12話 革命のプレリュード 118項「朽爛の片道切符 その1」
世界一の規模を誇る大都市――ネオ・シティ。
アルメリカ東部にあるこの街は、今日も街を行く人々で賑わっていた。
マップを見ながら四苦八苦する観光客にラフな格好の地元民、スーツを着こなすサラリーマンまで、幅広い層の人間が街を活気づけている。
そんな活力溢れる街に一際高くそびえ立つ一棟の建物――インペリアル・シティ・ビル。
その二階――一階ロビーを見渡せる通路にて、彼女たちはその時を待っていた。
「……当然だけど、人が多いわね」
「観光スポットだからな、そりゃそうだろう」
観光客でごった返すロビーを眺めながら、「ARIA」による心の声を交わす。今回の任務対象――テロの標的となっているこのビルは、これから攻撃が行われるにはあまりにも人の波が激しかった。
「まってまって、それじゃあ、今攻撃されたら一般の人たちにも被害が出ちゃうんじゃ……」
ビル内部の様子を聞き、別の場所で待機している楓が心配そうに尋ねる。「ARIA」によるサポートを担当している楓は前線から離れた場所にいるため、ビルの様子は二人の言葉で初めて知ったのである。
そんな楓に、毒島が確固とした口調で答える。
「ああ。だから俺たちが全力で阻止するんだ」
その言葉には、覚悟が込められていた。キャストで戦うのは優奈だが、今日の毒島はスタナーなどの遠距離武器を多く持ってきている。かなりの戦闘力を期待でき、そんな毒島と優奈が力をあわせれば、マスカレードの能力者に対しても有利に戦うことが出来るだろう。
毒島の言葉に込められたそれは、十分に証明されているのだ。
絶対にテロを阻止する、そういう気概で彼らはここに来ているのである。
「そっか……じゃあじゃあ、後は敵が現れるのを待つだけだね」
「ああ」
一階を見張る目をそらすことなく、毒島は送られてきた心の声に相槌を打つ。
静かに敵の攻撃を待つメンバーたち。
ところで、と優奈が毒島に尋ねる。
「SCはあれからどうなったのかしら?」
それは、神木たちが開発をしていたSCについての質問だった。この間の事件があってからしばらく経っているが、一向にSCが発表される気配はない。宿街でのテストも行われていないようなので、優奈としても少し気になっていたのである。
「開発が凍結したようだな」
「そう……」
切なげに目を細める優奈。
「神木君が嘆いていたよ。九十九の意志を継げなくなったってな」
そう告げる毒島の横顔も、やりきれぬ思いに満たされていた。
九十九の想い――それは、SCを開発してサリエルシンドロームによる被害者を少しでも減らしたいという、嘘偽りのないものだった。だからこそ、九十九が居なくなった後も、神木はSCの開発を引き継いだのである。
なのに……結局こういう最後になってしまった。
彼女がひどく悔しい思いをしているだろうことは……想像に難くないだろう。
「でも、凍結については分からなくもないわ」
「まあな。外部干渉を受けて暴走する可能性があり、あまつさえシステムデータが流出しているんだ。実用化は不可能に近い」
それが現実だった。
SCはサリエルシンドローム発症者の症状を抑制し、彼らが宿街に捕らわれずに生きるための装置である。当然だが、非常に多くの患者がそれを利用することになる。
そんな装置が、外部干渉によって暴走するという欠陥を抱えている――言うまでも無く、大問題である。政府が開発を中止させるのも……仕方のない話であった。
「とはいえ、楓のおかげで新しい可能性が見つかったのよね」
「あ、うんうん! そうなんだよ!」
楓が嬉しそうに答える。姿は見えないが、腕をぶんぶんと振っている様子がありありと浮かんでくるような、そんな声色だった。
「うむ。肉体に直接作用しない方法での念波安定――神木君たちもその研究にシフトしたらしいぞ」
毒島が答える。その顔は、先ほどよりも幾分か明るかった。
あの日、SC干渉によって暴走した患者の念波は楓の言葉によって安定した。楓のキャストにそんな能力は無いので、それは楓の言葉そのものが彼らの精神を安定させたことを意味する。
つまりそれは、念波減衰安定剤やSCに頼らずとも、サリエルシンドロームの症状をどうにかできる可能性があると言うこと。その方法が確立できれば、サリエルシンドロームの患者にとってどれほどの救いとなるのか……考えただけでも希望のある話である。
SCの開発停止は残念だったが、そのおかげで発見されたこの事実は、この世界に大きな変革をもたらす可能性を秘めていたのである。
「あの事件も運命だったのかもしれんな」
「でもでも、大変だったんだよ!」
楓が語気を強めて答える。当時、風見や神木と一緒に住民の避難誘導を行っていたのは楓である。実際あの時の対応はかなり苦労したようなので、それは当然の反応であった。
そんな楓に「まあ、あんときはお手柄だったな」とねぎらいの言葉を贈る毒島。
すると、やりとりを聞いていた優奈がふと呟く。
「そういえば……あの時、敵が妙なことを言っていたわ」
「ん?」
その一言で、毒島の表情がキっと真面目なものに戻った。
優奈が続ける。
「確か……『目的は達成した』とか……その時はどういうことなのか分からなかったけど……」
神妙な面持ちで眉をひそめる優奈。そんな彼女の様子と先ほどの会話の内容から、毒島は彼女が何を言いたいのかを理解したらしい。彼女よりも先にその続きを口にする。
「マスカレードの目的が『SCの開発を凍結させること』だったら……ということか」
「ええ」
こくりと頷く優奈。毒島の言葉は、優奈の言いたいことを完璧に見抜いていた。
あの日、宿街でSCを暴走させていた女。奴の言葉を信じるのならば、あの時点で既に敵の目的は完了していたことになる。住民たちの被害が軽微であり、設置された端末も破壊されているというにも関わらずだ。
であるならば、敵の目的は何なのか。今、頭をよぎるのは「SCの脆弱性を発覚させること」だったのではないかという憶測。それならば、一度SCが暴走した時点で敵は目的を達成できたことになり、女の言葉とも辻褄が合う。
組織は多くの能力者を使っているため、念波を抑制するSCという存在が組織にとって脅威となる可能性は十分にある。SCの開発を止めたかったのではないかという憶測も、決して突飛な想像ではなかった。
「もしも組織の目的がそうなのだとしたら――って……ぶっさん、その腕どうしたのよ!?」
その時、毒島の方を見た優奈が驚愕の声を上げる。
「何って……これはッ……!」
慌てて腕を確認した毒島も、視界に入ったその状況に思わず言葉を失う。彼も事の重大さに気付いたようだが、どうやらそれはほんの少しだけ遅かったらしい。
毒島の右腕――義手は、五指全てが腐るように崩れ落ちていた。
「クソッ! 敵は既に攻撃を始めていたのかッ!」
「でも、敵の姿はまだ見えていないわ!」
一階ロビーだけでなく二階も見回して確認するも、やはり敵と思しき姿はどこにもない。楓の「ARIA」からは「なになに?!」「どうかしたの?!」といった声が届けられているが、それどころではない。
ふと、義手の様子を確認した毒島が青ざめる。
「いや、ちょっとまて……この腕……何かおかしい…………これはッ!!?」
何かに気付いたのか、毒島は義手を取り外し遠くの床へ放り投げた。数秒の後、毒島の腕だったものは全体が腐蝕しきり跡形もなく腐り果て、さらには周辺の床にまでその猛威を振るわせ始めた。
「い、一体何が……?!」
「今、義手の先端から徐々に腐蝕が進んでくるのが見えた……ものに感染し、どんどんと腐蝕させていく――それが敵の能力か……っ!」
毒島が冷静に敵の能力を分析する。だがしかし、状況は芳しくない。能力の概略は分かったが、具体的は発動方法が分からない。敵の姿も確認できておらず、これでは攻撃の防ぎようがない。
「楓! ビルの外に怪しい人物はいるか?!」
「ううん! 周囲500mは監視してるけど、そんな人物全く居ないよ!」
迅速に答える楓。彼女の手元の端末では、上空のドローンによる映像をリアルタイムで解析している。彼女はその情報を元に報告しているので、その報告が間違っていると言うことはないだろう。
すると、優奈が一階のある場所を指して呟く。
「……ねえ、ちょっと待って。あの関係者用のエレベーター……何かおかしくない?!」
それは、二人がここへ来るときに乗ってきたエレベーターであった。一般人には開放されていないので普段から利用者は少なく、今日に関しては毒島と優奈の二人しか利用していない。
優奈が指し示したのは、そんなエレベーターの呼び出しボタン――そしてその周辺だった。
「……なるほど。俺の手はあれに触れたわけか……ッ!」
合点がいったように顔をしかめる毒島。その視線の先には、腐蝕してぐずぐずと崩れ始めているエレベーターの呼び出しボタンがあった。周辺の壁と床をも巻き込み、その腐蝕はどんどんと広がっているようである。
「まずいわ……これじゃあ避難が間に合わない……!」
優奈が絶望の表情で呟く。それは、自明の理であった。
インペリアル・シティ・ビルは、いわゆる複合ビルである。中層階までのオフィスフロアと高層階の商業フロアからなっており、現在ビル内にいる人間の数は、その社員や従業員だけでも数千人規模にまで達する。
だがしかし、敵は一階で腐蝕能力を発動してきた。この腐蝕がエレベーター前からロビーまで広がってしまえば、一階を経由する非常口は全て使えなくなってしまう。
もちろん非常口は他にもたくさんあるが……これだけ多くの人間がいて、果たしてビル全体へ腐蝕が進む前に避難しきれるのだろうか。いや、不可能だろう。
「それにこの腐蝕のスピード……このビルだけじゃない! この勢いだと、一時間もしないうちに辺り一帯が腐海になるぞ!」
既に腐蝕はエレベーター前の通路へと浸食を始めた。しかも厄介なことに、腐蝕が広がれば広がるほど、指数関数的に浸食の速度が増してきている。止める方法を早く見つけなければ、待っているのは最悪の結末のみである。
「考えている暇はないわ。とにかく、早く一般人を避難させなければ……!」
「ああ。楓の能力ならビル全体の統率が取れるはずだ。すぐに始めよう!」
そうして、二人は早急に避難誘導に移ろうとする。敵の姿が見えないのが不安だが、まずは一般人の避難が先決である。万が一にでも敵が避難中の人間を襲おうものなら……優奈と毒島、二人がかりで叩きのめすまでだ。
「エレベーターは使えない。このまま一階に飛び降り――」
その時、一階の警報装置がけたたましく鳴り始めた。異変を知らせるジリリリという激しい音が、観光客で溢れる一階ロビーを混乱の渦へと飲み込んでいく。
「今度は何だ……! 一体何が――」
一体何が起こっているんだ――その言葉が最後まで発せられるよりも先に、事態は動いた。
二人の背後にある壁が一瞬にして崩れ落ち、中から仮面の人物が現れる。
不意を突かれ、一手遅れた優奈と毒島。
そして――その一手は、彼女たちに致命的なダメージを与えることとなる。
「腐り墜ちろ――朽爛の片道切符!」
無慈悲にも能力を発動した敵の腕が、回避行動を取る二人へ迫る。
ターゲットは――優奈だった。
「ぐあぁ! こ、この速度はッ!!」
回避が間に合わず、腕を掴まれた優奈が苦痛の表情を浮かべて絶叫する。直に触れられたことにより、彼女の腕が瞬く間に腐蝕していく――速い、あまりにも速い。例えるなら、それは特急列車。直触りによる腐蝕は、間接的なそれとは比較にならないほど速かった。
敵への反応が一手遅れたことにより、致命的なダメージを負ってしまった優奈。
だが、遅れたのはあくまで一手のみ。
毒島は既に動いていた。
「喰らえッ!!」
敵に照準を合わせてスタナーのトリガーを引く毒島。能力さえ封じてしまえばこの腐蝕も解除されるはずである。この攻撃が当たりさえすれば、全ては丸く解決する。
しかし、そう上手く事は運ばない。
スタナーを向けられた敵が、優奈の腕を放し屋外へと逃げ出したのである。既に敵はスタナーの射程外へ逃げており、ここから能力を封じることはもう不可能だ。
「逃がすか!」
握っていたスタナーを手放し、片方しかない腕で別の武器を取り出し構える毒島。
そうして、そこに現れたのは黒く輝く銃身。
毒島が構えたのは――紛れもなく、拳銃であった。
「こいつを使うことになるとはな!」
スタナーに似た形状の武器が逃げる敵の脚に向けられる。
そして放たれるのは、必殺の一撃。人であれば簡単に殺すことの出来る、悪魔の凶弾。
そんな小さな鉛の塊が、バンッという轟音と共に敵の脚へと迫る。
だが……それが敵に届くことはなかった。
「なッ……! まさか、そんなことがッ!?」
思わず愕然とした声を上げる毒島。彼の放った弾丸は、逃げる敵の大腿を確かに捉え、一直線に飛んでいったはずである。その脚に、一つの風穴を開け動きを封じるはずだったのである。
それなのに……その弾丸は、敵まであと1メートルというところで腐蝕し、グズグズに崩れ落ちてしまった。ボロボロと耐久性を失った弾丸は、敵に届いたとしてもかすり傷すら与えることはない。
それでも、毒島は諦めずに撃ち続ける。だがしかし、彼が何発撃とうが、その弾丸は敵に触れることすら叶わず無慈悲にも崩れ落ちていく。これでは、例えマシンガンがあったとしても結果は同じだろう。
「クソ……楓! 敵の追跡は任せた! 俺は優奈の状態を確認する!」
「わ、わかった!!」
モニターで状況を監視していたであろう楓に役割をバトンタッチし、毒島は腐蝕攻撃を受けた優奈の様子を確認する。毒島の場合は義手だったが、生身の肉体に腐蝕攻撃を受けて、果たして無事でいられるのだろうか。
「優奈ッ! 大丈――」
「FLORA!!」
安否を確認する毒島の言葉を、優奈の叫びがかき消す。見ると、彼女の右腕が見慣れぬ植物へと変化していく。どうやら、能力を発動して腐食部分を植物化させたようである。
しかし、だめだ。
「無理だ優奈! 植物では腐蝕を止められない!」
如何に腕を植物へと変化させたところで、植物だって当然のように腐り墜ちる。痛みなどは無いかもしれないが、浸食を止めることは不可能である。
だが、次の優奈の行動は、毒島の予想を遥かに超えるものであった。
「ええ、腐蝕は止められないわ。だからこうするのよ!!」
「な、まさかお前……や、やめろ!!」
「はあぁぁぁぁーーー!!!」
そして――優奈は、植物化させたその腕を渾身の力で叩き切った。何の躊躇も無く、腐蝕を受けた自身の腕を――もう片方の腕で切り離したのである。
切断された植物が床に転がる。
「何いぃぃッ!!? 優奈お前ッ、なんてことを!!」
青ざめる毒島。植物化しているとは言え、その実体は彼女自身の腕である。それが切断されたと言うことは――彼女の腕は、もう治すことはできない。
くっと歯をかみしめる毒島。確かに、あのまま腐蝕が進行していれば優奈は全身を冒されて死亡していただろう。それも、原型すら残らないような……あまりにも惨い死に方で。
それでも、他にやりようはあった。
こんなことをせずとも、どうにかする方法はあったのだ。
「ぶっさん……これで腐蝕は止まったわ。あたしは周囲のものを植物化させて、遠距離から攻撃することが出来る。右腕が使えなくても、まだ戦えるわ!」
瞳を爛々と輝かせて、強い口調で訴える優奈。DAMAGEと戦ったときや、透明化の敵と戦ったとき――彼女はどんなに過酷な状況でも、その強い精神力で戦いを制してきた。
彼女は、毒島が思うよりも――数倍強かったのである。
優奈の言葉を聞き、毒島はビルの様子を確認する。腐蝕の浸食が止まらない。このスピードだと、数分もしないうちにビルは腐蝕によって崩壊するだろう。
ふいに自分の腕を見やる毒島。
そこに存在するのは、包み込む相手を失いだらんと垂れた袖のみであった。
何かを覚悟したように、毒島は瞳をつぶる。
「……やむを得ん」
そして、告げる。
「優奈、楓……ビルの方は俺がなんとかする。敵は――任せたぞ!」
「ええ、当然よ!」
「うん、指示は任せて!」
それは、この状況をどうにか出来る唯一の道であった。
毒島の指令を受け、優奈が外へと飛び出す。
追いかけるのは、腐蝕の能力者。
濡れた地面を蹴る音が、レインドロップと共に昼下がりのネオ・シティを鮮やかに彩る。
優奈、毒島、そして楓――
三人の戦いが今、幕を開ける。




