5話 宿街の休日 44項「千空の父」
ああぁ……千空君はもうだめそうだ。毒島の話を一緒に聞いていた未來は、彼の顔を見てそう理解した。
無理もない。これだけのことを一度に聞かされたら、自分だってそうなるだろう。彼は父のことをあまり知らなかったようだし、ショックもかなり大きかったはずだ。
そっとしておいてあげた方が良い、未來がそう結論を出すと、ちょうど静也が口を開いた。
「一ついいか? 千空の力が父さんと同じものというのは分かったが、つまりそれは、千空はキャストを二つ持っているということか?」
黙って話を聞いていたかと思えば、ここにきてそんな疑問を口にする。
だが、彼の言うとおりだ。確かに、ダメージを軽減する力と他人のキャストを強化する力とでは流石に別物過ぎるし、どういうことだろうと未來も疑問に思っていた。
それに答えたのは、毒島ではなく風見。風見は長いこと財団で研究していたので、千空の父のキャストについても詳しいのだろう。
「静也ちゃんの質問だけど、答えはノー。一つのキャストで、その二つを実現しているノ」
「えっとえっと、それって、どうやって?」
風見の答えに、楓が首をかしげる。いや、楓が一番初めに反応したというだけで、恐らくこの場のほとんどの人間がその疑問を胸に抱いたことだろう。
「そうネ。まずは、彼のお父さんが使っていた力について説明しようかしらネ」
そして、皆の視線を集めながら、風見は千空の父が使っていた力について説明し始めた。
彼の超応力、名を「HORIZON」。
それは、「波動」を操るという力だった。
波動とは、素粒子の一つである「伝子」を伝っている、波の性質を持つ力のことだ。伝子干渉型超現実症候群は念波を介して伝子に干渉してしまう病気だが、「HORIZON」は伝子に干渉することで「波動」を操るわけである。そして、それによって様々なことができる。
例えば、ある一点に働いた力を、伝子を介して波紋のように分散させることで、一点に働く力を大幅に弱める。これはまさしく千空が普段行っているダメージ軽減だ。
逆に、ある一点で重なるように複数のエネルギーの波紋を発生させることで、その一点に力を集中させることもできる。左手が持つエネルギーを右手に移して重いものを持つなど、様々なことに応用が利く便利な使い方で、千空の父はこの使い方をしていた。今まで千空と彼の父が同じ力を持っていると気付かなかったのは、そもそも使い方が違ったからである。キャストとは「目的」と「意志」が重要な要素のため、それが違えば、たとえ原理が同じだとしても別物として扱われる。
そして、この力の最大の特徴。それは、周囲で発生している念波と同じ波長の波動を伝子に伝えられることだ。これにより、周囲で発生した念波は増幅し、キャストは強化される。
彼の父はこの力を使いこなしており、千空にもこの力が現れ始めている。訓練次第では、千空も使いこなせるようになるだろう。
この三つが、このキャストの主な使い道だった。
「どうだ。とりあえず、二人のキャストが同じものだということはわかっただろう」
風見が説明し終えると、毒島がメンバーに問いかける。
しかし、それに頷いたのは優奈と真佳くらいで、千空は言わずもがな、静也は小難しい顔になっており、楓は真佳に「よくわかんなかったから、今度教えてね」と小声で呟いていた。
「うーん。なんとなく、かな……」
未來も一応答えるが、曖昧な返事になってしまう。ダメージ軽減の能力だとばかり思っていたので、いきなり波とか概念的な話をされてもついていけなかった。キャストや念波のことについてはある程度理解しているつもりだったが、まだまだ勉強が足りなかったらしい。
「まあ、ちゃんと理解する必要はないわヨ。こんな小難しい話されても、困っちゃうでしょう?」
メンバーに笑いかける風見。おそらく風見も、聞かれなければ能力の仕組みについてまで話すつもりはなかったのだろう。概要だけで十分なのだから。
「それで、千空ちゃん?」
すると、突然風見が千空に声をかける。声をかけられた千空は依然として呆然としたままだが、話は聞いていたみたいで「あ、はい」と返事をしていた。
「使うにしても使わないにしても、一応訓練して制御はできるようにしないとネ」
そんな……可哀想に、と未來は思った。こんな状態の千空に告げるのに、それはあまりにも残酷だ。
でも、仕方が無い。だって、キャストを強化する力ということは、制御できなかったとしたら……
「そうね。制御できるようにしておかないと、意図せず敵のキャストを強化してしまうことにもなりかねないわ……酷だけど、千空には今ちゃんと制御できるようになってもらわないと」
未來が思っていたことを、優奈が全て口にしてくれた。
そうだ。キャストというものは、最初から制御できるわけではない。念波が安定しているとは言え、自由自在に使えるようになるには訓練が必要となる。
千空がアイズホープに入る際行った訓練は、ダメージ軽減に関しての訓練のみ。だから、キャスト強化については全くの素人だし、故に本人も意図せずにその力を発動してしまう。真佳や未來のキャストが強化されたときも、千空にそのつもりはまったくなかった。
もしかしたら今まで戦ったキャスターも千空の力で強化されていたかも知れないし、やはり千空には制御できるようになって貰わなければ困るのだった。戦力としては必要不可欠な存在なのに、その存在が敵を強化してしまうなんて、あまりにもお粗末だから。
ともかく、8年前の事件のことと、千空のキャストのこと。その二つについての話はおおむね終了したのだった。
次の日、千空は熱を出した。服を着たまま川に飛び込んだことが原因なのか、あんな話を聞かされたことが原因なのかは分からなかったが、とにかく、高い熱を出した。
千空はあの後、家に帰ってから母に全てを話した。自分の父がキャスターで、宿街にいたと聞かされたことを。
母はただただ「ごめんね、教えてあげられなくて」と、頬を濡らして千空に謝った。でも、悪いのは母ではないので、千空は謝る母を静止した。
千空は昨日の夜、なかなか眠ることができなかった。暗闇で目を閉じていると、あの場で質問できなかった疑問がふつふつとわいて出てくる。それは今も変わることはなく、ぼんやりと熱い千空の頭を支配した。
暗い部屋の中、汗で少し湿ったベッドの上で千空は考える。
千空の父がキャスターだった、それは事実なのだろう。宿街にいたことも、おそらく。
でも……。千空は枕元にあったロケットを手に取った。収納の奥底へ大切に仕舞われていたそれを開くと、そこには幼い千空と在りし日の両親の姿があった。
見たところ、場所は懐かしの我が家。写っている千空の年齢を鑑みると、おそらく8年ほど前の写真だろうか。切り取られた幸せな家庭のワンシーンは、色あせることなく過去を今に伝えてくれている。
だが、やはりおかしかった。父が宿街にいたというのならば、この写真は存在するはずがないのだから。
だってそれは……
――ピンポーン。ピンポーン。
その時、玄関のチャイムが鳴った。宿街の外にいたときと違い、ここに来てからチャイムが鳴るのは施設の人間が来たときくらいなので、おそらく毒島や風見、三崎あたりが見舞いに来たのだろう。
玄関で何やら話す声が聞こえた後、しばらくすると部屋のドアが開かれた。
しかし、そこにいたのは想像とは違う人物だった。
「やあ千空。子どもを助けに川に入って自分が風邪を引いてちゃ、世話無いな」
「おはよ、千空君。大丈夫?」
そう声をかけるのは、静也と未來だった。予想が外れたとはいえそこまで意外というわけでもなかったので、千空は驚くことなく二人に挨拶する。
「悪いな……わざわざ来て貰っちゃって。てか二人だけか?」
「ああ、ぶっさんたちはちょっと忙しくてさ」
「そうか。昨日遊びに出かけたわけだし……休んでる内に仕事とか溜まってたのかもな」
アイズホープ組は夏休み中だが、センター自体に休日はない。毒島たちが休んでいる間も平常運転だった訳なので、彼らに仕事が回ってきていても不思議ではなかった。
「それに、病人の部屋に大勢で押し入るのも非常識だと思ってね」
「違いないな。てかそれ、どうせ優奈さんか真佳あたりの判断だろ?」
「なんだ、鋭いじゃないか。まるで削ったばかりの鉛筆だ」
「意味わかんねえよ」
軽口を叩く静也に、ツッコミを入れる千空。こんな体調ではあるが、静也に対してのツッコミ力は健在だった。
「ところで千空君、具合はどう?」
未來が心配そうに千空の顔をのぞき込む。そういえば、起きた直後よりは幾分かマシのような気がする。薬が効いてきたのだろうか。
「なんか、朝よりも調子良いわ」
「そっか、良かったぁー……」
「まあ、ボクが『INSIDE』をかけているからね」
「って、お前のおかげか!」
思わず、本日二度目のツッコミを入れる千空。薬が効いてきたのもあるかも知れないが、体調が良くなってきたのは恐らく静也のおかげなのだろう。
「といっても、悪化を防ぐだけだがね。治すことはできないから、あとはキミ次第さ」
「でも、それだけ元気にツッコミができてれば、ホントに大丈夫そうだね」
そう言って二人が笑いかける。だが、二人の言うとおりだ。ツッコミを入れるほどの体力があれば、あとはもう根性で治るだろう。
「そういえば、千空君が持ってるそれってなに?」
すると、未來が千空の持つロケットに興味を示した。
「ああ、ロケットだよ。俺と母さん、父さんの昔の写真らしい」
千空が説明する。何の気なしな、ありふれた答え。よくある話。
だが、その答えに静也が眉をひそめる。
「らしいって……そういえばキミ、昔の話をするとき、自分のことなのにいつも曖昧な言い方をするよな。それって何故なんだ?」
そんな静也の疑問に、千空はすこし動揺する。昨日、千空が放心状態になった原因を、静也は見事に踏み抜いてきたのだ。
だが、ここで千空は考えた。こういうことはもう、仲間と共有してしまった方が楽になるのではないかと。優奈も未來も過去のことについて話してくれたし、そのほうが、良いのではないかと。
だから、千空も話すことにした。
「俺、父さんについての記憶一切無いんだ」
その答えに、静也はしまったというような顔をした。だが、一度決めた千空は止まらない。家族以外に話したことのなかった過去を、全てさらけ出した。
「俺さ、8年前に事故に遭ったんだ。その時父さんは死んじまって、俺は俺で事故以前の記憶を失った。8歳の頃に記憶を失ったところでその後の人生に影響は無かったけど、父さんについての記憶は全部なくなっちまったんだ。父さん写真も嫌いだったみたいでさ、唯一残ってたのがこのロケットの写真なんだ」
寂しげな表情を湛えながら、ロケットを眺める千空。彼が父についての記憶を持っていないのは、それが理由だった。
8年前、彼が8歳のころ、彼の家族が乗る乗用車が事故に巻き込まれた。その時、運転していた父は死亡、千空も大怪我を負い、記憶を失った。
不幸中の幸いだったのは、記憶を失ったのが8歳という幼い時期だったことだろう。そのおかげで、千空は記憶を失ったことで起こる不都合が殆ど無かった。大きな問題は母の記憶も無かったことだが、それは時間が経つにつれ少しだけ取り戻せた。
千空の話を聞き、静也は複雑な顔をして腕を組み、未來は「そうだったんだね」と悲しそうな声で呟いている。反応は二人とも違うが、千空のことを心配してくれているのはよく分かった。
すると、未來がとあることに気付く。
「ってあれ、千空君のお父さんって、宿街にいたんじゃ……?」
そう。
千空が夜も眠れぬほど疑問に思っていたことの一つ。
それはまさに、いま未來が口にしたことだった。
あのロケットの写真は8年前、つまり、千空の父が事故で亡くなった年に撮られた。ということは、千空の父はあの写真を撮った後に宿街へ入り、事故に巻き込まれたことになる。だって、実家で家族揃って写真を撮れるタイミングは、父が宿街に入る前しかないのだから。一度宿街に行ってしまえば、戻ってくることはできない。
だが、それはありえなかった。
風見の話によると、千空の父はキャスターとして活躍していたという。彼のキャストについても詳しいことが判明していたので、おそらく数年は宿街にいたはずである。
となると考えられるのは、財団かアイズホープに所属していて外に出ることができた、という可能性だ。未來が千空の父を知らない以上アイズホープにいたという線は消えるので、残るのは財団職員だったという線のみになる。
だが、アイズホープのメンバーは、外に出ることこそ可能だが実家の近くに行くことは許されていなかった。実家の近くに行ったら、知り合いに出くわす可能性が極めて高いから。財団所属でもそこは変わらないだろうし、そうなると、やはりあの写真は不可解だ。
そして未來も気になっただろう一番の謎が、事故の際、どうして父が運転していたのか、どうしてその車に千空が乗っていたのかだ。
あの写真がどういう経緯で撮られたにせよ、父が事故に巻き込まれたとき、彼がキャスターとして活躍していたことは確かだ。ならば、丁重に扱われるはずのキャスターがなぜ車の運転をしていたのか。そして、なぜその車に千空が乗っていたのか。
そもそも、宿街の敷地内で車の事故が起こることも考えにくい。だがそう考えると、千空の父はキャスターという身分でありながら、宿街の外で千空を乗せた車を運転していたということになる。どうしたら、そんな状況になるのだろうか?
やはり色々なところに疑問は残る。千空の父は、一体何者だったのだろうか。
結局、一晩中考えても答えは出なかった。
「俺も気になって色々考えたんだけど、俺の知ってる情報だけじゃどうにも限界があってさ」
なので、この大いなる謎について、千空はそうとだけ伝えておいた。もしかしたら未來がなにか知っているかも知れないが、それでもこの謎は解き明かせない、そんな気がした。
「そうだ、この写真観るか? なにか分かるかも」
「あ、うん。観せてもらおうかな」
そう言って、未來にロケットを渡す千空。一応、観てもらっておいて損はないだろう。
すると、静也がとあることを口にした。
「にしても、凄い汗だな」
横になっている千空をまじまじと眺める静也。言われて気付いたが、枕やシャツがかなり湿っていた。おまけに、額の冷却シートもぬるくなっている。
「一度拭いた方が良いんじゃないか? なんなら手伝ってやるぞ」
「あー、悪い。頼むわ」
このままでは悪化こそしなくても治るのが遅くなってしまう。というか静也が帰ったら「INSIDE」が切れて普通に悪化するかもしれない。
なので、彼の言葉に甘えることにした千空は、ゆっくりと重い身体を起こすのだった。