涼を求めて(切実)
一人のエルフが、異世界から何らかの理由で飛ばされてきた。だがこちらの世界では、エルフは神話や伝説の中の生き物で、その描かれ方があまりにも多様であることに、彼女は戸惑う。
そんな中彼女は、自らの姿や性質・生き方にそっくりなエルフが登場する物語を発見する。あまりにも忠実に再現されたそのさまを見て確信する。
「これは、かつてこの国にやって来たあたしの先祖にあたるエルフを模したものに違いない。もしそのエルフがまだこちらに居るのなら、帰る方法を知っているかもしれない!」
かくして彼女は、その国にエルフがいたという手がかりを探す旅に出る。金髪碧眼と長い耳を持つエルフがコミック・ゲーム・アニメに溢れかえっている、この国で。
日の出前を狙って出発したあたしを、太陽が一気に追い上げてくる。アスファルトは容赦なく熱せられ、強い照り返しがバイクとそれにまたがるあたしを襲ってくる。
小田原から先は海沿いを行こうと思っていたけれど、やっぱり今回は山へと向かおう。海風とともに走るのも好きだが、みかん畑の中を縫う旧道は、いま走るには暑さがこたえる。だったら、まだ青々としているみかんが豊かな実りを迎える頃の方が楽しいだろう。
あたしはエルフ。こちらで言うところの異世界から、この世界に飛ばされてきた。たった一人で見知らぬ世界に放り出されたあたしだけど、他にもあたしの仲間がいるかもしれないという希望を捨てず、放浪の旅を続けている。
なるたけ悲壮感は出したくない。なんたってエルフの一生は長い。コツコツと自分の仲間を、その痕跡を、探していくけばよい。焦らず、思い詰めず、適度に息抜きをし、こちらの世界の風景を目に収めながら。
だってあたしは、美しいものを愛するのもエルフのアイデンティティだと思っているから。
バイク乗りにとって、箱根の道は憧れのひとつ。コースは幾つもあるけれど、湯本から国道を直進し、いくつもの温泉街を縫っていくのも悪くない。でも夏休みとあっては交通量も多いだろうし、あたしは温泉街の手前で左に折れる、旧道の方が好き。
旧街道にはいるや否や、登り坂に突き当たる。すかさずギアを下げ、スロットルをぐいと回転させる。
この世界の昔の人々は、この登りを一歩一歩踏みしめて進んで行ったのだという。あたしが生まれ育った世界がそうだったように。さぞや大変な道のりだったろうと思う反面、こちらの方が道のりは短い。むしろ車輪のついた乗り物にとって、かなりの難所となる。
勾配はどんどん厳しくなるし、急なカーブも随所にある。二輪乗りにしてみれば腕の見せ所、スリルもあるし、走っていて楽しくなる。
もちろんその代償として、研ぎ澄ました神経と身体は疲れを蓄積させる。そろそろひと休み、そんな頃合いに現れるのが、山あいに佇む昔からの集落。
あたしは畑宿の集落に懐かしさを感じる。都会を離れた山間に住む職人ギルドの隠れ里といった風情があるから。
木材を複雑に組み合わせて作られる寄木細工はどれもこれも精巧に作られていて、見るだけでもうっとりする。
もちろんそれだけの技術に見合う対価は求められて然るべきで、放浪の旅人にその財力は無い。せめて端材で出来たテイクフリーのコースターを頂戴しておこう。これとて見事なもので、切断面には寸分違わず組み込まれた木々が美しい幾何学模様を作り出している。
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畑宿を過ぎるといよいよ山越えもクライマックス。九十九折のヘアピンカーブが、これでもかこれでもかと続く。レーシングモデルとはいえ、原付を一ccボアアップしただけの、半ばなんちゃっての小型二輪には相当に苦しい修行となる。それを操るあたしも、力試しをしているような緊張感が抜けない。
箱根八里最大の難所を過ぎてもなお、それに次ぐような厳しい急登は続く。ライダーにとってこの道ときたらまことに容赦が無い。
でもそれ故に、険しい道のりのほとんどを走破したときの達成感も大きい。今は希少となった単気筒のレーサーレプリカという相棒とのコンビで山上の茶屋へと到着。
エルフは少食で肉食を好まないし、加工し過ぎた食品もあまり好きでは無い。
その点、この茶屋で供される甘酒は自然な甘さと甘酸っぱい香りがとても気に入っている。
「暑くないですか?」
熱い甘酒を少しずつ喉に染み込ませるように飲むあたしに、店員さんがお水を持って来てくれた。なるほどこの酷暑の中、分厚いレーシングスーツで身を固めた異国人の顔をした小娘と出くわせば、心配してしまうのも道理だろう。
「大丈夫です。慣れていますから。あ、お水は有り難く頂戴いたします」
暑くないかと問われれば暑いに決まっている。だが、どうやらエルフは熱中症にならない体質であるらしく、これまでそれに当たる症状になったことがない。
そもそも、この世界の病に対してエルフの身体がぜい弱性を持っているかすら怪しい。ここ数年世界中を暴れ回っているコビットという感染症とて無縁だった。この国の感染症対策といったら初手からお粗末極まりないものだったし、いっとき台湾あたりに逃げようかとも思っていたが杞憂だったようだ。
さりとて、まだパンデミックが収まったわけでも無いし、あたしが感染したりウィルスを媒介したりする可能性がゼロとは言えない。だからあたしは今でも必ずマスクをして建物に入る。もはやそれが社会のマナーになっている、そうあたしは思ってるし、規律に則って生きるのがエルフのあるべき姿でもある。
叩ける石橋は叩いておくに越したことはない。
「ありがとうございます」
ひと息つけたところで立ち上がる。もうひと登りでピークを越える。
「ありがとうございました」
店員さんに見送られ、店を出る。バイクにまたがると少しだけ下げていたスーツのファスナーを上げ、気を引き締める。
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全ての登りを通過すると風景は一変する。眼下に広がる湖面に太陽光が反射し、道はその光を目指して一気に下っていく。
芦ノ湖は標高七百メートル以上の位置にあり、古くからの避暑地でもある。湖畔の道路は風光明媚そのものだし、バイクであっさり通過しては勿体ない。バイクを降りてエンジンを止め、風景を楽しみながら転がしていくのが丁度良い。
と、思っていたのだが、今年ばかりは様子が違う。下界に比べれば格段に涼しい。が、下があまりにも暑くなりすぎているものだから、バイクを押しているだけで汗が噴き出してくる。
救いは、長い樹齢を誇る杉並木が心地よい日影を提供してくれること。何百年も前に生きた先人の知恵と、それを受け継いで守り続ける、現代を生きる人々に感謝。
バイクを停めて湖岸に降りると、街道筋に緑と人間が共存しているさまが良く見える。古き良きこの国の姿だと思う。
湖水に足でもつけたい気分だが、如何せん日避けと足水を両立できる場所が見つからない。あたしのいた世界には色々な肌の色を持ったエルフがいたけど、褐色の肌を持つエルフと異なり、あたしのような白い肌のエルフにとって紫外線は大敵で、焼けると肌が真っ赤になって寝込んでしまう。
真夏でも全身を服で覆っているのはそんな理由もある。
レーシングスーツの中は汗でぐっしょりで、ライダーブーツを脱ぐと汗がしたたり落ちる。このあたりは水に揉まれて角の取れた小石が散らばる浜で、裸足で歩くと気持ちが良い。
でもブーツを脱ぐと、水辺の誘惑が半端ない。そこはこらえて木陰に行き、ごろんと寝そべる。
気持ちいい!
自然に包まれていると、あたしの身体はとても癒されて、たまった疲れが抜けていく感じがする。そして美しい風景も心を浄化してくれる。
湖上を遊覧船が行き交い、湖岸には穏やかな波が寄せては返す。繰り返す一定のリズムは言いようがなく心地よい。
この先どこへ行こうか? 国道をそのまま往けば眼下に広がる三島の街とその先の海が作り出す大展望を楽しみながら山下りが出来るが、山を降りるや否や炎暑に焼かれるだろうことは目に見えている。芦ノ湖沿いに北上して乙女峠から県境を越えるのが良いとは思うが、御殿場の盆地に降りたら降りたで灼熱の太陽が待っているので、それもためらいの一因ではある。
ちょっと昔はこんなこと無かった。箱根の山を登っていくと、宮の下あたりで涼風が出迎えてくれて、強羅も古き良き避暑地の風格を備えていた。そもそもふもとの海沿いをゆく道中だって、海からの風がほてった肌を優しくケアしてくれていた。
ここ数年ずっと異常な暑さが続いているけど、特に今年の暑さは災害と呼んでいいくらいで、これまでとは明らかにレベルが違う。この変化を自然的なものとして片付けるには、あまりに無理がある。明らかに人為的な要因が絡んでいると思う。
いったいこの世界の人々は、地球という自分たちの唯一の棲み家をどうしてしまうつもりなのだろう? 自然に対する仕打ちがこの異常気象として跳ね返って来ているのはほぼ明白なのに、ただただ嘆いてオロオロするか、誰かに責任と対処を押し付けるか(それはしばしば弱い立場の者に向かう)しているこの世界の人間。異種族の目からすれば、どうにも歯痒く感じられて仕方ない。
もっとも、あたしがそれを言っても栓なき事。いまはただ、波の音に身を任せて心のモヤモヤを落ち着けよう。
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むにゃむにゃ……、っくちゅん!
いつのまにか眠っていた。太陽はすっかり傾き、山の端にかかろうとしている。気温も随分下がったらしく、いつのまにか暑さで胸前のファスナーを開けていたのが、そこに吹き込む冷風で目が覚めた。
それにしても随分と長い午睡だった。それだけ暑さ疲れが出ているのだろう。このところ連日の熱帯夜で夜もあまり眠れていない。
夏は夜行性になるのもひとつの対処法だと思う。エルフは少々ライフサイクルが変わっても適応可能なので、これだけ暑ければ夕方から動き出すのが賢明と言えよう。
今から出発すれば日がとっぷりと暮れるまでには山を降り切ることができよう。そして夜になれば御殿場の街にも涼風が吹いているはず。夜の山越えを敢行しても良し、御殿場で朝を迎えるのも良し、だ。
湖のほとりに、エルフがやって来たしるしを付けて、再びあたしはバイクにまたがった。
どうして、異世界からやってきたエルフがヒロインなのかと言えば、彼女はこの世界の人間からすれば異邦人だからです。
外からの視点で見ると、この地球が明らかにおかしくなっていることがより強く浮かび上がって来ると思います。じっさい、特にこの国のここ数年の動向は、これまでになく異様なもので、それをあらわにするために、エルフのような異邦人の視座が役に立つと思います。
今年の暑さはあまりにひどい。これには議論の余地は無いでしょう。
ですがそれへの対処の仕方で議論が分かれるところでしょう。長期的に二酸化炭素が温暖化に大きく関わると分かっているのだからそれを減らすべきだし、対処療法としては熱中症などの予防策を個人も社会も講じることが必要でしょう。
ところがこの国では、なぜかそれを個人の責任に帰して行政は何もしないということがまかり通っています。
暑ければ冷房が必要。ならば電気代を下げればいいのに。熱中症対策グッズは沢山ある。ならばそれらをどんどん買えるだけの賃上げをすればいいのに。
エルフの彼女がこの国の現在の在り方について考えるとどこか不機嫌になるのはそういうことです。
これからも彼女の視点から見たこの国の不思議を書いていくつもりですが、その一方で早く彼女を涼しいところに行かせてあげたいので、まだまだ筆を進めます。