北へ行こう、と思いきや
さむい……。
こんな猛吹雪の日に野宿するんじゃなかった。
これでも用心したつもりなんだけど、たとえ深い森の中でも北向きの場所はダメだ。目が覚めたら身体がシュラフごと雪に埋まってるんだもん。
いや、分かってた。ここがこの国有数の豪雪地帯であることも、昨夜半ごろから風雪強しの予報が出て来たことも。
寒さ対策だって万全で、しっかり厚着をした上でアルミの防寒シートにくるまり、そのままイモ虫がバックするかの如くシュラフに潜り込んだ(人間が同じことやったらダメ。命の保証は出来ない)。
もちろん、寝袋の中は快適そのもの。呼吸と外の光をキャッチするための最低限の空きがあるだけ。その小さな隙間からも容赦なく風雪が潜り込んで来たならば、目出し帽にゴーグルをして肌の露出をゼロにする。
と、まあ、それだけの重装備で寝てるってことはつまり、寒くてシュラフから出られないってことなわけで。
でもいつか勇気を出して、この寒風吹きすさぶ中に此の身をさらけ出さねばならない。このまま、シュラフの中でぬくぬくとしてもいられない。
——
異世界育ちのエルフでありながら、ある日突然別世界に飛ばされたあたし。以来ずっと、元の世界に戻る手立てはないかと放浪の旅を続けている。そしてここ何年か(でももう何年になるんだろ?)は、冬になると北へ向かうことにしている。
というのも、あたしがいた世界のエルフには見ず知らずの間柄でも情報を交換し合う慣習があり、そのためにエルフだけが解読できるサインを持っている。
元の世界からこの世界に飛ばされたエルフが、あたし一人だけとは限らない。いやむしろ、比較的ありふれた現象だと考える方が自然。だってあたし、そんな特別な存在じゃないし。
だとしたら、あたしがエルフ同士のサインを残しておけば、別のエルフさんが気づくかもしれないし、逆もあるかもしれない。そう思って探してみると、それらしきものが結構見つかる。
エルフは涼しめな気候を好むので、サインらしき模様も北の方に多い。でも困ったことに、このサインは自然の力で劣化しやすく、エルフの描いたものと断定できるものには巡り会えていない。
特に、雨や雪に弱い。だから寒いところでは冬が来る前に出来る限り探しておかなきゃならない。
例年ならとっくに津軽海峡を渡っている頃なんだけど、今年は出発が遅れてしまった。
というのも、北へ向かう前に寄るべき場所が出来て、そこでの用事が終わったら、すでに冬だったから。
——
エルフは、いつ終わるともしれない永い生命を持っている。そして、エルフが愛する森の木々も、永く永く生命を保ち続ける。
だが、木々の寿命は簡単に絶たれてしまうことがある。殊に人間の手によってその命を奪われるのなら、やり切れない思いだろう。
かねてから耳にはしていた、この国の首都において貴重な緑に人間の手が入るということは。当然、反対の声は高まった。だがそれらの声は届かず、大規模な伐採がついに始まったと知り、北行きを一旦やめて元きた道にバイクを走らせた。
そこは都内有数の大きな緑地だから、エルフが残したサインの跡と思われる模様もたくさん見つかる。あたしがそれに返事をし、時を置いて戻って来ると、返事の返事と思しきものに巡り会えることもある。
そこにまた返事を書いて、時を置いて、を繰り返すと、次第にエルフのサインらしさが増してくるものも、たまにある。
あたしが育った世界は、精霊や妖精などといった存在が身近だった、って、今更言う必要もないか。だって、エルフなんていう奇っ怪な耳を持つ生き物がいるくらいだから。
そして、エルフは民族とか国家とか世界とかに関係なく、霊的または神的な存在に対して敬意を抱く。そう教えられて育つ。
だから教会とか聖地とか寺社とかいったところにエルフは好んで足を運ぶ。また、この国における八百万の神々への信仰はエルフ族が大事にしてきた価値観と通じ合うところが多い。
事実、この神社を取り巻く杜にはサインの痕跡らしきものを幾つも見出すことができた。あたしはそれらに次々とサインを返し、それに対する返事かもしれないものを絞り込んでいった。
でも全てが無駄になってしまうかもしれない。確認を急がねば。
——
あたしが最後にサインを残した樹木たちとは、伐採前にすべて会うことが出来た。他のエルフからの返事の有無もすべて確かめた。
残念ながら、返事は無かった。
けど、無いことを確認できたのは良かった。それを確かめる前に伐採が終わっていたら、ずっと未練を引きずっていたことだろう。
絞り込み作業は、さすがエルフの集いやすい杜だけあって、もし今回それらしきものを見つけたら本物に違いない、というところまで進んでいた。
通信が叶わなかったことはもちろん悔しい。
でもそれ以上につらいのは、木々の心の叫び。森の民だからこそ気づくことの出来る、無念の想い。
森に生きる者たちは互いにいのちを支え合い、時にはそのいのちを他者に捧げ、その中で新たないのちとなって生き続ける。だから、たとえ伐られた木でも有効に使われることで「生き」続ける。
一方、たとい生きたまま移植されても、その木に合わない環境ならば、やがて衰え虚しく枯れてゆく。
エルフには植物の気持ちを知る能力がある。
そして、かれらは建物となったり、道具になったりするために切られる時は哀しみの声をあげない。だがこの森には、やめてくれ、これ以上いたずらに我らの仲間を間引かないでおくれという、心からの訴えが溢れている。
あたしはその悲痛な叫びを受け取ることは出来るけど、助けることは出来ない。地面にひざまずき、力になれなくてごめんね、何も出来なくてごめんね、そう念じ、エルフなりのやり方で、かれらに苦しみが少しでも鎮まるようにと、祈ることしかできない。
バイクを降りてからもフルフェイスのヘルメットを脱ぎ忘れていたことには、あとから気づいた。でも、それで良かった。エルフという誇り高き民族の端くれとして、頬を伝う涙を見られるのは恥ずかしい。
後ろ髪引かれる思いをこらえ、立ち上がったあたしはバイクにまたがり、ゆっくりと走り出した。涙が治まるのを待ちたかった気持ちもあるけど、いつ枯れるかも分からないほど、涙はとめどなく流れるから、思い切ってサヨナラを告げた。
バイクで来て良かった。フルフェイスのバイザーで涙は隠せる。それでも溢れ出る、こらえ切れない嗚咽はエンジン音が掻き消してくれる。