10話 人の心ははかれない 82項「白のしじま」
白。
壁も、床も、天井も。
見渡す限り白で塗りつぶされた待合室で、千空たちはただ一人の少女を待つ。
一秒一秒が途方もなく長い。ユーフォで時間を確認すると、楓が搬送されてからすでに数時間が経過していた。
空気が重い。誰も、なにも喋ろうとしない。
ただただ、皆が彼女の無事を祈る。それくらいしか、出来ることがないのだ。
しばらくして奥の扉が開き、執刀医と共にストレッチャーに乗せられた楓が出てきた。
意識は、なさそうだ。
「楓の容体は……」
毒島が静寂を破る。その答えによっては……いや、考えたくもない。
そんな重い空気を察してか、執刀医がにこやかに答える。
「安心してください。命に別状はありませんし、今のところ安定しています」
「「!!」」
皆の顔がすーっと明るくなる。最悪の事態は免れたようである。
「そ、それでは……」
前のめりになって執刀医に問う真佳。彼女のことを一番心配していたのが他の誰でもない彼であったことは、誰の目にも明らかだった。
「はい。ただ、どのくらいで意識を取り戻すかはわかりません。しばらくは注意深く経過観察する必要がありますし、意識を取り戻したとしてもダメージがダメージですから……後遺症も厳しいでしょうし、リハビリのことも考えると退院には半年はかかるでしょう」
「そう……ですか…………」
声を震わせながら、今にも泣きそうな顔で呟く真佳。彼のこんな様子は見たことがない。
ふと、廃ビルでの話を思い出す。あの時の真佳の発言からは、彼が彼女のことを本当の家族のように思っているのだろうことが伺えた。
実際にそうと口にしていたわけではないが、もし本当にそうなのだとしたら……彼の不安は千空たちには計り知れなかった。
「ただ……命が助かったのは、現場での診断や応急処置に加え救急隊への説明が適切だったことが大きいですね。それがなかったら、私たちでも救えたかどうか……」
執刀医がそんなことを口にする。どうやら、楓が助かったのは優奈の処置が完璧だったためらしい。確かに、あの時の優奈はかなり手際よく楓の処置を行っていた。
「ふむ……優奈のお手柄というわけだな」
「あたしは自分のすべきことをしただけよ」
当の本人はそう言っているが、すべきことだと分かっていても出来ることと出来ないことがある。少なくとも、千空には出来ないことだ。彼女の知識と行動力には本当に驚かされる。
「とりあえず、一旦病室へ移動しましょう」
執刀医の隣に居た看護師がそう告げる。確かにここで話していても仕方ない。
ひとまず病室に移る千空たち。
ガラガラとストレッチャーが音を立てる。
病室について楓がベッドに移されると、さっそく毒島が切り出す。
「それで、今後についてだが……」
それは、楓のサポートについてだった。
「一応ここはサリエル患者向けの医療施設ではあるが、楓はキャスターだ。ただのサリエル患者とは少し勝手が違う。サポートできる人間を一人は置いておきたいのだが……」
そう話しながら彼が視線を送るのは、楓のことを聞き一目散に駆けつけてきていた三崎であった。アイズホープ担当職員はいつも忙しそうで大変だ。
「わかりました。私も、正直そのつもりで来ていますし」
視線の意味を即座にくみ取った三崎は、任せてくださいといわんばかりに胸に手を当てた。だが、その表情は少しだけ悲しみににじんでいる。
「すまんな。こっちのことは井田君がいるから心配しないでくれ」
「はい。井田さんもなんだかんだ頼りになりますから」
「うむ」
そうして、楓への対応についてはスムーズに決まった。千空たちは蚊帳の外だったが、この件に関して何かできることがあるわけでもない。子供が口を出すこともないだろう。
「よし、お前たちも今日のところはもう帰るぞ」
毒島の言葉に、ほかのメンバーもきびすを返し始める。
「そうだな。ボクらがいてうるさくしてしまってもいけない」
「……そうね」
どれだけ心配したところで、医者でもない自分たちには彼女の回復を信じることしかできない。邪魔になる前においとまするのが賢い判断といえた。
だが、どんなに合理的な判断だとしても、それに納得できない者はいるものだ。
そんな人物がここにも一人。
「すみません、僕はもう少し居てもいいでしょうか?」
言わずもがな、真佳だった。そしてやはり彼は賢い。その言葉は、毒島たちに向けてではなく看護師に対して向けられていた。
「大丈夫ですよ。ただし、患者さん本人や機械類には一切触れないでくださいね」
「わかりました。ありがとうございます」
病室を出るという合理的な判断には納得できないくせに、自分自身は看護師のお墨付きを貰うという合理的な判断をするらしい。すんなりと了承を受けた真佳は、病室の椅子に座り毒島に目を向ける。
「ったく、お前は……」
「すみません……でも……」
「まあ、いいさ。ロビーで待ってるから、気が済んだら帰ってこい」
「……ありがとうございます」
看護師の了承があるのならば文句はない。そうとでもいうように毒島は頷き、後ろ手に手を振りながら病室を出て行った。
「俺らも行くか」
「うん、そだね」
千空と未來も部屋を出る。
すると、ドア横の壁に優奈が腕を組みながらもたれかかっていた。
「あ、優奈さん……」
「……どう思う?」
「え……?」
彼女は、どこを見るでもなしにそう問いかけてきた。
「楓……あの子が、真佳に対してあそこまで執着することについて……二人はどう思う?」
「どうって……そりゃあ、行きすぎてるなとは思うけど……今回に関しては、俺だって同じ事をしたというか……」
「……」
千空の答えに納得いかなかったのか、優奈は「あなたはそうでしょうね」と冷たく返答した。
「あ、そうか……」
そして、気づく。「UNISON」を持つ自分と彼女とでは、根本的に話が違うと言うことに。
実際、あの時自分が爆弾に気づいていれば、即座に真佳を庇っていただろう。自分にはダメージを軽減できる「UNISON」もあるのだから、仲間を庇うのは当然だ。
だが、楓にそれはない。彼女は千空と違って生身なのだから、人を庇うと言うことはつまり、自分が代わりに命を危険にさらすということに他ならないのだ。
そうまでして楓は真佳を助けたかった。彼女のその強すぎる想いについて、優奈は千空に問うていたのである。
「楓さん、笑ってた……」
「…………」
言葉が出てこない。あの時の楓は、一体何を思っていたのだろうか。
「これは、本当はあまり人に話さない方が良いのだけれど……」
少し言いよどみ、病室を振り返る優奈。だが、視線を戻し千空と未來の瞳を一瞥すると、一度だけ視線を落として首を振り、彼女は目を細めながらその先を口にした。
そうして彼女が語ってくれたのは、楓の過去……楓と真佳との間に何があったのか。
それはあまりにも悲惨で、聞いているだけでもやるせない気持ちになってくるもので……
彼女は今まで、一体どれほど重いものを隠しながら笑っていたのだろうか。
千空には、見当もつかなかった。
「起こってしまったことは、決して覆ることはない。どう足掻いたってそれはもう〝過去〟。だからこそ前を向いて自分に出来ることと向き合わなければならない。あたしは神木さんからそう教わったわ」
「そういえば、そんなこと言ってたっけな」
後ろを向いて歩いたならば、いずれ何かにぶつかってしまう。それが、神木が優奈や宿街の住人に伝えていたことだと聞いている。
「あたしは……この能力で友達の人生を台無しにしてしまったからこそ――DAMAGEが攻めてきたあの日、この力をアイズホープのキャスターとして振るおうと思うようになった。きっとそれこそが、自分の罪への……最大の償いだと思って。でも、彼女は……」
楓は、真綾が命を絶つ原因を作ってしまったことを自分の罪だと考えている。だからこそ、自分の罪への最大の償いは「自分が死なせてしまった真綾の願いを果たすこと」なのだろう。
でも……その償いをするということは、これからずっと真佳へ献身し続けるということになる。それは、これからずっと過去に縛られたまま生きることと同義であった。
「どうするのが、正解なんだろうね」
「こればっかりは楓本人が自分で見つけるしかないわ」
「じゃあ、なんで俺らに話したんだ?」
「さあ……あたしにも分からないわ。なんででしょうね」
軽く肩をすくめる優奈。おいおいと思わなくもないが、彼女は無意味なことをするタイプではない。この行動には、何かしらの意味があるはずだ。
そもそも、彼女が話したことは本来なら楓の口から直接聞くべき内容であり、それを優奈が勝手に話したということ自体にも少し違和感がある。いつも周りのことをよく考えている優奈の行動にしては、おかしなものを感じる。
きっと、彼女自身も自覚していない、何かしらの意味があるはずだ。
仲間だから知っておいた方が良い?
辛い過去の共有?
多分、そんな単純なことではないだろう。
でも……自分たちも、楓の事について少し考えてみても良いのかも知れない。
彼女の話を聞いて、千空はそんな気がした。
ふと、以前から気になっていたことが頭をよぎる千空。
「そういえば、優奈さんって怪我とかの応急処置すごいですよね。バーベキューで溺れてた子助けたときとか、さっきの楓さんの時とか。それに、捜査の時も人体のことについて詳しかったし……」
それは、優奈が救急処置などの方面に精通しすぎているのではと言う疑問だった。
セレモニーの事件では絞殺時の被害者の反応について。大村との戦いではタイヤを破裂させることの安全性について。バーベキューでは救助した子どもの処置をしていたし、楓の時などは本当に救命士じゃないかと疑うほどであった。
ただのキャスターが持っているようなレベルの技術ではない。一体どんな秘密があるのか。
そんな千空の疑問とは裏腹に、優奈の答えは非常に単純なものだった。
「まあね。救急救命士の勉強をしているし……」
「えっ」
思わず鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてしまう千空。
いや……えっ?
「も、もしかして千空君……知らなかったの?」
コクリと無言で頷く千空。
「あきれた……何ヶ月一緒にやってると思っているのよ……あなた、もう少し他人に興味を持った方が良いわね」
なかなか苦しい指摘を受ける千空。他人に興味がないわけではないが……確かに、優奈が何についての勉強をしているのかなんて考えたことがなかった。熱心に勉強しているなとは思っていたが、それだけだ。
考えてみれば、静也の得意料理がなんなのかとか、真佳が好きな歴史はなんなのかとか、その辺のことまではよく知らない。
千空は、優奈の言うとおりもっともっと仲間のことについて知っておこうと思うのだった。
「じゃ、そろそろロビーに向かうか」
「そうね。自販機とかもあるし、真佳を待つならそっちね」
「あ、私も喉渇いたかも」
そうして、千空たちは毒島たちの待つロビーへと歩くのだった。
楓の無事は確認できた。
けれども足取りは……まだ軽くはない。