最終話 再演の夜明け 153項「OSNOIR その2」
「ば、馬鹿なああァァァ!!!」
トンネルを水平方向に落下する千空にひきずられ、自身も大穴へと落下していく芦宮。
芦宮は重力が5倍だと言った。それはつまりGも5倍になるということであり、一秒間におよそ秒速50メートルずつ加速することになる。二秒もあれば秒速100メートル――時速360kmという速度にも到達する。
そんな超速の中で、千空は引っ張られて落下してきた芦宮をキャッチし……ありったけの力を込めて重力方向へと投げつける。能力を発動した千空の投擲能力は、ツイストから未來を助けた時に証明されている。人間を投げ飛ばしたのだとしても、時速150kmは下らない。
投げられた芦宮が凄まじい速度で飛んでいく。千空の手を離れれば重力の影響は無くなるが、慣性が失われるわけではない。時速360kmの速度で移動する千空が、時速150kmの速度で投げ飛ばしたのだ。芦宮の落下速度は、時速500kmにまで達していた。
「くっ……能力全解除! 私の重力を反対方向へ――」
芦宮が全ての能力を解除し、自身の重力操作にありったけの力を込める。だがしかし、時速500kmを安全な速度まで減速させるには時間が掛る。当然、その前に起こるべくして起こることがあった。
「ぐああああぁぁぁッ!!!」
グチャアという音と共に、芦宮が悲痛な声を上げる。当然だろう。そのまま落下していたのならまだしも、芦宮は千空に投げ飛ばされたのだ。その軌道がトンネルと平行になっているはずがない。芦宮は壁にぶつかりそうになり、咄嗟に腕を出した結果、両腕とも吹き飛ばされたのである。
「――ッ、よし……ッ!」
一方で、重力操作を解除された千空はトンネルの床面に足を突っ張り上手く停止した。千空は芦宮を投げ飛ばした後、自身にかかる空気抵抗を極限まで増大させて、その落下速度を大幅に低下させていたのである。仮に芦宮が能力を解除していなくても、千空は止まれていただろう。
つまり、芦宮が穴に引きずり込まれた時点で、千空の一人勝ちは確定していたのである。
少し先で「ぐがっ……」と呻く声が聞こえる。一応は芦宮も止まることが出来たのだろうが、その被害は甚大だ。マントもボロボロになっており、もう出来ることも少ないだろう。
つかつかと足音を立てて近づく千空。
「……くっ……やってくれましたね、千空さん……」
その半分を失った腕を胸に抱きながら、苦しげに千空を睨む芦宮。あまりにも惨い光景だが、可哀想という気持ちは一切起きなかった。
だから、千空は芦宮に吐き捨てる。
「これは、芦宮さんが使い捨ての消耗品みたいに扱ってた中村の想いです。あいつが人を想う力が、芦宮さん、あなたに報いを受けさせたんです」
そして、芦宮の目の前まで歩み寄り……言い放つ。
「人の想いは、あなたの重力になんか負けないくらい重いんだ!」
それが、全てであった。中村が千空を想い手にしていたイヤホンが、この土壇場で逆転の一手となった。これが想いの力でなくて何という。
千空の言葉を聞き、口の端を歪める芦宮。自分が下に思っていた人間に追い詰められて、さぞ悔しいことだろう。仮面をしていない彼の顔は、この暗闇でもうっすらと認識できる。
それでも、まだ根性はあるらしい。ボロボロの身体で立ち上がり、千空と向かい合う。
……どうやら、それは苦し紛れの行動ではなかったようだ。
芦宮が告げる。
「……わかってないんですか。私の目的はボスの目的を達成させること……貴方をここまで引き離せた時点で、私の目的は達成しているんです」
そして、破壊された腕の先でスーツをバサッとまくる芦宮。
その瞬間、スーツの内側からおぞましい量のコインが落下し――
気付けば、千空は床に伏して動くことすら出来なくなっていた。
「がっ……まさか……ッ!」
「20倍です……細かい操作はできませんが、今この空間の、私以外の重力を20倍にしました。これで千空さん、あなたは動けない……ボスのところまで向かうことは、出来ない……!」
なんということだろうか。まさか芦宮が、ここまで強力な重力操作を行えたとは……いや、もしかしたら、極限まで追い詰められたことで能力の枷が外れたのかも知れない。とにかく言えることは、またしてもマズい状況になったということだ。
「おい、千空!!」
「千空君!」
すると、トンネルの奥から毒島と未來がやってきた。落下中に芦宮が能力を解除したおかげで動けるようになったのだろう。だがしかし、今ここに来るのは非常に危険だ。
「来るなッ……!! ここの重力は20倍になってるッ……! 皆が来たら潰れるッ……!!」
「何ぃ!? おい芦宮ッ!! 能力を止めろ!!」
状況を察した毒島が声を張り上げて芦宮へと怒鳴る。
しかし、芦宮は止まらない。
「このままこうして千空さんを抑えておけば……皆さんは何も出来ない。これで、皆さんを手に掛けず、ボスが邪魔されることも防げる……!」
芦宮が失った腕を広げて、天井を見上げる。まるで狂気だ。この人間は、自身のことよりもボスが目的を達成することを優先している。
だがしかし、それではなぜ芦宮は自分たちを見逃そうとしているのだろうか。
「そんなにボスが第一優先なのに、芦宮さんはどうして私たちを生かしたいんですか……?」
床の上で呻く千空に代わり、未來がその疑問をぶつける。芦宮は先ほどから「ボスが目的を達成すること」に固執している様子があるが、それと同時に、千空たちを見逃すことまで果たそうとしている。それは本来、相反する目的の筈だ。芦宮の意図が分からない。
すると、芦宮は何もおかしくないとでも言うように答えた。
「私はこの腐った世界に絶望して、ボス従ってきた。それは同時に、世界を変えられるなら何でも良かったとも言えますね。そう。世界を変えられるなら、何でもいいんです」
「だが、ボスはこの世界を捨てようとしているぞ。真の世界とやらを見つけたおかげでな」
「ええ、そうですね。ボスは目的を違え、別の世界へ向かおうとしている。でも、それならそれでいいんですよ。それによってこの世界が壊れるのならば、それもまた変わると言うことだ」
「さっきから話に繋がりが見えないな。それと俺たちを生かすことに、何の関係があるんだ」
「……あの日、千空さんと未來さんは二人で生き残った。きっと、意味があるんですよ」
そう言って、千空と未來を交互に見る芦宮。未來の救出に向かったあの日、千空は自分を犠牲に未來を助けようとしたわけだが、結果的には二人とも生き残ることが出来た。
そこに、何か意味がある……芦宮はそう言いたいのだろうか。
「神のようなものが実在した。だったら、お二人が運命に生かされたのにも、意味がある。ボスが真の世界へ渡って、この世界が壊れるとき……二人が居ることで、何かが変わる。そんな気がするんです。だから、生かした方が得なんですよ」
「それじゃあ、私たちを生かすのも、要は自分のエゴってこと……?」
「ええ」
ボスの目的が芦宮の目的と食い違ったとしても、その先に芦宮の望むものがあるかも知れない。だから、ボスには最後まで従い、その上で、望むものを見せてくれるかも知れない千空たちも生かす。
それが、芦宮の行動原理……この男は、最後まで自分の目的に忠実だったのだ。
「出雲さんの友人には手を出したくないですし、これが一番いいんですよ」
そう言って、偽りのない笑みを浮かべる芦宮。それは、かつて警察として千空たちと接していた頃のような表情で……それなのに、そこには純粋な狂気があるように感じられた。サイコパスというのは、きっとこういう人間のことを言うのだろう。
しかし、だとしてもボスは止めなければならない。ボスを止められなければ、この世界は壊れてしまう。自分たちが居たところで、世界の崩壊をなんとかできるとは思えない。
「止めますよッ……俺たちはボスをッ……!」
床に伏しながらも、顔だけ上げて芦宮を睨む千空。20倍の重力で押さえつけられている千空にとっては、それが唯一残されていた抵抗手段だった。
とはいえ、現状できることがない。拳銃を取り出すことくらいは出来るが、重力が20倍では撃ったところでどうにもならなそうだ。
可能性があるのだとすれば、未來の能力で芦宮をどうにかするくらいか……
「くそ、どうしたものか…………ん……?」
その時、毒島が何かに気付いたのか暗闇で目をこらす。彼の義眼は高性能だ。暗視機能も望遠機能もついており、暗闇だろうと遠くが見える。
そして、決定的な何かを確信したのだろうか、冷や汗を流しながら芦宮へと迫る。
「おい、芦宮! 能力を解除しろ! 早く!!」
「毒島さん、ですからそれは出来ませ――」
「違う! 壁にひびが――」
しかし、その忠告は遅かった。
「なっ――」
ドグシャアアァァ――…………
……………………
…………
暗い暗い地下トンネルに、そんな音がこだまする。
それは、崩壊だった。
トンネルの天井が、突如として崩壊して落ちてきたのである。
重力が20倍――であれば、落下してくる瓦礫の重さも速さも、当然20倍だ。
重力強化されていたエリアが、瓦礫によって埋もれる。
「……まじかよ」
瓦礫から抜け出しながら、千空は呆然と呟く。なんとか自分は抜け出すことが出来たが、見たところ、芦宮の姿はない。完全に瓦礫に押しつぶされてしまったようである。
「千空君……! よかった、無事だったんだ……!」
「ああ、俺は床にへばりついてたからな……しかも食い込んでたし……」
駆け寄ってきた未來に手を振って答える千空。天井が落ちてきたとき、芦宮は立っていたが千空は地に伏していた。なんなら、千空の身体だけ床よりも下に食い込んでいた。
結果、落下してきた天井は先に芦宮の頭を破壊し、その能力ごと彼の意識を消滅させた。本来の重力に戻った以上、ただの瓦礫なんて千空には怖くもなんともない。こうなるのは、必然だったとも言えるだろう。
とはいえ、精神力の消耗はかなり激しかった。落下時に空気抵抗を極限まで増やしたり、その上で身体を守ったり、最後は20倍の重力に抗いながら瓦礫から身を守ったり……
壁を背にして座り込む千空。とりあえず、少しだけでも休憩したかった。
「それで、ぶっさん……これは……」
息をつきながら尋ねる千空。その目の前には、完全に瓦礫で埋まった通路の姿があった。
「……ま、自業自得だわな。壁のひびを見逃して重力を増大させた、あいつの」
肩をすくめる毒島。どうやら毒島は、トンネルの壁にひびが入っていることを見つけたため、芦宮に能力を止めるよう呼びかけたのらしい。重力が20倍になっていると言うことは、当然このエリアの壁や天井に掛る負荷も20倍だ。ひびが入ればどうなるかなんて、想像に難くない。
案の定、壁のひびはどんどんと広がっていき――それが崩壊するまでは一瞬だった。
「こんな終わり方、か……」
「……そだね」
あまりにあっけない。直前まで普通に生きていて、普通に話していて、話だってまだ終わっていなかった。それが、こんな一瞬で…………
「自滅……か」
毒島が小さく呟く。芦宮は毒島にとって望月陽大の仇だが、それだけではない。この場には居ない静也にとっても憎むべき相手だったはずだし、千空や未來にとってもそれは同じである。
それが、誰かが仇を討ったわけでもなく……自分自身のミスで舞台を去った。
やるせなくもなるものだ。
「出雲には……そうだな、終わった、とだけ伝えておこう」
それがきっと、一番いいのだろう。出雲警部にとっても、彼はいい部下だったのだと思う。スパイだというのに、芦宮は出雲のことを慕っているようだったから。こんな最後は、伝えない方がきっといい。
「最後まで、よく分からない人でしたね……」
世界に絶望して組織に入り、最後までボスに従い、それでも、スパイとして潜入したはずの警察組織で出会った出雲警部のことは心から慕っていた。一方で、自分の目的は最後まで揺るがず、その目的のためならばどんな手段も厭わない冷酷さも持っている。
そんな矛盾をはらんだ彼の精神は、彼と最後まで話を交わすことが出来ていたのだとしても、千空たちに理解することは叶わなかっただろう。
「でも……」
瓦礫の山から、トンネルの奥へと視線を移す。
芦宮が死亡し、千空たちの行く手を阻むものは居なくなった。
結果として、障害はなくなった。
「ボスを止めよう。俺ならあのシャッター壊せるかも」
立ち上がってそう告げる千空。ボスの居る部屋はシャッターが閉まってしまったが、千空の力ならばこじ開けることも出来るだろう。
「そだね、行こっか」
千空の言葉に未來も追随し、毒島もうむと頷く。
そうして、千空たちは引き戻されてしまったトンネルを再び進んでいく。
後は……直接ボスを叩きのめすだけである。




