9話 神も触れば祟りあり 76項「二人の音楽事情」
ラヴビルダーのメンバーが帰った後。
午後の来客――14時半頃までは自由時間となった。
先ほどと同じく、各々が自分の事をしている。部屋の反対側では静也がなにか甘い匂いを漂わせ、会議机では優奈が本と見つめ合う。ソファで体操座りをする楓は膝に乗せたタブレットでイラストを描いており、その隣では真佳が歴史を追っている。
そして未來は――特にすることがなかった。最近読んでいる本はないし、勉強で復習しておきたいところも特にない。千空の作曲に参加しようにも、彼は今インスト曲――ボーカルの無い曲を作っているので、未來の出番は当然ない。
休み時間であればカラオケに行けたなーなどとも考えたが、自分以外の全員がオフィスに集まっているのに、一人だけ外に出るなんて肝が据わったこと、自分にはできない。
そういうわけで、未來は暇を持て余しているのだった。
「どんな曲作ってるの?」
退屈を紛らわすために、パソコンを開いて曲を作っていた千空に声をかける。インスト曲で自分が活躍できることは殆どないので、作業の妨害でしかなかった。
「今はバロックを作ってるよ。対旋律とか……まあ、要は理論の勉強になるんだ」
「ふーん……」
正直、音楽理論はさっぱりわからない。分かることと言えば、学校の授業で習った譜面の読み方とか、偉大な作曲家の名前とか、リコーダーの吹き方とか……それくらいだ。
だから、彼の話を聞いたところで未來には理解できないし、聞く必要も無いのだが……彼の説明は、何故か聴き入ってしまう。
「バロック期の音楽はいくつもの音を効果的に重ねるっていう手法で作られてて……その理論が現在の音楽にも役立つんだよ。伴奏をボーカルに上手く重ねることで、ボーカルのメインメロディがより引き立つ……みたいな」
そう語る彼の瞳が、いつもより一段と輝いているように見えた。だが、その理由にはなんとなく心当たりがある。
人は、自分の趣味のことになると心に力が湧いてくる。趣味について話すとき、大体の人間は瞳をきらきらと輝かせる。今の千空がそうしているように。
彼だけではない。料理のことを話す静也や、真剣に勉強している優奈。真佳のことを話す楓に、歴史の本を読んでいる真佳。
彼らもまた、爛々と瞳を輝かせていた。
自分は、きっとそんな彼らを眩しく感じたのだ。だから、こうやって瞳に光を携えながら作曲について語る千空の話に聴き入ってしまうのだろう。
未來がそう理解するのに、時間は必要なかった。
(自分は、どうなんだろう)
ふと、そんな疑問が浮かぶ。皆はそうやって打ち込めるものがあるが、自分はどうなのだろうか。確かに歌うことは好きだが、皆ほど熱心に取り組んでいるわけではない。祭りの時の歌も、自分が役に立てるならって考えの方が強かった。
そう考えると、やはり他のメンバーがいつもよりも輝かしく見えるような気がした。
しばらくすると、毒島がオフィスに入ってきた。
「千空、少し良いか? あと、未來も」
「いいですけど」
「なんだろう?」
毒島に言われるがまま二人が彼についていくと、案内されたのは一つの個室だった。外の様子が分かるように部屋の窓にはマジックミラーが採用されており、若干落ち着かない雰囲気である。
用意された椅子に二人が座ると、毒島は早速話し始めた。
「千空、父のような作曲家を目指すんだったよな。なら、コンペには興味ないか?」
開幕から謎の言葉が飛び出て、置いてきぼりを喰らう未來。
だが、千空は違うようだ。その言葉に、目つきが真剣になる。
「お前の父『#8bafdb』が所属していた事務所がな、コンペをやっているんだ。事務所に関係のある人物限定ではあるんだが……『#8bafdb《ハチバフDB》』の関係者なら、まったく問題ないと思わないか?」
千空の表情がより引き締められたものになる。用語が分からぬ未來ではその理由がまったく推し量れなかったので、素直に尋ねてみる。
「コンペって……?」
「ああ、曲の募集みたいなもんだよ。アーティストが新曲を出す時なんかに、何人かの作曲家に曲を提案して貰う。それで、その中から良さそうな曲に決めるんだ」
「な、なるほど……」
その説明で、未來は完璧に理解した。なるほど、千空があんな表情になるのも納得だと。
つまり、毒島の提案は、彼にもそこに参加して貰おうということだったのだ。
「この間のライブで確信した。お前ならいけるはずだ」
「どうするの、千空君?」
千空は、ノータイムで答えた。
「やるに決まってますよ、そんなの」
当然の答えだった。父のような作曲家になると誓いを立てた千空が、これほどのチャンスをみすみす逃すはずがない。今の彼ならば、どんな事だろうと挑戦して糧にする。未來の心には、そんな確信があった。
「よし、決まりだな。まあただ、お前と父との関係が洩れるわけにはいかない。あくまでも『#8bafdb《ハチバフDB》』と関係のある毒島が推薦する人物、くらいの関係性でいこう」
「わかりました。お願いします」
「向こうから連絡があったら、また話を進めよう」
そうして、その話は終わりとなった。
個室を出ると、千空は興奮収まりきらぬ様子で拳を握りしめた。
「これでまた、父さんに一歩近づける! なんか最近、一気に階段上ってる気がするよ!」
そんな彼を見て、どこか遠くに感じる未來。物理的な距離は近いのに、彼と自分との間にはなにか途方もなく大きな壁があるように未來は思った。
それは、きっと夢の有無なのだろう。
以前まで千空に感じていた親近感。それは、自分も彼もただキャスターとして夢や目標のない日々を過ごしているという共通点から来る、一種の居心地の良さだったのだろう。だが、彼に明確な目標ができた今、それは消え去ってしまった。
思えば、宿街祭の夜……今後も自分がボーカルをやりたいなんて提案をしたのも、どんどんと先へ進む彼に置いて行かれたくない、そんな心理から来るものだったのかも知れない。
「そうだ、せっかくならモニター用のイヤホンとか作っとくか」
「なにそれ?」
「レコーディングの時とか、音確認するときとか、そういうときに使う用のイヤホンだよ。紛失防止用のGPSもついてるから安心だよ」
「じゃあ、お願いしようかな」
「任せろって」
再びガッツポーズをして、千空が歩き始める。未來にはよく分からなかったが、とりあえず千空に任せておけば間違いないだろう。
その時、千空が部屋の前から移動したことで、会議室のマジックミラーが目に入った。
そして……そこに映る自分の顔を見て、未來は初めて自分自身の心境について理解した。
――ああ、そうか。これが、自分の本心なのだ。
鏡に映る自分は、一目では分からないほどだが、確かにさみしげな表情をしていた。
『ほら、あれだよ、おそろい!』
かつて彼がかけてくれた言葉が虚しく響く。
同い年で、同じ宿街で育って、小さい頃に助けられてて……そんな千空に置いて行かれたくない。それこそが、自分自身の嘘偽らざる本音だったのだ。
(なさけないなぁ、私って……)
前を歩く千空の背中が遠い。
少しだけ、未來は言葉にできないもどかしさを感じた。
オフィスに戻った二人は、話を再開した。
「コンペに出すって事は、仮歌も頼むことになるな」
「仮歌?」
「曲を提案するって言っても、歌詞とメロディだけじゃ想像つかないだろ? だから、作曲者側でとりあえずの歌を入れておくんだ」
そう言って、千空は未來にいくつかの音源を聴かせてくれた。未來もよく知っているような有名な曲を、何曲かかいつまんで。
それらの音源を聴き、未來はなるほどと感心した。その曲は未來も知っている曲なのに、歌っている人物が違った。つまりこれが、仮歌というものなのだろう。
「こういう感じで、作曲者側が歌も入れておくんだ。っていっても、今聴いた音源は仮歌ソフトで作ってあるっぽいけどね」
「仮歌ソフト?」
またまた知らない言葉が出てきて、オウムのように聞き返す未來。だが、今回に関しては語感からなんとなく想像できた。要は、音声を合成して歌を歌わせるソフトなのだろう、と。
だから、彼の答えを待たずに口を開く。
「って、そっか。ソフトでもそれくらい作れるよね」
「なんだ、分かってるじゃん。未來の言ったとおりだよ。歌詞やメロディ、後は歌い方とかを指定すれば、かなりのクオリティで歌ってくれるソフトがあるんだ」
やはり、想像通りだったようである。
「へー……でもさ――」
それならそれで、また別の疑問が浮かんでくる。
「これだけハイクオリティなんだし、仮歌はソフトで作れば良いんじゃないの?」
そこが疑問だった。先ほど聞いた音源には、人間かソフトかの区別がつかないほど高品質な歌が収録されていた。仮歌はあくまでも間に合わせで入れるもののようだし、わざわざ歌い手を用意する必要なんてないじゃないかというのが、未來の考えだった。
そんな未來への返答は、意外なものだった。
「いや、だって未來がいるし」
「へ……?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう未來。
それは、仮歌ソフトよりも自分のことを信用していると言うことだろうか?
「あ、ご、ごめん。でも、正直さっきの仮歌ソフトの方が私より上手いような気がして」
「う~ん。そうだなぁ……」
未來が素直に問い返すと、千空は少しだけ考えるような素振りをみせ、言った。
「コンペの選考ってさ、素人がすることが結構多いんだ。作曲とかそっちの知識がまるでない人が。だから、ミックスがどうとかアレンジがどうとかよりも、ヴォーカルの良さで決まっちゃうことも多い」
「だったら、なおさら歌がうまいソフトの方がいいんじゃ……?」
「人間って不思議だよな。頭ではソフトか人間かなんて判別できてないのに、無意識のうちに区別してソフトに対してマイナスの感情を抱くんだから」
「……!」
その言葉に、未來は心当たりがあった。
以前、料理を食べたときのこと。なんてことはないコース料理だったのだが、その一部に対して、言葉では言い表せない何かを感じた。別に味が悪いわけでもないし、他の料理と変わったところは見られない。至って普通の料理である。
だが、後になって知った。未來が違和感を覚えた料理には、AIによる自動調整が施されていたのだ。毎回完璧な味になるように、調理の過程でAIが解析と味の調整を行っていたのである。
その時は、単に味覚が鋭かっただけなのかと思った。
だが、そうではないらしい。
AIとは、殆どの人間からすれば未知の存在である。非生命でありながら、生命以上の知能を有する正体不明のプログラム。開発者ならばそれがどういうものなのか理解しているだろうが、そうでない人間にはそう映る。
生物は、分からないものに恐怖を抱く。わからないから怖い、知らないから怖い。遺伝子に本能として組み込まれたシステムが、人にそう感じさせる。だから人の本能は、無意識にAIを認識して嫌悪感を抱くのだろう。
その証拠に、サブリミナル効果というものがある。ほんの一瞬、認識できないくらいの短い時間イラストを見せることで、本人の認識とは裏腹に潜在意識にしっかりと刻み込まれるというものだ。
つまり、人は認識していないつもりでも、潜在意識ではしっかりと認識しているのである。
「AIの仮歌はさ、そりゃあ見かけ上は出来が良いよ。人間が歌うよりもよっぽど。でも、それじゃダメなんだ。AIは無意識のうちに減点される。だから、仮歌もしっかり人が録らなきゃダメなんだよ」
プロが判断するのならば、AIでも問題ない。だって、プロならば仮歌なんかよりも曲の中身で判断するだろうから。
でも、素人が判断する場合は大問題となる。判断基準が歌に偏ってしまう素人だからこそ、無意識に減点されてしまうAIはダメなのである。
それが、仮歌制作に魂を懸けなければならない理由であった。
「そっか……じゃあ、最高の歌を歌わないとね」
「ああ、頼むぜ相棒」
千空が拳を突き出してきたので、自分の拳を合わせる。
「ま、すぐにって話じゃ無いと思うけどな」
「それまでは普通にボーカルだね」
「ああ」
そうこうしているうちに、時刻が12時を回った。
すると、先ほどまで料理をしていた静也が皆の元までやってきた。
「キミたち。昼ご飯にしようじゃないか」
彼の持つトレーには、甘い香りを漂わせるお菓子が乗せられていた。
そして、未來たちは静也のお菓子を手に食堂へと向かうのだった。