7話 運命に垣間見る闇 62項「真佳とMASSIVE」
薬師寺真佳は、とある名家に生まれた。
由緒正しきその家系は、代々優秀な血縁者によって受け継がれてきた。
何代にもわたり優秀な人物を生み出してきた薬師寺家。
そのような高名な家に生まれた真佳もまた、極めて優れた人物であった。
都内の小中高一貫校付属幼稚園に入園し、小学校に上がっても常に成績はトップ。習っていたピアノのコンクールでも優秀な成績を収め、周囲からの評判も良好。
優秀であるが故に、彼は両親からある程度の自由を許された。結果さえ残せば友達と遊びに出かけることも出来たし、何かに縛られると言うことはなかった。
交友関係についても両親が口を出すことはなく、偶然知り合った明日見楓などは、むしろ楓ちゃんと呼ばれ歓迎されるほど。特に楓はたびたび薬師寺家を訪れていたため、彼女は真佳が二番目に心を開く人物になっていた。
そんな彼が一番に心を開いていた人物。
それは、薬師寺真綾――実の姉であった。
真綾は、真佳のことをとても大切に愛してくれた。真佳が困っていればすぐに手を差し伸べてくれるし、真佳が賞を取れば自分のことのように喜んでくれる。
どんな時でも真佳を一番に考えてくれる真綾。そんな姉を、真佳は心から慕っていた。
――薬師寺家は、名家である。その血を引くものは、常に優秀で立派でなくてはならない。
真綾は、真佳ほど優秀ではなかった。成績は中の上だし、コンクールでの入賞経験もない。
彼女は、真佳が受けていたものからは想像も付かないほど過酷な教育を受けさせられた。
外出の自由はきかず、テストやコンクールの結果が悪ければ激しく叱責される日々。
いつしか彼女は、唯一自分を慕ってくれる真佳を心のよりどころにするようになった。過酷な日々に耐えることが出来たのは、ただ一人、彼のおかげであった。
ある日、真佳が就寝しようと部屋の明かりを消すと、真綾が入ってきた。
真綾は「今日は一緒に寝よう」とだけ言うと、そのまま彼の布団に入り込む。真佳はその様子を不思議に思いつつも、一番に慕っている姉と一緒に寝るのは久しぶりだったので、特に考えることなく隣に身体を添えた。
しばらく一緒になって寝ていると、真綾は一言だけ、たった一言だけ言葉を口にした。
「おやすみ、真佳」
真綾が浴場で冷たくなって発見されたのは、翌日のことだった。
しばらくして、真佳の元へ手紙が届いた。
切手も差出人もない洋封筒。だが、正面に書かれた「真佳へ」の文字。
――真綾からだった。
その手紙は、真綾がいなくなってしまう直前、彼女が真佳に向けて書いた手紙。彼女の全てが、ありったけの思いと共に綴られた一枚の尊い尊い紙切れ。
そんな手紙の最後に書かれた一言は、薬師寺真佳という存在を大きく変えることになる。
「あなたは、愛されなさい」
その言葉に、どれほどの重みがあっただろうか。
真綾は、期待に応えることが出来なかったために両親からの愛を受けられなかった。どれだけ必死に生きようとも、得られるものは落胆と否定ばかり。
一方で真佳は、薬師寺家としての責務を全うできていた。真綾にないものを全て持っていたからこそ、両親から深い愛情で以て接せられていた。
真佳には自分と同じ思いを味わって欲しくない。そのままずっと愛されていて欲しい。
それが、真綾の最後の願いだったのだ。
真佳は考える。もしも、自分が両親の期待に応えることが出来なくなってしまったら――愛を失うことになってしまったら、と。
そうなったとき、自分は姉の最後の願いすら果たせなくなってしまうだろう。
それは、一番に大切なものを失った真佳にとって、死ぬよりも耐えがたい苦痛であった。
どうすれば、愛を失わずに済むのか。
どうすれば、大好きだった姉の願いを果たせるのか。
考え抜いて真佳は、見つけ出す。
ひどく単純で、なんとも明快な答えを。
このとき、真佳は自らの意志を捨て去った。
全ては、常に完璧であるため。
ただ、姉の願いに応えるため。
真佳は一切の感情を棄て、ベストで在り続けることに捕らわれるようになった。
そうして真佳は、どんなときでも冷静に物事を判断する精神力を身につけたのだ。
「任せましたよ」
その言葉と共に、真佳と大男の身体は空に投げ出された。
だが、そのまま地に落ちる真佳ではない。
二人が機体から離れると同時に、真佳のパーカーと大男のマントが大胆な変形を始める。
薄く引き延ばされた布地が大男を縛る紐と結びつけられ、上方で地面と平行に広がる。真佳の「NEUTRINO」による変形は一瞬で完了し、その布地は一身に空気抵抗を受け始めた。
「ものすごい決意をみたかと思ったら、まさか安全策バッチリだったとはな」
「でなければ、八咫烏から飛び降りるなんてしませんよ」
落下に身を任せながら、そんな会話をする二人。だが、その速度は決して速くはない。
なぜなら、二人にはあるものが括り付けられているから。
スカイダイビングにも用いられるその道具。
真佳は、この土壇場で冷静にパラシュートを作り上げたのである。
「やっぱ坊主たちはすげえな」
「あまりアイズホープを舐めないでください。それと、ゆっくり落下しているように見えてある程度の速度は出ていますから、地面に到達するときはちゃんと受け身を取ってくださいよ」
大男に注意を促す真佳。二人の体重を支えるには流石に面積が足りないので、最終的な落下速度は思いのほか速かった。速いと言っても、時速30Kmも出ていないが。
「ああ、分かったよ。でも、まだ能力使えないからあんま期待するなよ?」
「そこは大丈夫ですよ。スタントマン程度の運動能力があればなんとかなる速度ですから」
最終的な安全面は大男に任せっきりだが、真佳ではこれ以上どうすることも出来ないので仕方ない。変形できるものは、彼の手元にはもう残っていなかった。
それに、この大男は人に対して危害を加えることをあまり快く思っていない節がある。たとえ相手がアイズホープでも危険が迫れば助けてくれそうだと、真佳は判断したのである。
大男に頼るというのは、この状況で一番合理的な選択だったのだ。
「そうだな。せっかくだ、話してやるか」
すると、大男が唐突にそんなことを言い出した。
「何をですか」
「俺たちのことについてだな。どうせ俺たちは終わりなんだ、全部話しちまっても良いだろ」
怪訝な顔の真佳をよそに、大男は自嘲気味に片側の口角を上げる。
そして、語り始める。
「俺たちはな、ある信念の元動いていたんだ」
「警察を狙っていましたけど、それの事ですか?」
真佳が問うと「流石にソレは分かってるわな」と頷く大男。大男たちは連続で警官のみを狙っていたので、流石にその辺は察してもらわないと困る。
問題はそこではない、と大男は続ける。
「じゃあよ、どうして警察を狙っていたのか……まあ恨みがあったわけだが、その理由についてだな」
「アイズホープでは、能力者への意識が低い時期に起こったある事件がきっかけではないか、という推測はかなり前にしましたけど……」
「なんだ、そこまでわかってんのか! やるな!」
どうやら今までの推理が正解だったようで、ズバリと言い当てられた大男は随分と感心した様子で笑う。
だが、すぐに真面目な顔に戻る。
「まあ、その事件でな。警察が追い込んだ能力者によって、俺の親友――ほら、俺が最初に坊主たちとあったときにお嬢が居ただろ? あいつの両親が、殺されちまったんだ。なのに、当時の警察はそれを隠しやがった。失態をなかったことにするかのように、な」
「隠蔽体質……ですね。その事件、警察の初期対応が悪かったという話も出ていましたし、その上で死者まで出たとなると警察への不信感は膨れ上がるでしょうね……」
都合が悪いことはとりあえず公表しないでおく。そうすれば一般人には何も分からないし、分からなければ何もなかったのと同じ事。今も昔も変わらない、公安を守る組織とは思えない警察の悪い体質であった。
「警察が能力者をとある田舎町まで追い込んだんだが、な……そこで、俺の親友は殺された。おそらく冷気を操る能力だったんだろうが、俺の真横で氷の弾丸を撃ち込まれたよ」
憎々しげに語る大男。目の前で親友を理不尽に殺されたのだから、無理もない。
「酷い話ですね。当時アイズホープが居れば、結果も違ったでしょうに」
大男の話は、聞いていて酷いものがあると真佳は思った。警察の失敗で親友が殺され、あまつさえそれを隠されたというのだから当然だ。
だが、大男に同情することは出来ない。
「でも……あなたたちがやっていたことと、何が違うんですか?」
どんな理由があろうとも、この男たちが殺人を犯したという事実は拭えない。それが分からない真佳ではない。
「そうだな……弁解の余地もねえよ。だけどよ、俺たちは利用するために警官を襲ったのは確かだが、殺すつもりは一ミリもなかったんだ。ま、信じなくても良いけどよ」
信じなくても良い。それは、身勝手な言い訳であることを本人も理解していることの現れなのだろう。だがそれでも、大男は真面目な、至って真剣な目でそれらを口にした。
真佳は思う。彼が言ったことは、事実なんだろうなと。今までの大男の言動から見ても、それが真実なのだろうと、なんとなく、感覚的に理解することが出来た。
「その言い分は、信じますよ」
「んん? どうしてだ?」
「殺すことが目的なら、あんな回りくどいことしないでしょう。交渉が目的だとしても、あなたの能力で警官を数名殺して脅せば、材料にはなります。『殺したくなかった』から、回りくどい方法で警官を襲ったのではないですか?」
「……流石だな。本当に、坊主たちみたいなのが、あの時居ればな」
信じるという真佳の考えを聞いて、大男は虚しそうに呟く。ここまで冷静に物事を考えることが出来る人物がいたならば、あの事件は起きなかったかも知れなかった。
だが、運命というものに慈悲はない。全ては起こるべくして起こり、起きたことが全てなのだ。こうだったら良かったなんて考えても空虚なだけで、何かが変わるわけでもなかった。
「あとな、こっちは直接関係ないんだが……今の仲間の一人もな、警察の怠慢で家族を失ってるんだ。警察が例の能力者の事件を追うのに手一杯だったことが原因みたいだ」
大男が、他の仲間についても話す。
「こっちは報道こそされたが、報道内容は『ただの殺人事件』だった。警察の怠慢については、一切触れられてなかったな」
話を聞いていると、先ほどと同じ様にかなり酷い話であることが伺える。もしも自分が当事者だったとしても、警察を憎まずにはいられないだろうと真佳は思った。
「ま、そんなわけで、俺らは『事実』を伝えてもらうこと、そして警察のミスによる犠牲者やその家族に謝罪してもらうこと、それを目的に動いてたんだわ」
「そういう理由だったんですね。赦すことは出来ませんけど、理解は出来ます」
仮に自分の家族や楓、アイズホープの仲間が同じ目に遭ったのなら、自分も同じ事をしていたかも知れない。そう思うと、大男たちの行動にもある程度の理解を示すことが出来た。
「ということは、本当に今回の件はあなたたちの意志ではないわけですね」
「ああ……だが、俺らは逆らうことが出来ない。上の組織からの命令って言っただろ? あいつらはヤバい。俺たちは完全に手を組む相手を間違えたんだ」
大男が眉をひそめて歯を食いしばる。よほど後悔の念が強いのだろう。
「何かを頂戴するって話でしたけど、一体何を……?」
「どうも院長が組織にとって不都合な情報……おそらく組織の者のカルテとかだろうが、そういうものを持っているらしくてな。データとしては残ってないらしいが、院長の記憶にそれが残っている。だから、『命』を頂戴しろという話だった」
「ええ?! ちょっと待ってください、まさか、物を受け取るとかじゃなくて、口封じに殺すって言う意味だったんですか?!」
「ひでえ話だろ」
「あなたが言わないでください!」
あまりにも重大で極めて急を要する事実が発覚し、真佳は空中で盛大に叫ぶ。そろそろ地面が近づいてきたので、地上の人間にも聞こえていたかも知れない。
そんな真佳に、大男はさらなる絶望を教える。
「それでだ。病院に向かった奴――KINETICと言うんだがな、あいつはあいつでかなりヤバい。普段は気さくな奴なんだが、俺らからしても扱いに困るほど厄介な残虐性を持ったサイコなんだよ。マジモンの拳銃も持ってるし、お前らの仲間もマズいかも知れん」
「そういうことは八咫烏の中で言ってくださいよ!」
大男の肩を掴みながら、真佳が声を荒らげる。拳銃と言えば、現代では既に裏社会からも完全に取り除かれた筈の、過去の兵器である。どうしてそんなものを所持しているのだろうか。
それに、拳銃は簡単に人を殺せてしまう武器と習っている。実際にどれほどの殺傷能力を秘めているかは未知数だが、極めて危険な代物であることに間違いはない。
「言っちまったら、手を出さないでくれって交渉が難しくなんだろ。任務に失敗したら、上が何をしでかすか分からねえ。院長一人と病院周辺の大勢を天秤にかけて考えた結果だ」
至極真面目な顔で答える大男。
勿論、理解は出来る。一人の命と大勢の命を比べたら、大勢を取るのは当然の話だ。
だが、それでも。
(そんなの……ダメだ……)
真佳には、黙ってじっとしていることなど出来なかった。
「あなたの名前を教えてください」
「……大村。大村だ」
「大村さん。能力の調子はどうですか?」
「あと7分もあれば回復しそうだが、どうしようってんだ?」
不思議そうに尋ねる大村に、真佳は告げる。
その一言に、全ての意味を乗せて。
「加勢に向かいます」
それを聞き、にやりと笑う大村。
「院長を守る。上への対処もする。両方やってのけようってか。で、俺に手伝えと?」
「そのとおりです」
全てを正しく理解していた大村に、真佳は満足そうに頷く。
ちょうどその時、二人の身体が地上へと到達する。速度的に3メートルの高さから飛び降りたくらいの衝撃があるはずだが、大村が上手く受け身を取ったため二人とも傷一つない。
真佳が服に付いた草を払いのけていると、大村が先ほどの答えを口にした。
「いいぜ。その話、乗った」
八咫烏の中にいたときとは、真逆の決断。
それは自分の憎き相手――警察やキャスターと協力する、そういう意味を持つ答えだった。
大男の中で、何かが変わった。きっと、そうなのだろうと真佳は思う。
実のところそのきっかけは真佳とのこの数分間の会話だったりするのだが、それは真佳には知る由もない話である。
「ありがとうございます」
こうして、真佳と大村の二人は中央病院へと向かうこととなる。
その決断が良かったのか悪かったのか。それは神のみぞ知る。
だが、何が起ころうとも、全ては運命のいたずら。
人に生まれた以上、決断をしたのなら後は自らを信じるしかない。
だから、二人は行く。
信念を燃え上がらせ、共に戦う仲間と救うべき者の元を目指すのである。