幼女、名をもらう
人がめちゃくちゃなところを除けば、この寮はそこまでとんでもないわけでもなかった。
朝ご飯は変わらず簡素だが、でもまずいわけでもなかった。
ただ子供椅子を用意するのはやめてほしかった。
「食堂の机には届かないだろうからと、子供用椅子を作ったんだが、かわいいな」
ルーシーが言う。
小さい椅子の脚に木が括り付けられている。たぶん、普通の木の枝だ。それが釘で乱雑に打ち付けられている。
だからちょっと動くと、胃が浮く違和感が突如やってくる。
正直言って、これで食事とか耐えがたい。
「幼女はまだ声でないのか」
ヒビキがいう。今日はタバコがない。
「まだみたいですよ。まあ、時間がかかるかもしれないですね」
メガネがいう。
しゃべれないのはむず痒い。
でも下手なことを言ってしまうよりいいかもしれない。
椅子が究極な状態なのに、今日は昨日と状況が違う。
いま、そのことが最も気になっているのにどうやって触れたらいいかわからない。
「この女児は名を何というのだ」
低い声が響く。
思わずびくっとする。
「ああ、そうだよな。女児の名前がわからないのも問題だ。でも女児は一人しかいないから、女児でいいんじゃないか」
ルーシーが答える。
ルーシーの適当な返答にも眉根一つ変えず、低い声の主は続けた。
「しかし女児はよくない。女児も個人だ。個人の尊厳がある」
「確かにな」
ルーシーが悩む。
いや、私は名前はどうでもいいので、どちらかというとこの状況を誰か教えてほしい。
「女児はよくないけど、本人も言えないんだからしょうがないわよね。文字かけるのかしら? 書いて教えてもらえば?」
めがねがどうでもいいことを言う。
名前なんてわからん。
わからんし、文字もかけない。
一生懸命首を振ってアピールする。首を振るたびに椅子が奇妙に揺れて、胃が浮く感じがまとわりつくが、気にしていられない。
「だめなのかな。まだ小さいものね」
「そうだな。このご時世で子供が字を書ける方が珍しい」
ヒビキとめがねがあっさりと納得する。
「私が教えてやってもいい。」
低い声にびくっとする。
見れば、眉間に深くしわを刻み、堀の深い目元をより一層深くして、いや簡単にできるようなものではないとわかるが、そうとしか思えないような造作をしているのだ。
そう。
今朝からもう一人追加された女子寮の仲間らしいのだが、誰もこの人のことを言わないのでそもそも女子なのかと言いたい。
筋骨隆々とした体は鍛え抜かれてた戦士のようだった。
髪はウェーブがかかっていて、肩ぐらいまであるが、これはおしゃれなのかどうなのかがわからない。
体は他の女子どもと比べると軽く2倍ぐらい大きい。袖なしのワンピースを着ているが、袖はちぎれたのだろうか、全体的に服がはち切れんばかりだが、男子をあおるようなはち切れ方ではない。
これは本当に女子なのか。
女子からかけ離れた威圧感に、殺し屋でいくつもの危険な状況を切り抜けてきた自分も悪寒がする。
「マリがいうなら、確かだね。女児も奇麗な字が書けるようになるだろう」
「ルーシーは自分の字を見直した方がいい。」
うんうんとうなずくルーシーに対し、マリと呼ばれた巨漢は冗談なのか本気なのかわからないことを言う。
「マリが冗談を言うなんて、よっぽどマリも女児が気に入ったんだな」
はっはっはーと豪快にルーシーが笑う。
私?
なんと?
いつの間にそんな話になった。
マリが気持ち頬を赤らめたように見えた。
「子供はいい」
「この女子寮はみんな子供好きよね」
メガネとマリがにこやかに笑う。
ヒビキもまんざらではない顔をしている。
「みんなだいたい既婚者だからな。夫も子供もいないから身軽でここにいるけど、いてもおかしくないからな」
ええ?
すごい話をしている気がする。
私なんて、イケオジだったが、仕事柄恋仲の女性すらいなかったのに。
「そうなのよね。私もあと一歩で子供ができるところだったのにな」
メガネ、お前もか。
「でも夫がいないほうがせいせいしたかもな。洗濯も飯も作らないし」
ヒビキ、まさかお前も。
「うぬ。牛追いだけやって我が物顔で帰ってこられても困る時もあった」
…。
「そういえば、マリは今日初めて会ったのよね、この子。名前がわからないから紹介しづらかったんだけど、この子に誰かマリのことを紹介してあげないと」
ようやく気付いたか、メガネ。
「そうだった。女児に女子寮の仲間の一人を紹介するぞ。我が教会の家畜担当のマリだ。」
ルーシーがばーんとマリにむけて手を広げる。マリがこちらをみて神妙にうなずく。
怖い。
「マリはちょうど一昨日から牛たちの放牧に出ていて、山で過ごしてたんだ。牛たちは山で自由にさせたほうがいい乳がでるんだが、このご時世で牛も盗まれたりするからな。マリが付いているとその恐れがない」
そりゃそうだろう。
こんなのと山の中で会ったら、自分が強盗にあったのかと思う。
「私だけではない。アルデバランもいる。」
アルデバラン?
牛か。
「ああ、アルデバランも立派な牛追いの犬だからな。あいつも優秀だ」
…牛はマッカーサーで、犬がアルデバラン。
誰がつけたんだろう。
ルーシーの言葉に自分の眉根が狭くなりそうだった。
「女児には難しかったろうか」
マリが心配したらしいが、そのマリの表情は一つも変わらない。
「いろんなことを聞きすぎてびっくりしたのかもね。たぶん住んでた場所とだいぶ違うのかもしれないし」
メガネがフォローする。
メガネはいつも当たり障りのない普通のことばかり言うから、ほんとどうでもいい。確かにそもそもこの体の主がどこに住んでいたのか、どんな過去なのか私はわからない。
わたしはさっさと徳を積んで…。
徳?
はっとした顔をしてしまった。
「どうした女児? お腹でも痛いのか」
ルーシーの言葉に思わずぶんぶんと大きく首を振った。
そうだった。
自分は徳を積み、さっさと…。
どうなるんだ。
ステラアートは言った。『しっかりがんばって徳をつみなさい』、と。
でも積んだらどうなるのか、どうやって積むのか何も言ってない。
魂が抜けたような気分で、とりあえず固いパンをかみしめる。
「では話を戻すが…」
「え、どのことだっけ?」
マリの話しにルーシーが呆けた声を出す。ちょうどパンを食べようとしていたらしい。
「女児の名前のことだ。やはり名前がないのは良くない。本当の名がわかるまで仮の名で呼んだ方がいいだろう」
マリが言うならと周りがうなずきだす。
確かにすごくまともな意見だ。
「はいはーい、なら、いい案がありますー」
ルーシーがさっそうと手を挙げる。
「ステラがいいと思いまーす」
「おお」
おおおおお…。
歓喜する周りとは裏腹に私は背筋が冷えるような思いがした。
「ステラアート神のステラか。いいではないか」
それが嫌なんだよ。
声が出てたら叫んでた。
どうにもあの神の思惑通りな気がしてならない。
「では、満場一致ということで、これから女児はステラだ」
拍手喝さいの内に、自分が最も望まぬ名前を付けられた。