1話 天使の宿街 3項「初日を終えて」
待合室に戻ると、母が出迎えてくれた。
「お疲れ。どうだった?」
「どうもこうもないよ。ほんとに疲れた……」
先ほど検査室でもやったようなやりとりをすると、母は色々と聞いてきた。能力がどういったものなのかとか、周囲への影響はどうなのかとか。
「能力自体に問題はないみたいで、周りにも迷惑はかけないみたい」
「本当に? よかったじゃない!」
千空の言葉を聞き、嬉しそうにする母。
しかし、千空はもっと重大なことを伝えなければならなかった。
「ただ、ちょっとやっかいなことがあってさ」
千空がそう伝えると、母は怪訝な顔をして聞き返した。
「やっかいなこと?」
「うん。ちょっとここでは言えないんだけどね」
そうだ。キャスターの件については、ここでは口にすることができない。ぬか喜びさせたくなかったから伝えはしたが、この場ですべてを話すことはできなかった。
母も「なにか事情があるみたいね」と納得してくれたので、この話題はおいておくとしよう。
「実際どんな力なの?」
「それはまだはっきりしてないけど、自分自身に関する力みたい」
母に能力のことを聞かれたが、検査でも具体的な能力は分からなかった。炎を出すとかならば今回の検査でもはっきりするが、患者自身に影響のある能力については判断できないのだった。
その後しばらく会話をしていると、二人の元に神木がやってきた。
「お疲れ様でした。大変でしたね」
開口一番、神木は二人にそう言った。この様子だと、恐らく先ほどの検査員から事情はすべて聞いているのだろう。
「ほんとにびっくりですよ。まさかこんなことになるなんて」
千空は神木にそう伝えた。本当に、自分が能力者になるだなんて、今でも何かの冗談かと疑うほどである。まさか自分に限ってそんな、と。
「私もこの施設に勤めるようになってから初めてのことでしたので、本当に驚きましたよ」
どうやら神木も同様に驚いているようで、千空に共感してくれた。まあ、それもそうだろう。神木はかなり若そうだし、能力者なんてめったに現れないだろうから。
そんなことを思っていると、神木はさらに驚くことを口にした。
「それに、実は今回は瑞波さんだけでなくもう一人いるんですよ」
と、さらっと爆弾発言をしたのである。
なんと、キャスター候補は自分だけではなかったらしい。能力を制御できる者がもう一人いたとは……。さらに驚きである。
「あの……先ほどから話がみえてこないのですが……」
神木と千空が話を盛り上げていると、母がそう言った。そういえば、母はまだ二人の会話が何のことか全くわからないのだった。
「あ、すみませんお母様。では、今後のことも含めて説明致しますので、別室へ案内致しますね」
そうして、三人は別室へと向かった。
別室に入ると、まずは母に向けてキャスターについての説明がされることになった。キャスターがどういうものなのかだったり、今後千空が入ることになる組織についてだったりだ。組織については千空も詳しく聞いていなかったため、一緒に聞くことにした。
「組織の名はアイズホープと言います。野良の能力者が絡んでいそうな犯罪や、警察では捜査が困難な事件なんかを取り扱います。ただ、政府の組織といっても、そんなに重々しいものではないので安心していただければと思います」
「いや、それを聞いて安心しろって言われましても……」
正直な感想はそれだった。今の説明で安心しろと言われても、はいそうですかとなるわけがない。だって、今の説明だと自分は犯罪捜査をさせられることになるのだ。安心のあの字もない。
それについては母も同じだったようで、「しっかりとした説明は頂きたいです」と神木に話した。それにうなずいて、神木はさらに説明する。
「アイズホープの運営は、ここ天使の宿街が行っているのですよ。ですので、政府の組織とは言っても、警察みたいにガチガチに厳しいわけではないのです。規則等も原則ありませんし、捜査に関しましても、直接命が脅かされるようなことは今までありませんでしたよ」
それを聞いても、はぁ、としか思えない二人。そもそも、その天使の宿街についてのイメージがまだまだはっきりしていなかった。確かに雰囲気はかなり良いなとは思っているが、まだ数時間しか居ないのにその本質がわかるわけがない。
「具体的にはどんな感じなんですか?」
曖昧な話ばかりで何が言いたいのかよくわからなかったので、千空はそう尋ねてみた。すると、ようやく分かりやすい説明をしてくれた。
「わかりやすく説明しますと、学校の部活とかと同じ感じと考えていただければと思います。どちらかというと文化部に近いですけど。それに、メンバーも千空さんくらいの年の方もいらっしゃるので、なじみやすいかと思いますよ。皆さん仲がいいですし」
「あ、なんとなく分かったかもしれないです」
「あら、そうなの?」
その説明で、千空はようやく雰囲気を掴めた。なるほど、部活か。千空も文化部に入っていたので、その雰囲気はなんとなく分かるような気がした。それに、自分と同じくらいの年の人も居るとなると、なおさら部活に近い雰囲気になるだろう。
千空の知っている文化部と言えば、結果こそ本気で仕上げるが、その過程は案外雑談も多く、部室自体は和気藹々としているものが多い印象だった。刑事モノのドラマなんかでもそういう雰囲気のものは結構あったので、捜査の方もなんとなくそういう感じなんだなと納得できた。
母はあまりしっくりきていないようだったが、千空が納得できたので神木は説明を続けた。
だがしかし、次の言葉はまたしても衝撃的なものだった。
「それに、引率があれば外に出かけてバーベキューとかもできるんですよ」
それを聞き、千空は驚いた。それはもう、めちゃくちゃ驚いた。
引率があれば外に出られるだって!?
「それ、ほんとですか!?」
「本当ですけど……あれ、バーベキューがそんなに魅力的ですか?」
「いや、そこじゃなくて……外に出られるんですか!?」
「あ、検査の時説明されなかったのですね。能力の訓練をしてからではありますが、可能ですよ。捜査でも外に出ますし」
やっぱり可能らしい。でも、確かに言われてみればそうだ。先ほど捜査に参加すると聞いた時点で気付くべきだったが、考えてみれば捜査で外に出ないわけがなかった。
なんということだ……本当に今日は展開がどとう過ぎる。一生外に出られないかと思ったら、サリエルコントローラーによって外に出られる可能性はあった。それだけでも希望になったのに、まさかキャスターになれば確実に外に出られるようになるなんて。
「とにかく、千空もまた外に出られるということで良いんですか」
「はい。なんなら、私も職員なのでその資格は持っていますよ。その機会はないと思いますが」
ああ、母の問いかけで確定してしまった。
つまり、千空は普通に外に出ることが可能なのであった。
「でもそれって、普通の患者からずるいとか文句はないんですか」
「ですから、口外しないようにとお願いしているのですよ」
あ、なるほど。キャスターについて口外禁止というのは混乱を招くからかと思っていたが、どうやらそういう理由もあったらしい。
確かに、能力を制御できる……つまり、周りに迷惑をかけないからこそ外出ができるわけだから、普通の患者が自分も外に出たいと言ったところで、それを叶えることは不可能なのだった。ならば、変に期待させるよりかは、教えないでいる方が優しさなのかもしれない。
「ただ、外出できるとは言っても知り合いと会ったりはできないので、あまり喜ばないでくださいね」
「あ、そうなんですね」
まあ、それは仕方ないだろう。施設外の人間がどれだけ秘密を守れるかは分からないし、サリエルシンドロームとして施設に連れて行かれた人間が外にいたってことになれば、大騒ぎになること間違い無しだ。
でも、これではっきりした。この数時間で色々と知ることができたが、そこからは一つの結論を見いだすことができたのだ。
サリエルシンドローム。発症した当初は、どうなることかと思っていた。だけど、どうやら千空が思っているほど辛い未来は待っていなさそうだった。
もちろん、組織の仕事内容を聞く限り大変で理不尽だということは間違いない。それをこれから受け入れることができるかどうかも分からない。だけど、それ以外の部分には、まだ希望があるように思えた。
外に出られることもそうだし、組織に入れば新たな仲間達ができるかもしれないということもそうだ。それらのことを考えると、なんとなく頑張れそうな気がしてくるのだ。
辛いだけでは頑張れなくても、支えとなるなにかがあれば、人は頑張ることができるのだ。
そんな風に希望を見いだしていると、神木が次の話を続けた。
「それと、今後のお家についてなのですが、明日の午前中には手配できそうとのことです」
「あら、思いのほか早いのですね」
なんと、家に関しても明日には用意されるそうだ。この状況でその情報はまさに鬼に金棒。なんというか、話題がどんどん明るい方向へ向かっているような気がする。
「それじゃあ、今日の所はどこに泊まるんですか?」
明るい気分になってきた千空は、神木に聞いてみた。明日には用意されるとは言っても、今日寝泊まりする場所は必要になるので、少し気になったのだ。
「今日の所は近くに宿泊場所を用意してありますので、今からそちらへ案内致しますよ」
と、千空の質問に神木が答えた。まさか、今日のために宿泊場所も用意してあるとは。てっきり中央センターに泊まるのかと思っていたが、やっぱり待遇自体はかなり良かった。
ともあれ、この感じならなんだかんだうまくやっていけそうな気がする。これなら心配することもあまりないのではなかろうか。
そんな風に思っていると、神木が立ち上がった。
「説明は以上ですので、宿泊場所まで案内いたしますね」
と、神木は二人に告げた。どうやら説明は終わりのようだ。
神木の言葉に母も立ち上がったので、千空もそれに続く。
「「お願いします」」
そんなこんなで、千空たちは神木に案内され宿泊場所へと向かうのだった。