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12/16

冬眠するかの如く

 雪国で迎える冬の朝よりも、雪と(ほとん)ど縁のない都会で迎える冬の朝の方が、(こご)えるように寒い。

 それは後者にあたる土地に住む人にとっては、なかなかピンと来ないだろうと思う。


 理屈としては、また同じ気温で比べれば、雪がたっぷり積もった方が体感温度は高い。

 雪が降り積もったならば、必然的に湿度は高くなる。晴れの日が続いたならば、当然湿度は低くなる。

 湿度が下がれば、体表面から熱が奪われやすくなる。夏の汗が身体の熱冷ましに役立つのと同じ理屈だ。


 この国に冬が訪れると、大陸から海を越えて季節風がやって来る。彼らは国土の脊梁(せきりょう)を成す山脈に阻まれ、その際に海上から運び込んだ水蒸気を雲、さらに雨や雪へと変えて地上にもたらす。

 水分という荷物を下ろし、山脈を越えた空気は、乾燥しきった風と化して平野へと吹き込む。そんな日が何日も続き、湿度はどんどん下がってゆく。


 こと都会の冬は、身も心も寒々とした感じがして心の具合にもよろしくない。地表がコンクリートやアスファルトに覆われて湿度が余計に下がってるのかもしれない。知らんけど、ってこの言葉も一年遅れの流行語になってしまったけど。

 新たな流行語に絡めて語り直そう。自然の営みからすれば極めて不適切な樹木の伐採が始まった、とのニュースを耳にしたあたしは陸奥(みちのく)路からトンボ帰りで東京に戻り、地上から失われる木々のたましいに祈りを捧げ、再び北へ続く道のりをたどり始めた。

 トンボ帰りのトンボ帰りだから、同じルートを一往復半する羽目になった。それにしても風の冷たさが随分と増している。季節は明らかに先に進んでいる。


 あたしのバイクは原付のレーシングモデルを合法的にボアアップした黄色ナンバーなので、ひたすら下道を走るほかない。

 別に急いでるわけではないけど、あんなに沢山の、こんなに人々の心を癒してきた樹木たちが、恩を仇で返されるが如く切られるのを目の当たりにしたショックからは早く逃れたかった。少しでも東京から離れたい、その一心で夜通し走り続けた。


 東の空がわずかにでも青みがかってきた。そしそれに気づいたとき思った。海に近いルートを走っていて良かった、と。

 幹線道路を少し外れて浜を見下ろす高台にバイクを停め、まだ暗闇に眠るような海を見つめる。ゆっくりと明るさを増す空は、水平線の間際に灰色の帯のような雲を這わせているものの、上空は晴れ渡っている。

 やがてオレンジ色の朝焼けが広がっていき、水上に接しているグレーの雲を()かすように朝日が姿をあらわす。

 東の空はすっかり赤みのさした光に満たされ、その源たる太陽から生じた赤き光が地上をも染めはじめる。

 朝日は美しい。特に冬の日の出は美しい。


 ただし、寒い。


——


 東京から走り通しなので、いい加減眠りにつこうかとも思っていけど、寒さのお陰ですっかり目が覚めてしまった。

 ……いや、寒さだけのせいには出来ない。今の季節ってなんか落ち着かなくって、朝方来るというとそのたび、じっとしていられなくなる。

 動物たちは冬籠りの準備をせっせと進めている頃合いだし、エルフとて自然のサイクルに基本は逆らえない体質だから、影響はあると思う。でもそれ以上に、この島国独特の、この季節の空気が大いに関係している。


 四季の移り変わりがハッキリ分かるこの国では、次の季節に向けた支度は入念に行われる。そこにゆく年の締めくくりと来る年を迎える準備も重なるので、人々の様子は何とも慌ただしい。

 それでいて、そこに流れる雰囲気はどこか寂しげでもあり。晩秋から初冬にかけての時期は、あたしもなんか憂鬱。

 なんだろ、この国独特の、この時期に感じる雰囲気。なんか苦手。息が詰まるような感覚。


 多分だけど、「終わり」って言葉を強く意識させられる所為(せい)だと思う。今年の次は、すぐ来年がやってくると分かっているのに。なのに人々は殊更(ことさら)そこに惜別の想いを重ねたがっているように見える。

 この国の人々がもつ独特の感性には好きなものも沢山ある。けど良い悪いを別にすれば、去り行く年を無闇やたらと惜しむ空気には、なかなか慣れない。


 でも自然はあたしの心を慰めてくれる。

 朝陽のスポットライトで紅に染まった山脈は、早くも雪化粧を始めている。

 美しい。


 どうしたって、そちらへ行かないわけにはいくまい。まっすぐ行っても山道を経由しても、どっちにしろエルフが残したサイン探しは出来る。ならば、あたしが行きたい方に行くのが良いに決まってる。


——


 そして。

 例によって、エルフからの返事探しは空振りだった。けど日に日に冬の気配を色濃くしていく自然のさまに、心はとても癒された。

 蔵王・栗駒・八幡平と、冬本番となれば道路が通行止になったり、或いはすでに通行止になっているような豪雪地帯の山々を巡り、行ける所まで行っては山を降りてを繰り返すこと数多(あまた)。縦に長い東北地方をジグザグに進んでいたら、いつの間にか年の瀬も押し迫る頃合い。あたしはようやく、日本最北の県青森と、秋田にまたがって山上に(たたず)む十和田湖に到達。

 深い森と山と水との華麗なる共演。そして夏でも涼しく、冬は深い雪に覆われるというエルフ好みの環境。

 勿論、サインの痕跡らしき模様も数多く残る。すでに雪がかなり積もってはいるけど、だからこそ早めにサインの痕跡をたどっていきたい。


 エルフ同士が交わすサインらしき模様は車両の入れない場所にも沢山あるので、一旦しかるべき場所にバイクを駐輪してから、自分の足で進む。

 寒さ対策にスキーウェアを着込み、手袋と防寒用フェイスマスク、さらにゴーグル、スノーブーツにはスノーシューを取り付け、頭には保温性のあるウィンタースポーツ仕様のヘルメットという、完全冬山ハイキング装備に変身!

 エルフがサインを残すとしたら車両を横付け出来るような場所は稀で、むしろ森林の中に徒歩で分け行ったようなところが多い。サインのある場所はエルフの情報交換スペースだし、ときには集会所のような役割も果たす。人目を避けたがるエルフの性質がよく出ていると思う。


 もっともこの辺り、雪がメートル単位で積もるのでサインも埋もれてしまうのでは? とも思う。

 ところが豪雪地帯になればなるほど、サインらしき痕跡は木の上の方、すなわち雪の上を歩いて初めて目線に入るような位置に多く存在する。

 これだって、エルフがエルフの気持ちになって考えれば、すぐ思い当たる。だって雪深くなればなるほど人間は山に入らなくなるから。


 だから雪中トレッキングは必要に迫られてやってるのもあるけど、同時に楽しかったりもする。

 真っ白で、ふかふかの雪。そこに一歩踏み出すと、吸い込まれるように足が雪に埋まる。スノーシューを履いていても膝まで埋まるのだから、ブーツだけなら腰まで埋まってしまうだろう。

 まるで雪のプールに浸かるような感覚。それが、たまらなく気持ちいい。土や、ましてアスファルトの上を歩く時には味わえない、足裏からくるぶし、さらにすねから膝を、ふわふわの雪が包み込んでくれるような感触。雪と一体になれるような気分。

 冷たいかと思えば、さにあらず。スノーブーツは耐水耐寒がしっかりしてるし、ウェアとブーツの上にスノースパッツを付けているので裾からの雪の潜り込みもシャットアウト。

 完全なる断熱までは出来ない。でも踏み固められていない雪の上を歩くのは結構なカロリー消費になるので、ほてった身体を冷やすのに役立っている、んじゃないかな。

 暑くなるのは上半身だけど、巡った血が足の方に行って冷えて帰って来るとか、あるんじゃないかな。全身が心地良いんだもん。


 楽しみつつもチェックすべきものはチェックする。

 エルフが好みそうな場所だけに、エルフのサインらしき物に返事を書いてしばらくしてから戻ると、返事への返事らしきものが見つかる確率が高い(と言っても何十回に一回あればいい方だけど)。そこにまた返事を記して、またそれらしきものを見つけるのを繰り返す。

 あたしだって、ただ闇雲に返事をばら撒くばかりじゃなくて、傾向と対策を練りつつ進めてる。何度も言うけどエルフは冬と雪が大好き。だから返事への返事らしき物は冬の真っ只中に見つかることが多く、その傾向は雪深く、かつ寒さが厳しい年ほど強まる。そして時には、

「あ、これ……」

そこに意味を見出そうとすれば出来ることすらある。

 あたかも、古い遺跡の出土品にみられる模様の如き凸凹が、単なる傷でもなく縄などをこすり付けただけの飾りでもなく、何らかの意図をもって刻まれた形——文字だと発見されるかのように。


 「まる、にい、よん、……いや、さん、かな?」

エルフにしか解読できないサインといっても、特別な物質とか魔法とかを使う必要は無い。エルフが元々持っている力で既存の物質を集め、文字というか記号というか、そういうのを残すというのがエルフのサインの記し方。

 物質といっても、人間とかほかの生き物が存在に気づかないものも含まれるし、保護色のように周りのものと一体化して見えるような工夫もするから、エルフでなければ解読は出来ない。

 また風化もしやすい。今あたしが見つけたのは年号を記したかのような形跡なんだけど、これも本当にエルフの手になるものなのか、或いはただの偶然なのか。寝床から天井板の模様を見たら人の顔みたいだった、的な。

 争いを好まず、警戒心の強いエルフの特性からして、ほかの種族に自分たちの交流のさまを覗き見されたくはない。でもその慎重さ故になされた分かりにくい工夫によって、あたしが苦労させられているのも確かだけど。


 解読に小半刻は掛けただろうか。だってかなりの有力候補だし。だって最初は数字の羅列が特定の年月日を示しているように見えたし。

 ところがそれを数字と仮定して読み解くと、暦の動きからしてあり得ない年月日や、未来の日付を示しているとか、どうやっても辻褄が合わない。

 結果、それが人為的、いやいやエルフが為した的な産物と断定は出来なかった。だからあたしはそこに、

「読み取り困難。願わくば再度連絡されたし」

と書いたうえで、

「二〇二四.一二.三一」

と今日の日付を残した。


——


 年末年始、北東北地方は大雪に見舞われた。荒天の雪山を無闇にうろつくのが危険なのは人間もエルフも変わらない。

 もっとも、元より冬山ごもりも辞さない覚悟と装備を持った上であたしは入山している。人間にとっては命に関わる事態だとしても、エルフなら周到な準備と経験と根性で乗り切れる。

 そもそもあたしは野宿を前提として放浪の旅を続けているので、それが人々と車の行き交う道路のそばだろうと、手練(てだ)れの山人さえ敬して遠ざける原生林の奥だろうと、寝場所さえ確保できれば構わない。


 寝泊まりに都合の良い洞穴(ほらあな)(たぐい)には大抵先客がいる。それがキツネやウサギならまだしも、おクマさんのお宅だった日には大変。冬籠りの入りバナにお邪魔しちゃうわけで、仮令(たとい)エルフでも無傷では済むまいて。

 だから明らかに人やエルフの背を超えるほどの積雪があるところでは、あっここからは人間さんが安易に真似しちゃいけないとこだけど、雪が周りと比べてふかふかになっている所、例えば吹き溜まりを探してみると良い。

 一歩足を踏み入れたならばたちまち腰まで潜り込んでしまうけど、これを逆に利用する。しっかりとスキーウェアの下にも衣類を着込み、寝袋ごと自分の身体をアルミの防寒シートに巻き込んだら、恐怖心を捨て一思いにその雪溜まり目掛けてダイブ!

 大事なことだから何度も言うけど、真似してはいけない。これはエルフの直感(なんてものがあるかどうかは知らないが)と経験値で、危険の無いポイントが大体分かるから出来るのだし、それでもしハマって出られなくなったとしても生命を維持できる生物(エルフ)だからこその、サバイバルの知恵でもある。


 これだけの防備をしたうえなら、雪を味方にできる。

 強風や地吹雪の直撃を防いでくれるし、地上の温度が氷点下でも雪の中はそれより温かい。あと雪国名物の()()()()も割と過ごしやすいんだけど、今日くらい気温が低いとかえって雪が固まりにくく作りにくい。

 だったら雪に潜っちゃうのが手っ取り早い。吹き溜まりのサラサラ粉雪では、もがけばもがくほど深くハマっていくことがある。それを逆に利用して、防寒シート固めで人魚のように左右の自由が効かない我が両足をバタつかせると、いい感じに雪の深みに落ちてゆく。


 辺りが暗くなってきた。今日はこのまま夜を明かそう。この分だとわずかに雪上に突き出る防寒ヘルメットも、未明には雪の中に隠れてしまうだろう。

 雪とひとつになって、あたしは年を越す。

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