6話 過ぎ来し方の憂いを払う 53項「DAMAGE その2」
静也と優奈の二人は、森の中をかけていた。足場が悪いとか、視界が悪いとか、そんなことは一切気にせずに、ただただ目標を追いかける。
敵は一人。風見が察知した悪意は一つだけだったので、おそらくそれは間違いないだろう。つまり、アイズホープのキャスター複数人を相手に、一人で戦えるという強い自信を持った相手と言うことになる。
敵は機会を伺っていたので、おそらくアイズホープメンバーへの対策も万全のはず。その上自信満々な相手と戦うというのは、正直なところかなり骨が折れる。むしろ、文字通り骨が折れるだけで済めば良い方なのかもしれない。
だが、こちらだって覚悟は決めているのだ。ずるずると戦いを先延ばしにしても、こちらが疲弊するばかりで良いことなど何もない。
だから、向かってきた敵はなるべくその場で叩く。それが、今の静也たちにとっての最適解なのだ。
「静也気をつけて! 何か降ってくる!」
静也の前を行く優奈が、声を張り上げて警告する。すると、一秒も満たない時間の後、上空から大きな木の幹が無数に落ちてきた。
「うわっと! これ、当たったらひとたまりも無いだろうね!」
落ちてきた木の幹を観察すると、どうやら途中で折れて落ちてきたのだろうことがわかる。そこそこな太さのある樹木なので重量もかなりあり、これが人に当たったとなるとかなりの大怪我を負いそうだった。
「本気で、あたしたちを始末するつもりみたいね」
落ちてくる木に気をつけて進みながら、優奈が口にする。当たり前と言えば当たり前だが、今回の敵からは今まで対峙した敵と比べても遥かに明確な殺意を感じられた。
今まで戦った敵には、セレモニーの時にしろ鉱山の時にしろ、静也たちを殺そうという意志はなかった。鉱山の時はヤバいかもと思ったが、大男が言うには自分たちを害する意志はないとのことだったので、恐らく命の危険は無かったのだろう。
だが、今回は違う。今回の敵は、本気で自分たちを殺しに来ているのだ。千空たちが襲われたときも、敵は明確な殺意を持っていた。だからあの時、車ごと崖から落とすなどという攻撃をしてきたのだ。
こうなると、こちらも生半可な気持ちで臨むことはできない。最悪相手を殺すことも視野に入れておかなければ、殺られるのはこちらだ。
今の二人には、相当な覚悟が求められているのである。
「静也、これを持っておきなさい」
すると、優奈が走りながらあるものを拾い、静也に投げつける。条件反射で静也がそれを受け取ると、彼は手に奇妙な感触を覚えた。
「うげぇ、これカブトムシじゃないか!」
「敵は私たちを直接破壊しようとはしてきていない。きっと、動物を破壊することは不可能なのよ。何かに使えるかも知れないわ」
「うーん、まあ確かにそうだな……」
優奈の言い分はもっともだが、それにしてももう少し何か無かったのだろうかと思わざるを得ない静也。だが、すぐに考え直す。カエルや芋虫なんかよりは、よっぽどマシかと。
その時、風見から連絡が入る。
『二人とも、敵はその先で静止しているワ』
その言葉を聞き、速度を上げて敵の元まで突き進む優奈と静也。止まっているならば、遠距離攻撃をしてくるこの厄介な敵に近づくチャンスである。
しかし、そんな二人を風見が慌てて制止する。
『でも待って、強い悪意を感じるノ! 何か嫌な予感がするワ!』
ユーフォから風見の焦った声が響く。
その忠告は、少しだけ遅かった。
「こ、これは……」
全力疾走で森を駆け抜け、二人は開けた場所に出た。
そこは、切り立った崖の上であった。
「な、敵はどこにも居ないじゃないか!」
崖の上に、敵の姿はない。崖の下に、特に誰かがいる様子もない。
おかしい。確かに、風見は敵が止まっていると言ったはずだ。ならば、この崖で立ち止まっていたのではないのだろうか。
どういうことだろうと後ろを振り返る静也。
そして、言葉を失う。
「!!?」
振り返った先には、本来一人しか居ないはずだ。息を切らしながら静也と同じように眉をひそめる優奈、ただ一人が居るはずだった。
なのに、そんな彼女の後ろに、誰かがいる。
所々に青いラインが入ったローブの人物。その顔は、見覚えのあるもので覆われていて……
――あの仮面を被った敵が、そこに居た。
「優奈伏せろ!」
「え?」
優奈がとっさに身をかがめると、静也はスタナーをぶっ放した。敵の頭は隠れているが、スタンモードなら身体のどこかに当たればそれでいい。
スタナーから発射された弾が、優奈の上を通り抜けて敵へと突き進む。
だがしかし、敵がローブをふわりと前方にたぐり寄せると、必殺の弾丸はかき消されてしまった。どうやら電気を通しづらい素材だったらしく、電気の弾丸はローブに流れることなく空中に霧散した。
「っ……、どうやら敵さん、スタナー対策はバッチリみたいだ。ピッカピカの新品だったんだがね」
忌々しげに舌打ちをする静也。自分が今握っていたはずのスタナーは、いつのまにか風に吹かれてどこかへ飛んで行ってしまったらしい。彼の手は既に無を掴んでいた。
そして、それだけではない。
天が彼を見放したのかはわからないが、彼は非常にまずい状況に陥ることになる。
彼が今立っているのは崖際だ。先ほど崖下をのぞき込んだので、あと一歩で空というようなかなり危険な位置にいる。それこそ、押すなよというふりをしても、誰も押さないような。
それが、マズかった。
「しまッ――」
判断が遅れた静也の視界が、どんどんと地面に近づいてゆき……その境界線を超える。
彼の足下の地面が、崩されたのだ。
「くっ!」
「静也!?」
優奈が慌てて崖下をのぞき込む。だが、それくらいでやられる静也ではない。訓練のおかげといえば良いのか、なんとか崖の出っ張りを掴むことに成功したのだ。
とりあえず、最悪の事態は免れた。大丈夫、まだ落ちてはいない。
とはいえ、かなりマズい状況であることには変わりなかった。手を伸ばせばなんとか優奈の手に届きそうではあるが、彼女が静也を引き上げようとすれば、おそらく敵は彼女の足下をも崩すだろう。そうなれば、二人の敗北が決定する。
自力で何とかしようにも、彼が今掴んでいる出っ張り以外に捕まれそうな部分はないし、体力が尽きればいずれ落ちてしまう。そうなれば優奈はINSIDE無しで戦うことになり、後援が来るまで持ちこたえられるかも分からない。
そして、そんな二人に追い打ちをかけるように敵があるものを優奈の足下へとばら撒く。それは、ある水草の種を乾燥させたもの――まきびしだった。
ただ単純にまきびしがばら撒かれただけならば、機動力こそ削がれるが大した攻撃ではなかったのだろう。優奈たちは靴を履いているし、踏んだところで刺さったりはしない。
だが、今回ばかりは話が違った。優奈たちの目の前にいるこの敵は、ものを崩壊させる能力を持っている。だから、壊さないはずがなかったのだ。彼女が履いている、その赤色の靴を。
まきびしが大量に撒かれた地面の上を、裸足で動ける人間が果たしているのだろうか。
優奈はこの土壇場で、自由に動くことすらままならなくなってしまったのである。
静也はかろうじて崖に掴まっている状況。優奈は動くことすら困難。
まさに背水の陣。
静也たちは、かなり厳しい状況に陥ったのだった。
瀬城静也は、ごく普通の家庭に生まれた。
父親の収入が良かったため母親は専業主婦。平日は母親がいつも側にいたし、休日になれば父親がゲームで遊んでくれたので、寂しい思いや不自由をしたことは全くなかった。
父親はいつも、暇さえあればカジノゲームで遊んでくれた。特にトランプを使うゲームをまめに教えてくれたので、静也は小さいながらもかなりの腕のプレイヤーになっていた。
平日は母と学校の話をしたり宿題を観てもらったりし、休日は父にゲームを教わったり遊びに出かけたりする。ごくごくありふれた、幸せな家庭であったのだろう。
だが、そんな日々はあるとき終わりを迎える。
父親が失踪したのだ。
別に父親に借金があったとか、事件に巻き込まれたとか、そういうわけではない。だが、静也が8歳になるころ、確かに父親は行方をくらましたのだ。
母親は言う。大丈夫、きっと戻ってくるからと。実際、瀬城家には父親が失踪したあと定期的に大金が振り込まれるようになっていたし、贈与税がかからなかったためそれが父親の収入であることは明白だった。
それでも、父親がいきなり消えるというのは、小学生にとっては耐えがたい出来事である。今までいるのが当たり前だった家族が、何の前触れもなく忽然と姿を消したのだ。大人でも受け入れるのに時間がかかるだろうに、8歳の子どもに受け入れられる道理はなかった。
そして、学校でも。
どこから情報が流れたのか――いや、今になって思えば教員が話しているのを児童の誰かが聞いてしまったのだろうが、瀬城家の事情は学校内で噂になっていた。
静也本人の性格もあり、いじめなどには発展しなかったし、噂もすぐに収まった。だが、小学生の心とは純粋なものである。その時流れた「ギャンブルで借金を作って逃げた」という根も葉もない噂は、当時の彼にトラウマを植え付けるには十分であった。
そのころから、静也はカジノゲームに対して強い嫌悪を抱くようになった。自分や母を残して消えた父から教わったゲーム、父親が消えた理由だと噂されたゲームを、心が強く拒絶したのだ。彼の一番得意なものがそれだったのは、あまりにも無情な皮肉である。
もちろん、頭の中では父親が消えた理由とカジノゲームとに関係がないことを理解はしていた。だが、幼い頃のトラウマというものはなかなか克服できるモノではない。
だから、静也は閉じ込めたのだ。新しい「料理」という趣味を見つけ、今までの自分を形成してきたカジノゲームと決別することで、トラウマに蓋をした。
その時彼は、過去にとらわれず生きるための、一つの選択をしたのである。
静也は考える。
この状況を打破するには、自分だけの力ではどうしようもない。どう足掻いても、一人で上へ上がることは不可能だ。上へ上がるには、誰かの力が居る。
だが、自分が崖の上に上がることだけが、勝利に繋がるわけではない。優奈が敵に勝ちさえすれば、それでいい。大局的に見れば、それでいいのだと。
ならば、自分にできる選択は一つしかなかった。
「優奈!」
静也がポケットからあるものを取り出し、優奈に投げつける。
「?!」
優奈が受け取って確認すると、それはトランプのカードであった。ハートの7が、にっこり顔でこちらを見つめている。先ほど、静也が買っていたトランプだ。
それは、彼からのメッセージだった。
「優奈! 思い出すんだ、神木さんの言葉を!」
「!」
静也の言葉に、優奈がハッとした表情をする。まるで忘れてしまっていた何かを思い出したかのように、まるで憑きものが突然どこかへ飛んでいったかのように。
それは、彼女を後押しする勇気へと変わっていく。
「道は、前を向いた者にしか歩めないものさ! だから、もう振り返るな!」
目を閉じ、一度だけ深い深呼吸をして――
優奈が、凛とした表情で敵に向き直る。思いは、通じたようである。
「……ええ、そうね。ありがとう静也」
「いくんだ、優奈!! キミなら、そいつを倒せる!」
静也の鼓舞が辺り一帯に響き渡る。
本当の戦いは、これからである。