2話 Eyes’Hope 15項「神木の入社」
とあるビルの高層階、とある部屋にて。
神木はNIT社代表の九十九綾一と挨拶を交わしていた。
「このような機会を賜り光栄に思います、九十九代表」
「かまわないさ。それに、宿街に送っていた社員から話は聞いているよ。よく我が社へ来てくれたね、神木遙君。礼を言うよ」
そう言って九十九が神木に笑いかける。大企業のトップであるにも関わらずおごることのないこの態度。彼の度量の広さが垣間見えた。
「とんでもございません」
神木はあくまでも立場をわきまえた発言を心がける。礼を失すれば、この引き抜きも無かったことになりかねないのだ。もしそんなことになってしまえば、神木の宿望は志半ばにして頓挫することになる。
その時はその時で宿街に戻るだけなのだが、神木としては、やはりここで得たチャンスは大事にしたい所であった。
「サリエルシンドロームの患者を救う、まさに我が社の悲願だ。君が居れば、その未来は約束されたも同然だね」
「もったいないお言葉です。ですが、私としましても全力を尽くす所存でございますので、どうぞよろしくお願い申し上げます」
深々と頭を下げそう応える神木。畏まるという言葉を何倍にもしたかのようなその居住まいは、宿街にいた頃とは似て非なる物だった。
「よろしく」
九十九のその言葉を最後に、神木の挨拶は終了した。
目的を終えた彼女は、最後まで礼を欠くこと無く部屋を後にしたのだった。
神木が挨拶のため各部署へ向かうと、社員から歓迎の声が上がる。
しかし、その大半の言葉には歓迎の気持ち以外のものも含まれていた。
「宿街から来たんですよね?」
「やっぱり患者と直に接すると、分かることとかあるんですか?」
「サリエルって、どんな感じなんですか?!」
社員達の質問攻めに、神木は心底うんざりした。宿街の患者やアイズホープのメンバーが相手ならばそんなことは無かったが、今回は状況も相手も違った。
「そうですね。患者に直に触れることで、わかることもありますよ」
「「おおー!!」」
神木の答えに、またまた歓声が上がる。サリエルシンドロームの患者を助ける道具を作っている会社なだけあって、彼らの患者に対する関心はかなり高いようだ。
しかし、現在神木が訪れていた部署……つまり彼らの部署は広報部だった。サリエルコントローラーは表立って公表できないものの一つのため、彼らがサリエルシンドロームに関して触れることは殆ど無いはずである。
つまり、彼らがサリエルシンドロームに対し抱いているものは「関心」でもなんでもなく、ただの「好奇」なのだ。そのことが、神木を余計にうんざりさせた。
このとき神木は思った。こんなことなら、自分が配属されたSC開発部にのみ挨拶しておけば良かったと。それならば、ここまでうんざりすることもなかったかもしれないと。
しかしすぐに思い直す。それでは、ここの社員の様子を知ることができないではないか、と。事前に見学などはできなかったため、社員の様子を知るには各部署を実際に回るしか無かったのだ。
致し方なし。そう考え、神木は自身の選択に納得することにしたのだった。
各部署を回り終えた神木は、最後に自分の所属する部署であるSC開発部へと向かった。
オフィスに入ると、今までと同様に社員達が歓迎の意を示し一斉に挨拶をしてくる。だが、先ほどまでとは決定的に違う点が一つあった。そう、それは神木やサリエルシンドローム患者に対しての姿勢である。
今までの部署は直接関わりが無いから、あくまでも好奇心でサリエルシンドローム患者に興味を抱いているようだった。関係ないからこそ、逆にどんな物なのか気になるという。
しかし、SC開発部は「サリエルシンドローム患者を救う」という共通の目的の下、皆が動いていた。だから、患者に対しての想いや関心も誠実なものであったのだ。
「宿街から来た貴女がいれば、百人力ですよ」
「こちらの把握しきれていない情報を頂けるみたいで、本当に助かります」
「これからよろしくお願いします」
そんな彼らの言葉を聞き、神木は自分がこの部署に配属された幸運を神に感謝した。
実際のところは、サリエルシンドロームに対する深い知識があるからこそ開発部への配属が決まったので、幸運でも何でもない。だが、神木はそれを分かった上で神に感謝していたので、なんの問題もなかった。
その後部署の人が会議室へ案内してくれたので、神木は先ほどまでとは違う気持ちで、現在の開発状況や業務内容についての説明を受けるのだった。
SC開発部では現在、MES財団という団体と共同で臨床試験を行っているようだった。
MES財団とは、この国「日ノ和」の中でも最大の技術力を誇ると言われる法人の一つだ。国際評議会連盟――通称「国連」に団体枠で直接加盟しており、世界的に見ても大きな組織である。宿街で利用されていた能力を遮断する技術なども、MES財団が開発していた。
そんな財団と共同で臨床試験を行っているのだから、サリエルコントローラーがどれほど注目を受けているのかは、誰からみても明白だった。現在は3段階中2段階目の試験を行っているようで、神木が関わるのはこの2段階目からとのことだ。
「NIT社とMES財団の技術が合わされば、出来ないことなんてなさそうですね」
神木は説明をしてくれた社員にそう告げる。実際、国内最大手とも呼べる二グループが協力しあっているのだ。並大抵のことはもちろん、かなり難易度の高いプロジェクトでも余裕で成功させそうだった。
「そうですね。ただ、財団側はこちらに技術を開示してくれないのでそこはネックですよ」
「そうなのですか?」
「あくまでも、協力は臨床試験に関する技術だけですね。それだけでも助かっていますし、向こうとしてもSCの技術はなんとしてでも成功させたいでしょうから、Win-Winの関係ではあるんですけど……」
どうやら、MES財団とNIT社はそこまで懇意な関係ではないようだ。とはいえ、財団の協力が無ければNIT社としてもサリエルコントローラーの臨床試験が出来ないわけで、現状は従うほか無いようだった。
「ま、こちらも全ての技術を相手に明かしているわけではないので、お互い様です」
いくら協力関係とはいえ、他社は他社。どちらの企業も技術開発を商売にしているため、簡単に競合他社に自社の技術を教えるわけが無いということなのだろう。
利害が一致しているから協力している。ただそれだけのことなのだった。
話がそれてしまったので、本題に入る。
「ということで、神木さんにはこちらの業務を担当していただきます」
そう言って、社員が神木に資料用タブレットを手渡す。
渡された資料をざっくりと読み進める神木。彼女は学力だけで無く地頭も良かったので、パラパラとページをめくるだけで大体の内容と要点を掴むことが出来た。
「つまり、臨床試験で得たデータをもとに、より高い効果を発揮できるように改良していくわけですね」
「そういうことです」
資料によると、サリエルコントローラーは今後もどんどんと改良して新型を開発していく予定なのだそうだ。現在実用化に向けて臨床試験中のコントローラーはSC-A1035Pという型番らしいが、それが実用化された後もさらに性能を高めたものを開発するつもりのようだ。
そのためにも、現在実施中の臨床試験から得たデータを元に、早い段階から新型の開発に着手する必要があるのだとか。臨床試験にも時間が掛かるし、承認されるのを待っていては時間がいくらあっても足りないという理由だった。
SC-A1035Pにもサリエルシンドロームを抑制する効果はあるが、使用中に若干の倦怠感があったり、念波を抑えきれなかったりと、まだまだ改善点は多いらしい。そんなわけで、それらの問題点を改善した新型の開発に、神木を投入することになったとのことだ。
「確かに、実際に宿街で患者と接していた私なら、適任でしょうね」
「ええ。本当に、部署全体が貴女に期待していますよ」
部署に入ってきたときの反応からも推察はできたが、神木はかなり期待されているようだった。
「ここに入ったからには、私はやるべきことはしっかりとやるつもりですよ」
「なんと頼もしい。これからよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
そうして、神木への開発状況と業務内容の説明は終了したのだった。
「お疲れ様でした。改めて、明日からもよろしくお願いします」
一通り挨拶と手続きが終わると、神木は退社することになった。実際に業務に参加するのは明日からとのことなので、今日の所は帰ることになったのだ。
SC開発部の社員に挨拶をし、部屋を出る神木。エレベーターで一階に向かうと、彼女はスタスタとエントランスを歩き一直線に外に出た。
道路を挟んだ反対側の歩道まで渡ると、神木は今さっきまで自分がいたオフィスビルを見上げる。地上120階、地下10階の超高層ビルで、地上10階までは屋外に緑豊かなバルコニーも付いている。まさに超一流企業向けのビルと言ったところで、そこら辺の企業では入居を検討する機会すらないだろう。
実際に入居しているのも、証券市場で第一部に上場している企業ばかりである。その中でも特に上位の企業が集まっているので、エリートが集まるビルと言っても過言では無かった。
そんなビルを眺める彼女の視線の先には、NIT社が入居しているフロアがあった。
決意の色を浮かべフロアを見据える神木。その表情には、並々ならぬ意志が宿っていた。
(なんとしてでも、成し遂げてみせる)
強き意志を携えて、神木は進む。
これは第一歩では無い。歩み続けた彼女だからこそたどり着けたステージなのだ。
この先も険しい道のりは続くが、彼女にとってそれは足を止める理由にはならない。
目的のため、ただ前へ前へとひたすらに進み続けるのだ。
それがどんな結果になろうと、神木は諦めない。
生きている限り、彼女が目的を見失うことは決して無いのだから。