10話 人の心ははかれない 87項「新たな地」
『これが……で、これが……だ』
パソコンの画面を指さし、見慣れた顔が千空に声を掛ける。
『……うん。そうそう、いいじゃないか! お前はやっぱり才能があるかもしれないな!』
嬉々として千空の頭をなで回すその人物は、千空の父であった。
夢……夢だ。だが、父が出てくる夢なんて初めて見た。
『……ん? ああ、なれるさ。お前ならきっと、父さんをも超える作曲家になるぞ』
ガッツポーズをする父。それは千空の手癖だし、そもそも父の記憶など無いのだが……これは夢の中なので、都合良く捏造されているのだろう。夢の中という所はなんでもありだから。
すると、父の姿が透け始めた。夢と言うことを認識してしまったためか、それとも目が覚め始めているためか、彼の言葉も曖昧になってきた。
「……ぁ…………ら……」
ほら、そんなことを考えていると、現実の音まで聞こえてきてしまった。
あたりがガヤガヤとうるさい。
「……ら…………ぉら」
もはや父の姿は影も形もなくなってしまった。もう声すら聞こえない。
というか、人が寝ているというのに周りは遠慮というものがないのだろうか。
「……ら……そら……」
ええい、うるさい!
先ほどから、なんだか顔の近くで声がするような気がする。
呼びかけられているのだろうか?
「……ぃ空…………千空」
どうやら、誰かが自分の名前を呼んでいるようだ。
だが、まぶたが重い。起きるのがつらい。千空は朝が弱いのだ。
しかし、これだけ呼ばれて起きないわけにはいかない。
貝のように固く閉じられた瞳を開く。
――わずか数センチの距離に、静也の顔があった。
「うわっぅ! んだよもう……」
「やあ、やっと起きたな」
静也がポンポンと千空の肩をたたき、周囲へ視線を送る。促されるままに辺りを見回すと、ぞろぞろと人が飛行機を降りていくところだった。どうやら、目的地のニューアンジェルスへ着いたらしい。
「すごくぐっすり眠ってたね、千空君」
「でも、目覚めは最悪だ……」
カチャカチャとシートベルトを外して席を立つ千空。ブランケットを畳み、座席のネットに入れられていた機内食とともにボストンバッグへと片付ける。
「なんか、夢に父さんが出てきたな……」
「え、そうなの?」
「まあ、記憶にはないから人物像は勝手な想像だろうけど……顔は写真のままだったな」
首から掛けたロケットに触れる。家族みんなで映っている写真の入ったこのロケットを、千空はお守り代わりにアルメリカへ持ってきていた。
「……じゃあ、絶対見つけないとだね」
「ああ……ところで、皆は?」
千空が尋ねる。彼の周りには未來と静也の姿しかなかった。
「もう降りたさ。キミが眠っている間にね」
「そうか……待たせちゃってるみたいだし早く降りないとな……」
よっ、と鞄を肩にかけると、残ってくれていた二人も荷物を抱える。荷物をまとめている間にほかの乗客はほとんど降機してしまい、機内には千空たちと数人の客が残るのみであった。
急ぎ足で飛行機を降り搭乗橋を渡る千空たち。
道なりに進んでいくと、毒島たちの姿があった。
「あ、千空たちが来たわよ」
「おはようございます、千空さん」
「おはよう。あとごめん、ちょっと起きれなくて」
待たせてしまっていた真佳たちに謝る千空。機内に客がまだ残っていたのでそこまで時間はたっていないだろうが、待たせてしまったことに変わりはない。
「まだ寝てなくて良かったのか?」
「いやほんと、すいません」
平謝りをする千空。今回ばかりは完全に自分が悪い。
「ま、お前が朝に弱いことは知っていたからな。もっとも、こっちの時間ではもう昼だが」
そう言いつつも、特に千空を責めた様子のない毒島。それはそれでなんだか気持ち悪い気がするが、とりあえず千空たちは早く入国手続きを済ませなければならない。話し込んでいる場合ではなかった。
「ちゃんとパスポートは持っているな」
毒島に確認され、ごそごそとパスポートを取り出し彼に見せるメンバーたち。中を確認すると、しっかりとそれぞれの顔写真が貼り付けられている。
「じゃ、さっさと済ませてロビーに向かうか。迎えがいるはずだからな」
そうして、ひとまず千空たちは入国手続きを行うため入国審査の列に並ぶ。
「結構かかりそうだなぁ」
「そだね。海外に来たこと初めてだから、こんなにかかるなんて思わなかった」
未來がキョロキョロと辺りを見回す。入国審査のゲートは数台あるが、そのどれもが長蛇の列となっている。こんなに長い時間並ぶのは彼女にとっては初めてのことだろう。
「だれかさんがもっと早く起きていれば、もっと早くに並べたんだがな」
「う」
うつむきながら顔を背ける千空。自分のせいだったらしい。過去の自分を呪ってしまう。
「ま、そんなに気にすることじゃないさ。誰にでも出来ることと出来ないことがあるからな」
「そうね。元々あなたは起きるのが苦手なのだから、仕方ないわ」
「うぅ……ありがとう」
皆のフォローが身にしみる。同時に自分が情けなくなってしまうが、こんなところでネガティブになっていても仕方ない。せっかくフォローしてもらったのだから、ここらでしっかりと立ち直っておかなければ。
そう思い、千空は別のことを考えることにした。アルメリカの料理、アルメリカの建物、アルメリカの観光地などなど。せっかく海外に来たのだから、そういう楽しいことを考えるのも案外悪くない。
ふと、手に持つパスポートが目に入った。
「それにしても、こんなものまで用意してもらえるんですね」
これからの入国審査で使うパスポートを眺める千空。ぱっと見はごく普通のパスポートで、写真もなかなか写りの良いものが使われている。
ただし……そこに記載されている情報は、そのほとんどが偽りの情報だった。千空たちアイズホープメンバーが使うパスポートは、公安から発行されたダミーパスポートだったのである。
「俺たちの場合、本人情報そのままとはいかないからな。そんなことをしたら、足取りを掴まれる危険性がある」
「そうですね……マスカレードくらい大きな組織となると、空港のシステムにアクセスして入出国の情報を手に入れるくらいわけないでしょうから……」
そう考えると、不便になったとはいえルミナスの導入は大正解だったように思える。現に導入前のアイズホープの足取りは完全に把握されていたし、宿街のシステムに侵入されていたと考えるとつじつまが合う。
「ラヴビルダーが協力の条件にルミナスの導入を提示してきたのも、これが理由なんだろうな」
「そうだろうね、きっと」
ラヴビルダーはメンバーや拠点などの情報を隠し通せているらしいので、アイズホープと絡んだことでそれがばれてしまった……なんてことになったら大変だ。相手方にも完全なセキュリティを要求するのは当然のことだった。
そうこうするうちに、千空たちの順番がやってきた。入国審査を終え、荷物の受け取りや税関などの手続きを進めていく。
すべての入国手続きを終えた千空たちは、やっとのことでロビーへとたどり着いた。
「結構大変だったね……全部で1時間ちょっとかな?」
「ああ……まさか海外への入国がこんなに大変だとは……」
くたくたになった千空と未來が言葉を交わす。日ノ和を出国する時は20分足らずで全ての手続きが終わったので、それと比べると遙かに長く時間がかかっていた。
「ったく、こんなんで疲れてたらこの先が思いやられるな――っと、どうやら迎えが来たみたいだぞ」
毒島が遠くの方を見つめながら告げる。
その視線の先――ロビーの入り口から、カジュアルな服装の男性が近づいてきた。
「お待ちしておりました。アルメリカ公安局――CBSの者です。アルメリカへようこそ」
ぺこりと頭を下げる男性。公安局の捜査官らしいが、その見た目はおよそ公安の人間とは思えないものだった。いい意味でその辺にいそうな……いわゆる、目立たない服装である。
「毒島です。よろしくお願いしますね。ほら、お前らも挨拶しろ」
「「よろしくお願いします」」
アイズホープのメンバーも挨拶を返す。今後お世話になる人たちみたいなので、こういうことはしっかりとしなければならない。一人一人、しっかりと自己紹介をする。
一通り挨拶が終わったところで、早速一つの疑問が千空の頭に浮かんだ。
アルメリカ公安局ってなんだろう、と。
「えっと、いわゆるアルメリカの警察ってことでいいんですか?」
率直に尋ねる千空。訪ねられた捜査官は一瞬だけ天井を見上げていたが、すぐににっこりと笑い彼の質問に答えてくれた。
「日ノ和で言うところの警察には少し近いですね。厳密には、警察ではないのですが。というのも、アルメリカは警察の組織構造が日ノ和とは全く違うのですよ」
そう言って、捜査官は歩きながらその構造について説明してくれた。
曰く、アルメリカでは国が管理する警察組織がおらず、地方ごとに警察組織が存在するのだという。地方警察「StPD」と呼ばれており、捜査はその地方内でしか行えないのだとか。
一方で、日ノ和は国の組織――警察庁が警察組織全体を管理しており、藍地県警だろうが静丘県警だろうが国内のどこでも活動できる。
ではアルメリカ公安局――CBSはなんなのかというと、地方警察では手に負えないような事件や犯罪組織を担当する、国が管理している捜査機関なのだという。全ての地方を捜査できるプロフェッショナルな警察という立ち位置だが、正確には「警察」ではないらしい。
「なるほどね。確かに、国内中を捜査できるという点では日ノ和の警察と近いわね」
「でも、CBSは公安連合にも所属しているはずですから、単なる国の組織である日ノ和の警察よりも立場的には上だと思いますよ」
優奈と真佳が意見を交わす。公安に所属していると言うことは、アイズホープやラヴビルダーなんかと同じタイプの組織と言うことだ。ならば警察よりも上級の組織だし、信頼性も高いだろう。今回の迎えを頼んだというのも納得だった。
「じゃあ、ボクらは基本的にStPDじゃなくてCBSを頼るべきってことか」
「そのとおりですね。というか、StPDは一切頼らないでください」
「え……?」
かなりはっきりと大胆なことを言われ、少し戸惑うメンバーたち。
彼がそんなことを言ったのには、当然理由があった。
「国が管理していないと言うことは、地方がその全てを管理していると言うことです。つまり、地域によって警察組織としての質に差があるんですよ」
国が管理していない――それはつまり、地方警察を監査する上部組織がないということを意味する。あったとしてもそれは地方行政の範疇であり、国ほど厳しい監査は望めない。最悪、犯罪グループとグルになっている可能性だってある。
それが、公安に属する者が「StPD」を安易に信頼できない理由であった。
「確かに、マスカレードと繋がっていたら最悪ですね」
「そういうことです。基本的にStPDとはあまり関わらないでください。もし関わらざるを得なくなったときは、ダミーパスポートを提示してくださいね」
そう言って千空たちが持つ鞄を指さす。公安が用意したダミーパスポートは世界の何処であろうと〝偽りの身元〟を証明してくれる。千空たちにとって御守りのような存在だった。
そうこうするうちに、千空たちは送迎車の元までたどり着いた。
「それでは、CBS本部を目指しましょう。お乗りください」
車のドアが開かれる。捜査官の服装と同じように、送迎車も目立たないSUV。ごくありふれた、アルメリカでもよく走っている車種であった。
千空たち全員が乗り込むと、車が走り出す。目的地はCBS本部。
窓の外で見慣れぬ景色が次々と流れてゆく。
車の旅は、順調に進む。