誰が男を殺したのか。
退屈は人を殺す――
私はその時、暇だった。
出張で大阪に行くことが決まったのはつい昨日のことで、なんやかんやバタバタしていたらいつのまにか駅の構内で電車を待っていた。
時刻は間もなく十時を迎える。予定として十時八分発の東海道本線快速・豊橋行に乗り、名古屋駅へと向かう。そこで新幹線に乗り換えた後は新大阪へと進む。時間にして約一時間半。
電車に揺られるのは嫌いではない。が、ただ揺られるだけなのもまた好きではない。
スマホは持ってはいるが、それで時間を潰すのはどうも味気ない。長旅というわけではないけれど、ちょっとした読み物があればいいと思った。
そんなことを思っていたからか、それが目についた。
書物の自動販売機。
駅の構内に、まるで飲み物の自動販売機のごとくそれが置かれていた。装いはごくごくシンプルで、普通に歩いていては気づかなかっただろう。
ちょうどよかったという気持ちと、こんなものが世にあるのかという好奇心から、私はその自動販売機で本を買ってみることにした。
ラインナップは少し特殊だった。本のタイトルや作者名は一切明記されていない。あるのはジャンルと推定読了時間だけ。短いもので一分。読み終わるのに二、三時間を超えるものまで、予想以上に多くの本が取り揃えられていた。
どれにしようかと首を捻る。
つまらないものを手にしたくはないが、それは本屋で買っても同じこと。読んでみなければわからない。ならばと、ここは長めのものを一つではなく、手堅く短めのものを複数買うことにした。
買ったのはサスペンスとミステリーの短編集。あと普段は読まないが、物は試しと恋愛物を一つ選んでみた。
値段はどれもが一冊、百円。高いのか安いのかはよくわからない。小銭を投入してタッチパネル式のボタンを押せば、目当ての品が平積みされて出てきた。初めての体験に少し心が躍る。
本を取り出しながら、腕時計で時間を確認する。
目的の列車が来るまであと四、五分あった。
興味があった私は、さっそくその場ですぐ読み終わりそうな短編集の一ページを開いてみた。
『退屈は人を殺す――』
物騒な書き出しだと思いつつ、さらさらと読み進める。
物語の主人公は駅構内で電車を待つサラリーマン。急遽決まった大阪行きの出張に、彼は退屈しのぎにと自動販売機で書物を購入し――
「なんだ、これは……」
途中まで読んで、私は息を呑んだ。
違和感なんてものではなかった。
そこに書かれていた状況が、今の自分の状況と寸分違わず酷似していたのだ。なんというか、ざらりとした言いようもない感情が全身を襲ってくるのを感じた。まるで誰かに見られているようなその感覚に、先ほどまでサラサラと捲っていたページがぴたりと止まってしまった。気づいてしまうともう読み進める自信がなくなるほどの気味の悪さがそこにはあった。
本当に、心底、気味が悪かった。
「…………」
しかしそうではあるのだが、いやだからこそ――続きが気になった。
恐怖と好奇心を胸に、再び私は視線を本に落とす。ゆっくりとページをめくり、続きを読み進めた。
『目的の列車が来るまであと四、五分あった。興味があった私は、さっそくその場ですぐ読み終わりそうな短編集の一ページを開いてみた。』
物語の中でサラリーマンは電車を待つまでの間に、買った本をその場で読み始めた。それはまさに、今しがた自分がしていた行為そのものだった。
これからどうなるのか、一度周囲に目を渡したのち、私はさらに読み進めた。
『構内には学生やOLがいる。サラリーマンも外国人の旅行団体もいた。鳩が構内を我が物顔で闊歩していた。乾いた風が静かに吹いて、髪を優しく靡かせた。』
読み進める中で、構内の風景が描かれ始めた。鳥のさえずり。風の匂い。気温や湿度がどうのこうの。五、六人の外国人旅行客と思われる集団や、学生やOL、スーツ姿の男たちなどが構内にやってくる描写など。
まるでそれが虚構ではないと伝えるかのように、リアルに繊細に描かれていた。
私は一度顔を上げ、辺りを見渡した。
たしかに駅構内には学生やOLがいる。サラリーマンも外国人の旅行団体もいた。鳩が構内を我が物顔で闊歩していた。乾いた風が静かに吹いて、髪を優しく靡かせた。
果たしてこれを偶然と片付けてよいのだろうか。
――私は最後まで一気に読み進めた。
『突如、構内は騒然とした。近くにいた学生の一人が悲鳴を上げ、他は皆、声を失った。誰かが、サラリーマンを線路に突き落とした――。電車は急ブレーキを掛けたが間に合わなかった。落とされたサラリーマンは、その身を車体に引き裂かれ、一瞬にして肉の塊へ姿を変えさせられた。誰もが皆、突然のことに驚きを隠せずにいた。ただの一人を除いて――。犯人の男は逃げなかった。ただその場で茫然と立ち尽くし、誰にいうでもなく呟いていた。
「やらなければ……やらねば私の方が……死んでいた……」』
読み終わって私は意味を理解できずにいた。否、拒んでいた。
もしも――もしも仮に、この物語がこれから起きることを本当に予言していたのだとしたら、私は誰かに突き落とされて殺される。無論、信じるのは馬鹿げているはずなのだ。だが、それを信じさせるだけの描写がそこにはあった。
だが、変えられるのだろうか……?
今まで読んだところで異なる点は何一つとしてなかった。未来はすでに確定しているのでは? そう思えてならない。だがしかし殺される可能性が示唆されていながら、みすみす殺されるのは御免だ。
ならば、どうすればいい。
物語の結末を変えずに、自分の死を回避する方法などあるのだろうか。
不可避とも思えるこの状況に、私は鼓動が速くなるのを感じた。脂汗が額に滲む。
私は必死になって考えた。
電車がまもなく到着する。残された時間は限りなく短い。
「これしかない……」
私は一つの解決策を考えだした。ゆえにある男に近づいた。そして――
「きゃあぁぁっ!!」
突如、構内は騒然とした。近くにいた学生の一人が悲鳴を上げ、他は皆、声を失った。
誰かが、サラリーマンを線路に突き落とした――。
電車は急ブレーキを掛けたが間に合わなかった。落とされたサラリーマンは、その身を車体に引き裂かれ、一瞬にして肉の塊へ姿を変えさせられた。誰もが皆、突然のことに驚きを隠せずにいた。
ただの一人を除いて――。
犯人の男は逃げなかった。ただその場で茫然と立ち尽くし、誰にいうでもなく呟いていた。
「やらなければ……やらねば私の方が……死んでいた……」




