2話 Eyes’Hope 13項「楓、参戦!」
初の捜査から一週間と数日が経過した頃、千空はアイズホープでの生活に慣れてきていた。
ご飯は美味しいし、娯楽施設含め各種設備も整っているし、それはもうここに来る前よりもかなり快適な暮らしが出来ていた。
しかし、そんなアイズホープにも一つだけ不満があったのだ。
それは……
「あー、疲れたー……。まさかここにも勉強があるとは……」
午前の授業を終えた千空は、オフィスに並べられた会議机に突っ伏しだるそうにぼやく。
「そりゃあお前、いくら能力者といえど勉強はしないとな」
ホワイトボードの前に立つ毒島が、当然だとでも言うように千空を見やる。
捜査の翌日、オフィスにやってきた千空はそこで告げられた真実に絶望した。なんと、施設に入れば無くなると思っていた学校の勉強が、普通に再開されたのだ。
静也と優奈は既に高卒認定を取得しているので各自好きなことを勉強しているが、千空、未來、真佳の三人は普通科の勉強をされられているのだった。
「そんなこと言いながらも、結構真面目に受けてない?」
「そうだけどさ」
未來に突っ込まれる千空。不満を口にしつつも、なんだかんだ彼も授業そのものは真面目に受けていた。
千空は勉強自体が好きなわけでは無いが、別に不良というわけではない。それに、好きでは無いとは言え、勉強が大事だと言うことはなんとなく理解していた。
なので、授業があるならあるでサボらずきっちり受けるつもりだし、それは中高生時代から変わっていないのだった。
「まあでも、千空と未來が同い年でよかったな。じゃなきゃ、お前一人で勉強することになってたぞ?」
まだ良かったじゃ無いかと、千空をなだめる毒島。というのも、学年が違えば授業内容も違うので、それぞれが別々に授業を受ける必要があったのだ。ひとくくりに勉強と言っても、学校や学年によってやる内容は全く違うのだから当然である。
しかし、千空はたまたま未來と同い年だった。加えて彼は高校に入ってすぐにここに来ていたので、授業の進行度合いもアイズホープとほぼ同じだったのだ。
そういうわけで、千空は未來と一緒に授業を受けることが出来ていたのである。
「っても、みんなこのオフィスで勉強してるし、あんま変わんなさそうですけど」
周りを見渡す千空。一方では優奈が参考書や教科書を広々と展開しており、もう一方では真佳が教科書を見ながらワークを進めていた。静也もキッチンで料理をしている。
一人で勉強することになるとは言っても、結局全員このオフィスで勉強するんだから、たいして変わらなくねと千空は思ったのだった。
「ったく、文句ばっかだなお前は。そんなんじゃ牛になるぞ、牛」
「なんですか牛って。意味分かりませんよ」
「牛はもーもー言ってるからじゃない?」
「解説は求めてない!」
そんな風に無駄話をしていると、静也がトレイにお菓子を乗せて運んできた。
「まあまあ君たち、これでも食べて落ち着きたまえ」
トレイから机の上へ、静也お手製のレモンケーキが並べられていく。ほのかに香るレモンの香りが、憂鬱な気分を一気に洗い流していった。
「おお、めっちゃ美味そうじゃん!」
「そりゃあ、ボクの料理だからね」
静也が得意げに胸を叩く。前に料理が得意とは言っていたが、どうやら本当だったみたいである。優奈が太鼓判を押していたので千空も疑ってはいなかったが、実際目の当たりにするとなかなか目を見張る物があった。
「授業中に気にせず料理できる集中力は、もはや尊敬するわ」
「ボクにとってはこれが勉強だからね」
腕を組みうんうんと頷く静也。なにがどう勉強なのかは分からないが、取り敢えず彼が自信たっぷりと言うことだけは千空にも伝わってきた。
「それじゃ、食堂に向かうか」
ということで、メンバー達は静也のお菓子を持って食堂へ向かうことにした。
オフィスを出ようとメンバー達がドアの前へ移動すると、なにやら外からドタドタと騒がしい音が聞こえてきた。音は次第に大きくなっていき、ドアの前で一旦止まる。
次の瞬間、自動ドアがものすごい勢いで開いた。自動ドアなのにどうやって……? と疑問に思う間もなく、ドアを開けた人物はこれまた凄い勢いで部屋に飛び込んできた。
「ま、な、くーーーん!!」
「うわぁっ!!」
そして、勢いそのままに中にいた真佳にダイブする。運動エネルギーを直に体験した真佳は、その人物と一緒にオフィスの奥へと吹っ飛んでいった。
一体何なんだとメンバー達が困惑していると、吹き飛ばされた真佳がその正体に気付いた。
「……か、楓姉ちゃん?!」
真佳のその言葉に、千空も反応する。なんと、たった今こんな無茶をしたのは、千空の同期である明日見楓その人だったのだ。
「あ、楓さん! ってことは、もう……」
「うん。訓練は修了したよ! それで、ついにメンバー入り!」
どうやら本人の見立て通り、二週間で能力を制御できるようになったようだ。せっかくの同期なのに期間が開いたらどうしようと思っていたが、そんな心配は無用だったようで何よりだ。
そして、真佳を知っていると言うことは……
「じゃあ、やっぱり前に言ってた幼なじみの子って真佳君だったんだ」
「そゆこと!」
千空の問いに答える楓は、ものすごく笑顔である。その表情からは、よほど真佳に会いたかったのだろうことが窺えた。
「楓姉ちゃん……そろそろ降りて……」
「あ、ごめんね」
そう言い、真佳から降りて手を貸す楓。なんというか真佳も災難だなと、千空は思った。
二人が立ち上がると、他のメンバーは千空の時のように自己紹介を始めた。未来から始まり優奈、静也、千空の順に挨拶していく。
「……それで、私が明日見楓。これからよろしくね!」
最後に楓が挨拶し、一通り自己紹介は終わった。彼女は知ってのとおり超フレンドリーなので、メンバー達ともすぐに打ち解けられそうだった。というか、千空もすぐにメンバーと打ち解けられたので、誰が入っても割とすぐ仲良くなれるかも知れない。
すると、自己紹介が終わったタイミングで、息を切らした三崎がオフィスに入ってきた。
「あれ、三崎さん。どうしたんです?」
「いえ……この棟に入った瞬間、楓さんがものすごいスピードで駆け出しまして……」
息せき切ってそう語る三崎。どうやら三崎は、楓に置いて行かれて走って追いかけてきたようだ。そういえば、楓がオフィスに入ってくる前にドタドタと音が聞こえていたっけ……
「でも、なんでそんないきなり走り出したの?」
楓に尋ねる千空。
何の気なしに尋ねた彼だが、その問いにはとんでもない答えが返ってきた。
「ああ、簡単な話。この匂いはまな君だーと思って」
…………。
いともたやすく発せられたその言葉に、場が凍り付く音が聞こえた。
未來は口を開き、静也は笑顔を引きつらせる。真佳は頭を抱え、優奈は口に手を当てていた。
……やばい人じゃん、この人……。
どう話を繋げれば良いのかと千空が悩んでいると、毒島から目配せを受けた。
その目配せには「お前同期なんだからなんとかしろ」という無言のメッセージが込められているように、千空は感じた。
仕方ない……こうなったら何か話すしかない。よし、こういうときは……
「めっちゃ鼻、いいんだね……」
決死の覚悟で千空が口にした言葉は、この場を乗り切るにはあまりにも頼りなかった。それはもう、ドラゴン相手に竹槍で挑む兵士くらい頼りなかった。
「まあね!」
「いや、シャンプーとか柔軟剤とか変わってる筈だけど……」
「え、そうなの? じゃあ、本体の匂い?」
最悪だった。千空の発言もポンコツだったが、真佳の発言で事態はさらに最悪の方向へと向かってしまった。これはもう、千空ではどうにもならない。
千空の中で、彼女に対するイメージが音を立てて崩れていく。訓練中の昼食時も若干はちゃめちゃだったが、それが可愛く思えてしまうほどに今の楓はやばかった。
諦めたように遠くを眺める千空。
すると、予想外にもここで他のメンバーが助け船を出した。
「でも、びっくりしたな。まさか真佳や千空、君たちの知り合いだったなんて」
「それに、真佳君が前に話してたお姉さんだよね? びっくりしたよ」
「そうね。こんなに元気な子だったなんて、あたしも驚いたわ」
Oh……救世主だ。救世主が現れた。
「俺も訓練中幼なじみがどうのって聞かされてたから、真佳だったなんてびっくりだよ」
彼らに乗じて、ここぞとばかりに千空も発言する。
いける、これならいけるぞ。
誰もが、このままいけば話題をそらせる、そう思った。
しかし、そうは問屋が卸さない。
未來の言葉を聞いていた楓が、さらに暴走したのだ。
「まな君、もしかして私のこと話してくれてたの? うわーー! 嬉しい!」
「いや、別にそういうわけじゃ――」
「そっか、やっぱりまな君も寂しかったよね……でも大丈夫。もうお姉ちゃんが居るからね!」
ダメだこりゃ。もう、話題をそらすとか、そういう次元じゃ無い。
これはアレだ。多分このやりとりは、今後も一生繰り広げられるやつだ。
話をそらして逃げるのでは無く、正面からぶつかって慣れるしか無いやつだ。
その場にいる誰もが、それを理解した。
なので、メンバー達はこれ以上無駄なあがきをすること無く、二人のやりとりを眺めるのだった。
その後食堂に向かった一行は、そこでも散々真佳について楓から熱弁されることになるのだが、誰一人としてその内容は頭に入っていなかった。授業中よりも終わりの時間が待ち遠しく感じたのは、言うまでも無い話である。
また静也は、デザートタイムに今回のお菓子について説明してくれた。どうやら静也は料理について勉強しているみたいで、かなり詳しく教えてくれたのだ。先ほど「ボクにとってはこれが勉強」と言っていたが、そのままの意味だったらしい。
ちなみに楓にダイブされた際、真佳の分のお菓子も一緒に吹っ飛ばされていたのだが、それは上手く机の上に着地していて無事だった。今回は運良く机の上へ着地したが、床に落ちていたらせっかくのお菓子がダメになるところだったので、作った側としては複雑だったみたいだ。
ともあれ、食事が終わる頃にはメンバー達も楓に慣れ始めていた。今後はこのメンバーで活動することになるだろうが、千空が加わったときと同様に上手くやっていけそうだった。
そして、食事を終えた一行は新たな気持ちでオフィスに戻るのだった。
オフィスに戻ると、三崎と毒島がこんな話をしだした。
「お二人も正式にメンバーに入ったことですし、せっかくです、歓迎会を開きませんか?」
「うむ、そうだな。最後にメンバーが入ったのは真佳の時で4年前だし、良いかもしれんな」
なんと、二人は千空と楓の歓迎会を開いてくれるようだった。自分たちが主役の歓迎会なんていつぶりだろう……と思ったが、千空は4月に部活でやってもらったばかりだった。
とはいえ、やっぱりそういう会を開いてもらえるのはかなり嬉しかった。それに、歓迎会って主賓だけでなく歓迎する側も楽しめるはずなので、メンバーとの親睦を深めるという意味でも絶好のタイミングだった。
「歓迎会か……いいじゃないか、ボクも腕が鳴るな」
「あたしも賛成。せっかく増えた仲間だものね」
静也と優奈も賛成のようで、静也なんかは自分が歓迎会で出す料理を作ろうと息巻いている。先ほど食べた彼のレモンケーキも最高の味だったし、確かに適任だと言えた。
みんな結構乗り気みたいだし、これはもう開催確定っぽかった。
「えー、ホントに?! 嬉しい!」
「だな。歓迎会開いてもらえるなんて、思ってもみなかったよ」
喜ぶ楓に、千空も頷く。三崎は思いつきで提案しただけなのだろうが、二人にとっては十分過ぎるサプライズになっていた。
そんなメンバー達の様子を見ていた毒島が、よしっと腕を組む。
「開催は決定だな。あとは日程だが……」
「それでしたら私におまかせ下さい。そういう雑事は慣れてますので」
「では、三崎君に任せるとするか」
という流れで、歓迎会の開催は決定し、各種調整も三崎に任せることになった。
あとは開催を待つだけなので、千空たちはわくわくしながらその時を待つのだった。