10話 人の心ははかれない 83項「代償と祝福」
一週間後、楓の面会が可能になったと聞いたメンバーたちは彼女の病室を訪れていた。
「楓姉ちゃん……本当に良かった……」
ベッド横の椅子に腰掛けた真佳が、今にも泣きそうな顔で呟く。そんな彼を安心させるかのように、楓が彼の手を優しく握る。その様子は、さながら本物の姉弟のようであった。
そんな彼女が横たわるベッドの机――オーバーベッドテーブルには、タブレット端末が立てられている。そしてそこに表示されているのは[来てくれてありがとう!]の文字。
彼女は、一時的に発声が困難になっていた。
「ま、それだけ皆心配してたってことさ」
お見舞いの品を机に出しながら静也が答える。100%フルーツジュースに色とりどりのフルーツピクルス、楓の好物であるドーナツなどがずらりと並べられていく。
造花タイプのフラワーアレンジメントを窓際に飾っていた毒島も静也に続く。
「そうだな。それに、声についてもリハビリで少しずつ戻ってくるだろう。それにしても、だ」
花を飾り終えた毒島が、担当医に尋ねる。
「楓の意識について、次の日には回復していたというが……こんなにも早く意識が戻るなんて、実際の所どうなんだ?」
顎をさする毒島。担当医も驚きを隠せないらしく、毒島の質問に対して目をしばたたかせた。
「あれだけの重症でしたからね……流石に次の日に目を覚ましていたのには驚きましたよ」
瞠目して答える担当医。ただ、通常よりも早く意識が戻るだろう事は予想していたらしい。現場での処置が適切だったことに加え、ハーピィを使ったことで患者への措置が迅速に行えたのだという。だから、普通の患者よりも回復は早いだろうと。
それでも、重症度からして回復には一週間前後かかる見込みだったらしい。緊急手術翌日に目を覚ますなど、誰が予想できようものか。
「とはいえ、流石に後遺症は免れなかったみたいね……」
優奈が残念そうに呟く。幸い脊髄は無事だったらしく最悪の事態は免れたが、それでも後遺症が残ったことに変わりは無い。
現状、楓に残った後遺症は2つ。脳出血による右半身の麻痺と構音障害。どちらもリハビリである程度は回復できるとされているが、完全に以前のように……とまではいかない。
少し表情が暗くなるメンバーたち。
そんな雰囲気を察したのか担当医がとある事を口にする。
「実はですね……こちらも驚きなのですが、どうも後遺症の回復度合いが通常の患者よりも良好でして。期間はかかりますが、怪我以前のように回復できそうなんですよ」
「え、本当ですか!」
担当医の言葉に真っ先に飛びつく真佳。どうやら、楓の場合は少し希望があるらしい。
すると、楓がタブレットに何やら入力する。
[そうなんだよ! だからあんまり心配しないで!^^]
そう語る彼女からは、皆を心配させたくなくて空元気を装っているとか、そんな雰囲気など全く感じなかった。おそらく、既に精神の方は万全に回復しているのだろう。
真佳を救えたことが相当嬉しかったのだろうか。その様子はまるで、真佳さえ無事ならば自分の怪我や後遺症のことなどどうでも良いと思っていそうな……
いや、本当にそうだろうか?
楓がいつものように元気なのには、もっと別の理由があるような――それこそ、優奈が先週言っていたことと何か関係が……
そういえば、あの時楓が笑った直後、「ARIETTA」で真佳になにか伝えていたような……
その時、ふと疑問に思い千空が尋ねる。
「そういえば、どうして筆談を? 考えてみれば『ARIETTA』で会話すればいいじゃん?」
「あ、そういえばそうだよね」
千空の疑問に未來も追随する。楓には声を届けるキャスト「ARIETTA」があるのだから、わざわざタブレットに入力して筆談なんかしなくても、それで会話すれば十分なはずだ。
そんな疑問に、毒島が「ああ……それな……」と少し重そうに口を開いた。
「なにから説明するべきか……」
憂鬱そうにまごつく毒島。
すると、病室のドアが開き三崎が入室してきた。見たところ、かなり疲れ気味である。
「毒島さん、解析の結果が出ましたよ。因子には変化無し。どうやら、能力の変化は念波特性の変化によるものでした」
「おお、そうか! それは良かった」
三崎の報告に、嬉々として胸をなで下ろす毒島。さっきから暗くなったり明るくなったり、なんだか忙しい男である。
それよりも……
三崎の台詞には、聞き捨てならない言葉があった。
「あの、能力の変化って一体……」
千空が毒島たちに尋ねる。
もしかして、楓が能力を使えないことに何か関係があるのだろうか……?
「ああ、そうだな――」
千空の質問に毒島は答える。
「ま、丁度良いわな」
それは、先ほどまでとは打って変わって凜然とした態度で――
「お前たちにも話しておくか」
どっしりと側の椅子に座ると、毒島は千空たちに能力の〝本質〟について話し始めた。
「お前ら、まずは能力がなんなのかは知っているな」
「えっと、念波が慢性的に増幅することで、伝子に干渉してしまうというものですよね。キャスターは念波が安定しているおかげで、それをコントロールできる、と」
毒島の問いに真佳が答える。こういう小難しい話は真佳や優奈の土俵だ。
「そうだな。では、どうして念波が慢性的に増幅するのか……そこはわかるか?」
真佳の答えを受け、新たな質問をする毒島。というかさっきから内容が難し過ぎて、真佳と優奈以外のメンバーは完全に置いてけぼりである。
「一時的なものであれば精神状態によって増幅したりするみたいだけど……慢性的なものについては知らないわね。少なくともあたしは」
「僕もそこまでは……」
どうやら二人も知らない問題だったらしい。二人が知らないのならば他のメンバーが知っているはずもないので、千空たちは素直に正解を求めることにした。
「では、心して聴けよ。実はな……念波が慢性的に増幅する原因は、一部の人間が持つ〝因子〟にあるんだ。全てのサリエル症候群は、この〝因子〟と、人が元々持っている微弱な念波によって発生する」
そして、毒島はその仕組みについて解説してくれた。
まず〝因子〟とは、一部の人間に発現する特殊な力らしい。因子は発現者ごとに違う〝本質〟を持ち、それがサリエルシンドロームの症状に影響を与える。そして因子は、全ての人間が持つ本人の微弱な念波を吸収し、本質に沿った念波へと変換・増幅して本人の脳から放出する。
つまり、サリエルシンドロームとは、人間が持つ微弱な念波を因子が増幅して強力な念波へ変換することで発生する症候群と言うことだ。
「なるほどね……キャストが人によって違うのは、因子が持つ〝本質〟が違うから……ということかしら」
「ああ、そのとおりだ。ただし、その内容を決めるのは因子だけじゃない。一人一人が持つ念波の特徴――念波特性というものも影響してくる」
「念波特性……ですか?」
「ああ。因子が存在としての本質だとすると、念波特性は本人の精神性とでも言うべきだな」
毒島はおもむろに楓のタブレット手に取ると、絵に描いて説明を始めた。
「因子が念波を〝本質〟に沿ったものに変換・増幅すると言ったな。その時にだな、因子は吸収した念波の影響を受けるのだ」
毒島は説明を続ける。
「例えば『治癒』という本質の因子を持った者が居たとする。その因子から発現するキャストは、本人が元々持っていた念波の念波特性によって様々なものになるのだ。心優しい者ならば『触れた相手に生命力を分け与える能力』に、食い意地の張る者なら『食べ物を食べると自分の怪我が治る能力』に、と言った具合だな」
「……なるほどね。つまり、キャストは因子と念波特性によって成り立っているわけね」
「そういうことだ」
満足そうに腕を組み頷く毒島。だが悲しいかな、彼の話について行けていたのは真佳と優奈の二人のみである。千空が周りを見ると、楓も静也も眠そうにあくびをしていた。未來は若干理解していそうだったが。
「あ、終わりました?」
「……お前なぁ」
わかりやすく眉をひそめる毒島。だが、こんな難しい話をされても千空にはどうしようもない。悪いのはわけのわからない話をした毒島だというように、千空も眉をひそめ返した。
「まあいい。真佳と優奈が理解していればそれでいいさ」
どうせ全員に理解できるとは期待していなかったとばかりに両手を振る毒島。
すると、優奈たちがあることに気づき呟く。
「……そういえば、さっき三崎さんが何か言っていたわね。因子には変化がないとか……」
「念波特性の変化がどうとかも言われてましたね」
二人の言葉に、千空も思い出す。そうだ、どこかで聞いたことのある単語だと思ったら、三崎が入室するなり報告してきた内容にあった単語だったのだ。
「鋭いな。実はな、楓のキャストが使えなかったのはそれが理由なんだ。三崎君、こいつらに説明できるか?」
「任せてください」
そう言って、毒島に変わり今度は三崎がそのことについて説明してくれた。
「実はですね、因子も念波特性も、後から変わることがあるんですよ。ただ、先ほども言ったとおりキャストはその二つから成り立っていますので……そのどちらかが変わるとキャストも変わってしまうんです」
毒島からタブレットを譲り受け、これまた絵に描いて説明してくれる三崎。絵心は……毒島の方があるらしい。
「それじゃあ、前までのキャストは使えなくなるって事かな?」
未來の疑問に、三崎はすかさず首を振った。
「それについては、因子と念波特性のどちらが変化したかで変わってきますね。楓さんの場合は念波特性が変化しているので、元のキャストにプラスアルファで何か出来るようになる、という感じでした」
どうやら、何によってキャストが変わったのかで話が大分違うらしい。楓の場合は元のキャストがなくなることはなかったのだと。
念波特性が変化するのは「本人の精神性」が変化した場合である。ただし、人の精神性というものは基本的に大きく変わることはない。何か大きなきっかけで精神的に成長したり、逆に闇落ちしたり、そういうことでしか本人の持つ精神性というものは変わらないのである。
彼女の場合は「精神の成長」により念波特性が変化していたため、能力も成長し、出来ることが増えるという変化の仕方をしたのだという。
「あれ、じゃあどうして使えなかったんだ?」
不思議に思い首をかしげる千空。てっきり能力が変わってしまい、声を届けることが出来なくなったのかと思ったのだが、そうではないらしい。
「検査結果が出るまでは使用を控えて貰っていたのですよ。と言うのも、因子が変質していた場合が厄介でして……」
三崎曰く、念波特性ではなく因子が変質していた場合はかなりまずいのだという。
先ほど毒島が言っていたように、因子は「存在としての本質」である。因子が変質し始めている状態でキャストを使うことは、本人の存在すらも変質しかねないらしい。
また、キャストの〝本質〟部分が変質していると言うことで、能力自体も全く別物になってしまう傾向が強いとのことだ。
「じゃあ、楓さんの『ARIETTA』が無くなることはないってことですね」
「はい。まあ、因子の変質が始まったばかりであれば、因子のその部分を隔離することで、元のキャストを残すことは出来ますけどね。今回も、もし楓さんの因子が変質していたらその措置をするつもりでしたし」
「え、そんなこともできるんですか?」
「はい。ちなみに、その場合隔離した部分は隔離した部分で別の因子として独立するので、キャストが二つになります。まあ、変質した因子であることに変わりは無いので、使うのは厳禁ですけどね」
ふうとため息をついて、近くの椅子に座り込む三崎。どうやら解説は終了したらしい。かなり疲れ気味なのにこんなに詳しく解説してくれた彼女に、千空はいつも以上に感謝しようと思うのだった。
ふと、違和感に気付く。
「あれ、ってことはさ……」
次の瞬間、懐かしい声が頭に響く。
〈あ、やっと気付いた!?〉
それは、紛れもなく楓の声であった。一週間聞かなかっただけと言っても単に休みで会っていなかったのとはワケが違うので、千空はなんだか目頭が熱くなる思いであった。
「そっか、因子が変質してないことが分かったんだから、もう全然使ってオッケーなんだ」
〈そういうこと!〉
キャストでそう伝えてくる楓は、やはり既に本調子のようだ。むしろ今までよりも心が軽そうな雰囲気を感じるので、やはり真佳を助けた際、何かあったのかも知れない。
「なんだ、元気じゃあないか。なら、もう心配は要らないかな」
〈本当、心配掛けてごめんね皆!〉
そう言ってメンバー全員に視線を巡らせる楓。
だが、それは違う。
「謝る必要なんてないよ、楓姉ちゃん。それに、人に心配させることは悪いことじゃない。楓姉ちゃんが人に心配してもらえるような人間だった、ただそれだけだよ」
真佳の言葉は、全てだった。
人に心配してもらえると言うことは、それだけで本人が気持ちいい人となりをしていることの証明になる。嫌な奴なんて、そもそも心配すらしてもらえないのだから。
だから、心配してもらったときに言う言葉は「ごめん」ではなく……
〈訂正するね。心配してくれてありがとう、皆!〉
……やはり、楓は気持ちの良い人物だ。まあ、それは初めて会ったときから感じていたが。
そうだ、と楓が机をポンポンと叩き、なにやら「ARIETTA」で伝えてくる。
〈えっとえっと、キャンバスタブレットが欲しいんだよね〉
左手で絵を描く仕草をしながら、にこにこと笑う楓。
「そう言うかなと思って、一応持ってきたけど……」
真佳が荷物の中からごそごそと取りだし、オーバーベッドテーブルの上に乗せる。
「でもさ楓さん、右手が使えないんだろ? 描けるのか?」
気になって尋ねる千空。彼女の利き手は右なので、それが麻痺している今まともに絵が描けるとは思えないのだが……
だが、そんな千空の疑問はひどく気概に欠けるものだったらしい。
〈油彩なら左でも描けそうなんだよ! せっかくだし新ジャンル開拓しようかなと思って!〉
そう答える楓の瞳は、爛々と輝いていた。これは千空の知るところではないが、その瞳はコンペに参加しようと意気込んでいた千空の瞳と同じ輝きを放っていた。
「キミは本当に絵が好きだな」
〈うん! 食べることも好きだよ! でも、やっぱり一番はまな君かな!?〉
動く左腕で真佳を抱き寄せ、肩に手を回す楓。
なにはともあれ、ひとまず楓の件については落ち着きそうである。一時はどうなることかと思ったが、これだけ元気ならばもう大丈夫だろう。
「よし。それじゃ、そろそろ俺たちは帰るぞ。面会時間も終わりそうだしな」
「またね、楓さん」
「また来るね、楓姉ちゃん」
〈待ってるよ! まな君!〉
「いや俺らも来るんだけど……」
懐かしいやりとりを横目に、病室を出る千空たち。
そんなこんなで、楓の面会はお開きとなったのだった。