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13話 託されたもの 127項「千空の目覚め」

 ふわふわとした、けれども、明確な輪郭を持った情景が目の前に浮かぶ。


 場所は自分の部屋。自分の机。そして、目の前には作曲ソフトが開かれたパソコン。


 今となっては懐かしい、元いた家の記憶。


 宿街の家とも、CBSの寮とも違う――一番、安心する風景。


 そんな彼の隣に、一人の大人が立っていた。


「やっぱり、お前は才能があるな!」


 その人物は、パソコンの前に座る自分の頭をわしゃわしゃとなでてくる。


 横を見上げてみれば、それは見間違えるはずもない、自分の父親であった。


 自分を褒める父と、作曲ソフトが開かれたパソコン。


 これは……そうか。あの時の記憶だ。


 自分が、しっかりと音楽を目指そうと思ったきっかけとなる――あの時の。


 記憶の中の父は続ける。


「いいか、お前には才能がある。これを自己表現だけで終わらせてしまうのは勿体ないな」


「どういうこと?」


 幼き日の自分が問い返す。


 そんな彼に、父は答えるのだ。


 その拳で、ガッツポーズを掲げながら。


「その才能を〝誰かのために〟使える人になるんだ。愛緒――」







 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ――


 電子音の鳴り響く部屋で、千空は静かに目を覚ました。


 薄暗くて、白一色の部屋。自分以外には誰もいなくて……ただ、たくさんの機械類が自分の命をつないでいるのだけがわかる。


 そんな孤独の中、彼はぽつりと呟いた。


 どうして無くしてしまっていたのか、それは、彼という人物を決定づけるものだった。


「愛緒……望月――愛緒」


 その名前を口にしたとたん、彼の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。


 ああ……そうか。そうだったんだ。


 彼は、全てを思い出した。


 自分の中に眠っていた、失われたと思っていたものを。


 色褪せることなく残っていた、父親との思い出を。


 自分が何者で、何のために音楽を続けていたのかを。


 その全てが、一瞬のうちに蘇った。


 千空という人生の中に、数年分の記憶が流れ込む。望月愛緒の記憶が流れ込む。


「なんか、変な感じだな」


 まるで、自分が自分でなくなっていくような。


 まるで、自分でなかったものが自分になっていくような。


 この感覚は、凄く気持ち悪かった。


 でも、自分は思い出せたのだ。


 自分という存在と、その意味を。


「……ああ。思い出したよ、父さん。俺の、目指すべき場所をさ」





 しばらくすると、千空が目覚めたことを確認した医師や看護師がやってきた。


「いやあ、目を覚まされて本当に良かったですよ」


「はい、どうも……それで、ここは……?」


 率直に尋ねる千空。記憶が戻って色々と興奮していたが、そもそも自分がどういう状況なのか分からない。自分はどうして病院のベッドに寝かされていたのだろうか。


 そんな彼への返答は、混乱していた千空の頭をさらにぐるぐるとかき混ぜた。


「ここは財団の医療施設です」


「財団……? どうして俺は日ノ和に?」


 本当に訳が分からない。自分は確か、アルメリカに居たはずである。アルメリカで、任務にあたって……それで……えっと……


 なんとか記憶を辿ろうとする千空。そんな彼を見かねてか、医師がタブレットを取り出してオーバーベッドテーブルの上に載せた。


「私たちから説明するのは難しいです。……毒島さんと繋ぎますね」


 そう言ってタブレットを操作する医師。その画面にCALLINGの文字が明滅する。


 数秒の後、画面に映し出されたのはおなじみの顔だった。


『おう、目を覚ましたみたいだな。しかも、記憶が戻ったと来た』


「それはまあ、自分でもびっくりですけど。それより、俺は一体……どうして日ノ和に?」


 戸惑いを示しながら尋ねる千空。


 困惑した様子で頬をかく千空に、毒島は顎をさすりながら答えた。


「まあ……早い話、お前はもうダメだと思ったからだな」


「ダメ……?」


 首をかしげる千空。ダメとは、どういうことだろうか。


「お前、組織の施設に乗り込んだ後どうなったのか覚えてるか?」


「えっと……確か……そうだ!」


 毒島の言葉で、はっとしたように全てを思い出す千空。そうだ、自分は未來を救出するために組織の施設に侵入して、そこで敵にやられたんだ!


 あの時、未來を連れて逃げる最中、敵の罠にはまって……


「未來は?!」


 画面へ叫ぶように尋ねる千空。自分が生きていることは分かったが、彼女の姿はここにはない。彼女が一体どうなったのか、それが一番気掛かりだ。


 そんな様子を察してか、毒島は安心させるように言う。


「一応は無事だ」


「良かった……」


 ほっと胸をなで下ろす千空。どうやら、未來を守るという自分に課した使命は果たすことが出来たらしい。それならば、まずは及第点だろう。


「それよりも、そこでお前がどうなったのかだ」


「どうって……そりゃ、未來を守れてたってことは、能力はちゃんと発動できてたってことですよね。だったら、俺は重症だったんじゃ……あ、そうか、それで」


 手のひらを打つ千空。つまり、自分は未來を守るために「UNISON」を彼女へ託し、結果として自分自身を守ることが出来ずに瀕死の重傷を負った。それで、ここに送られた。そういうことなのだろう。


 勝手に納得する千空。そんな彼に、毒島はやれやれと首を振りながら告げた。


「重症どころじゃない。お前は、爆発で飛んできた瓦礫に頭を貫かれて、植物状態になっていたんだぞ」


「ええっ?!」


 あまりにも衝撃的な内容に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう千空。頭を……つまり、脳を破壊されたということは、もう復活できないと言っても過言ではないはずだ。そんな状況から、自分は生還したとでも言うのだろうか。


「お前は大脳を大きく損傷し、もう目覚めることはないと判断されたんだ。ならばせめて故郷に帰してやろうということで、財団の医療施設で預かることになったわけだ」


 ため息をつきながら語る毒島の説明は、妙に筋が通っていた。きっとそれは事実なのだろうという、そんな説得力があった。


「それじゃあ、俺はどうして生きて――」


 千空が決定的な疑問をつぶやこうとする。


 するとその時、彼の呟きを遮るかのように病室のドアが開き、一人の女性が入ってきた。


 そして、開口一番にこう発する。


「それについては、私が」


 それは、懐かしい顔だった。どのくらい会っていなかっただろうか、まさか、こんな状況で久しぶりの再会を果たすとは思ってもみなかった。


 そこに現れたのは、千空が宿街に入ることになって、初めて頼ることになった人。


 神木だった。


「神木さん!」


「おはようございます、千空さん」


 そう言って、懐かしい顔は真面目そうに、それでいて優しげな笑みを浮かべるのだった。





 神木に連れられ、廊下を歩く千空。


 左手首には、毒島の顔が映し出されたユーフォ。通話のためにタブレットを持ち歩くわけにも行かないので、慣れ親しんだこの形が一番だった。


「千空さん、身体の具合はどうですか?」


「病み上がりとは思えないほど良い感じです」


 肩や首を回してみたり、伸びをしてみたりする千空。しばらく眠っていたはずなのに、身体が硬いとか動かしづらいとかもない。自分でも驚くほどの快復具合であった。


『うむ。それだけ動けるなら問題無さそうだな』


「身体の方は本当にばっちりですね」


 ユーフォに向かってガッツポーズをする千空。このままスポーツ大会に参加しても全く問題が無いくらいに、身体の方は快調だった。


 そして、それだけではない。


「というか俺としても驚きましたけど、まさか記憶まで戻るなんて思いませんでしたよ」


 それが、一番の驚きだった。


 突然、自分の元へ戻ってきた過去の記憶。


 それは、本当に驚きの連続だった。


「望月愛緒さん、でしたね。まさか、千空さんも保護プロトコルを受けていたとは、私も知りませんでしたし驚きました」


 前を行く神木が振り返りながら肩をすくめる。


 望月愛緒――それは、財団襲撃事件の前――彼が〝死んだこと〟にされる前の名前だった。


 つまり、彼は元から瑞波千空という名前だったのではなく……特定関係者保護プロトコルによって、名前だけでなく個人を示すあらゆる情報が改められた存在だったのである。


 さらに、都合の良いことに千空は財団襲撃事件によって記憶を失っていた。だから、保護プロトコルを受けたという記憶も存在せず、自分は最初から瑞波千空という人間だったと錯覚していた。記憶が戻る今の今まで、ずっと。


 そうして生まれたのが、彼〝瑞波千空〟であった。


「望月、愛緒……か」


 前に毒島に言われた言葉が脳内に浮かび上がる。



 ――あの時のお前は死んだことになっている



 ――瑞波千空として暮らしてくれればそれで問題ない



 あの言葉はつまり、あの時の自分――つまり望月愛緒は死んだことになっているから、お前は瑞波千空として生きていけ。そういう意味だったのだろう。別に嘘を言われたわけではないが、上手い具合に隠されたものである。


 とはいえ、記憶を失った自分が瑞波千空として生きていく上では、その記憶も知識も不要……もっと言えば邪魔なものでしかない。


 ならば、隠すのが一番の選択だったと言うことは言うまでも無かった。


「そういえば、神木さんの本名……というよりは元の名字っていうべきですかね? 確か俺と同じで望月でしたよね。保護プロトコルを受けた人が知り合いで、しかも元の名字も同じなんて凄い確率ですよね」


 過去の自分について考えていたらそんなことを思い出し、話題に振る千空。中央病院の事件や九十九の死があった後、神木の動向についてはアイズホープメンバーにも共有されており、そこには彼女の旧名が望月であるという情報も存在していた。


 なので、軽い気持ちで話題に上げたのだが……


「ええ、私もびっくりしましたよ。まさか親戚だったなんて」


「そうそう、親戚……って、え?」


 あまりにも意外な返答に思わず立ち止まってしまう千空。それに合わせて神木も足を止めて振り向く。まるで、千空がこうするだろうことが分かっていたとでも言うかのように。


 一瞬の静寂が訪れる。


 それを打ち破ったのは、ユーフォから聞こえてくる毒島の声だった。


「……彼女の過去の名は望月朱梨。そして父は、ザラキエル事件で無実の容疑者を庇い殉職した刑事――望月陽大。その容疑者は俺。そこまでは聞いてるな」


 千空が困惑しながらも「はい」と答えるのを待つと、毒島は続きを答える。


『そんで、俺は財団へ入った。そこで出会った俺の友人が、望月陽大の弟――財団襲撃事件で連れ去られたお前の父親、望月大地だ』


 それは、衝撃的な事実だった。


 今まで、毒島の真面目な顔は何度も見てきた。


 けれども、これほどまで強く真剣な表情は初めて見たかも知れない。


 間違いなく、今までで一番真剣な顔、そう断言することが出来て……


 それこそが、この話が真実であることを告げていた。


「えっと……じゃあ、神木さんのお父さんと俺の父さんは兄弟で、二人とも、マスカレードにやられてて……ぶっさんは、その両方と知り合いで……」


 情報が渋滞する。一度にそんなことを聞かされて、飲み込みきれる人間などいるだろうか。


「それじゃあ、神木さんは俺が宿街に来たときから知ってたんですか?」


「いいえ、ついさっき……千空さんが記憶を取り戻したという話を聞いたときに初めて知りました。それに、親戚だと直接聞かされたわけではなく、愛緒という従兄弟が居ることを知っていたから気づけただけです」


「そ、そうなんですね」


 どうやら神木も千空の出自については知らなかったらしい。だが、それは特定関係者保護プロトコルの目的を考えれば当然のことであった。本人を全く別の人間として扱うことで保護する仕組みなのに、そのことを知っている人間が多くては意味が無い。


 なるべくして今の状況になっている。思考放棄ではあるが、そう考えておくのが一番精神的に楽であることは言うまでも無いだろう。


『おい、いつまで止まってるんだ。そろそろ歩き始めろ』


「あ、はい」


「ごめんなさいね、毒島さん」


 毒島に促され再び歩き始める二人。千空も、ひとまず状況については納得することが出来た。


 それにしても、人の繋がりというのは本当に不思議だ。


 一度は宿街の外に放り出され、記憶も戸籍も何もかも失ったにもかかわらず、父のキャストを受け継いだことで故郷へ戻ってきた自分。


 事件がきっかけで財団に来ることになり、その後アイズホープの副総裁となった毒島。


 サリエル罹患者として宿街に来たが、精神系キャストを発現したことで完治と判断され、職員として宿街に残り、結果として九十九という因縁の相手との接点まで手に入れた神木。


 それぞれに過去があり、歩んできた道があり、その多くは無理矢理敷かれたレールのようなものだった。そんな自分たちがこうして巡り会えたのは、運命という言葉以外では表すことが出来ないのだろう。


 運命とは本当に、複雑で、単純で、人の身では理解できない。


 理解できないからこそ、人はそこに神秘性のようなものを感じるのかもしれない。


 そんなことを考えながら神木について歩くと、とある部屋の前で止められた。


「……ここです」


 千空が止められたのは、とある病室の前。


 ここに連れてこられた理由。色々と話が逸れてしまったが、それは確か、自分がどうして復活できたのか、その理由を教えてもらうためだったはずだ。


 一体、自分はどうして脳損傷による植物状態から復活できたのか……


 この部屋の中に、一体誰が……


 その時、千空は気付いてしまった。


 ドアの横にある、ネームプレートの名前に。


「……入りますね」


 神木がゆっくりと部屋のドアに手をかける。……ドアが開く直前、ユーフォから「千空、お前のせいじゃないからな」という声が聞こえたような気がした。


 そして、ドアが開く音と共に、薄暗い部屋へ廊下の明かりが差し込み――


「……三崎さん……?」


 そこに居たのは、沢山の管が繋がれた昏睡状態の三崎だった。

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