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1話 天使の宿街 1項「施設訪問」

 午前十一時。車に揺られながら、千空はこれから向かう先について考えていた。


 政府の施設というからかなり殺伐としたものを想像してしまっていたが、実際に来てみれば意外とのどかな風景だった。見渡す限りの緑。所々に建物はあるが、市街地とは違い小さなものが多かった。


 敷地に入ってからすでに二十分ほど経過しているが、まだ目的の建物である中央センターは見えてこない。それもそのはず、担当者の話では、施設の敷地面積は五十平方キロメートルもあるというのだ。小さな町くらいの広さがあり、移動だけでも大変なのだった。


 しかし、それにはちゃんと理由がある。というのもここ「天使の宿街」は、国内のサリエルシンドローム患者すべてを収容する役割を担っているというのだ。国内の患者はだいたい三千人くらいらしいので、それだけの世帯を住まわせなければならないとなると、これ位の広さが必要だった。


 実際、住宅街と同じ間隔で家を建てるのならばそこまでの面積は必要ない。しかし、ここに住むのは皆サリエルシンドローム患者である。ともなれば、家を隣接して建てることは不可能で、マンションなどの集合住宅はもってのほかである。そういう理由もあって、これだけ広い面積を確保しているのだった。


 ちなみに世帯と言ったのは、サリエルシンドロームを発症した場合、その親族も施設に移住することができるためだ。患者にはまあまあな額の補助金が給付されるため、会社を辞めて一緒に施設に移住する親も多いのだという。


「あ、千空ほら、大きな橋よ?」


 今千空にそう声をかけたのは、紛れもなく彼の母だ。彼女もまた、移住を選択した親の一人であった。もっとも、彼女の場合は仕事を完全に辞めたわけではなく、一時的に在宅勤務に切り替えてもらっただけである。それも、千空が十八になるまでの間だけで、それを過ぎれば元の家に戻る予定になっていた。


「ほんとだ。てか、何で付いてきたんだよ」


 千空は母にそう言うが、実際こんな突然の環境変化に一人で耐えられるわけがなかった。そのことについては千空自身も重々承知していたし、そもそも一人で生きていく術を持ち合わせていない千空では、一人暮らしなんて土台無理な話である。


「あら、ご不満?」


「いや、そういうわけじゃないよ」


 そういう理由もあり、言葉とは裏腹に心の底では母に感謝している千空だった。



 それと、千空は友人と別れることにもなっていた。施設に入るのだから当然と言えば当然なのだが、実のところ千空は友人と別れることについてそこまで辛く思っていなかった。


 というのも、そもそも千空は出かけてまで友人と遊ぶことが少なかったからだ。呼ばれれば遊びに行っていたが、それ以外で自分から人を誘って出かけることは少なかった。


 むしろオンラインチャットで通話することの方が多かったので、それならば施設でもできるし、今までとあまり変わらないなと思っていたのだ。


 実際中村も別れる際「ま、どーせチャットできるっしょ」とあまり悲しんではいなかったので、千空も同じ考えだった。それは中村なりの気遣いだったのかもしれないが、そういうわけで千空は友人との別れに関してあまり悲しんでいなかったのだった。



 そんな感じのことを考えながら目を閉じていると、急に車が止まった。どうしたのだろうと目を開き車外を見てみると、前方に門があった。車が四、五台は並んで通れそうな幅があり、どうやら車はその門が開くのを待っているようだった。


 遠くに見える門柱のところには「天使の宿街・中央センター」とあった。ということは、センターの建物ももうすぐ見えてくるのだろうか。どんな感じの建物なのだろうと、こんな状況なのに少しだけわくわくしてしまう千空なのであった。


 再び車が動き出す。外を見たところ、この先は丘になっていてしばらく上り坂のようだった。施設は丘の上にあるのだろうか? 自転車だとキツそうだなーとか考えていると、運転手から「この坂道を登り切ったらもうセンターですからね」と説明が入った。やはりもうすぐ到着するらしい。


 車に乗ってから大体3時間くらいだろうか。場所を聞いたときにも思ったのだが、この施設、意外にも近場にあった。なんと、千空達が住んでいる藍地県の隣県にあったのだ。


 近くに住んでいた千空達ですら、こんな施設の存在は知らなかった。おそらくだが、施設の存在を一般人には伏せてあるのだろう。ともかく、実家から近いと言うことは確かだった。


 このくらいの近さならば、たまには家に帰れそうなものなのだが……現実はそう甘くない。サリエルシンドロームの患者は、完治するまで家に帰ることはおろか施設の敷地外に出ることすら制限されるからだ。


 しかし、サリエルシンドロームが完治する患者は一パーセントもいない。なんなら、過去に数人しかいない。つまるところ、この施設に入れられた時点でもう出る術はないのである。なんというか、ここだけ完全な地獄であった。見た目は天国なのに。


「あ、千空。見えてきたわよ」


「え?」


 母に言われて外を見てみると、確かに目的の建物――中央センターが見えてきていた。


 全面真っ白で所々ガラス張り。テレビドラマとかでよくみる大きな総合病院のような見た目だ。この位置からではよくわからないが、後ろにも何棟かありそうな感じ。とにかく、広くて大きそうな建物だった。


 正面の広場にさしかかると、立派な噴水も見えてきた。周囲にも緑が多い感じで、かなり雰囲気が良さそうだ。こんな感じなら、ここに通うのも悪くないように思えてきてしまう。


 感心しながら外を眺めていると、車が正面玄関の前に止められた。


「着きましたよ。どうぞ、降りてください」


「ほら、いくわよ千空」


 運転手と母から促され、車を降りようと席を立つ千空。途中の休憩から一時間半座りっぱなしだったので、さすがに体が固まっている。ぐーっと伸びをして体をほぐしておく。


 良い具合に体がほぐれたところで、千空は外へ出た。


 外へ出ると、まずその空気のおいしさに驚いた。市街地はもちろんのこと、比較的緑の多い住宅街ですらこんなにきれいな空気はない。けっこう大きめな施設もあるのに、一体どうなっているのだろうか。さっき地獄とか揶揄してしまったが、本当に天国みたいだと感じる千空。


「お待ちしておりました、瑞波様」


 千空が外の様子に驚いていると、施設の職員が出迎えてくれた。


 その所作はとても洗練されており、白を基調とした制服とよくマッチしている。政府の施設なだけあって、職員の訓練は完璧なのだろう。「こちらへどうぞ」と職員が案内してくれたので、二人はそれについていくことにした。


 歩いていると職員が「他の患者様もたくさん集まっておいでですよ」と二人に説明してくれた。当然だが患者は自分たちだけではないので、検査時期が同じだった人が全員集まってから手続きを進めることになっていたらしい。


 施設に入ると、今度は図書館みたいな匂いがした。これはこれできれいな空気と言った感じ。外の空気が自然的なきれいさだとすると、こっちは人工的なきれいさだ。とにかくこの施設は全体的に空気が良い。


 施設内を案内されるがままに進んでいくと、とある大部屋に通された。部屋の中を覗くと、なるほど確かに、患者らしき人がたくさん待たされていた。先ほど説明されたとおり、サリエル患者は結構いるみたいだ。


「まだ他の患者さん来るのかな?」


「そうねえ、来るんですか?」


 母が職員に聞くと、「もうほぼほぼ集まっていますよ」と返ってきた。ということは、今年のサリエル患者は大体このくらいということになる。ざっと見た感じだと、三十人強といったところだろうか。恐らく親族の人も居るだろうし、患者自体はもっと少ないかも。


「あ、どうやら瑞波様で最後だったようです」


 おっと、自分たちが最後だったようだ。


「すぐに担当の者が参りますので、そちらにおかけしてお待ちください」


 職員は千空たちに椅子を勧めると、担当者を呼びに行った。二人は空いている椅子を見つけて腰掛けると、話しながら担当者を待つことにした。


「なんか、思ってたよりも良さそうなところね」


「ほんとだよ。なんか、あんな不安に思ってたのが馬鹿みたい」


 母も千空と同じことを思っていたようで、施設に対しての印象は良さそうだった。まあセンターに到着するまでの間も車の中から外の様子は十分すぎるほど見学できていたし、あの自然に満ちあふれた風景を目にすれば誰もがそう思うだろう。同じ考えになるのも納得というものだ。


 その後、これからのことについて話しを盛り上げていると、担当者らしき女性がすぐに現れた。


「みなさん、お待たせしました。担当の神木です」


 本日はよろしくお願いしますと、神木はその場に集められた患者達に向けて挨拶した。にこやかな表情に、整えられた髪。見たところ、しっかり者といった雰囲気の女性だ。


「突然のことで気持ちの整理も付いていないでしょうが、私たちの方で徹底的にサポートしますので、これからよろしくお願いします」


 といった感じで、神木の挨拶は終わった。口調もそんなに堅くなく、なんというかフレンドリーな感じの人だ。送迎をしてくれた人もそうだったが、やはり施設の人はみな優しそうな感じだった。


 雰囲気も良いし、なんかサリエルシンドロームを発症して得をしたのではないかと、千空は本気で思い始めていた。


 その後神木から、今後についてと、これから受けることになる検査についての説明がされた。説明によると、今から受ける検査によってサリエルシンドロームの病状を詳しく検査するらしい。その検査の結果に応じて、今後の家の場所や対応なども決まってくるとのことだ。


「ということですので、まずは検査に参りましょうか」


 と、神木が患者を案内し始めた。座っていた他の患者もめいめいに進んでいくので、千空も遅れないよう立ち上がる。「じゃあ行ってくるよ」と母に一言伝えると、サッと列に加わった。さすがに人数が多いので、付き添いの親族はここで待機することになっていた。


「がんばるのよ」


 と、後ろから声をかけられたので、千空はそれに対し無駄にガッツポーズで答えた。検査内容を聞いた限り特に頑張ることはないのだが、この親子にはこういうやりとりが多かった。反抗期も短かったため、他の家族から見たらかなり羨ましい家庭に思えることだろう。


 そんなこんなで、千空たちは神木に案内されながら検査に向かうのだった。




 検査に向かう途中、神木が声をかけられた。


「あ、神木さん! あの件、今どんな感じで……」


 そう言って声をかけてきたのは、黒いスーツの男だった。ここの職員はみな白を基調とした制服を身にまとっていたので、おそらく外部の者だろう。それに、ここの職員なら神木が案内中だと知っているはずなので、こんな勢いで話しかけるわけがなかった。


 男は一度声を掛けたものの、周囲の様子を見てタイミングが悪かったことに気づいたらしい。「あ、すみません。また後で声かけますね」と、そそくさと去って行った。

 何だったんだろうと皆が不思議に思っていると、神木が説明してくれた。


「あの方はNIT社という所の社員さんで、皆さんを助けてくださる方なんですよ」


「どういうことですか?」


 誰かが質問したので、神木は歩きながら詳しく教えてくれた。


 NIT社というのは藤京都にある会社で、サリエルコントローラーという装置を開発しているのだという。このコントローラーを使うことでサリエルシンドロームの症状を抑制することができ、患者がもう一度施設の外に出ることも可能になるのだという。


「じゃあ、まだ外に出られる可能性はあると言うことですか?」


「そうですよ。それに技術自体はほとんど完成していて、今は臨床実験の最中なんです」


 神木の言葉に、その場が軽く沸き立つ。


 それもそのはず、神木の言葉が本当なら、近いうちにその技術は完成し、使用が許可されることになるのだから。となれば、もう一度本当の家に帰ることもできるし、友達と会うこともできる。絶望してここに来たのに、こんなに希望に満ちあふれた話があるだろうか。


(……ことは…た……で外に……)


 その時、千空は誰かの声が聞こえたような気がした。いや、周りがうるさいのでいろいろな声が聞こえてはいるのだが、耳で聞こえたというよりももっと……頭の中に直接声が流れ込んでくるような、そんな感じがしたのだ。


 あたりを見回してみるが、他の人には聞こえていない様子。一体何だったのだろうと考え込んでいると、後ろから声をかけられた。


「なにキョロキョロしてるの?」


 振り返ってみると、そこには一人の女性がいた。自分と同じか少し年上くらいにみえるその女性は、千空のことを不思議そうに眺めていた。


「ああいや、ちょっと声が聞こえたような気がして」


「声? 声ならいっぱいしてると思うけど……」


 女性はそう言って、辺りを見回した。確かに、今辺りはたくさんの人の声であふれている。この状況で声が聞こえたと言われても、そりゃあそうでしょとしか思えないだろう。


「いや、なんて言うか頭の中に直接というか……」


 千空が説明しようとすると、女性は「頭の中に……?」とさらに困惑する様子を見せた。終始不思議そうにこちらを見つめる女性を見て、千空は気付く。あ、これやらかしたっぽいぞと。


「なんでもないです。忘れてください」


 そう言って話を切り上げようとする千空。考えてみればそうだ。自分から聞いたとはいえ、いきなり「頭の中に声が直接」とか言われたら、誰だってなんだこいつと思うだろう。


 そう思い話を切り上げようとしたわけだが、その女性は意外なことを口にした。


「あ、まって。別に『なに言ってるの?』とか思ってたわけじゃなくて」


「えっ、じゃあ何だったんですか今の顔!?」


 想定外の答えが返ってきて、思わず変なテンションでツッコミをいれてしまう千空。


「いやだって、私たちってみんな患者なわけじゃない? なら、そういう声が聞こえる人も居るのかなーって思って」


 あ、確かに。言われてみれば、千空たちはいわゆる異能力者の集まりである。ならば、そういった突拍子もないことが現実に起こったとしても、何ら不思議ではなかったのだ。今までそういう環境にいなかったから気付かなかったが、確かに女性の言うとおりであった。


「あ、そっか。サリエルシンドロームって、そういうものですよね」


「そうそう!」


 千空が納得すると、女性は満足したようにうなずいた。


「私、(かえで)っていうの。明日見(あすみ)楓」


「俺は 瑞波 千空 って言います。一応高一でした」


 女性――楓に名乗られたので、千空も自己紹介をする。施設に入ってまだ数十分だというのに、もう友達ができてしまった。この調子なら、こっちでも楽しくやれそうな気がする千空であった。


「へえ、じゃあ私の方がお姉さんなんだね。全然タメで良いから、よろしくね」


「じゃあ、よろしく」


 二人の挨拶が終わったところで、ちょうど検査室に到着した。検査室は全部で四部屋あり、部屋の前が長い中待合になっていた。スピーカーで名前を呼ばれたら随時入っていく感じで、普通の病院と同じシステムだった。


 待ち時間が結構ありそうだったので、二人は椅子に座りながら色々と話すことにした。


「千空君は、どんな学校に通ってたの?」


「普通の高校だよ。ほんとに普通って感じの……」


 楓の質問に答える千空。本人の言うとおり、本当に彼が通っていた高校は普通だった。学力は人並みで、校則が厳しいわけでもない。制服もシンプルだし、本当に平凡な学校だった。


「あっ、でも面白い先生は居たわ」


 そんなことを思い出し、楓に話す千空。面白い先生とは、彼の担任の葛木先生のことだった。葛木先生は時間にはルーズだったが、授業や雑談はめちゃくちゃユニークで面白かったのだ。


「そんな先生が居たんだ」


「そうそう。昔からの友達も一緒だったし、短かったけどなんだかんだ楽しかったなー」


 実際、千空が高校に通ったのは四月から六月までの二ヶ月ちょっとである。ただ、短い時間ではあったものの、面白い先生やアホな友達に囲まれて楽しい二ヶ月であった。


「私の方はね――」


〈明日見楓さーん。3番にどうぞー〉


 二人がそんな感じでくだらない会話をしていると、すぐに楓の方が呼ばれた。まだ二分くらいしか経っていないのに、あまりにも早すぎる。しかも、3番の部屋の中では一番乗りであった。


「あー……。結構早かったね……じゃあ行ってくるよ」


「ああうん、じゃあまた今度」


 と、二人は別れを告げた。せっかくなのでもう少し話していたかったのだが、呼ばれてしまったものは仕方がない。


 他に話せそうな人がいないか辺りを見回してみるも、残念ながらそんな人は見当たらなかった。仕方ないので、千空は自分の番が来るまで一人で大人しく待つことにしたのだった。


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