更なる高みへと
樹海での心地よい眠りは、あたしに活力を与えてくれる。だから、しばらくこの辺りを巡ることにした。
精進湖・西湖・河口湖。そして再び山中湖。小さな泉が点在する忍野にも足を伸ばしたり、富士を眺める展望台にも登ってみたり。樹海のなかのお気に入りの場所をベースに、富士山麓を堪能する日々が続いた。
ここは涼しげな気候も、湖と樹林帯が織りなす風景も、エルフにとっては居心地が良い。けれど同じところばかり回っていては、あたし同様この世界に迷い込んでいるかもしれないエルフの仲間を探し出すという目的からは遠くなる。もっと貪欲に、もっと広範囲を回遊せねばならない。
慣れ親しんだ富士の裾野に別れを告げるべく、本栖湖からさらに西へ国道を向かうも、近くに四尾連湖というこぢんまりとした山上の湖があることを思い出し、山中に続く国道をを経て湖畔の森でまた一泊。
翌朝、出発しようと思い立つも強烈な日差しに恐れをなし、陽が落ちるのを待って山を降りることにした。
山の上から眺める甲府盆地は宝石を散りばめたかのように輝く。エルフは自然と共に生きるべきものだという信念をあたしは持っているから、電気という人工的な産物には簡単に見惚れてはいけない。
そう思ってはいるものの、眼下に広がるまばゆい光たちを見せつけられると、その信念も揺らぐ気がする。
もっとも、バイクで移動している時点で矛盾するのは承知のこと。んでそのバイクを路肩に停めてうっとりしていると、あっという間に時は過ぎてゆく。
はたと気づいて再びバイクにまたがるとスターターを蹴り、元気に目覚めた愛車と共に夜の甲府盆地へと降りてゆく。
今年はこれまでにない猛暑だから、等高線の高い場所を縫うように旅を続けている。もちろん低いところへ降りないと先へ進まないこともあるので、それを決行するのは深夜と決めている。太陽が顔を出さないうちに次なる高原へとたどり着くように計画を立てて。
夜が明けるか明けないかという頃、清里到着。朝焼けの向こうから吹き込んでくる南東の風もすっかり熱を奪われて大人しくなり、木々の枝を優しくなでていく。
久しぶりの夜間走行だった。休もう。涼風のなかで四人乗りブランコに揺られていると、眠りの淵にゆっくりと近づいてゆく。朝を迎えるまで、しばしまどろんでいよう。
————
暑い!
あたしとしたことが、まどろむどころか熟睡していたらしい。すでに太陽は地面を照らすに十分な高みに位置取って、あたしの身体を容赦なく熱してくれている。
夜明け前の冷気に合わせて、レーシングスーツを着込んだままだったのも良くなかった。スーツの中に熱気がこもり、全身から汗が噴き出している。
日影、日影!
慌ててブランコから降りようとしたら、足がもつれた。そして、ブランコは固定されていないからこそ、ブランコとしての用を成す。
ゆらゆらと動くブランコ。自らの身体制御機能と切断されている脳みそ。バランスを完全に失い、投げ出されて草むらにダイブしてしまったあたし。
幸い、落ちた先が豊かに草花の育つふかふかな地面だったので、無傷で済んだ。お気に入りのレーシングスーツもさほど汚れずに済んだ。
けれども、高原の楽園にたたずむ村と、そこで暮らす人々はすでに目覚めて、活動を始めている。地面に埋もれた自分の顔を上げると、保育所にでも送られる途中だろうか? 大人たちに手を引かれた数名の子どもと目が合ってしまった。
「……てへへ……」
恥ずかしい。もうこういう時は苦笑いしかない。
「この人、何してるの?」
子どもたちの顔にはそう書かれているかのようだ。首をかしげながら、あたしのことをまじまじと見つめている。
一方で親御さん、あるいはお爺さんお婆さんもいるだろうか。大人たちは足の止まった子どもたちが再び歩き出すよう促す。
きっと、この子たちは心配してくれている。大地とハグしたままの、あたしのことを。ということは、無事であることを示さなければ。
「……まるっ」
右手でOKサインを出すと、子どもたちの顔からこわばりが消える。ああやっぱり心配してくれてたんだ。あたしは加えて、
「ぶいっ」
右手のマルをチョキに変えて、顔に笑みを浮かべる。子どもたちもにこっと笑い、バイバイをしながら止めていた歩みを再開してくれる。
一団が去ると、一層強さを増した陽射しが、あたしの全身を焼き上げようとしていることにハッとする。
慌てて立ち上がる。エルフの日干しなんて珍味がこの世にあるかは知らないが、あたしがそれになるのは御免願いたい。
————
清里って、こんなに暑かっただろうか?
いや、いくら避暑地といっても真夏の直射日光に延々と焼かれてはたまったものではなくて、それは昔も今も変わらない。
まして今年の夏はどこもかしこも異常な暑さだから、日本中の避暑地という避暑地も、これまでにない高温に見舞われている。
国道をバイクで上り続けると、清里駅から東方向へ徒歩でも十分くらいのところにたどり着く。ここは美しい庭園とレストラン・売店などが集まるナチュラルガーデン。植物が豊かに育つこの庭の中に逃げ込めば、暑さも和らぐ。
体感ではいくら暑くても、植物は確実に秋の到来を感じているらしい。キキョウやフジバカマ・ヒヨドリバナといった秋の花がその美しさを競って咲いている。秋の七草と言いながら平地では六月には咲いてしまうことの多いキキョウも、高原では花期が後ろにズレてくれている。
ここにいる花たちのなかでも、あたしが特にお気に入りなのはアサマフウロ。この子は高原でしか自生しない準絶滅危惧種で、山野草ながら、鮮やかな赤とピンクを合わせたような色彩の花をつける。
ここの売店では園内で採取した山野草の種を販売している。アサマフウロは寒い高原の植物だが、種から育てれば平地の暑さにも適応するらしい。もしあたしがどこかに定住できるなら育ててみるのも楽しいと思う。
————
去年、あたし以外のエルフがこの地を訪れた可能性がある。
園内から続く遊歩道を谷へと降りていくと、中腹の展望台で対岸に滝を望むことができる。一昨年のあたしはこのあたりに、エルフ同士でなければ見えない目印を残しておいた。
エルフは旅や冒険に出る機会の多い生き物だから、互いに情報を交換して間接的に助け合う習慣を持つ。そのため、年月日や天候・その土地の特徴や注意点などの記録を盛り込んだサインを、自分たちエルフが好みそうな場所に残しておく。だいたい林中が多い。
そしてほかのエルフが残したサインを見つけたら、お礼と挨拶がわりに自分もしるしを残すというしきたりが根付いている。
したがって、前年に残したサインのある所に再びおもむけば、別のエルフが残したサインを見つけられるかもしれない。
そして去年のあたしは、あたしに対する返信と思しき跡をここで発見した。
確証は持てない。
困ったことに、エルフ同士の交信に使うサインは風雨にさらされ、消えてしまうことがままある。去年ここに来た時は一昨年あたしが残したサインも、去年あたしが発見した他のエルフのサインだと思しきものも、すっかり風化していた。
ところが、エルフが目じるしを付けると、そこに苔などの植物が集まることがある。どうやら彼らにとってエルフの手形は住み心地が良い場所らしい。
おととし、あたしが木の幹に残しておいたサインのあとにも、苔が群生していた。さらにはそのすぐそばに、もう一つ苔の集団を発見できたのだった。
ところが困ったことに、この苔の集まりがエルフの目じるしに引き寄せられたのか、それとも偶然の産物なのか、見た目では区別がつかない。これは長年の経験とかは関係ないらしく、エルフなら誰もがそうであるらしい。
それでもあたしは、再びサインを残した。
エルフはサインを残した場所にまた戻ってくることが多い。このサインは自分たちにとって居心地の良い場所を示す目じるしでもあるからだ。
それに、あたし同様に異世界からやって来たエルフも仲間を探しているかもしれない。そうだとしたら、やはりこの場所に戻ってくるはず。あたしという、もう一人のはぐれエルフに会うために。
そしてあたしはやってきた。あたし同様疑心暗鬼でサインを残したかもしれない、もう一人のエルフのために。
例の木の幹を舐めるようにあたしは観察する。あたしが最初に残したサインの跡を埋める緑色の苔たち。その横に寄り添うようにしている苔の一団。ふたつの緑のふかふかの下に、去年のあたしは新たなサインを残した。
もし、あたしのサインを見つけたエルフさんが再びここにやってきたならば、その人のサインがさらにその隣りあたりに残っているはず。それすら厳しい気候にさらされて消えたとしても、緑の苔たちがサインのあった場所を示してくれる。
……。
……あ。
幹をぐるりと取り巻くように、苔が大増殖してる……。
————
年によって苔の生育状況は変わるし、地面に近い方が湿った空気も上がってくるだろうし。それにしても、エルフの手跡と区別が付かないほどの苔に木の幹が覆われてしまうだなんて!
いや、これはあたしもうっかりだった。だってあのへん、同じくらいの高さの木の幹には苔が育ちまくってたもん。あわよくば苔さんたちも居場所を拡張させようと企んでいたところだということを、うっかり見逃してしまった。
自分のドジに自分で呆れて脱力したあたしは、しばらく公園でぼーっとしていた。風にそよぐ草花をせめてもの慰めと思って。一応新しいサインをその木に残しておいたが、その結果が分かるのはまた来年あたりになるのだろう。
とは言え、いつまでもボケっともしていられない。失敗は教訓として活かせばいいし、前向きに次の場所へと向かえばいい。
……というポジティブな理由も、あたしを衝き動かすものではあるが、それだけではない。この場所に来たら必ずしなければならないこと、あたしにとってとても大事な、ここですべきことを忘れていた。
「ひとつください」
夏でも涼しい高原地帯は牛の放牧に向いている。そのためこの地域でも乳製品や牛乳を使ったスイーツづくりがさかんで、観光客の舌を楽しませている。
あたしも例外ではない。観光客でもなければそもそもヒト族でもないけど、美味しいものは美味しいのだから仕方ない。
このガーデンには幾つものショップがあり、それぞれが個性のあるスイーツを作り出している。特に、上質のミルクがふんだんに使われた各店のソフトクリームは、あたし的マストアイテム。
エルフは体質的に肉類を受け付けないはずなのに、どうして牛乳を使ったソフトクリームなど食しているのか? なんて野暮は言わせないし、矛盾もしていない。だって草食動物でも、赤子の時は親の乳を飲んで育つのだから。
あたしだって最初この存在を知ったときは戸惑った。でも本能が食べたいと言っているならそれに従ったほうがいいに決まってる。
さあ、これを食べ終わったら次のお店だ。そしてこのガーデンを制覇したら、駅の向こう側。まだ清泉寮も、清里の森も行かねばならない。
————
森の中はとても涼しくて、ぐっすりと眠ることができた。清里のソフトクリームを満喫してした翌日は、長野との県境を越えて野辺山のソフトクリームを攻略、もとい、野辺山にエルフの仲間を探しにいく。
エルフ、イコール家畜にもちょっかいを出すイタズラ好きの妖精、だなんて言い伝えが残る国もあるらしい。でもその定義は少なくとも、この国の人々がエルフという言葉から連想するイメージとはズレているし、他ならぬエルフであるあたし自身がむしろ家畜の恩恵にあずかっている。
でも濃厚なソフトクリームはたまらなく美味しいけれど、冷たいものばかりではお腹が冷えてしまう。そんな時に食べたくなるのがとうもろこし。寒暖差にさらされ、甘みの詰まったとうもろこしは夏だけのご褒美的味覚。
エルフは水さえあれば何ヶ月でも生きられる便利な身体だけれど、さすがにそれだけでは元気が出ないことだってあるにはある、気がする。だからこういうご褒美、じゃなかった栄養補給もマメに行ったほうが良い。
ひととおり高原の味覚を堪能したら出発しよう。
広大な開拓地を貫く道はほぼ直線で、そこをバイクでひた走る。左手にそびえる八ヶ岳に見守られながら。
このまま佐久・小諸まで下って軽井沢・浅間方面も良いが、八ヶ岳のふところへ入り込み、山また山のコースも楽しい。
ここにきて主人公のキャラが崩れ始めました。エルフといってもクールでツンとしたキャラクターよりは、ドジなところもあったほうが書いていて楽しいんです。
エルフにしては幼い外見というのもそこから面白い方に転がると踏んでのことで、ソフトクリームなどの甘いものが好きだという設定につながったので、作者の思い描いていた主人公の姿に近づいたと思います。
もともと異世界から一人で飛ばされて、戻る方法か、少なくともエルフの仲間が見つかれば、という望みをかけて旅をしている彼女。でもその中でも少しの楽しみが無いと疲れちゃいますからね。
この小説でもエルフはわりと真面目な性格という設定ですが、それを時々崩したときに物語が動く感じがしています。
適度に息抜きをしながらの旅をさせたいと思います。
アサマフウロはその名の通り、浅間山のふもとのような高原に分布するフウロソウ科の多年草です。フウロソウの仲間は大勢いますがその中でも希少な部類かと思います。
薬草としても知られるゲンノショウコやハクサンフウロ・帰化種のアメリカフウロは比較的見られるのですが、野生のアサマフウロは見た覚えがありません。
作者の家にも苗から育てたのと種から育てたのがいますが、暑さのせいか、なかなか花が咲いてくれません。フウロソウのなかでも群を抜いて鮮やかな色合いを持つ花なので、今年こそはと思いながら育ててはいるのです。