤独を感じてしまうのは贅沢な悩みなのだろうか。柚月にとってあの古びた美術室は、お世辞にも快適とは言えないが、彼女だけの自由の場だった。
心赴くままに筆をとり、その絵を好きだと言ってくれる蒼と過ごすあの時間は、柚月にとって何にも変え難い大切な時間だった。
美術室に通えなくなってようやく、彼女は蒼の存在の大きさに気付いた。
飄々としていてつかみどころのない、どこか不思議な空気を纏っていた蒼。あまりにも快活としていて、幽霊であることを忘れてしまうほど、生きた人間と何一つ変わらない蒼。いや、生きている人間よりもまっすぐで素直で、眩しくて。
そして、いつか人物像を描いてと言った蒼。
蒼はどうして、柚月に人物像を描いて欲しがったのだろうか。その真意が掴めず柚月は握りしめた鉛筆を、紙に数回打ちつけた。
黒鉛の粉が散り、真っ白な紙の上に滑る。
何度か、人物像を描いてみようとしたことがある。蒼に言われたからじゃなく、なんとなく描いてみようと思ったからだ。
だが、描けなかった。鉛筆が心許なく紙の上を彷徨うだけで、線の一つもかけなかった。
その時は何故だかわからなかったが、今はなんとなく思い当たる節がある。柚月は人間が好きではなかったからだ。
心無い言葉を浴びせられ、都合のいいように振る舞う人間に嫌気がさした。いじめてくる奴らはもちろん、傍観者のクラスメイトにも。彼らは見て見ぬフリがとてもうまい。あたかもそこに存在していないかのように、息を潜め、いじめの加害者から身を隠す。
学校でも、家でも、柚月に居場所はなかった。
そんな中、有坂から美術室で絵を描くように勧められた。1人になりたかった柚月にとって、思ってもみなかった助け舟だった。
美術室で絵を描くようになって、蒼に出会った。
言葉を発せない柚月の心を勝手に読んでくる蒼に、最初は戸惑ったが、実害はないからまあいいかとスルーすることにした。
いつからだろう、蒼の存在が柚月の中に根付き出したのは。
柚月の絵のファンだと言ってくれた。どんなに嫌なことを思っても、笑って流してくれた。どんな時も傍で笑ってくれた。忘れていた世界の美しさを思い出させてくれた。そして、ありのままの柚月を受け入れてくれた。
柚月にとって蒼は、柚月が柚月であるために必要な存在となっていった。




