5話 宿街の休日 40項「総裁」
快晴。他にどのような言い表し方があるだろうか、見上げた先には、塗り残し一つ無い青が広がっていた。8月だというのに、心地よい風が身体を優しく冷ましていく。
地上へ目を移すと、眼前には大自然が広がる。風になびく木々やそびえる山々を眺めていると、心が洗われるようだ。
だが、そんな景色の中にいくつか場違いな人工物が存在していた。大自然の中にぽつぽつと点在するそれは、布と骨組みによって出来た簡易的な居住空間、すなわちテントだった。
千空たちは今、木富県のキャンプ場へレジャーに来ていた。
「お前ら! テントはこっちに張るぞ! さっさと戻ってこい!」
毒島に呼ばれ、駆け足でそちらへ向かう千空たち。彼らはある人物の指示に従いテントを張る場所を探していたのだが、どうやら毒島が良いポイントを見つけたようである。
結局、前回の任務は失敗に終わってしまった。だが、メンバーが連戦で心身共に疲弊していることに変わりは無い。むしろ、メンバーにとっては失敗という事実による精神的なダメージが大きかった。
なので今回の遠足は、慰安の意味も込めて気分転換をしてもらおうと毒島たちが企画してくれたのだった。夏に遠足に行くこと自体は毎年恒例みたいだが、それでもメンバーにとってはいい息抜きになること間違い無しだった。
毒島の元に集まったメンバーたちは、早速設営に取りかかる。
「それにしても、どうしてみんな海をいやがるんだ……」
テントを地面に広げながら、静也が呟く。彼は去年も一昨年も海に行きたいと言っていたそうなので、今年もそれが叶わずかなりへこんでいるようだった。
それに対し答えるのは、当然だと言わんばかりの優奈だ。
「それはあんたが居るからでしょ? 他のお客さんの迷惑になるじゃない」
「な、それはどういう意味だよ?!」
「海なんか行った日には、手当たり次第にナンパするでしょうが、あんたは」
「それの何がいけないって言うんだね、キミ」
「話にならないわね」
静也と優奈が応酬を繰り広げるも、淡々と事実を突きつける優奈が相手では、静也には分が悪い。優奈には勝てないと踏んだ静也は、他のメンバーに助け船を求める。
「か、楓ちゃん! キミはどうして、海が嫌だったんだ? 優奈みたいな理由じゃあないだろ?」
みっともない声で楓に迫る静也。だが、やはり楓は楓だった。
「うーん、私は海でも良かったんだけどね……」
「ならどうして――って、いや、うん。そうだな。キミは、そうだよな」
何かを察して肩を落とす静也。その目線の先には、楓の隣でテントにポールを通している真佳がいた。そんな静也の様子に、千空はそりゃそうだろと肩をすくめる。
楓が他の何よりも優先している真佳。その真佳が海は嫌だと言った。ならば、彼女が海を却下することは、考えるまでもない当然のことだった。
「ごめんね。私はどんなときでもまな君の味方だから。ねー、まな君」
「わかったから、せめてこれやってるときは離れてよ……」
「楓さんは相変わらずですね」
いつものように真佳に抱きつき鬱陶しがられる楓と、二人に呆れた視線を送る三崎。普段はなんだかんだ受け入れている、もとい諦めている真佳だが、流石に抱きつかれた状態だと作業し辛いため、今回は拒んでいるようだった。
そんな風にわいわいとテントを設営していると、後ろの方から声が聞こえてきた。
「アラん。テントの場所はそこに決まったのかしラ。良い場所があったじゃないノ」
妙な口調で千空たちに話しかける人物。見ると、両手には多くの荷物が抱えられている。
「どうだ、なかなか良い場所だろう」
「そうネ。さすが治郎ちゃんってところかしラ」
毒島と親しげに言葉を交わす人物は、荷物を地面に置きバーベキュー用の道具を出し始めている。実はこの妙なしゃべり方の人物こそが、千空たちにテントを張る場所を探すよう指示していた人物なのだ。
千空がこの人物と初めて出会ったのは、数日前のことだった。
「――と、言うわけだ。それ以降、世界的にカジノは違法になったわけだな。ま、賭けを行わないアミューズメントカジノはいくらでもあるが」
「へー、賭博の要素が入るとアウトってことか。ゲームだとなじみ深いけどなぁ」
頬杖をつきながら呟く千空。千空と未來は今、毒島による公共の授業を受けていた。
「ゲーム内のカジノも、換金できないメダルに換えるだろ?」
「あ、確かに」
前にやったゲームを思い浮かべる千空。そのゲームでもカジノのミニゲームはあったが、遊ぶにはゲーム内通貨でカジノ用のメダルを購入する必要があった。それも換金不可能な。
ゲームもそういう所はしっかりしてるんだなぁと、近年のコンプラ事情に千空は感心した。
「さて、授業はここまでだ。お前たちも、もう良いぞ」
毒島が教科書の電源を落とし、休憩スペースにいた他のメンバーに声をかける。その言葉を聞き、絵を描いていた楓は手を止め、読書をしていた真佳と優奈は本を机に置く。
「二人も悪かったな、夏休みなのに」
毒島が申し訳なさそうに口にする。本来夏休みは授業がないのだが、捜査のせいで終わっていない単元があったのを毒島が思い出し、今日の朝、唐突に始まったのだった。
「いいよ、どうせ暇だし」
「そだね。授業って感じもしなかったし」
千空の言葉に、未來も頷く。授業とは言っても終始ゆるい感じだったので、きっちり一時間分あったというのに二人とも特に疲れた様子はなかった。
そんなわけで千空が教科書をしまっていると、入口の方から声が聞こえた。
「ウンウン。なかなかイイコたちじゃないノ」
「え、誰?!」
突然聞こえた聞き馴染みのない声に、千空が振り返りながら思わず叫ぶ。その声と同時、休憩スペースにいた楓も声を上げる。
声が聞こえた先には、知らない男が立っていた。180センチはあろうかというその人物は白いジャケットにロングスカートというかなり奇抜な格好で、夏だというのに中には赤いベストまで着ている。
「ぜ、全然気がつかなかった……いつからいたんだろう?」
「だよな……入口に近かった俺ですら気付かなかったし、一体何者だ?」
楓と同じく、千空もこの人物がオフィスにいたことに一切気がつかなかった。千空は授業に、楓はお絵描きに集中していたので、それで気付かなかった可能性はあるが……授業中の静かなオフィスに人が一人入ってきたというのに、気がつかないことなんてあるだろうか?
「アラ、治郎ちゃん、紹介してくれていないのかしラ」
「ああ、悪い。メンバー紹介の時に総裁がいるぞってことだけは話したんだが……」
毒島とその人物が、なにやら会話をしている。
すると、優奈と真佳がその人物の正体を教えてくれた。
「そういえば、千空と楓はまだあったことがなかったわね。あの人はアイズホープの総裁よ」
「副総裁の毒島さんよりも偉い、文字通りアイズホープトップの人です」
「ああ、どうりで!」
二人の説明に、思わず手を打つ千空。
そういえばそうだ。これまでの活動で毒島がボスのような感覚になっていたが、彼はあくまで副総裁。もう一人上が居るということを、千空はすっかり忘れていた。
会ったことのない人物だから身構えてしまったが、オフィスに居て当然の人物だったのだ。
「そういうことヨ、千空ちゃん。そして楓ちゃんもネ」
「あ、えっと、初めまして」
「初めまして!」
総裁に声をかけられ、挨拶をする千空と楓。そんな二人に、総裁は満足げに頷く。
「ウンウン。話に聞いてたとおりの、素直なコたちじゃないノ。アタシは風見心司。ヨロシクネ、二人とも♪」
そう言って二人に両手を差し出す風見。千空と楓も片方ずつ握手する。ファーストインプレッションはなかなか強烈だったが、なんというか、いい人そうだなと千空は感じた。
「ところで、いつ戻られたんですか?」
挨拶が済んだところで、真佳が尋ねる。その口ぶりだと、風見が今まで宿街にいなかったのは、どこかに行っていたからなのだろうか? でも一体何処に?
千空が疑問に思っていると、風見が真佳の質問に答えた。
「宿街には今朝着いたばかりよ。ホント、財団は色々と窮屈で疲れちゃったわ」
「え、財団?」
「それってそれって、もしかして……」
風見の言葉に気になる単語を見つけた千空と楓が、まさかといった表情で呟く。
そんな二人に、風見が告げる。
「そうヨ。アタシが長期出張に行ってたのは、MES財団ヨ」
「「ええぇーー?!」」
その言葉に、千空と楓は驚きの声を揃えた。なんと、アイズホープの総裁が今まで不在だったのは、あのMES財団に出張していたからだったのだ。そういえば、前に真佳がMES財団はキャスト関係の技術開発をしいるとかなんとか言っていたなと、千空は思い出す。
つまり、宿街やアイズホープの人間として研究に協力していたといった所だろうか。そう考えると、アイズホープの総裁ともあろう人間が長期出張に出かけていたということにも、納得ができた。
というか、この風見という男もアイズホープのメンバーなら、キャストが使えるのだろうか? もしかして、さっき気付かれずにオフィスに入ってきていたのは、なにかしらの能力だったり……
そう思い、千空は尋ねてみることにした。
「ところで、いつからいたんですか? 全然気付きませんでしたけど……」
「そうね、授業が始まる前にはいたかしラ?」
「うそうそ?! そんなに前から居たの?!」
ふむふむなるほど、と千空。そんなに前から居たのに、千空も楓も全く気付かなかったなんてやはり不自然だ。となると、やはりそうなのだろう。
「俺も楓さんも、風見さんが居ることに全く気付きませんでした。つまり……気配を消す、そういうキャストってわけですね!」
ネタは上がってるんだ! とばかりに、どや顔で風見に告げる千空。これは決まったなと、心の中で確信する。
だがしかし、悲しいかな、それはちょうどオフィスに入ってきたとある人物によって否定されてしまった。
「いや、風見ネエさんのそれは単に影が薄いだけさ」
そう言ってオフィスに入ってくるのは、千空たちの授業が始まるなりどこかへ行ってしまっていた静也だった。何処へ行っていたのかは、まあ考えても無駄だろう。どうせ娯楽棟だ。
静也の動向は、今は重要ではない。重要なのは、今静也が放った言葉だった。
「いや、流石に嘘だろ? だって、みんな気付かなかったんだぞ?」
「嘘……まあ、そう思うだろうな。でも、それが真実さ」
「……マジ?」
「大マジさ」
そう告げる静也の目には、別に千空たちを騙そうとか、そういうものは一切なかった。
ありえない。いや、ありえないだろと、千空は心の中で呟く。服装や口調だけでもかなりの存在感で、おまけに身長もかなり高い。そんな人物の影が薄くてたまるかと、千空は思った。
「じゃあじゃあ、どんなキャストなんですか?」
楓が質問するも、風見は「うーん、そうネ……それは、見てのお楽しみってことで」と教えてくれなかった。いつもの流れだが、なんというかキャスターって皆そうだなと、千空は呆れた。だが、スタナー使いの毒島と違い能力自体は使えるみたいなので、いつか千空と楓にも見せてくれるのだろう。
「とりあえず、自己紹介はこんな感じでいいかしらネ。それじゃ、みんな揃ってるコトだし、食堂でランチにしましょ」
そうして、千空たちは新たに加わったメンバー――アイズホープ総裁・風見心司とともに、食堂へ向かう。
それが、新入り二人と風見の出会いだった。




