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高く、高く(地理的に)

 標高四百メートル超の盆地で迎える夜はだいぶ涼しく、おかげで良く眠ることができた。久々に熱帯夜から開放され、身体も軽くなった気分。

 ゆうべのうちに箱根の山を降り、御殿場の市街地を抜けて須走まで駒を進めておいたのが良かった。お陰で今朝は涼しいうちに籠坂峠を越え、涼しいうちに山中湖にたどり着くことができる。


 エルフにとって暑さは大敵(あたしがいた世界の中でも近い種のエルフに限った話だが。色白で髪や目の色素も薄いあたしたちは紫外線の影響をもろに受けてしまう)。

 だから真夏でも肌の露出は避けているのだけど、今度はジワジワと這い寄るように襲って来る、この国独特の粘っこい暑さが服の内から外から身体を蒸しあげようとする。

 結局、暑いところに留まらず涼しい所に行くのが手っ取り早い。幸か不幸か、あたしにはいずれかの土地に縛られる言われがない。

 だってあたしは、さすらいの異邦人。


————


 バイクでの峠越えは楽しい。おあつらえ向きのカーブと坂道を目の前にすればどうしたって燃えてくる(勿論、遵法精神に則ったうえでの話)。

 籠坂峠は道のりが比較的短いかわりに、コンパクトなカーブが連続する。南側に開けた、比較的明るい雰囲気の中の峠越えが楽しめる。

 そして峠を越えると、そこは山中湖別荘地のすぐ真上。ここからはスロットルを使ったら負けのつもりで、ゆっくりと下って行くに限る。折角の絶景を降り急いでは勿体無い。


 山中湖の湖面は標高千メートルに近く、湖を一周する道に降りると涼風が出迎えてくれる。

 エルフ族の端くれとしては、自然に優しくないことはなるべく避けて通りたい。ここからは加速はゆっくりと、ギアチェンジは早めに。峠のような攻めた走りが楽しいところと、そうでないところではメリハリをつける。一リットルで走れる距離を伸ばしてこそ運転の達人と考えよう。

 後方からぐんぐんとその影を大きくして近づいてくるスポーツカーが出現。そこですっと道路脇に寄って、どうぞどうぞと先を譲る。こんなに綺麗な風景が広がっていることに気づかないだなんて可哀想だねと独りごちながら。

 例によって途中停車し放題と決めている。涼やかな湖岸に降りるのも半ば習慣と化している。日陰を見つけて寝そべるのも、クセになってしまっている。

 ぐっしょりと汗を吸い込んだインナーやレーシングスーツの裏地をすっかり乾かしたい気もするが、公共の場所ではそうもいかない。出来るのは上半身のファスナーを下ろすことくらい。それでも胸元に潜り込む風が気化熱を奪ってくれるのはありがたい。

 

 ゆらゆらと風に揺れる湖面。湖畔には箱根ともまた違う趣を持つ、別荘・保養所・ペンション。どこか欧州の国々、あるいはあたしが生まれ育った世界の風景に似ている。

 あたしが生まれ育った世界の記憶は、こちらの世界に飛ばされた時にかなり失われてしまった。その後ヨーロッパの国々を巡るあいだに、故郷と似た風景に触れることで復元された記憶も多い。

 そう、あたしの育ったところは、ヨーロッパの風景に似ている。それなのにあたしの喋る言葉と、エルフといえば金髪碧眼耳長というイメージがあまりにもこびりついているのは紛れもなくこの東洋の島国の特徴。

 この食い違いは不思議ではある。でもこの国の避暑地たちは、どこかヨーロッパ的な雰囲気を醸し出していて、なんとなく落ち着く。これが懐かしさ、というものなのかもしれない。


 緑に囲まれた場所の良いところはもう一つ、水が美味しいところ。公園の蛇口から流れる水ですら、まさしく甘露と言うにふさわしい。

 不死の身体と言われるエルフとて、汗をかいた分の水は補給しないと活力が落ちてしまう。あたしは水筒を持ち歩いているから、それに詰める水にはぴったり。

 「……あ、こんにちは」

「……んにちあ」

低い水飲み場にかがんで水汲みをしていたら、小さな女の子と目が合った。

「……えへへ」

何やら彼女は自分で自分を指さしてニコニコしている、その先を見て理解した。その子の着ているTシャツに描かれているキャラクターが、あたしの使っている水筒と同じだからだ。

「……うふふ」

あたしも、水筒に描かれた猫のキャラクターを指差して微笑む。

「すみませんもう。ほら行くよ」

その子の母親なのだろう。手を繋いで出発を促されると、女の子は素直に着いていく。あたしに向けて、紅葉の葉のように小さな手を振りながら。あたしも笑顔で手を振りかえす。


 日本の親御さんというのは、どうしてああいうときひどく申し訳なさそうな顔をするのだろう? あたしは全然迷惑していなきし、あたしだって可愛い、癒される、と思ってるのに。

 この国には元々、子は宝と言う言葉が無かっただろうか? どうもそれが忘れられているように思えてならないのだが。

 なお、あたしが子どもに関心を持たれやすいのは子どもに親しまれやすい顔をしているから、らしい。エルフにしては丸顔丸目の童顔で、人間で言えばギリギリ十六歳に見えるかどうか、バイクに乗っていなかったら中学生でもいけるとか何とか。

 要は子どもっぽい、ということ。

 ほっとけ。


————


 湖の北岸に敷かれた道を走っては休み、休んでは走る。対岸に大きくそびえるはずの富士山は姿を見せてくれないが、夏は、えてして雲に頭を隠しがち。

 でもこれで良い、お山とて灼熱の太陽に晒され続けてはさぞ暑かろうから、とメルヘンなことを思ってみたり。

 山中湖をぐるりと回るだけで、一日経ってしまった。急ぐ旅ではないのだが、あたしにはあたしと同じエルフの仲間を探すという目的がある。

 あたしがときめく場所は他のエルフもときめく可能性が高い。去年の夏もここに来たので、あたしたちエルフの間でだけ通じるサインを付けておいた。別のエルフはそれを見つけると自分もサインを残す。そこには年月日・天候・その場所の特徴な注意点などを記す習わしで、それが積み重なればいつしかそれはエルフにとっての旅の道標となる。危険と隣り合わせの冒険の世界でつちかわれた慣習だ。

 でも、この湖畔に残っているのも、あたしが付けたサインだけだった。他のエルフがあたしを含めた誰かに当てたサインは皆無だった。

 でもそれでがっかりしてはいられない。気を取り直し、ただ闇雲にサインを残す。


 いつの間にか日も暮れようとしている。今宵の寝ぐらを決めねばならない。

 富士の北側にはお気に入りのところが多いが、なかでもとっておきの場所がある。山中湖に別れを告げ、富士の裾野をひた走る。河口湖や西湖方面も魅力的だが、今日はショートカットしよう。富士五湖の残り四つを訪ねるのは明日でもよい。


 五湖台・紅葉台といった小高い山の南側を進む。道路の両川はオレンジ色に染まる畑と林が広がり、薄暮とともに灯りのともる吉田の街とは対照的。

 やがて木影は濃さを増す。それは日の入りと共にやってきた暗闇のせいだけではない。樹海と呼ばれる深い森は富士の裾野を覆い、そう簡単に人を寄せ付けない。


 夜のとばりがこれほど効果的に働くところも珍しくなってきた。闇を畏れ、森を滅多やたらに壊さない伝統がこの国にはあったはずだが、いつの間にやら人工の灯りと建築物がそこを侵略してきている。

 それらがすべて悪いことと言い切れないのかもしれないけれど、かつて黒い森が広がっていたヨーロッパの国土から森がごっそり消し去られた歴史があること、そしてこの国も少しずつそれに近づいていることは、あたしだけでも覚えておきたい。


 この樹海のなかには、風穴と呼ばれる大きな穴がいくつもある。どこまで続くかわからないほら穴から、真夏にあっても絶えず冷たい風を地上に送り出す天然の冷蔵庫。昔の人々はこの不思議な風穴を(おそ)れつつも、冷気を利用して食品を保存するなどしていたらしい。

 その不思議さ故に観光地化されている風穴もあるが、多くの風穴や洞穴は樹海のなかで静かに時を過ごしている。というか、こんな時間にやって来る者は相当の物好きか、はぐれエルフくらいのものだろう。


 あたしの推し風穴は、樹海の中を伸びる車道から少し外れたところ。小さな駐車場スペースにバイクを停め、真っ暗な森の中を歩くことしばし。エルフの目に闇夜を切り裂く光のビームでもあれば便利だが、あいにくそんな魔法は持ち合わせていない。懐中電灯片手に悪い足場をゆっくりと。やがて、ひっそりと佇む風穴の前にたどりつく。

 風穴の入口には(ほこら)が祀ってある。あたしはこの国にやってきてからも、神仏に対して出来る限りの礼を尽くすことにしている。エルフは人智を超えたものとしてこの世界では理解されているようだし、ということはあたしがこの世界にやってきたことも、それら神仏と関係あるかもしれないから。

 二礼、二拍手、一礼。


 風穴から流れ出る風は涼しいどころか寒いくらいで、爽やかな高原の空気も相まって安眠するには申し分ない。

 風穴の入り口は神様の居場所なので敬して遠ざけ、すぐ脇の地面に防水シートを広げる。ブーツを脱いでその上に乗り、シートにくるまる。

 レーシングスーツは例によって着たままで、上半身のファスナーだけ開けておく。まだまだ冷え込むかもしれないけれど、その時はファスナーで調節できる。


 こちらの世界では、あたしがいましている事を、野宿と言う。そしてそれは、あまり行儀の良いことではないらしい。

 でもあたしのいた世界では、野山での夜明かしが出来ないことこそ恥ずかしかった。パーティを組んで旅に出るのは誰もが経験する大人への通過儀礼。その道中には宿どころか掘っ立て小屋の一つも無いようなところもあり、屋根も床もないところで一夜を過ごすことが出来て、はじめて一人前になるスタート地点に立てる。

 旅の途中で街や村に着いても、ベッドで眠れる保証は無い。宿代は自分たちの力で稼ぐ決まりだから、クエストの失敗が続けば報酬を受け取れずに財布が底をつく。結果、暖かな灯りの漏れる宿屋をうらやみながら、寒さに震えて路地裏で座り込み、朝を待つこともある。

 木々のあいだに潜り込んで睡眠を取るのは、エルフにとっては心地よい。もちろん他の種族にとっても、森の中は雨風で身体を冷やす心配のない、良好な野営スポットだった。

 

 もっとも今のあたしは、自分のいた世界でしか通じない価値観を振りかざすわけにはいかない。郷に入らば郷に従え。だからあたしは、他人の邪魔にも迷惑にもならず、こちらのマナーに従いつつ、他人の目につかず迷惑もかからないやり方で夜を過ごしている。

 冷気と静寂、そして暗闇が森をしだいに侵蝕してゆく。苔むした空気が風穴とあたしを包み込んでゆく。この感触があたしにはたまらない。いや、エルフたるもの、誰しもが気に入るに違いない。

 いつのまにか溜まっていた疲れが、この空気に溶かされていくかのように引いていく。全身の余計な力が抜けて、まどろみが寄せては返すさざ波のようにやってくる。この快感には身を任せるに限る。弛緩していく身体と心をあるがままにし、あたしの全てをリフレッシュしてくれる森の恩恵を有り難く受け入れよう。


 暑いので何が何でも涼しいところを小説の舞台にしたくてたまりません。エルフが暑がりというのはイメージだけで作った設定ですが、実際北欧あたりの森の中にいそうな感じというのが日本的エルフ像の典型だと思うので、主人公がエルフというのは涼しげな小説を書きたいという狙いと見事合致しました。


 異世界から飛ばされたエルフがこの世界で生きていくには色々と突き当たる壁があるのは自然なことです。彼女がずっと旅を続けているのは、自分以外にもエルフがこちらにやって来ていないか確かめるためでもありますが、エルフであるがため定住できないというのもあります。だってエルフが物語の中にしかいないはずの世界で、エルフの住民票なんて作れないでしょう?

 だから彼女にとって、放浪することも、宿を取らずに野宿することも宿命なのです。


 これからも、彼女がこちらの世界でどう生きているかを小出しにしていきます。

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