10話 人の心ははかれない 86項「アルメリカへ」
〈じゃあじゃあ、結構いろんな情報が手に入ったんだ! 良かったー!〉
マカロンを頬張りながらころころと笑うのは、病衣を身に纏いベッドにもたれかかる楓。
年も明けて1月1日。元旦からメンバーたちは彼女の病室を訪れていた。
「とは言っても、正体を掴むには程遠いがな」
毒島が肩をすくめる。警察に居るスパイと本拠地の国がわかったところで、まだまだ情報は足りていない。DAMAGEから引き出せる情報はもう残っていないので、ここからどう情報を集めていくのかが重要だった。
〈それにしてもこのマカロン美味しいね! 色んな味が混ざって面白い!〉
そんな風にはしゃぐ楓は、静也のマカロンをいくつも口に詰め込んでいた。一つずつ味の変化を楽しんで食べる想定で作られたマカロンだったが、複数を同時に食べることで味の混合という新たな発見があったらしい。
「味の相互作用ってやつだろうな。ボクとしてはそこまで想定はしていなかったが……美味しいならそれでいいさ」
自分の作ったものを雑に食べられているというのに、静也は特に気にしていないらしい。レモンケーキが床に落ちそうだったときは嫌そうな雰囲気を漂わせていたので、食べ物が無駄になる時だけ気にするのだろう。
それにしても凄いのは静也のマカロンだ。一つずつ食べれば味の変化が楽しめ、二つ以上同時に食べれば味のマリアージュが楽しめる。そんなお菓子、なかなか聞いたことがない。
〈うんうん、聞いたことないよね! ほんと、静也君のお菓子ってすごいなぁ~〉
その時、楓がにこにこと頷いた。
……ん?
あれ、という疑問が脳内を巡る。
「俺、もしかして口に出てた……?」
千空が尋ねる。だが、周りのメンバーを見ても「なんのことだ?」という視線しか返ってこない。独り言を言ってしまったわけでもないらしい。
それじゃあ、一体どうして彼女は千空の「心の声」に返事をしたのだろうか?
すると、楓が「あっ」という表情をした。
〈そっかそっか、みんなは知らないんだった! えっとえっと、実は私のARIETTAなんだけど……なんと、他の人の心の声が聞こえるようになったの!〉
えっへんと片手を腰に当てて胸を張る楓。そういえば最初のお見舞いの時、キャストが変化したという話を毒島たちから聞かされていた。
つまり、そのおかげで心の声に反応できたと言うことだろうか?
〈うんうん、そういうこと!〉
「いや、まだ何も言ってないし!」
思わず突っ込む千空。なるほど、心の声が聞こえるというのは本当らしい。
「すまんな。本当は今日、お披露目ついでに三崎君と説明しようと思っていたんだが……DAMAGEのことでバタバタしていて失念していた」
「仕方ないですよ。ところで、その三崎さんは今日みえないようですけど……」
「そういえば、今日は三崎さん居ないですね」
真佳に言われて気付いたが、今日は三崎の姿が見えなかった。楓の面倒見係なので、面会の時間ともあれば病室に居るはずだったのだが……
「ああ。少し疲れているみたいでな。別室で休んでいる」
毒島が答える。先週お見舞いに来たときも疲労感を漂わせていたので、少し心配であった。しっかり休んで元気になってほしいものだが……楓の事があるので、そうもいかないのだろう。
〈あんまり無理しないでとは言ってるんだけど……三崎さん真面目だし、なにより優しいから……〉
「だよなぁ」
こればかりはどうしようもない。彼女の代わりが出来そうな人間なんてなかなかいないし、 千空たちに出来ることといえば、そんな彼女を気遣いつつ感謝することくらいであった。
「でも、心の声が聞かれているというのは、こう……落ち着かないわね」
優奈がぽつりと漏らす。確かに彼女のいうとおり、心の声が全部聞こえているというのは少しスースーする感じがした。楓からしても聞きたくない声まで聞こえていそうだし、なんというか、むしろ不便な感じである。
〈ごめんね。でもでも、リハビリと並行してキャストの訓練もばっちりやってるから、次のお見舞いまでには制御できるようになってるはず!〉
流石に今のままではまずいので「相手が聞かせたいと思った心の声」だけを聞き取れるように訓練しているらしい。人が相手に知られたくない想いというものは、無理矢理知ったところでどちらも不幸になるだけだ。彼女自身のためにも、早めに制御できるようになることを願うばかりだ。
ちなみに、万が一の時のために問答無用で聞き取る力は残しておくようだが……それが出来るのは心を開いてくれている相手にのみだそうだ。現在聞こえているのも三崎やアイズホープメンバーなど彼女に対し心を開いている人間の声のみらしく、敵から情報を手に入れる手段にはならなそうである。
とはいえ、制御できるようになれば間違いなく有用なキャストになるだろう。彼女がこの力を制御できるようになれば、メンバー間でのやりとりをかなり安定したものにできる。ジャマーや通信傍受の影響を一切考えずにやりとりが行えるのだから。
それだけではない。やりとりの際に小声で話す必要もなくなるし、そもそもユーフォを起動する必要もなくなる。今後はいかに敵に見つからないかということも重要になってきそうなので、「ARIETTA」の進化はかなり誂え向きのものだった。
「ま、楓のキャストについてはそんなもんだな」
さてと、と毒島が椅子に腰掛ける。
「本題に入るが……アルメリカが本拠地であると分かったということは、ラヴビルダーも本腰を入れて捜査を開始することになる。なにせ、自分の国に敵の本丸があるわけだからな」
「まあ、そうだろうな。ボクだってそうするさ」
今まで散々追ってきた敵が自国に居城を構えている――それを知って動かないラヴビルダーではない。確実にアルメリカ全土をくまなく調べ始めるだろう。
「でも、本拠地がアルメリカってことは……これ以上日ノ和を調べても、確かな手がかりは見つからない、ってことだよね」
頬に触れながら首をかしげる未來。本拠地がアルメリカにあると言うことは、逆に言えば今後どれだけ日ノ和を探し回っても敵に関する大きな情報は手に入らないということになる。
すると、そんな未來の言葉を待っていたかのように毒島が答えた。
「と言うわけでだ。近いうちに一度アルメリカへ渡りラヴビルダーと合流する。しばらくはアルメリカに滞在することになるだろうな」
それは、アイズホープの活動拠点をアルメリカへ移すと言うことだった。いまさら日ノ和でちまちまとやっていてもしかたない、それがアイズホープとしての判断だったのだ。
「まあ、そりゃあそうなるよな……」
「そうね。ラトゥーナの『MICROCOSM』でどう結果が出るかはわからないけど……」
「いや、彼女のキャストでこの結果が最適と判断された。これが一番確実だ、とな」
「…………」
若干、部屋の雰囲気が重くなる。彼女の『MICROCOSM』の通りに動いたとしても完全に安全というわけではないことを、この部屋の人間は嫌というほど理解している。あくまで一番確実なだけであることを、もはや忘れることなどできない。
だがそれでも……「MICROCOSM」の通りに動くことが一番であることは確かである。その通りに動いてどんな被害が出ようとも、それは考え得る被害の中で最小なのだから。
「行ってみないことにはわかりませんね、こればかりは」
ともかく、重要なのは日ノ和にいてはこれ以上の進展は見込めないと言うこと。
マスカレードの情報を掴むためには、大国アルメリカへ渡るほかない。
「それでは、日程が決まり次第連絡する。それまでは……警察の捜査もないし、ゆっくり体を休めてくれ」
「まあ、どうせきっつい『体育』はあるんでしょうけどね」
なにはともあれ、ひとまずそれで話はついた。
アルメリカへ渡るまでは、しばらく穏やかな日々が過ぎていくだろう。
千空たちはしばしの休息に甘んじ、英気を養うのであった。
二ヶ月後――
寒さのピークを過ぎ、雪も雨へと変わる頃。
時刻は午後7時。
出立の知らせを受けた千空たちは、国際旅客定期便へと搭乗していた。
「まさかボクらが海外へ行くことになるとはな」
「ああ。宿街に来たときからは考えられないよ」
肩をすくめる千空。サリエルシンドロームが発覚したときはもう宿街の外には出られないと覚悟していたのに、いつの間にやら日ノ和の外まで出てしまっている。あの頃の自分に聞かせても、信じてもらえるか怪しいほどである。
「楓ちゃんや風見ネエさんも来れたらよかったんだがな……」
「仕方ないわ。あの二人は」
楓は治療やリハビリのため、風見は宿街の留守番をするため、アルメリカには渡らずに日ノ和に残ることになった。本当ならメンバー全員で来たかったところだが、これは必要なことなので誰もが納得するしかなかった。
「ま、こればっかりはな。それとお前ら、搭乗前にも説明したが、ちゃんと定期的にストレッチするんだぞ。水分補給もしっかりな」
座席に座るメンバーにしつこく注意を促す毒島。足を上下に動かしたりふくらはぎをもんだりと、具体的に動作をしてみせる。彼らが乗っているのはエコノミークラスであった。
「まあ、わかってはいたけどさ、やっぱりエコノミーだと窮屈だな……」
「うん、八咫烏と比べちゃうとね」
左隣の窓際に座る未來も彼にうなずく。特に彼女は八咫烏以外の航空機に乗る機会がなかったので、この圧迫感にはかなり窮屈しているようだ。
ちなみに、千空が未來に窓際を替わってあげたというのはここだけの話である。夜なのでほとんど何も見えないだろうが、窮屈さは少し紛れるだろう。
「到着までは9時間ちょっとってところだな。到着したら向こうは昼だから、フライト中にしっかり眠っておくように」
「「はーい」」
各々がブランケットなどを手に返事をする。
現在、日ノ和での時間は午後7時。現地との時差がおよそ16時間で、フライト時間はおよそ9時間なので、現地での到着時刻は12時と言うことになる。
時差ぼけを回避するためにも、フライト中は睡眠をとっておくのが賢い行いだろう。
「っていうか、真佳……袖のそれはなんなんだ? さっき空港の検査でも引っかかってただろ」
右隣の真佳に尋ねる千空。彼のパーカーには、なにやら見慣れないものが仕込まれていた。
「これですか? これはアームウォーマーです」
「いや、それは分かるんだけど……」
千空が指さすそれは、V系のバンドマンなどがよく手首にしているアームウォーマーだった。上腕部分にもアームバンドが巻かれており、いずれもシルバーがギラギラと輝いている。
真佳の性格的にこういうファッションはするはずがないので、一体どんな意味が……
すると、真佳がふふっと微笑む。
「すみません。少しふざけすぎましたね。これはですね、キャストで変形させて武器にするために付けているんですよ」
「武器?」
「はい。今はお見せできませんが、いざというときはこの金属部分を変形させて金属線にしたりフレイルにしたり出来るんです。チタン製なので軽くて頑丈なんですよ」
そう言って千空にアームウォーマーを触らせてくる真佳。触れてみると、確かに見た目以上に軽そうである。これなら、取り回しもかなり楽だろう。
すると、前の座席にいた優奈がシートの上から顔をのぞかせる。
「なるほどね。真佳にしては珍しい服装だったけれど、そういう意味だったの」
「やっぱ優奈さんもそう思うよな。だって、シルバーもりもりだもん」
真佳の突然すぎる変化に対して感想を交わす千空たち。やはり人というものは、なじみの人間が普段と違うファッションをしていたら気になるものなのだ。
「僕としては、見た目は気にしてないんですけどね。あと、生地の内側にも若干ですがチタンを仕込んであるので、見た目よりもリーチはでると思います。上腕部分と接続することも出来るので、ロープアクションの時なんかは安定性も上がります」
腕をぶんぶんと振る真佳。今まではパーカーの袖を変形させることが多かったが、さすがにそれでは耐久力にも限界があるので、この新しい装備はその弱点を補える非常に頼もしいものとなるだろう。
ちなみに、飛行機内でこんな会話ができているのは「ENIGMA」の使い手を含む財団の職員も数人来ているからである。特に「ENIGMA」は会話の内容を暗号化して秘匿することができるので、こういう一般人に紛れる場面では非常に役に立つのだった。
「さて、特にすることがないなら早めに寝ておけ。最後の2時間くらいは明るいだろうしな」
毒島が椅子を少しだけリクライニングし、アイマスクをつける。伝達事項をすべて伝え終わったので、もう話すつもりもないのだろう。
「それじゃ、ボクらも眠るとするか」
「だな」
現地に着いてからのことを考えると、夜更かしなど馬鹿のすることだ。
千空たちは、空を行く鉄の塊の中で英気を養う眠りにつくのだった。
離陸から4時間後――
気配を感じて目を覚ました千空は、ふと隣の未來が起きていることに気づく。
「あ、千空君」
「なんだ、起きてたのか。寝とけってぶっさんに言われただろ?」
「少し前までは寝てたよ。でも、ちょっと目が覚めちゃって」
小声でささやくように言葉を交わす。現在時刻は日ノ和時間で11時頃。外は真っ暗で、周りの乗客もほとんどが眠りについていた。
「これ、機内食だって」
「あ、ほんとだ。寝ている間に来てたのか」
未來が箱を手に取る。飛行機のイラストなどが描かれたきれいな包装である。寝ている人には配膳してくれないはずなので、財団の職員さんが受け取ってくれたのだろうか。
すると、未來がぽつりと呟いた。
「ねえ……大丈夫なのかな、私たち」
「え……?」
機内食の箱を座席のテーブルに置き、膝の上で拳を握る未來。
表情が読み取れない。うつむいた拍子に、彼女の顔は髪で隠れていた。
「この間のビルの調査、あんなにも順調だったのに……楓さんは、一瞬であんなことになった。敵の旧拠点を調べただけなのに」
握りしめられる拳に合わせ、膝上のブランケットにどんどんとしわが寄っていく。
「ねえ……敵の本拠地に近づいて……この先……私たちどうなっちゃうのかな」
未來が右肩を押さえて震える。
その様子に、千空はすべてを察した。
――そうか。未來は、怖いのだ。
彼女は、誰よりも先に経験しているから。
彼女には、その恐怖が刻み込まれているから。
敵の本拠地に近づくことで、今まで押し込めてきた感情があふれてしまった。
そんなの、不安になるに決まっているじゃないか。
だったら、自分にできることはただ一つ。
「心配すんな」
「え……?」
震える未來の手に自分の手を重ねる。
静也のスキンシップ過多が移った?
違う。
触れたかったのは彼女の〝心〟。
「今の俺には、父さんから受け継いだ心強い力がある。あの時とは、違うんだ」
「……うん」
だから、心配なんていらない。
自分の中に宿るこの力は……きっと、自分の大切な人たちを守ることができる。
これ以上、傷つけさせはしない。
言葉にはしなくても、そんな決意が自分の中にあった。
「だからさ、そんな顔すんなって。きっと、大丈夫だから」
そう言って、いつものようにガッツポーズをしてみせる千空。
月の光に照らされた未來の口元が少しだけ緩む。
千空の〝手当て〟は、届いたようだった。
「……ありがと」
「さ、向こうに着くまでに、せめてあと3時間は寝ないとな」
「うん。おやすみ、千空君」
「おやすみ」
そう言って、二人は瞳を閉じる。
静かな機内で、二つの意識が闇に落ちてゆく。
それはまるで、ゆりかごに揺られた赤子のように。
アルメリカ――ニューアンジェルスへの空の旅は、折り返しを迎える。
彼らがマスカレードのテリトリーに降り立つまで、残り5時間。




