夢でいいから
私は幼い頃、よく祖父母の家に預けられていた。
保育園は祖父母宅から徒歩5分。だから、お迎えはほとんど祖母がしてくれた。
たまに祖父も来てくれたけど、仕事で家を開けていることが多かった。
そのせいか、祖父との思い出はたくさんあるのに、祖父母宅の大黒柱のイメージは祖母にある。
女が多く強い家系で、祖父が寡黙なせいもあった。
「怒ったら怖いんだよ」
そう聞かされても祖父は私を溺愛していたので、怒ることはなかった。
むしろ、溺愛がゆえにちょっかいがひどく、私が怒っていた。
足の裏を見せると毎度くすぐられた。
祖父は私のまだ小さかった足を触るのが好きで、くすぐらない時はずっと足を手のひらで包み込んで、にぎにきとしていた。
けれど、だんだんと思春期に入ろうとしていた私には、祖父のそのちょっかいは鬱陶しいだけだった。
祖父は私が中学生の頃に病気になった。
お見舞いは親が行くと言った時だけついていっていたけれど、あまり深刻には考えていなかった。
『手術をしても難しい』祖父の病気はどんどん進行して、会うたびに祖父は細く寝たきりになっていった。
たまに起きている時は本当に嬉しそうな顔をして、私をずっと見ていた。
その頃になってようやく、私は『祖父の死』について考えるようになった。
一番に思いついたのは、「私は祖父が死んで悲しむことができるのか?」だった。
なぜそんなことを考えたのか。
理由は、祖父が入院する直前まで鬱陶しく思っていたから。
今でも薄情に思う。
祖父のことは大好きだし、いなくなったら寂しい。
でも、そのせいで、泣くほど悲しむことができるのか不安になった。
祖父の意識が残る最後のお見舞いの日。
祖父はベッドの上で、穏やかに私を見ていた。
母が「手を握ってあげたら?」と言った。
もうわずかしか動かせない手を、祖父は重たそうに伸ばした。
私はその手を握るしかない。握りたくないと思った。
「お小遣いを欲しがってる手だなぁ」
入院前と変わらない祖父の言葉に、私は奥歯を強く噛み締めた。
母と祖母は後ろを向いて肩を震わせていた。
ずるい、と思った。
痩せて骨張った、体温の低い手。
以前とは違う祖父の手を、私は握りたくなかった。悲しかったから。涙を堪えられないと思ったから。
でも、祖父は私の手を握って、穏やかに私を見ている。
涙は見せられない。死を悟らせたくない。
幼い私は必死に、溢れそうな涙を堪えた。
そこでやっと『祖父の死』を実感した。
自分で思っていた以上の『大好き』な気持ちがあることを、痛いほどに感じた。
でも、気づくのが遅かった。
真夜中、ベッドで寝ている頭の上。
とん、とん、ギシッ、とん
軋む音も忠実な階段を上ってくる音は、階段からではない。
本当に頭の上で、壁しかない、何もない所から聞こえた。
あ、祖父が死んだ。
夢うつつにそう思った。
それからしばらく経って、今度は本当に階段を上ってくる音。
部屋に入ってきた母は私を起こし、「おじいちゃんが亡くなった」と言った。
「知ってる」
そう返した私に、母は驚かなかった。
後に聞いた話だが、祖父は最期のあいさつにといろんなところに現れていたらしい。
祖母には枕元に立って。唯一の長男、私のおじにはチョークスリーパーをかけにいっていた。
飛行機の距離、そんな距離を、肉体を離れたら苦もなく飛んで。
ちょっかいをかけるのが好きな、祖父らしい最期だった。
それから十数年。
祖父のことは今でも大好きだけど、思い出すのは病室での祖父ばかり。
最期のあいさつが本当に最後で、夢にさえ出てきてくれない。
動物園、水族館、ドライブ、些細な日常の思い出。
タバコの匂いが染み付いた車で、同じテープを何度も聞いた。テレサ・テンにジェイウォーク、虎舞竜、美空ひばり。
思い出はたくさん。でも、一番に思い出すのはどうしても病室での祖父の姿。
悲しい思い出じゃない。
優しい思い出がいい。
祖父母の家で、定位置のあの場所に座って。
脚の低い丸椅子をテーブル代わりにして、焼酎を飲む祖父。
あぐらの中には、私の子供を座らせて。
ひ孫にデレデレとする祖父は小さな足を触るんだろうな。
大きなゴツゴツとした手で、優しく包み込んで。
何か話しかけられると、「ん」とだけ返事をして。
そんな、優しい思い出をつくりたい。
夢でいいから、ひ孫を抱かせてあげたい。
そんな光景を、側で見ていたい。
夢でいいから。
また、祖父に会いたい。