7話 運命に垣間見る闇 61項「裏と裏」
カツ、カツ、カツ、カツ――――
静かなフロアを、一人の人物が歩く。
カツ、カツ、カツ、カツ――――
進むべき道は分かっているというように、ただまっすぐと。
カツ、カツ、カツ、カツ――――
その足取りは、一歩一歩に重みを感じさせる。
カツ、カツ、カツ――。
しばらく歩いて、彼女は一つの部屋の前までたどり着く。
そこは、NIT社代表取締役社長――九十九綾一の部屋であった。
ノックをすると返事があったので、静かに扉を開き中に入る。
「神木君か。どうしたんだい?」
そう声をかけるのは、当然、中に居た九十九綾一。優雅に紅茶をたしなむなどしていたのだろうか、部屋の奥から優しく穏やかな香りが漂っていた。
「いいよ、猿芝居はもう」
普段の神木からは想像も付かない粗暴な言葉遣いに、九十九は少し驚いた様子を見せる。だが、すぐに真顔に戻って彼女に問いを返す。
「なにが、言いたいんだい?」
神木は強い恨みを無理に封じ込めたかのように口を結び、次いで開く。
そして――告げる。
「わかってるんだ。あんたらが『ザラキエル事件』の犯人だって事も、連れ去った医療関係者たちに人工生体機構を作らせていることも」
それは、神木がこれまでの潜入で調べ上げたNIT社のもう一つの顔。決して表には出るはずのない、闇の部分。
14年前に起きた失踪事件――ザラキエル事件。数人の医療関係者が神隠しのように消えてしまったその事件は、捜査中に警官が殉職したことを最後に捜査が打ち切られていた。
その犯人こそが、九十九綾一だったのだ。
「…………」
神木の言葉に、九十九は驚くでも取り乱すでもなく、むしろ静かに目を閉じる。深いため息を吐きながら、机の紅茶を一口だけ口にする。
「思いのほか、驚かないんだな」
「驚きよりも、焦燥が勝ってしまったよ。何もかも、上手くいかないものだなって」
「否定しないんだ」
「否定しないさ」
残りの紅茶を飲み干し、空になったティーカップを受け皿へ戻す九十九。気品さえ感じる落ち着いた所作だが、それは余裕から来るものではなく、全てを諦めているというサインだった。
「これでも、俺らなりには配慮はしたんだ。医療関係者たちも警察に恨みがある人物に絞っていたし、無理矢理連れてきてはいないからな」
「キャストで精神に干渉しておいて、それはないだろ」
「痛いところを突くな、君は。流石に『CONTRACT』は知っているか」
落ち着いて言葉を投げ合う神木と九十九。衝撃的な事実を、当たり前のように言い合う。
彼の持つ能力は「CONTRACT」。人の精神に作用し、人が持つ善悪の天秤を悪に傾ける。どんな善人でも、彼のキャストにかかればたちまち悪の道を進み始めることになる。
彼は事件でこのキャストを使い、医療関係者たちが自らここへ集まるように仕向けたのである。
「でも、どうやって情報を調べたんだ? ここには、俺の能力の影響下にある部下がたくさん居ただろう?」
「そうだな……ところで、九十九綾一。お前は、自分のキャストの特性を知っているか?」
立っているのが疲れたのか、勝手に応接用のソファに座り、あさっての質問をする神木。
だが、その質問こそが、彼の問いへの答えに繋がることとなる。
「念波が現れない、特殊なキャストって事か」
それは、紛れもない真実だった。
念波が現れない。彼の「CONTRACT」は、信じがたいことにそんな性質を有していた。能力使用時ですらサリエルシンドロームと判定されない程の微弱な波しか発しないのである。
彼がキャスターでありながらNIT社代表として活動し続けられたのは、検査で念波反応を検知されなかったからなのだ。
「そう。精神系のキャスターは、能力を持っていることを隠すことができる。それは、お前が一番よく知っているはずだ。あとは、わかるだろ?」
「……まさか!」
神木に問い返され、目を大きく開く九十九。
そして、彼にとって最悪の事実が告げられる。
「『CONTACT』。それが私のキャストだ」
しっかりと九十九の目を見て、神木が告げる。その言葉は、既に絶望の淵に居た九十九にさらなる不条理を感じさせた。
彼女の「CONTACT」は、「CONTRACT」と同じように精神に干渉するキャストだ。だが、効果はまったく違う。磁石のように相反するわけではないが、彼のキャストにとっては天敵となり得る効果を持つ。
その効果とは、真なる意志の覚醒。その人物が本来持つ心の有り様を最大限に引き出し、道を見失った者に進むべき道を思い出させる力である。
それこそが、彼女のキャスト「CONTACT」。
そう、持っていたのである。彼女もまた、彼と同じように精神系のキャストを。
「俺と同じタイプのキャストか――」
ため息交じりに、どこかで聞いたことがあるようなセリフを口にする九十九。最初から諦めの境地には居たが、ここにきてそれはさらに極まるようであった。
「そのキャストで、うちの部下をどうにかしたんだな」
「そうだ。私の能力も精神系だからな。お前の影響を上書きすることくらい造作もない」
同じタイプの能力だからこそ出来たことだと、神木が告げる。
二人のキャストの共通点。それは、念波を超音波に変換し、それが相手に届くことで精神に作用するという点であった。直接伝子に干渉するのではなく、精神に作用するごく微量の超音波を空気中で発生させることで効果を発揮する。
だから、念波反応もごく微量となる。超音波を発生させる際に空気中の伝子へごく僅かに干渉するだけなので、サリエルシンドローム患者と判断される基準の何分の一という数値しか検出されない。
欠点として、サリエルシンドローム発症者からは超音波に変換した念波を相殺されてしまい効果を発揮しないという弱点があるが、それでもキャスターであることを隠せるというのはそれだけでとてつもないアドバンテージとなる。
それが、「精神干渉系」の性質であった。
「でも、驚いたよ。まさか、サリエルを抑えるSCを開発しているあんたらが、あんな装置を開発していたなんて」
神木がそう言い、本題に入る。話の流れ的に二人の能力について触れることにはなったが、本当に重要な内容はこちらであった。
「まあ、その真逆の装置だからな」
神木の言葉に、苦笑いしながら答える九十九。そんな彼に、神木は冷たい視線を送る。
彼女が入手した情報は、なにもザラキエル事件についてだけではなかった。そこには、失踪した医療関係者たちが、九十九の元で何を作っていたかの情報も含まれていたのだ。
神木が想像していたよりも、もっともっと重大な、世界の常識を軽く覆すほどの情報が。
「『インナーローダー』。人工的に能力を身につけることが出来る人工生体機構。とんでもないものを作ってくれたな」
その言葉に、全てが詰め込まれていた。
NIT社が裏で作っていた人工生体機構――インナーローダー。
脳内に埋め込むことで、念波の増幅と安定を機械的に制御する装置。
それは、人を無条件で能力者にするとんでもないデバイスだったのだ。
「びっくりしたか?」
「びっくりなんてものじゃない。お前たちのおかげで、この世の常識は綺麗に崩れ去ったよ」
今までの常識では、能力はサリエルシンドロームが安定した場合にのみ発現し得る。サリエルシンドロームは念波が慢性的に増幅し伝子に干渉を起こしている状態のことなので、その念波が安定していれば、訓練次第では伝子への干渉も制御できるようになる。
だが、それはこの男たちによって過去のものとなった。NIT社は、今までの流れを一切無視した方法で能力の獲得が可能となる技術を、密かに作り上げていたのである。
それこそが、人工生体機構技術による「インナーローダー」だった。
「何がお前たちをそこまで駆り立てる? 目的は警察への復讐みたいだが、一体、過去に何があったんだ?」
「あれ? そこまでは調べられなかったか?」
不思議そうに眉をひそめる九十九。神木の調査能力は凄まじかったので、てっきりそこまで調べ上げていると思っていたのだろう。
「データとして残っていないものは調べようがないだろ?」
「そういえば、動機については仲間同士で、それも口頭でしかやりとりしていなかったか」
顎に手を当てながら、斜め上を眺める九十九。何を思ったのか席を立つと、机のティーポットを持ち、応接用の一人がけソファに座る。
神木に茶や菓子などを勧めると、九十九は「さて」と口を開く。
「せっかくだし、いいだろう。どうせ俺たちはもう終わりだ。語らせてもらうとするか」
自虐気味に呟く九十九。
そして、彼は忌々しき過去を話し始める。
「……その昔、俺たちは警察に見捨てられたんだ」
彼らの中に秘められた、黒より昏い過去を。




