最終話 再演の夜明け 143項「二人一役」
物心ついた頃には、二人は養護施設に居た。自分たちがどういう存在なのかを疑うこともなく、血を分けた双子たちは、ただただ日々を過ごしていた。
転機が訪れたのは英暦514年――今から7年前。その双子が進路について考えている頃であった。優秀だった双子は飛び級に飛び級を重ね、18歳で名門大学を卒業しようとしていた。
だが、その先が明確では無かった。自分たちが何をしたいのか、どう生きたいのか……誰にも頼らずに生きてきた双子は、大学卒業間近にして進むべき道を見失っていた。
そうして双子が今後について悩んでいると、ある時こんなことが頭をよぎった。
……自分の親は、一体どういう人物なのだろうか。
きっかけは、そんなふとした疑問だった。本当に些細な疑問。それなのに、双子はそのことが気になって気になって仕方が無かった。不幸だと思ったことはない。だが、どうして自分たちは孤児だったのだろう。
しかし、情報が無かった。双子たちが育った施設を訪ねてみると、そこの人間は双子が正式な窓口から預けられたわけではないと語った。つまり、親が犯罪者だったとか、自分たちを産んですぐに亡くなったとか、そういうわけではないということになる。
それでも、双子は調べられる限りの範囲で母の痕跡を追求した。自分たちの生体情報を手に、刑務所や医療機関を訪ねて回ったりもした。親子関係の認められる受刑者や患者が、もしかしたら居るかも知れない。
そうして、数ヶ月が経ったある日。
双子の元に、とある人物が現れた。
「君たちの母を知っている」
それは、望月大地へ精神を移植したばかりの織田十郎だった。
最初こそ、双子は男の言葉に半信半疑だった。出会ったばかりの人間を、どうやって信じれば良いのだと。知らない人の言うことを聞いてはいけないというのは、施設の人の言葉だ。
だが、男の言葉は本物だった。双子がいつ、どういう状況で、どんな状態で養護施設に預けられたのか――男は、双子の関係者でなければ知り得ない情報を知っていた。
……そこで男を追い返していれば、双子の未来は光に溢れていたのだろうか。
大学卒業後、双子はCYBERSKYへと入社していた。
世間的に見れば、超一流企業への就職――だが、実情は犯罪組織への加入である。
だって、仕方ないでは無いか。
男に連れられた先で初めて出会った母は、既に壊れていたのだから。
双子が目にした母の姿――それは、肉体を改造され尽くし人間性を失った何かだった。人として死んだも同然の状態で男に従う母の姿は、双子を絶望させるに十分過ぎるものであった。
男は言う。組織には目的があるのだと。双子の頭脳は、目的達成の力になるのだと。そしてその目的を達成出来たとき……母を解放してくれるのだと。
……断れるわけが無かった。
そうして組織に入ることになった双子。
だが、真の絶望はそこでは終わらなかった。
組織は双子を技術担当の幹部へと任命した。その結果、双子は見つけてしまったのだ。過去の技術資料から、自分たちが人体実験の目的で生み出されたと言うことを。
母は度重なる肉体改造により人間性を失った。しかし、その能力と因子は健在だった。だから、組織はその因子を子孫に受け継がせる実験を行ったのだが……結果は失敗。ただ人間の双子が生まれるだけという結果で、その研究は幕を下ろした。
双子は、そんな経緯でこの世に誕生したのである。求められた価値を持たずに生まれた失敗作……不要になった双子が養護施設へと預けられたのは、言うまでも無いだろう。
それなのに……今、双子は戻れぬ場所まで来てしまった。
もしもあの日……母の存在に興味など抱かなかったのだとしたら……
だが、それはたらればの話である。
運命は、既に変えられないほどに壊されてしまっていたのである。
そうして双子たちは、組織の幹部として数年という月日を過ごすことになった。
シェルという一人の幹部を、二人が持ち回りで担当しながら――
「みことッ!!」
「……兄さん!」
突然に現れた男が、突き出された氷の槍からシェルを庇う。両手で力強く受け止めた槍を、その勢いのまま真っ二つにへし折る。
一体、何が起こったのか。
シェルは、なぜボスを攻撃しようとしたのか。
突然現れた男は、どうしてシェルと呼ばれているのか。
それら全てを理解することは千空には不可能であったが、一つだけ言える確かなことは、ボスが味方に裏切られたと言うことである。
とその時、女のシェルを庇っていたもう一人のシェルがツイストに蹴り飛ばされ、ドゴンという激しい音を立てながら壁へと激突した。最初とは比較にならない威力で回し蹴りを入れられたようで、彼がぶつかった壁にはひびが入っている。これは致命傷かも知れない。
「兄さんッ!!?」
庇われた女のシェルが、壁際に横たわるもう一人のシェルへと走り寄る。やりとりから察するに、恐らく兄なのだろう。脇目も振らずに駆け寄るその姿からは、本気の心配が読み取れた。
だが、そんな彼女へと再びツイストが迫る。
氷の槍が再び生み出され、満身創痍の二人へと向けられ――
「炎鎖!」
その時、エルフォードが咄嗟に能力を発動し、炎の鎖でツイストの動きを封じた。さらに、炎を身体に纏いながらツイストにしがみつくと、そのままガラス張りの壁へと突っ込む。
「エルフォードさん?!」
「千空君ダメ!!」
思わずエルフォードへと手を伸ばした千空を未來が必至に止める。後ろから未來にしがみつかれ、千空はハッと冷静になった。そうだ、自分が飛び出すのは、今この状況ではあまりにも愚策じゃないかと。
二人をこの場に引き止めても、自分たちが邪魔になるだけだ。エルフォードが思うように能力を使えず、結果的にツイストの能力で全滅する。だったらここは彼に任せるべき――ツイストの能力を知っている二人は、すぐにその結論を出すことが出来た。
そして、エルフォードもそれを察したのか、一瞬だけ二人へと視線を向けた。
「こいつはまかせろ……!」
そう言い残し、エルフォードは派手にガラスを突き破った。そして、そのままツイストもろともビルの下へと落ちてゆく。ここは地上数百メートル。そのまま落ちれば、まず助からないだろう。
だがしかし、彼はラヴビルダーの精鋭だ。考えも無しに高層ビルから飛び降りるなんてことはしない。その証拠に、彼が落ちていく途中「下降火竜」という言葉が聞こえてきた。きっと、数秒後には無事に地面へと着地していることだろう。
そんなエルフォードの行動や、彼を信じた千空たちの様子を見て、ボスは感心したように頷いた。
「なるほど……ツイストの能力を危険視して、一騎打ちに持ち込んだか。確かに、彼の能力なら勝ち目があるだろう」
「どの口が……」
飄々としているボスを睨む千空。だがしかし、癪ではあるがこいつの言うとおりだった。エルフォードの炎は強力だが、味方を気にしながら使うのでは真価を発揮できない。周りに味方の居ないフィールドへ勝負を持ち込むというのは、間違いなく賢明な判断だ。
「さて……」
面倒くさそうに壁際の二人へ視線を向けるボス。兄と思しき人物は、依然として立ち上がる気配がない。妹の方も、そんな兄を介抱するのに必死だ。
ボスはそんな二人を数秒眺めると、もう脅威ではないと判断したのだろうか、その視線を千空たちへと向け直す。
「君たちには……そうだな、面白いものを見せてやろう」
そして、先ほど出てきた部屋へと入っていく。誘うように、ドアは開けたままである。
面白いもの――あの部屋には、直接地下まで繋がっている謎のエレベーターがある。おそらくは、そこへ千空たちを招待するつもりなのだろう。
一体その先に、何があるのか。一つ分かることは、その先でボスは千空たちを始末するつもりだろうということ。どう考えても、罠である。
それでも、ついていかないことには始まらない。
何一つ、終わらせられない。
だがしかし、千空たちには気になることがあった。
「……お前たちは、一体……?」
その言葉は、壁際に居る二人のシェルに向けられたものだった。
男の名は天童真、女の名は天童命。二人は血を分けた兄弟。
そして――二人の母はツイスト。
ここまでのやりとりで、それだけのことは分かっている。
……千空も父を奪われている。
だからだろうか。なんとなく、そうなんじゃないかと、彼らの状況を察することが出来た。
「私たちはシェル……同じコードネームを与えられ、二人で一つの役割をこなしてきました。そして――ツイストは母です。もう、人間性は残っていないでしょうけど」
やっぱりな――彼女の言葉を聞いて、千空は心の中で静かな怒りを渦巻かせた。
どれだけ、人を馬鹿にすれば気が済むのだろうか。
どれだけ、人を傷つければ気が済むのだろうか。
あの様子だと、ツイストと呼ばれている二人の母は、もう意識もないのだろう。対峙したときに感じたあの冷たさは、決して氷の能力のせいなんかではない。
感情、意志、覇気。それらを失って、人は人と呼べるのだろうか。
「その理由も、やっぱ組織のせいなんだろうな」
ぽろっと呟く千空。
ボスと天童命のやりとりを聞いていた限り、ボスは命の裏切りを予想できていたように思えた。能力の対策をしていたことまでは想定外だったようだが、それでも、命が裏切るだろうことは想定内だったように思える。
つまり、ボスは天童兄妹から恨みを買っていて、それを自身でも認識していた。そして、先ほどの光景や、今の命の言葉。それらからは、彼らの間に何があったのかを十分に察することが出来る。天童兄妹の母があんなことになったのは、きっと組織のせいなのだろう。
「組織のせいで、家族がおかしくなっちゃったんだ……」
未來がやるせない顔をしている。まあ、あんなやりとりを見てしまえば当然だろう。天童命は、兄の真に庇われる直前、必至に母へと呼びかけていた。
この二人が組織に加担したことで大勢の人間が犠牲になったことだろう。だから、それを肯定することも赦すことも到底出来ない。でも……そうだとしても、親をあんな風にされたことへの悔しさだけは理解できる。
こんなの、やるせないに決まっている。
「なるほどな。それで……母をなんとかしたくて、ずっと組織に居たわけか」
「……いや、違う」
「え?」
すると、今の今まで黙って横たわっていた真が口を開いた。妹の命が「兄さんっ、まだ喋ったら……!」と制止するも、兄は止まらない。
「母を救う……ただそれだけを目的に頑張れるほど、強くなんてないよ」
「それじゃあ、天童……さん? たちはどうして……」
未來が尋ねる。こんな組織に入れられてしまったというのに、母を救うこと以外に、何を目的にすればここまで頑張れるのだろうか。
数秒の静寂の後――それは破られた。
「……星が、綺麗だったんだ」
儚げな笑みを浮かべながら、真が呟く。
まるで何かを受け入れて、全てを諦めてしまったかのような、そんな表情で。
「あるとき……私たちは任務で保護区を訪れた。そこで見た星は……まるで、夜空というキャンバスに宝石箱をひっくり返したようだったんだ。ここなんかとは、全然違う」
そう言いながら、真は顔を横に向け、エルフォードが突き破ったガラスから外を眺めた。水平線まで続く夜の闇は、街の明かりに眩んで星なんて一つも見えやしない。
最低限の暮らししか保障されない保護区という闇の中だからこそ、爛々と輝きを放つ星々を観ることが出来る……なんという皮肉だろうか。
「世界が綺麗であればあるほど、世界への恨みは募っていった。こんなに綺麗な世界から私の家族を追放したのも、また世界だ」
「家族を……?」
千空が問いかけると、真は顔を上に向けて答えた。
「母は……保護区から攫われたんだ」
「……そういうことか」
真の言葉を聞き、毒島が深いため息をついた。
「そういうことって?」
「……保護区が軽視されていることは知っているだろう。警察は……保護区が相手だと最低限の捜査しかしない」
ああ……なるほど……毒島の説明で千空は理解した。
どうして彼らが組織を憎んでいたのか。
それでいて、どうして組織のメンバーで居続けることが出来たのか。
それがどれほど悔しいことだったのかを、千空は明確に理解することが出来た。
「StPDも公安も、母を助けてはくれなかった。保護区という仕組みが、そんな仕組みを作った世界が、母を殺したんだ」
でも……と、真は絞り出すように告げた。
「だからこそ……世界を変えるというボスの目的にだけは希望があった。あったんだ……」
空に手を伸ばし、力なく下ろす。母を苦しめた組織を憎み、けれどもその目的には希望を持ってしまい……そんな矛盾に苦しみながら必死に組織の為に働いた。だのに……今のボスからは、その希望すらも消え失せている。
あまりにも、残酷だった。
「俺たちは……何のために生まれてきたんだよ……ッ!」
「っ!」
「俺は……世界を変えたかった…………!」
真の顔が悔しげに歪む。目元を手で覆うも、その隙間からは深い悲しみがこぼれ落ちていた。
そんな兄の姿に、妹の命は何を思ったのだろうか。目元を隠す手をどけて、その涙を拭う。
そして、千空たちへと向き直る。
「私と兄がしたことを考えれば、あなたたちにこんなことを頼むのは間違っているかも知れない……でも、あなたたちにしか頼れない」
その表情からは、懺悔のようなものさえ感じた。時として罪は本人を蝕む呪いとなる。
それでも、命は決したのだろう。
彼女の言葉と共に、千空たちのユーフォにとあるデータが送信される。
それは、ボスの――望月大地の身体にアドインされた精神移植バイオボットの在りかと、ツイスト――天童兄妹の母にアドインされたバイオボットのリストであった。
「これを、俺たちに頼むって言うのか?」
毒島が毅然とした態度で命の眼を見ると、彼女はそれに応え、真っ直ぐ答えた。
「――はい。」
そこには、魂からの決意が込められていた。もはや立場も罪も関係ない。そこにあったのは、ただ己の信念に従う者の意志であった。
「でも……それじゃあ天童さんたちのお母さんを……」
「いいんです。あの状態の母を救うには、もとよりそれしかありませんでしたから」
未來の問いに、切なげな笑みを返す命。
「私たちの力ではボスに操られたツイストを殺すことは出来なかった。でもボスは、目的を達成したらツイストを解放すると言った。それが叶えば、私たちの手でも送ってあげることができる。もとから、そのつもりだったんです」
「そう……か」
人間性を失って、殆ど機械のような状態になってしまった母。人としての尊厳を踏みにじられた彼女を救うには、ボスから解放するだけではなく……逝かせてあげるしかない。
でも……そこまで考えて、千空は心臓を鷲づかみにされたような感覚を覚えた。
だってそれは……自分の父にも言えることなのかも知れなかったから。
「……エルフォードさんなら、きっと救ってくれるよ」
「はい、お願いします」
それでも、断る理由なんて何一つない。
千空たちだって、ボスを倒すつもりでここに来たのだから。
ふと、ビルの下から激しい音が聞こえてくる。どうやら彼らも戦いを始めたようである。
「俺たちも行かないと」
千空は開かれた扉へと視線を移した。
あの先に、全ての元凶が待っている。
ならば、行かなくてはいけない。
ボスのところへ行って、全てを終わらせなければいけない。
終わらせなければ、始まらない。
「うん……行こう」
そして、千空たちは正真正銘〝最後の一歩〟を踏み出す。
それはまるで、物語の最後のページを紡ぐように。
これが、進むべき道――その終着点である。
次回投稿より投稿時間を 17:00 から 17:10 へと変更します




