9話 神も触れば祟りあり 72項「海の向こうで」
世界の全てを知る者など、誰一人としていない。それは、確かなる真実である。
だが、〝人〟以外ならどうだろうか。神様だとか、仏様だとか、人以外の存在ならば、それもまた可能になるのではないだろうか。
そう、例えば――〝世界〟そのもの――
ここに居る者たちは、不運にも真実にたどり着いてしまった哀れな子羊だった。
「なるほど……素晴らしい。この能力を手に入れれば、今度こそあの能力を抽出することができるわけだな」
「はい。前回の実験でも能力の抽出には成功していますし、前回の抽出で入手した暗号解読系能力を用いれば、次は確実かと」
「前回の失敗も、次に繋がったというわけか」
機械特有の匂いに満ちた研究所の一室で、モニターに映し出される情報を眺めながら男が手を叩いた。薄暗い部屋の中に乾いた音がこだまする。
「だが……そう考えたとしても、前任者を失ったのは痛手が過ぎたな」
「仰る通りかと……前任者が生きてさえいれば、計画は既に完了していたでしょうから」
「――世界の記憶。こんなものが、存在していたとは……」
男が神妙に呟く。
世界の記憶――
それこそが、彼らが進めている「プロジェクトA」の要となる存在だった。
「世界の歴史全てが刻まれた情報群――いわゆる世界システムの一部だと思われますが……」
「まさかそんなところに接続して、データまで抽出できるとはな。シェルよ、お前の働きには本当に目を見張る」
「そのような身に余るお言葉、受け取りかねます。第一、前任者が死んだのは私の技術不足が原因……データの解析さえできていれば目的の能力を抽出できていましたし、世界システムへの接続負荷で前任者が死ぬこともありませんでした」
苦しそうに答えるその人物は、シェルと呼ばれているらしい。深く頭を下げるその姿はさながら今まさに閉じようとしている二枚貝のようで、名は体を表すとはこのことだろう。
「相手は世界システムなのだ。いくら優秀なお前でも、限度があるというもの。石を包丁で切ることが出来ないように、無理なものは無理だ」
それに、と男は続ける。
「むしろ能力を持たないお前が、よくここまでやってくれたと感心するばかりだ。素晴らしい。これは本当に素晴らしいことだぞ、シェルよ」
その言葉は、事実だった。シェルの技術力がなければ、そもそも「プロジェクトA」そのものが始まっていなかったのだから。彼の技術力無しには、世界システムへの接続はおろか、世界の記憶などというものの存在すら知ることはなかっただろう。
「……ありがとうございます」
「うむ。それでよい」
これ以上謙遜を続けると不興を買いそうなので、賞賛の言葉を受け取るシェル。自分の功績については彼自身も自負するところだったので、頑なになる必要は初めからなかったのだ。
ふと、自分を褒める男の顔を見るシェル。そこに映るのは、40歳前後といった壮年の顔。なんてことのない普通の顔だが、シェルはその顔を見る度に底知れない不気味さを感じていた。技術職であるシェルはその正体を知っているが故に、どうしても慣れることはできなかった。
「後任者は見つかった。それも、前任者よりも適性の高い後任者だ。後はお前さえいれば、『情報伝達系』の能力など手に入ったも同然。いよいよ〝世界革新〟の時は近いのだ」
男が告げる。
それが何を意味するのか。
理解しているからこそ、シェルは手のひらに汗が滲むのを止められない。
同時に、思う。
(無二の技術を持っていて本当に良かった。そのおかげで、かなりの失敗まで許されているのだから。それに、ここまで来たら自分が失敗することはそうそうないだろう。大変なのは、今後政府と戦うことになるやつらか……)
自分の立場を顧みながら、他の構成員を哀れに思うシェル。高度な技術を持つシェルは、滅多なことがない限り始末されることはないだろう。その技術は、替えがきかないのだから。
だが、工作員や戦闘員は話が違う。幾らでも替えがきく彼らは、失敗すれば死あるのみ。彼らがいるのは、そう言う世界であった。
(次の目標はアイズホープメンバーから〝能力因子〟と念波特性のデータを入手すること……宿街に侵入するのは無理だろうから、任務で外にいる時を狙うしかないわけだが……そう簡単にいくかね? まあ、考えるだけ無駄か)
あくまで彼はインドア職である。アウトドアで活動する人間の事を考えたところで、何の意味もない。そのことがわからないシェルではないので、すぐに計画のことに頭を切り替える。
「それでは、世界システムへの接続については引き続き調整を進めておきます。何かあれば、またご相談ください」
「ああ、たのんだぞ」
そう言い残し、男が研究室から出て行く。一息ついたシェルは、再び機材へと向き直る。
(さて、後任者の負担を減らすためにも、解析スピードを上げておきますか)
ディスプレイに映し出されるパラメータを調整しながら、そんなことを思うシェル。
機械の匂いに満ちた薄暗い研究室で、研究者は一人作業を進める。
国際公安連合――通称「公安」
その総本山であるアルメリカ本部にて、緊急の特別総会が開かれていた。
「えー……先に配布致しました資料にてご確認済みかと思われますが、以前より存在を確認しておりました仮面の集団について、ここ一連の動きを鑑み〝国際的組織犯罪グループ〟と位置づけると言うことで――」
議長が議題について再確認する。各国の代表も改めて資料を一瞥し、総会場にはただならぬ空気が流れる。
「かつて日ノ和より報告が上がっておりました仮面の人物については、アルメリカでもここ数年で数例確認されておりましたが――集団での活動を確認できた例は日ノ和でのMES財団襲撃事件以外になく、関連性や組織性を確立することはできませんでした」
重々しい口調で議長が続ける。
「しかし、ここ半年の間に日ノ和で確認できた情報から、仮面の集団はある程度の規模の犯罪組織であると結論づけることとなりました。なお便宜上、仮面の集団については今後『マスカレード』と呼称します」
うなり声やため息のような音が会場を満たす。次いでざわざわとした声が上がり始めたので、議長が静かにするよう促すと会場は静まりかえった。
「現状把握できている情報では、『National Instrument Tech』の元代表であった故・九十九綾一氏とマスカレードとの間に、同社が開発した新技術を巡って繋がりがあったということですが……アイズホープ代表風見氏、こちらは間違いございませんか?」
「真実ですワ。九十九は、開発した新技術――キャストを後天的に使用可能にさせる人工生体機構『インナーローダー』を、マスカレードへ提供していた模様。九十九の部下から、言質は取れていますワ」
「ということは、その『インナーローダー』によって組織はさらに力を増すと」
「おそらく」
その言葉に、再び会場がざわつく。今の二人のやりとりが意味することは、公安連合にとっても無視できない極めて重要なものだった。
「密かに勢力拡大の準備をしていた訳か……」
「大手企業を隠れ蓑にしていたとは……」
口々に意見を述べる代表たち。仮面集団の存在自体は認知されていたが、その規模感からもあまり警戒されていなかった。これほどまでに巨大な組織になっていたなどと、誰が予想できただろうか。
「まさか、日ノ和が活動の足がかりにされていたとはネ……」
「マスカレードがここまで組織として完成していたというのは、我々も予期せぬところでした。つきましては、今後の対応ですが……」
そこまで話して、少しだけ言いよどむ議長。すまなそうなその視線の先には、嫌な予感を覚えたのか額にしわを寄せるアルメリカ代表の姿があった。
「マスカレードへの警戒を強めるにしても、日ノ和のアイズホープではあまりにも戦力が足りません。そこで、アルメリカのキャスター組織『ラヴビルダー』へ、日ノ和への戦力派遣を要請いたします」
その言葉に、視線の先の人物が反論する。
「お待ちください! 我が国アルメリカは、マスカレード以前に『OBORO』や『ワクワクファミリー』などの主要組織犯罪グループが台頭しています。それだけでなく、アルメリカでもマスカレード構成員と思わしき人物が確認されているのです。確かに『ラヴビルダー』には多くのキャスターが在籍していますが、他国へ派遣できるほどの余力は――」
その時、アルメリカ代表の言葉を一人の少女が遮った。
「うむ、わかった。ならば、私のチームを協力させよう。こうなるだろうと予想して、既に日ノ和を視察させているからな。それに、あやつらは視察中にアイズホープメンバーと接触している。都合が良いだろう」
「そ、総帥!? いつの間にそんなことを……しかも、貴女のチームをですか?! しかし……」
「わかっておる。話は最後まで聞かんか」
仮にも相手は一国の代表だというのに、一切物怖じしない物腰でアルメリカ代表を制する少女。見た目は子どものようにしか見えないのに、異様な存在感を放っていた。
「こちらにも条件がある。先に代表が話したとおり、アルメリカは犯罪組織への警戒を緩められない状況にある。当然、その最前線に立つラヴビルダーもだ。早い話、現地への派遣は無理だ」
「それでは、一体どのように……」
「こちらには情報戦に長けたキャスターが存在する。通信による協力なら、可能だろうね」
「なるほど……確かに、それならば戦力を大きく削がれることもない、と」
「うむ」
アルメリカ代表を無視して、どんどんと話を進めていく少女。この一瞬で、日ノ和への応援はほぼ確定のものとなった。
そんな少女に、アイズホープ代表の風見が声をかける。
「助かるワ。ウチの子たちもみんな優秀ではあるんだけど、やっぱり人数が足りなかったカラ」
「よいよい。むしろ、この間は協力できんですまんかったな」
「あれは突然だったし、しかたないワ」
他の出席者と違い、少女に対しフランクに接する風見。二人はキャスター組織のトップという共通点があるので、多少の面識があったのである。
とはいえ、余計なことを話している暇はない。すぐに話を戻し、議論を続ける。
「それで協力体制についてだが、当分の間は秘匿回線を使用した通話で問題なかろう。ただ、通信でやりとりをするにはセキュリティ面でのリスクがあまりにも高い。そこで、アイズホープを運営する宿街に、ルミナスの導入を要請したい」
「ルミナスを……ですか」
「なるほどネ……」
ルミナスという言葉にどこか渋い顔をする議長と風見。一方で、周りの出席者たちからは「当然だろうな」というような反応が多く飛び出していた。
「今後のことを考えたら、仕方ないワ。幸い、宿街へのルミナス導入案はほぼ満場一致で可決されそうですし」
会場を見回しながらそう告げる風見。風見としては宿街に導入などしたくなかったが、状況が状況。ラヴビルダーからの支援は是が非でも受けたいし、背に腹は代えられなかった。
議長が投票を行う。先ほどの様子を考えれば当然ではあるが、「マスカレード対策におけるラヴビルダーによるアイズホープへの支援案」は、満場一致で可決されることとなった。
「まさか、宿街にルミナスをネ……」
案は可決されたというのに、まだ渋い顔をして呟いている風見。当人と第三者でここまで認識が分かれるのは珍しいが、それはこの「ルミナス」の性質が理由だった。
ルミナス。
それは、公安が誇る最強のファイアウォール――すなわちセキュリティシステムである。
あらゆる通信を監視し認可されていない通信を容赦なく遮断する、ネットワークにおける最終防衛網。通信を追跡して発信元のシステムを破壊することすら可能という、攻守において完璧なセキュリティシステム。
それが、光の楯〝ルミナス〟であった。
「これから、不便になりそうネ……」
「まあ、それは我慢してくれ」
肩を落とす風見に、ラヴビルダーの総帥がまあまあと声をかける。これだけ強力なセキュリティともなると、デメリットも非常に……いや、非情に大きかった。
ルミナスを導入すると、外部とのあらゆる通信を制限される。ルミナスを導入する宿街のネットワーク内であれば通信できるが、外部との通信は一切が遮断されてしまうのである。外部と通信をするためには、通信相手ごとに個別のプロトコルを定義した専用経路を用意しなければならず、実質的にごく限られた相手としか通信できないと言うことになる。
ルミナスを導入しているネットワーク同士では通信をすることが可能だが、そもそもルミナスを導入しているネットワークなど限られており、ほぼほぼ「ネットが使えない」と同義であった。宿街に導入したとして、相手はMES財団くらいだろう。
ただ、抜け道がないわけではない。ルミナスの範囲外――つまり宿街のローカルネットワークに接続していない端末を用意すれば、宿街内であっても外部と通信することができる。ネットショッピングやアプリのダウンロードも可能だ。ただし、その端末から宿街のローカルネットワークにアクセスすることはできないので、不便なことに変わりはなかった。
「では、日ノ和ではラヴビルダー協力のもと警戒体制を強め、アルメリカでも警戒を継続。その他マスカレードが確認されていない国でも、二国の状況を念頭に置いた上で公安の体制を整えるということで――」
議長がまとめに入る。
今回の総会にて、ひとまず各国での方針は決まった。
マスカレードと名付けられた仮面の組織がどれほどの規模になっているのかはわからない。
少なくとも、一朝一夕で対処できるような存在ではなくなっているだろう。
公安全体で連携して動く必要がある。
出席者たち皆がそう認識しながら、総会は終了した。
会場を後にする人々の足取りは、重かった。