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6話 過ぎ来し方の憂いを払う 54項「DAMAGE その3」

 優奈は、仮面の敵と対峙していた。


 お互い、動く気配はない。両者ともに、相手の出方をうかがっているのだろうか。


 いや、違う。


 仮面の敵が動かないのは、動く必要がないから。優奈が動かないのは、動くことができないから。至って単純な、極めてシンプルな理由だった。


 敵はおそらく、こう考えているのだろう。大量のまきびしが撒かれた地面に素足で立たされている優奈は、もう機敏に動くことができない。彼女がなんとかまきびしを避けながら動き始めたところを、能力で攻撃。足場は崩れ、静也と二人仲良く崖の下だ、と。


 確かに、本来のキャストを使えない優奈では概ねその通りになるだろう。彼女は素足なので、周囲数メートルに散らばったまきびしの監獄から、敵が能力を発動するよりも早く逃れることは困難だ。


 そう、困難なのである。キャストを使えない優奈では。


 キャストを、使えない、優奈では。



 ……本当に?



 キャスト――超応力とは、使用者の精神に大きく左右されるものである。彼女の能力に制限がかかっているのも、過去のトラウマが原因だ。


 ならば、そのトラウマを乗り越えたら、どうなるのだろうか。過去を乗り越えようという強い思いがあれば、制限すらも取り除くことができるのではないだろうか。


 答えは――


「さて、これで終わりだ。せいぜいあの世で恨むといい。キャスターとして目覚めた自分を」


 しびれを切らした仮面の敵が、優奈に告げる。


 そして、彼女の足下が崩れ始め――優奈が突如走り出した。


「な、お前馬鹿ではないのか!?」


 優奈のありえない行動に、思わず声を上げる仮面の敵。


 だが、そんな敵に答えるでもなく優奈は走り続ける。どれだけまきびしが足に食い込もうとも、絶対にこの足を止めるつもりはないとでも言うように。


「食らいなさい!」


「しまったっ……」


 優奈の左手が、仮面の敵に迫る。突然の行動に不意を突かれた敵は、彼女を近づけることを許してしまったのだ。


 仮面の敵は先ほどもそうしたように、ローブを優奈の前に突き出す。おそらく、接触を避けなければと思ったのだろう。静也がまだ生きている以上、優奈の攻撃は致命的となる。


 優奈の拳が、ローブに吸い込まれる。絶好の攻撃のチャンスだったが、うまく躱されてしまったようだ。彼女の拳は敵に届くことはなく、そのまま往なされ……


 いや、違う。そうはならなかった。


「がっ、これは……?」


「気づいたようね」


 優奈の拳は、ローブを貫き敵の本体に到達していたのだ。そして、抉る。敵の肉体を。


 とっさに距離をとる敵。そして、気づく。患部を押さえながら優奈を観察して、彼女の体にとある変化が起こっていることに。


「なるほど、そういうことか」


「ええ、そういうことよ」


 左手を顔の高さに挙げながら、優奈が答える。


 その手は、信じられないことにとある別のものへと変化していた。


「FLORA――秘扇(ヒオウギ)


 それは、彼女が持つ本来の能力の一つ。


 まがまがしいシルエットを持つ硬質化した植物へと姿を変えた彼女の左手。


 彼女は、自身の身体の一部を植物組織へと変化させたのだ。


「まきびしを気にせず突っ込んできたのも、納得だな」


 彼女の足下を見て、敵が冷静に分析する。彼女が植物化させていたのは、なにも左手だけではない。


「ケヤキって、知っているかしら。美しい整った形をしていて街路樹なんかに使われているのだけど、材木としても人気なのよね。とても強度があるから」


 少なくとも、まきびし程度ではどうすることもできない。刺さったとしても、表面にチクリと食い込む程度で、奥に達することは決してないだろう。


 彼女の足の裏は、そんな樹木へと変化していたのだ。


「ああ、確かに頑丈だな。金属製の武器でもないと、歯が立たなそうだ。だが、墓穴を掘ったな。お前も気づいているだろう、私の能力に」


 煽るように解説する優奈に、仮面の敵が告げる。その声色からは、仮面の下では不敵に笑っているだろうことが読み取れた。おそらく、能力で優奈の手足を破壊しようと企んでいるのだろう。


 だが、それでも優奈は平然としていた。何食わぬ顔で、むしろ植物化した手を相手にぶんぶんと振って見せつけてまでいる。


「やれるものなら、やってみたら?」


「……」


 思い切り挑発する優奈。しかし、仮面の敵はなぜか動かない。能力を使えば優奈の手足を破壊することなど造作もないはずなのに、それをしようとしない。


 なぜ、動かなかったのか。


 なぜ、破壊しなかったのか。


 しなかったのではない、できなかったのだ。


「やはり、この状態では無理のようね」


 そういって、優奈が左手を後ろに隠す。


「あんたの能力は、破壊したい部分に少しの間焦点を合わせる必要があるのではないかしら? だから、激しく動く物体とは相性が悪いし、不意打ちにも対応できない。静也のスタナーも、視認してから破壊するまでにコンマ数秒の差があったから、さきに発射されてしまったというわけ。違うかしら?」


 すました顔で語る優奈。彼女が語る内容は、敵の能力を完璧に看破していた。


 なので、敵も彼女に純粋な賞賛を送る。


「素晴らしい。この短い戦いの中で、そこまで理解するとは」


「お褒めにあずかり光栄ですわ」


 まるでお嬢様学校の教師と生徒というようなやりとりを繰り広げる二人。だが、さすがは敵同士、すぐに雰囲気は険悪になってゆく。


「その余裕が、いつまで続くかな」


「それはこちらの台詞ね」


 お互いににらみ合い、


「ここからが本番よ」


「ここからが本番だ」


 そして、二人の激しい攻防が始まる。







 二人の戦いは、息をつく暇もないものだった。


 優奈が攻撃を仕掛けても、敵はうまく身を躱し彼女から距離をとる。さらに優奈が次の動作に移るそのすきに、周囲の樹木を破壊し彼女を押しつぶそうとしてくるのだ。


 倒木を避けるにしても、敵との位置関係を気にしながら避けなければいけないので、静也と敵を追っていたときよりも難易度が高い。実際、優奈も何度か食らってしまっており、そこそこなダメージを負っている。


 だが、優奈もやられてばかりではない。位置関係に気をつけているだけあって、敵を攻撃するチャンスは何度もやってくる。敵は能力を発動する際に一瞬だけ隙ができるので、そこを狙い何度か攻撃を当てることに成功しているのだ。


 今の優奈の一撃はかなりの攻撃力があるので、敵もダメージが蓄積しているはずである。このまま戦いが続けば、どちらが先に倒れてもおかしくはなかった。


「それだけダメージを負っているのに、冷静ね。確かにあたしから距離を保ちつつ戦うっていうのは、賢い作戦だわ。でも、そのまま逃げ続けたらあなた、負けるわよ」


「ああ。実際、距離を保とうとしているのに、むしろ詰められているからな。だが、私が負けるっていうのは、どうだろうな。お前も、十分ダメージを受けているのではないか?」


 優奈の言葉を意に介した様子もなく、むしろ淡々とあおり返す仮面の敵。精神力では、どちらも負けていないようだ。


 その後も、一進一退の攻防が続く。


 そんな戦いが続き、二人が反対側の崖下までやってくると、仮面の敵が口を開いた。


「なるほど、よくわかったよ。確かに、力を取り戻したお前の戦闘能力は高い。すでに何発か食らってしまっているしな。だが、それで一つわかったことがある。この戦い、私の勝ちだ」


「あら、それはどうしてかしら?」


「お前が、他者を植物化させる力までは取り戻していないからだ」


 その言葉に、口を固く結ぶ優奈。


 仮面の敵は続ける。


「何度か攻撃を食らったのに、私の身体が植物化する気配はない。それはつまり、お前がまだ完璧に能力を使えるようになっていないということ。そして、体力が奪われる現象が起きていないことを考えると、どうやらあの雑魚もくたばったみたいだな」


「!」


 一瞬口を開きそうになる優奈。だが、すぐにこらえる。こういうとき、冷静さを失って激昂すれば、圧倒的に不利な状況に追い込まれるという定説がある。彼がいなくても、自分は戦える。言葉に惑わされてはいけない。


「あくまで平静を保つか。だが、お前はどうやら勘違いをしている」


「なによ……?」


「お前は私を壁際まで追い込んだつもりなのだろうが、実際は違う。お前は追い込んでいたのではない、誘い込まれていたのだ」


 そのとき、優奈は初めて気づいた。先ほどから、足の感覚がおかしい。動きが、なんとなく鈍いような……


 いや、それだけではない。次第に足が震えだし、力が入らなくなってきた。


「やっと気づいたか。ならば、教えてやる。さっき撒いたまきびしには、毒が仕込んであったのだ」


「?! じゃあ、この足のしびれは……」


「そうだ。いくら硬い樹木だろうと、尖ったものに数十キロの力で押しつけられれば、少しは傷がついたり食い込んだりするだろう? 毒が侵入するには、十分だとは思わないか?」


 敵の言葉に、焦りを覚える優奈。とっさに足の植物化を強化し地面に根を張り、現実の樹木と同じように身体を支える。


 この世には、蜂という生き物がいる。その生き物は、極めて小さく細い、0.何ミリというような針を用いて敵に毒を注入する。その毒が全身に回って、死亡するという場合もある。


 今、優奈が置かれている状況はそれに近かった。毒の塗られた針で引っかかれたり刺されたりしたのだから、毒は確実に体内に侵入するだろう。


 つまり、早く敵を倒してしかるべき処置をする必要があるのだ。


 しかし、そんな優奈に仮面の敵が無慈悲なことを告げる。


「震える足を支えたところで、動けぬことに変わりはない。あのまきびしを踏んだ時点で、お前の負けだったんだ。みろ、この崖を」


 そう言って、はるか高くまでそびえる崖を見上げる敵。敵がそうするだけで、優奈には敵が何をするつもりなのか、痛いほど、心の底から理解できた。


「なるほど……そういうこと、ね」


「まきびしが刺さったお前を崖におびき寄せ、動けなくなったところでとどめを刺す。それが私の作戦だったのだ」


 優奈は思った。これは――勝負ありだ、と。


 そして――


 次の瞬間、二人がいる場所へと崖が崩れ落ちてきた。瓦礫の山が優奈に降り注ぎ、仮面の敵の足下に砂が積もってゆく。


 このとき、勝敗は決したのだった。

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