名探偵ヨシノ君
残暑が続くある日の放課後。教室のドアを開けて一人の少女が入ってきた。
「あの、吉野君はいますか?」
「吉野カズキは俺だけど……」
カズキが答えると、少女は机の前まで移動してきた。
「あなたの事は友達から聞きました。相談に乗ってもらいたい事があるんです」
「相談?」
呟いたカズキは教室をグルリと見渡す。
数人の生徒が残っていたが、その中の一人、竜崎と目が合った。
竜崎は何も発することなく、手元の携帯に視線を落とす。
カズキは目の前にいる少女に向き直った。
「俺に相談って?」
少女はゴクリと唾を飲み込んだ。
「友達にあなたが推理小説に詳しいって聞いたんです。毎日本を読んでるせいで推理力がすごくて、日常の事件を解決する名探偵だって噂されているって!」
「名探偵とは言われてないと思うけど、まぁ、推理小説のファンではあるよ」
微妙な顔でカズキは答えたが、少女は胸の前で両手を組んだ。
「私、椎名あきほって言います。友達が事件に巻き込まれたみたいなんで、話を聞いて欲しいんです」
「事件?」
カズキの目の色が変わった。
「それってどういう?」
前のめりになるカズキに、あきほは真剣な顔を向けた。
「殺人事件、かもしれないんです」
「かも?」
あきほは頷く。
「ちょっとだけ、時間良いですか?」
「うん、俺は大丈夫、あ、座って」
カズキは横の机の椅子をあきほにすすめた。その時に一人だけ教室に残っている竜崎が見えた。
あきほは椅子に座るとカズキに話し出した。
それは別の高校に通う、あきほの友人、篠崎愛梨の話だった。
愛梨には幼なじみの恋人がいた。彼の名前は北園玲。その玲には双子の弟、北園ハジメがいた。
双子の見た目は区別が出来ない位似ていたが、性格は大分違った。
玲は何でもそつなくこなす優等生タイプで人を引っ張っていくような性格だったが、ハジメはそんな玲の後ろに一歩控えているような、おとなしい性格だった。
愛梨は双子の両方からの好意を感じていたが、選んだのは玲の方だった。
愛梨は社交的で明るい性格で、しかも芸能人並みの美人だった。
付き合う相手も当然社交的で何事もスマートな玲の方が好みだった。
愛梨と玲のカップルは周囲も羨む完璧なカップルだった。
付き合ってすでに3年。お互いの家族も公認の仲だ。
そして高校1年の今年の夏休み。
互いの両親と、愛梨と双子、そして共通の友人一人を連れて旅行に出かけた。
貸し切りのペンションに泊まった二日目に事件は起きた。
双子の弟のハジメがペンションのバルコニーから転落して死亡した。
警察も来て事情も聴かれたが、事件性はなく事故として事件は解決した。
「でも、それが殺人事件だったと?」
カズキの問いにあきほは頷く。
「愛梨は死んだのは本当はレイ君の方だったんじゃないかって疑っているんです」
カズキは黙って考えた。
ミステリーではよくある話だ。
登場人物に双子が出てきたら、入れ替えを疑えというのが常識だ。
「最初に言ったように、双子は二人とも愛梨の事を好きだったんです。ハジメ君の方も愛梨の事を好きだった。諦めきれなかったハジメ君はお兄さんのレイ君を殺して、自分がレイ君に成りすます事を考えたんじゃないかって、愛梨は考えていて……」
「うん、まぁ、そういう想像はわかるよ。ミステリーではよくあるしね、でも警察が来て事故だって判断したんでしょ?」
あきほは頷く。
「じゃあ、殺人って事はないんじゃないかな? 俺はミステリーファンだけど、何を一番信じるかって言ったら、科学捜査だよ。推理より何より科学が一番信用できるよ。そもそもすぐに事故って判断されたって事は他の人間にアリバイがあったって事でしょ?」
「それは、はい。全員にアリバイはあったんですが、でもトリックとか考えられないですか?」
「トリックって、針金とかテグスとか?」
あきほは頷く。
「そういう道具使うと、建物とか家具に物的証拠が残るからやっぱり無理だよ。昔のミステリーはトリックも何でもアリだったけど、最近は何でも科学で解決しちゃうからね。防犯カメラもあるから外からの侵入者とかの線も、すぐになくなるんだよね」
「そう、ですか……」
その反応に彼女が第三者の犯行を疑っていた事も分かった。
「でも、事故が確かだとして、入れ替わりは可能性ないですか?」
あきほは拳を握りしめて、必死にカズキに聞く。
「たまたま兄のレイ君が事故で死んでしまって、ハジメ君はとっさに死んだのは自分という事にして、お兄さんに成り代わったんです。愛梨の事をそれほど好きだったとか、何でもできる優等生のお兄さんに憧れていたとか、そういう理由で入れ替わりたいって思う事はあるんじゃないでしょうか?」
カズキは「うーん」と唸る。
「確かに彼がそう思った事がないとは言えないけどさ、でも入れ替わったら違和感を持つ人間が出てくると思うよ」
「それが愛梨なんです!」
あきほは身を乗り出していた。
「愛梨は事故の後のレイ君の様子が前とは違うって言ってるんです。前のようなクールさとか、落ちつきがなくなって、まるで別人みたいに感じる事があるようなんです」
「でも身内、大事な弟が死んだら、ショックで前と変わってしまう事は考えられると思うけど?」
「それは、そう、かもですが……」
あきほは震える唇を、指先で押さえていた。あまりにも細く折れそうな指で。
カズキはそんな彼女を見ながら空想を組み立てた。
「ミステリーの鉄板ではあるけど、実際には人間の入れ替わりはムズカシイと思うよ。双子の兄弟も得意教科とか違っただろうし、友人関係も違うんだからボロが出る。その愛梨ちゃんの他に入れ替わりを疑っている人間はいるの?」
暫し考えてからあきほは呟く。
「……いない、です」
カズキは大きく頷いた。
「うん、じゃ、やっぱり入れ替わりはないんだよ。実際は入れ替わりを疑わせているんだよ、レイ君が愛梨ちゃんにね!」」
「え?」
意味がわからないという顏を、あきほは向けた。
「入れ替わりを疑わせている? ごめん、意味がわからないんだけど」
頭を押さえながら青い顔であきほは呟いた。
カズキは身を乗り出す。
「愛梨ちゃんとレイ君は付き合って3年だって言ってたね? でもそれってラブラブっていうより、そろそろ倦怠期とかの時期じゃないかな? 相手の嫌な所とか目についたり、他の人に目移りしたりさ」
「まさか……」
あきほは両手で口を覆った。
「レイ君から愛梨ちゃんへの別れを匂わす言葉はその事故の前になかったのかな?」
「……」
考えるようにあきほは黙り込んでいたが、カズキは続ける。
「ハジメ君は本当にたまたま事故で死んでしまったんじゃないかな? それを見たレイ君は愛梨ちゃんに入れ替わりを疑わせて別れようって考えたんじゃないかな?」
「どうして? 素直に別れたいって言えば良い話じゃないの?」
あきほは震えているようだった。
「君の話を聞いた感じ、愛梨ちゃんは 美人でプライドが高い。しかも今もレイ君の事が大好きみたいだ。別れたいって言ったら面倒な事になるのは目に見えている。だったら入れ替わりを疑わせて、付き合っているのが弟のハジメだと思ってもらえたら、ヤバイ人とは離れたいって思ってくれると考えたんじゃないかな?」
「……」
あきほは何も言わない。
「自分の恋人が実は兄と入れ替わったサイコパス弟だと思ったら、さすがの愛梨ちゃんも距離を置きたいって思うよね?」
しばらく黙って俯いていたが、やがてあきほは頷いた。
「そうですね、そう考える事もできますね」
カズキは優しく声をかける。
「この事を愛梨ちゃんに言うの?」
あきほはビクリと震えた。
「言えない、と思います」
「そうだね、俺も言わない方が良いと思うよ」
あきほは顔を上げた。
「大丈夫だよ。美人で気の強い愛梨ちゃんなら、きっとすぐに立ち直るよ。恋人もすぐにできると思うよ」
「そう、かな……」
「うん、俺はそう思うよ。だから君は何も気に病まなくて良いと思うよ」
殺人事件ではない。
入れ替わりも実は起こっていない。
ただの不幸な事故があったというだけ。
だったらみんな前に進んでいけば良い。
カズキの思いを受け取ったかのように、あきほは大きく息を吐いた。
「相談に乗ってくれてありがとうございました。少しすっきりしました」
あきほは微笑んだ。
「少しでもお役に立てたのなら良かったよ」
「はい、助かりました」
あきほは椅子から立ち上がると頭を下げた。
「あの、依頼料とか払った方が良いのかな?」
カズキは慌てて手を振る。
「いや、いらないよ、本物の探偵じゃないし! そういう部活とかでもないから!」
「そう、なの? でも本当に謎が解けた気がしてすっきりしました。今度お礼にジュースかお菓子でも持ってきます!」
「えっと、まぁ、そう言うなら、うん、ありがとう」
微笑んだあとで、あきほは教室から立ち去った。
それを見送った後で、カズキは振り返った。
教室の隅に残っていた竜崎と目が合った。
「どうだった? 俺の推理」
カズキが聞くと、竜崎は顎をつまんで頷いた。
「うん、だいたい良かったんじゃないかな?」
「だいたい? どこがダメ?」
ガタガタと椅子から立ち上がると、カズキは竜崎の机に向かっていく。
「入れ替わりは、俺もないと思った」
「だよね!」
「ああ、お前の予想にはほぼ間違いはないと思う。でも肝心の部分はスルーだったな」
「肝心な部分?」
カズキは竜崎の机に手をついて顔を乗せる。
至近距離で竜崎の顔を覗きこむ。
「事故があった日の旅行に、両親と双子と愛梨とその友人が参加したって話だったよな」
「そうだったけど、あっ……」
突然気付いた。
「そうだ、その友人はあきほちゃん本人だろ」
「そっか、言われてみればそうだよな。でもなんで彼女は自分も一緒だったって話さなかったんだ? 友人の話じゃなく、当事者だろ?」
「ああ、当事者だな。だから言えなかった」
カズキはドキリとする。
「まさかあきほちゃんが殺したとか、そう言う?」
「違うよ。さっきお前も推理したように、あれはただの事故だろう。でも彼女は殺人か入れ替わりを疑っていた。それは何故か?」
「なんでだ?」
考えずに答えを竜崎に求める。
自分はもう考えつくしたんだ。
「彼女は痩せてただろう? 頬もこけてたし、指は骨ばってた。あれは飯が喉を通ってないって感じだ。原因はハジメの死だろう。飯も食べられない位にショックだっていうのは、ハジメの事が好きだったか、レイの事が好きだったかのどっちかだと思う」
「ハジメ君を好きだったから痩せるのは分かる気がするけど、レイ君ってのは?」
「入れ替わってたとしたら、死んだのはレイって事になる。レイが好きだったらショックだろう」
「あー、そうだな」
納得しつつ疑問が残る。
「で、彼女が好きなのは結局、レイ君? ハジメ君?」
「それはわからない」
「え、そうなの?」
大きな声でつっこむカズキを、面倒そうに竜崎は見る。
「さすがにそこまでは、さっきの情報だけじゃ分からないよ。でも、近いうちに二人は付き合うと俺は思うよ」
「二人って?」
机に頬杖をついて竜崎を見上げる。
「レイとあきほちゃんだよ。お前が推理したようにレイは愛梨と別れたがっていた。それは何でか?」
カズキはポンと手を打った。
「そっか、あきほちゃんが好きだったんだな」
「そう思う」
カズキはうんうんと頷く。
「いや、確かに美人で気の強い愛梨ちゃんより、素直でかわいいあきほちゃんに心変わりするのは分かる気がするな」
「たぶん、彼女はもうレイに何か言われてたんじゃないか?」
「え、そうなの?」
「だから、相談に来たんだろ。レイを信じて良いのか。双子は入れ替わっているのか、いないのか」
「なーるほど」
カズキは竜崎の机から身を起こして、頭の後ろで手を組む。
「さすがは名探偵のヨシノ君だ! やっぱ、本物には敵わないな!」
竜崎はため息をつく。
「別に名探偵じゃない。そもそもお前は最初にワザと彼女に誤解させただろう?」
「そうだけど、でも目で合図しただろ? お前もそれで良いって顔だったじゃん」
あきほに自分は『吉野カズキ』だと自己紹介した。
このクラスには同じくミステリー好きの『竜崎ヨシノ』という少年がいたが、その事にはあえて触れなかった。
でもどちらに相談しても、彼女に言えた答えは同じだ。
ただ竜崎ヨシノの方が少しだけ、吉野カズキよりよけいな所まで気がついてしまう。
どちらの探偵に相談する事になるかは運次第。
どちらの探偵に依頼しても、結果はほぼ変わりはしない。
どちらの『ヨシノ』が好みかは、人それぞれだ。