1話 天使の宿街 6項「新たな担当者」
ガラス部屋を出ると、楓が声をかけてくれた。
「どうだった?」
「うーん、まあ悪くはないんじゃないかと思うよ」
千空は楓にそう伝えた。正直なところ、期待していたよりもぱっとしない能力だったことは確かだ。しかし、今後組織に入って活動することを考えると、身の安全が保証されるという能力は好都合だった。
そんな風に考えながらふと周りを見渡すと、千空はあることに気付いた。
「あれ、神木さんは?」
そうだ。ガラス部屋に入るまでは居たはずの神木が、いつの間にか居なくなっていたのだ。検査中、千空はあまり部屋の外の方を見ていなかったので、まったく気が付かなかった。
「途中で用事があるって、そっちに行ったよ」
「そうなんだ」
確かに、神木はかなり仕事ができそうな感じの人だった。なので、千空たちの面倒だけでなく、他にもたくさんの仕事があるのだろう。
「それじゃあさ、楓さんの検査が終わる頃には戻ってくるのかな?」
千空はそんな疑問を口にした。この後しばらくは楓の検査を眺めるだけなので、特に案内は必要ない。しかし、その後どうすれば良いのかは千空達には分からなかった。もし神木が戻ってこなかったら、他の検査員が案内してくれるのだろうか?
「それはね――」
「あ、神木さんはちょっと忙しいので、今後は私がお二人を担当します!」
楓が答えようとすると、後方からそんな声が聞こえた。
振り返ると、そこには神木と同じ服装の女性が居た。検査員は白衣を着ているので、恐らく神木と同じ役割の職員なのだろう。さっき見回したときどうして気付かなかったのか。
その職員は千空に近づき挨拶をした。
「初めまして、三崎と申します!」
「あ、初めまして、瑞波千空です」
千空は三崎に挨拶を返した。彼女のファーストインプレッションは、かなり元気な感じである。語尾すべてに!マークが付きそうな勢いで、めちゃくちゃフレッシュだった。
「今後は三崎さんも面倒見てくれるんだって」
「そういうことなので、よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくお願いします」
ともかく、今後は神木に加えて三崎も二人を担当してくれるそうだ。もしかしたら今後も担当者は増えるかも知れないが、多いに越したことはないし、なんなら頼もしい限りだ。
「それじゃあ、楓さんはガラス部屋の方へお願いします」
「あー、わかりました。それじゃね、千空君」
三崎の紹介が終わると、楓は検査へと連れられていった。
楓がガラス部屋へ入ったので、外には千空と三崎、検査員のみとなった。絶賛検査中の検査員に話しかけるわけにはいかないので、千空は今後もお世話になるであろう三崎と会話をしながら見学をすることにした。
「三崎さんは、どうして天使の宿街へ入ったんですか?」
千空はそう聞いてみた。単純な興味だ。
すると、三崎は元気に答えた。
「それはね、お母さんがここでお世話になっていたからです。だから、自分もこの仕事がしたいなーって思ったんです」
「それじゃあ、お母さんがサリエルシンドロームを?」
「そうなんです。私が生まれて間もない頃、お母さんが発症してしまって。だから、高校生になるまでずっとお父さんが育ててくれてたんですけど、卒業したらこっちに来ようと思ってたんです。ちょうど二年前のことですよ?」
三崎は笑いながらそう言った。つまり、学校とかの関係もあってずっとお母さんと会えなかったから、高校卒業と同時に宿街に来たと言うことだろう。それで、そこで働くことにしたと。
でも、宿街の職員は国家公務員だから、こっちに来たからと言って簡単に働けるわけではない。二年前に来たばかりなのに、そんなすぐにここに就けるのだろうか。
それについて聞いてみると、三崎はこう答えた。
「高校を卒業したらここで働くって決めていたので、高校の時に公務員試験を受けたんです」
それを聞き、千空はなるほどと思った。確かに、それなら卒業と同時にここで働けても全然不思議ではない。
しかし、今の言葉に千空はもう一つの疑問が浮かんだ。
「高卒で、宿街の職員になれるんですか?」
その疑問はもっともだった。一口に国家公務員と言っても、種類によっては学歴も必要になってくる。特に、宿街みたいな重要施設の職員となると、そもそも大卒でないと受験資格がなさそうなイメージがあるのだが、そこのところどうなんだろう。
「千空さんの言うとおり、普通はなれません。でも、宿街の職員に関しては、患者の家族に限り特別に受験資格が与えられるのですよ。ただ、試験内容は同じですので、一筋縄ではいきませんけど」
つまり、三崎は母親がサリエルシンドロームの患者だったからここに就くことを決め、母親がサリエルシンドロームだったからこそ試験を受けることができたと言うことか。うまい具合に、原因と理由が一致していた。
あれ、でもちょっと待てよ?
三崎は今、受験資格がもらえても試験内容は同じと言った。それってつまり、三崎は高校生時点で大学生が受けるような難関試験に合格したということではなかろうか。
「それ、凄くないですか!?」
「そうなんです! 凄いんです!! 自分で言うのも何ですけど、とっても頑張りましたからね!」
千空の問いに、三崎はそう答えた。自分で自分を上げる発言をすると普通は面倒くさがられるのだが、今回ばかりは千空も心から凄いと思った。彼女が一体どれほどの努力をしたのか、千空には想像も付かなかったからだ。
「なんかもう、人間として俺とは違う次元に居ますね。三崎さんの話を聞くと、俺がどれだけ平凡な人間だったのか思い知らされますよ」
「そんなことないですよ。千空さんには、キャスターの素質があるんですから」
「そうなんですかね?」
「そうですよ。だって、400万人に一人ですよ? もっと誇って下さい」
千空が卑屈になると、三崎はそう励ましてくれた。確かに、この現実世界で能力者になるなんてこと、ほとんどの人は一生経験できない。自分の実力で得たものではないから誇ろうとは思えなかったが、もう少し自信を持っても良いのかもしれない。
「じゃあ、もう少し自らを誇って生きようと思います」
「絶対その方がいいですよ!」
「まあ、キャスターのことはなかなか話せないので、誇る相手は居ないですけどね」
「あ、確かにそうでした」
そんな感じで談笑する二人。
ふとガラス部屋の方を見てみると、楓が千空と同じ感じの検査を受けていた。特に変わった様子はなく、千空と流れは同じなのだろう。
その様子を見ていると、千空はあることに気付いた。
「俺の能力って、今日の検査の前から周囲には影響を与えないって分かっていたじゃないですか? なのに、どうして俺の検査の時も防護服をしていたんですか?」
それは純粋な疑問だった。周囲への影響が無いと分かっているのだから、あんな重そうな防護服使わなくても検査できたのでは無かろうかと、千空は思ったのだ。
「確かにそうですけど……一応そういう決まりなのだと思いますよ? 私は検査担当ではないので詳しいことは分からないですけど」
「あ、そうですよね。すみません、変なこと聞いて」
まあ、校則とかでも慣習的になってしまい意味を失っているものが多いし、この検査もそういう感じなのだろう。一応、システム的にそうなっている、という。
と、そのとき検査室のドアが開いた。
そちらの方を見てみると、なにやらケージのようなものを持った検査員が数名入ってきた。ケージの中を見てみると、中身はマウス……? のようだった。
検査員数名はガラス部屋の中の検査員にケージを渡すと、外でモニターを見ている検査員と並んだ。
「マウスで実験するみたいですね」
「そうですね。千空さんは自分自身の能力だったので必要ありませんでしたが、他人へ干渉する能力の場合は、まずはマウスで実験するみたいですね」
なるほど。確かに、他人に関する能力とかだと、防護服を着た人間しかいない部屋では検査のしようが無い。生身の人間でいきなり検査をするのはあまりにも危険すぎるし、マウスで様子を見るというのも納得だった。
その後、マウスを使った検査が行われた。とは言っても、外から見ている限り何をやっているのかは全く分からない。
なにせ、どう見ても楓がマウスとにらめっこをしているだけなのである。数十秒おきにマウスを入れ替えてマウスの身体を検査しているが、本当になにをしているのかさっぱりだった。
しばらくすると、マウスがケージに戻されてガラス部屋から出てきた。マウスでの検証は終わりなのかと眺めていると、ガラス部屋の中の違和感に気付いた。なんと、ガラス部屋の検査員がおもむろに防護服を脱ぎ始めたのだ。
「あれ……? なんか、防護服脱いでますけど……」
「多分、マウスでの検証で安全性が確認できたんじゃないですか?」
千空が尋ねると、三崎はそう言った。確かに、それなら合点がいく。
楓は他人に干渉する能力らしいので、マウスで十分に検証ができなければ防護服を脱ぐなんてことはしないはずだ。ということは、やはりマウスでの検証は終わったようだった。
「思ったよりマウスの出番短かったですね」
「みたいですね。私はこういった検査を見るのは初めてなので、普段どのくらいかかるのかは分かりませんけど」
ともかく、これからは検査員の身体を使って検査を行うみたいだ。ただ、マウスの検証で安全性や危険への対策はできているみたいなので、そんなに心配しなくても良さそうである。
「そういえば、この検査ってどのくらいの頻度で行われるんですかね。そもそも、キャスター自体が珍しいじゃないですか?」
千空はそんなことを聞いてみた。内容や目的から考えてみても、この検査、実施する回数はかなり少なそうである。それなのに検査がスムーズだったので、少し気になったのだった。
「うーん……大体四年に一回くらいだと思いますよ?」
「四年に一回!? そんなに少ないんですか?」
「やっぱりキャスターが少ないですし、そのくらいだと思いますけど」
驚いた。四年に一回だなんて、思っていたよりもかなり少なかった。それなのにこの手際の良さとは……やはり一流の人材が集められているのだろう。
機材もこれだけの為に最先端のものが揃えられているだろうし、一体この施設にはどれほどのお金が投入されているのだろうか。千空には想像もつかなかった。
「これだけの機材にこのレベルの検査員……相当お金掛かってそうですね」
「実際、膨大な金額がここの運営に使われていますからね。とは言っても、国連の予算から捻出されているので、私たちが気にする必要はありませんよ」
あ、そうなんだ、と納得する千空。確かに、それならばここまで膨大な金額が投入されていても不思議では無い。実際にどのくらいの金額が掛かっているのかは知らないが、国連から出ているのであれば、ここまで施設が充実しているのも理解できた。
「国際的な問題ですもんね、サリエルシンドロームって」
「そういうことです」
まあ、お金に関しては自分たちが気にする必要も無い。この話題はこの辺にしておこうと千空は話を切り上げ、楓の検査の方に意識を向けることにした。
進捗はどんな感じかと千空がガラス部屋の方を見てみると、まだまだ検査は終わりそうに無かった。先ほどの検査から変わったことと言えば、相手がマウスから検査員になったことくらいである。相も変わらず、楓はにらめっこを繰り返していた。
一体あれにどんな意味があるのだろうかと不思議に思う千空だったが、思い返してみれば千空の検査も叩かれるだけというものだったので、人のことは言えないのであった。
その後も千空の時同様しばらく検査は続き、楓がガラス部屋から出てきたのは一時間半後のことになった。
「ただいまー。もう、ほんと疲れた!」
部屋から出るなり、楓は開口一番そう言った。
その言葉に、千空は心からお疲れと思った。見学と言うほど検査を眺めていなかった千空でも、その疲労は察することができたのだ。だって彼女の場合、初日のあのキツい検査を何十分も続けていたようなものなのだから。
「お疲れ。で、どうだった?」
「しっかり制御できるようになれば、かなり便利って感じ」
労いながら千空が聞くと、楓はそう答えた。ということは、千空同様、能力も判明したのだろう。いや、その検査をしているのだから当たり前か。
「どういう能力?」
「あ、それ聞いちゃう?」
どんな能力か聞くと、楓はそう問い返してきた。
「まずかった?」
「別にまずくはないよ。でも、私の口から言わなくてもいずれ分かると思うよ」
と、楓はもったいぶって能力を教えてくれなかった。まあ、千空もまだ能力について楓にしっかりと話していないし、どうせなら組織に入った後にお披露目しても良いかもしれない。
「じゃ、追々ということで」
そう思い、千空は能力については聞かないことにした。
「にしても、腹減った……」
「そうだね。私も検査中ずっとお腹鳴りっぱなしだったよ」
検査のことが終わり一息つくと、二人はお腹が減っていることに気がついた。
今日は8時頃に施設に着いたのだが、なんだかんだでとっくにお昼を過ぎていた。二人とも朝ご飯の後何も食べていないので、かなりお腹が空いていたのだった。
二人が空腹であることを口にすると、その言葉を待っていたかのように三崎がこう宣言した。
「それじゃあ、お昼休憩にしましょうか!」
その言葉を聞き、二人は歓喜した。
ともかく、午前の検査はこれにて終了。
千空と楓は、三崎に連れられ食堂に向かうのだった。