2話 Eyes’Hope 10項「初めての捜査へ」
「「ええ!? NIT社から引き抜きを受けた!?」」
神木の話に、メンバー達は目を白黒させて驚いた。三崎と毒島も、驚きはしなかったが残念そうな顔で神木の話に頷いている。
正式な社名は「ナショナル・インストゥルメント・テクノロジー」。サリエル患者を救うサリエルコントローラーを開発している会社だ。神木の考え方がNIT社の理念と強く共鳴していたため、センターを訪れるNIT社員を通じて、引き抜きの話がもたらされたのだという。
話自体は以前から正式に決まっていて、あとは話すタイミングだけだったのだそうだ。
一通り話を聞き終えると、悲しそうな顔で優奈が尋ねた。
「でも、どうしてこんな急に? もっと早く教えてくれても良かったじゃ無いですか」
握りしめられた優奈の手が震える。メンバーの中では神木と一番年が近そうだったので、思うところも多かったのだろう。
「早くに言えば言うほど、悲しい時間が増えてしまいますから」
「でも……」
優奈は納得していないようだったが、千空には神木の言い分がなんとなく理解できた。
千空もこういう別れは経験している。小学生の頃、仲が良かった友達が引っ越してしまったのだ。その時は引っ越すことを1ヶ月以上前に知ったのだが、それ以降その友達とは純粋な気持ちで遊ぶことができなかった。
だから、神木は「別れを知った状態で接する時間」を作りたくなかったのだろう。お別れになることを知りながら当人と接するのって、結構悲しいから。
「センターに来るNIT社員とよく話してたのは、そういうことだったんだな」
静也が腑に落ちたという様子で肩をすくめる。千空が初めてここに来たときもNIT社の人に呼び止められていたが、もしかしたらその時から決まっていたのかもしれない。
「とはいえ、今後NIT社からの往訪は私が担当しますから、その時はここによらせてもらいますね」
神木の言葉に、皆の顔が明るくなる。
NIT社は藤京都という遠い都市にあるので、天使の宿街があるここ静丘県からは高速に乗っても片道4時間はかかる計算になる。仕事以外でそんな長時間の外出となると、事前に色々と予定を組まなければならなかった。
なので引率無しで外に出られないメンバーでは彼女との再会は難しそうだったが、これならばまた会うことができそうだった。
「神木さん、そろそろ次の予定が……」
「あ、そうでしたね。それでは私はこの辺りで……」
三崎に指摘され、神木がオフィスを出ようとする。こんな時でも予定が詰まっているだなんて、彼女は本当に忙しそうだった。いや、こんな時だからこそ余計に忙しいのかも知れないけど……。
ドアのセンサーに手をかけた神木に、優奈が駆け寄った。
「絶対に来て下さいね。いつでも待ってますから」
瞼に哀しみを湛えながら訴える優奈に「もちろんですよ」と伝えると、神木は笑顔でオフィスを出て行った。
神木がいなくなった部屋に、再び重い空気が流れる。
毒島や三崎は既に納得しているみたいだが、他のメンバーの面持ちを見て話すのを躊躇っている様子。
「えっと、残念ですね……」
なんとか空気を変えようと千空が声をかけて見るも、逆に気を遣わせてしまい芳しい反応は得られなかった。
でも、それも当然かと千空は目を閉じる。自分はこの一ヶ月しかお世話になってないけど、ここにいるメンバー達はもっと長い付き合いだもんな……と。
重苦しい空気が十数秒続いたところで、それを断ち切るべく三崎が話題を変えた。
「そうだ! 今日は捜査の日だったじゃないですか! 早く準備しないと!」
「そうだな。30分後にはここを出たいし、準備しねえとだな」
毒島も腕を組みながら三崎に追随する。無愛想な毒島でも、この空気は苦手だったようだ。
というか、捜査だって?!
二人の言葉に驚く千空。まさか、アイズホープ入り当日からいきなり捜査があるなんて。もしかして日程を調整したのかと勘ぐってしまう千空だったが、彼が能力者認定される日は誰にも予想できなかったので、まずそれは無かった。
「捜査って、俺も行くんですよね?」
「ああ、勿論だ。とはいえ、お前の場合まずは見学としてだがな」
おお……やっぱり俺も行くのかと、千空はちょっとわくわくしてきた。自分の能力が捜査の役に立つかはちょっと疑問だが、まだ様子見だし取り敢えずは参加できれば良いだろう。
「それで、参加メンバーは昨日言った通りなのかい?」
「ああ、その通りだ」
千空が胸を躍らせていると、静也達がそんなことを口にした。
「参加メンバー?」
千空が思わず尋ねると、未來が答えてくれた。
「毎回全員が参加するわけじゃなくて、捜査内容にあった能力の人だけ参加するの。今回の捜査だと、私と静也君」
「ただでさえ少ないのに、さらに減らすの?」
「必要ない人までついて行くと、ぞろぞろとして目立っちゃうから」
「あ、納得」
未來の説明に、千空はぽんと手を打った。確かにこんな少年少女が捜査の現場に集っていたら、目立つこと間違い無しだ。最低限の人員で臨むのが無難だった。
「捜査については、現場で見学すれば色々わかるだろう。千空、お前はまずは付いてきてくれ」
「はい、わかりました」
「ボクたちの能力もそこでわかると思うから、楽しみにしてくれよな」
「ああ、そうするよ」
兎にも角にも、捜査に参加するなんて初めての経験だ。まずは毒島の言うとおり見学をして色々と勉強するのが良いだろう。アイズホープメンバーがどういった能力を持っているのかも気になるし、一石二鳥だった。
そんなわけで、千空はメンバーに色々聞きつつ捜査の準備を進めるのだった。
準備を終え車に乗り込んだメンバー達は、現場に着くまでの間に今回の事件についての状況説明を受けることになった。
「……というのが、今回の現場の状況だ」
車に揺られながら、メンバー達は状況を把握する。
「前に聞いたとおりだな。千空、君にとっては初耳かも知れないが」
「まったくの初耳だよ……」
そう言い千空は不満げに首を振る。毒島から聞かされた内容が、直前にさらっと聞かされるにはあまりにも深刻すぎたのだ。
まず今回の現場だが、とある製薬会社の跡地だそうだ。そして事件の内容だが……毒ガスによる殺人が行われたらしい。毒の成分が空気中に残留してしまっており、捜査が困難なのだという。第一発見者もそれで重傷なのだとか。
それだけでもインパクトがあるのに、さらにもう一つ厄介なことがあった。なんと、無人ドローンで現場のスキャンをしたところ、未発動の毒ガス装置が残されていることがわかったのだ。解析の結果、発動直後の毒ガスは防護服でも防げない可能性があることもわかり、迂闊に近づけないのだそうだ。
とりあえず、この話を聞いて千空は一つ思うことがあった。
命に関わる捜査ってないんじゃなかった?!
おいおいおいおい、見学の時点ですげえ命に関わってるんだが……と、千空は遠い目で天井を見つめた。
そんな千空の胸中を察してか、未來が声をかけた。
「むしろ今回はいつもより安全だと思うよ。静也君の能力があるし」
「だって毒だろ? 能力でどうにかできるのか?」
未來の言葉を聞いても、やはり不安は払拭できない。静也の能力がどういうものなのかは知らないが、頼ればなんとかなるのだろうか。
捨てられた猫のような目で静也を見つめると、彼はにやりと笑ってこう告げた。
「ま、今回の捜査はボクにまかせたまえ。そうすれば万事解決さ」
軽く首をかしげ、得意げに千空にウインクをする。
若干の鬱陶しさは否めないが、未來も同じように言っているしおそらく本当にそうなのだろう。そもそも千空は見学なので、今回は二人の言うとおり静也に頼るべきかも。
「そういえば、さっきは聞きづらかったから聞かなかったんだけどさ、優奈さん?って神木さんとそんなに仲良かったのか?」
「ああ、メンバーの中では一番年長だからな。大人勢とも仲が良かったぞ」
あ、やっぱりそうなんだ。なんとなくメンバーの中で一番大人びていたし、最年長だったとしても納得である。三崎とも仲が良かったということは、彼女と同じくらいなのだろうか?
「へー、いくつ……いや、なんでもない」
年齢を聞こうとして、思いとどまる。そうだ、女性に年齢を聞くのは失礼にあたるんだった。危ない危ない、間一髪で粗相を回避できた。
すると、静也が爽やかにこう告げてきた。
「お、千空クン。女性に年齢を聞くのは、失礼に当たるんだぞ」
わかってるよ! だから途中で止めたんだろうが!
なんなんだよと千空がだるそうにしていると、静也はさらに暴走する。
「ま、彼女も来年成人式だし殆ど大人だからね。ボクも19だし、みんな君の年上だな!」
……こいつ、バカなのか? 何の躊躇いも無く全部言いやがったぞ。直接年齢は言っていないが、来年成人式と言うことは今年度で二十歳ということがバレバレなんだが……
わかってないのはこいつじゃないかと千空が絶句していると、未來が静也をじとりと睨んだ。しかし、静也がそれに気付く様子は無い。完全に無自覚に口走ったみたいだ。
あー、なるほど。静也はこういうタイプなんだなと、千空は彼について一つ理解した。
そんな静也達を眺めていると、ふとあることが気になった。
「そうだ、静也と未來さん?に聞きたいことがあるんだけどさ」
「私は同い年だから別にさんとかつけなくて良いよ」
「おっけ。でなんだけど、二人はどうしてこの仕事に納得してるんだ?」
静也が「ボクには最初からつけてなかったよな……?」と独り言を言っているが無視して、千空はそんなことを二人に尋ねた。
彼自身もこの仕事に納得するのに少し時間が掛かったし、連れてこられた当初は本当に意味わかんねぇだろと思っていた。それなのに、この二人を含めアイズホープメンバーの誰もがこの仕事に文句を抱いていない様子だったのだ。
おそらく他のメンバーも無理矢理連れてこられているはずなので、どうして納得しているのか単純に疑問に思ったのだった。
「人にもよるだろうけど、ボクの場合は――」
と、そのとき車が止まった。
「おい、お前ら着いたぞ」
どうやら、車が目的地の捜査現場に到着したようだった。時間的には大体1時間半くらいだろうか? 話を聞きながらだったので、そこまで長くは感じなかった。
「現場に着いたし、私はまた後で話してあげるね」
「そうだな。ほら、君も早く降りるんだ」
「え? ああ……」
話の途中だったので続きが気になるが、今は捜査の方が大事だ。毒島や二人に促されるままに、千空は車から現場に降り立ったのだった。