12話 革命のプレリュード 113項「未來の目覚め」
小鳥のさえずりが耳を打つ昼下がり。
窓辺の席で暖かな日差しを受けながら、眠い目をこすって電子黒板の文字に注目する。
「で、その時の総理がこういうことをしたために、経済的に大きなダメージがあったわけだな」
黒板にマーカーを引きながら先生が力説する。大事なことらしいので、未來もノートにしっかりとメモを取っていく。まあ、あまりにも眠くて上手くいかないのだが。
もたもたとしながらペンを走らせる未來。
そんな風にのんびりと授業を受けていると、いつしか授業終了のチャイムが鳴った。
「よし、ちゃんとキリの良いところまで進んだな。プリントは次回も使うからなくすなよ」
「「はーい」」
生徒たちの返事に「うんうん」と頷き、満足げに教室を出て行く先生。
昼休憩の時間に入り、教室がガヤガヤと騒がしくなる。
未來は机に突っ伏しながら、顔だけを隣の席の生徒へと向けた。
「疲れたねー」
「ああ。まあでも、もうすぐテスト週間だし真面目に受けないとな」
タブレット内のノートを整理しつつ、片手間に応える男子。
瑞波千空――隣の席の住人は、未來が心を開いている唯一のクラスメイトであった。
「そだね。私もこうして眠いのを必死に我慢して受けてるわけだし」
「ちゃんとノート取ったか?」
「それがさ、眠すぎて操作が上手くいかなかったんだよね」
肩をすくめてタブレットを見せる未來。授業中は驚くほど眠かったので、いつもは出来ているはずのタブレット操作が本当におぼつかなかった。こんなこと今まではなかったのに。
「だったらちょっと貸してみろよ。俺、内容まだ覚えてるから」
「ほんと? ありがと、千空君」
「代わりに今度また仮歌頼むわ」
「うん、いいよ。借りは返さないとね」
そうして、窓から差す陽光に包まれながら穏やかな時間を過ごす二人。
しばらくすると、とある校内放送が流れた。
『2年3組、瑞波千空――至急、緊急治療室まで』
それは、千空を呼び出す内容であった。
「ちょっと行ってくるわ」会話を中断し、教室を出ようとする千空。そんな彼に、未來は得も言われぬ胸騒ぎを覚えた。このまま行かせてはだめだ。何故かなんて分からないけど、ダメなんだと。
「ま、まって……!」未來は慌てて呼び止めようとするも、声が上手く出ない。追いかけたいのに、足が上手く動かない。身体を自由に動かせない。
「すぐ戻ってくるって。俺が約束守らなかったことなんてないだろ?」
教室の入口で振り返る千空が遠い。いつの間にか、教室が体育館ほどの広さになっている。
そして、千空は未來を見つめる。
「絶対、戻ってくるから」
「待って――!」
教室のドアが開かれ、千空が去って行き――――
そこでやっと、未來はこれが夢だと言うことに気付いた。
ザーーーーッ…………
薄暗い部屋の中、未來は雨の音で目を覚ました。
随分と……長い夢を見ていた気がする。
見ると、いくつもの計器類が身体につながれていた。
ベッドの上で上体を起こす未來。彼女がそうしてもベッドは軋むことを知らなかったので、どうやらかなり良いベッドに寝かされていたようである。
寝起きだというのに、やけに意識がはっきりとしている。
その時、未來はある異変に気付いた。
どうにも頭が重い。低気圧で頭痛がするとかそう言う話ではなく、純粋に重みを感じる。
何も繋がれていない右手で頭や髪を触り――未來は異変の正体に気付いた。
髪が長い。セミロングだった髪の毛が胸の下まで伸びている。
自分は一体、どのくらい眠っていたのだろうか。
辺りを見回す。自分以外に人はいないようだ。
そもそもここはどこだろう。
そう……確か、自分は千空の偽物に騙されて……それから、どうなったんだっけ?
すると、部屋の外からドタバタとした音が聞こえてきた。
敵かも知れないと身構える未來。
直後、部屋の入口が開き――
「未來さん、意識戻りました!!」
「おお、未來。よく目を覚ましたな」
「はい……心配掛けてすみません」
病室に入ってきた毒島に返事をする未來。目を覚ました後の検査は既に終わっており、身体に繋がれていた計器類も殆どが外されていた。
「それで……私は一体……」
単刀直入に尋ねる。どうやら自分は二ヶ月も眠っていたらしいので、あの後に何があったのか気にならないわけがない。
それを察してか、毒島は未來の質問に淡々と答えてくれた。
「お前は組織に拉致された。それをアイズホープとラヴビルダーで救出した。それだけだ」
なんというか、予想通りだった。
つまり……自分は勝手に怒って、勝手に反省して、勝手に行動して……たくさんの人に迷惑を掛けたというわけだ。
「……すみませんでした」
「謝るな。悪いのは組織だろうが」
「……はい」
一体、自分は何をやっているのだろうか。キャスターとして役に立ちたいと思っていたはずなのに、それとは真逆、こんなにも大きな迷惑を掛けてしまった。
身体に異常は無くすぐにでも退院出来るみたいなので、早く挽回したいところである。
唇を噛みながら毒島の顔を見上げる未來。
その時、未來はとあることに気付く。
「あれ、ぶっさん……なんか、右目どうしたんですか?」
それは、毒島の目についてであった。どうにも先ほどから、彼の目はぎこちない動きをしていたのである。焦点も上手く合っていないように見受けられる。
「ああ、義眼を交換してな。気にするな」
なんてことは無いと答える毒島。しかし、これまで毒島が義眼を交換してこうなったことは一度も無い。気にするなと言う方が無理な話である。
とはいえ、本人がそう言っているので、あまり突っ込むのは止めた方が良さそうだ。
「おっと、ほら、本部とも繋がってるぞ」
「え?」
毒島がオーバーベッドテーブルにユーフォを置く。
すると、画面の向こうから賑やかな声が届いてきた。
『未來ちゃん! よかったー!!』
『まったく、本当に心配したんだから……』
『目を覚ましてくれて本当に良かったです』
『さあ、退院祝いの準備をしないとだな!』
そこには、いつものように明るく元気なアイズホープメンバーの姿があった。自分の回復を心から喜んでくれているようだが、自分はそんな彼らに心配と迷惑を掛けてしまったのかと、未來は少し複雑な気持ちになった。
「そうだ、私が眠ってた二ヶ月、捜査はどうなったの?」
早く挽回したいという思いから、そんなことを尋ねる未來。今回の失態を取り戻すには、やはり捜査で活躍するしか方法はない。
そんな未來の問いに答えたのは毒島だった。
「今のところ沈黙だな。こちらも向こうも、大きな動きはない」
「そうですか……」
わかりやすく肩を落とす未來。向こうに動きがない以上、こちらも大きな手を打つことは出来ない。挽回の機会はまだ先になりそうである。
だが……未來には千空が父を捜すのを手伝うという約束もある。
捜査が進まなければそれすらも……
と、その時……未來は気付いた。
「あれ? そういえば、千空君は……?」
素朴な疑問。ちょっとした質問。
それなのに、場は凍り付いたように静かになった。
なんで、みんな黙るの……?
ねえ、何があったの……?
「……退院の手続きは済ませてある。看護師に残りの計器類を外して貰ったらついてこい」
「……わかりました」
ほどなくして、看護師が部屋にやってきた。最後の計器を外して貰い自由になった未來は、いつもの服を着ると毒島の後を追って病室を飛び出した。
五月雨がアスファルトの匂いを巻き上げる。
梅雨はまだ、始まったばかり。
CBS本部――千空の部屋にて。
未來は立ち尽くしていた。
本部に戻ってから未來が連れてこられたのは、紛うことなき千空の部屋。最後に見たときから全く変わっていないその部屋は、まるでそこだけ時間が止まっているかのような錯覚に陥った。
だが、一つだけ違う点がある。
それは、机の上に置かれていた彼のロケットとユーフォ。
そして……その傍らにある一本の花瓶。青い薔薇がみずみずしく咲いた、小さな花瓶。
机に歩み寄り、未來はおもむろにロケットを開く。そうして現れたのは、血にまみれた彼の写真。ロケットは綺麗に拭き取られているが、紙である写真だけは何があったのかをありありと伝えてくれた。
呆然とする未來。
「向こうで待っている」という毒島の声を、雨の音がノイズのように遠ざける。
部屋を去ろうとする毒島に、未來は振り返った。
「うそだ」そう呟く自分の声は、まるで自分の声じゃないみたいに……遅れて頭に響いた。
「ねぇ……嘘だと言ってよ!」
次に出たのは、絶叫にも近い声だった。
未來の叫びが寮内に響き渡る。
そんな我を忘れた未來に、毒島は冷静に告げる。
「何が嘘で何が本当かなんて自分で決めればいい。ただ、お前が見るもの全てが現実だ。それだけは忘れるな」
「!」
「一つだけ教えてやる。キャストはこの世のルールから逸脱した力だが……どんなキャストだろうと、人の魂をどうにかすることだけは叶わない。人の死を覆らせることは、絶対に叶わない」
そして、部屋を出る直前……毒島は決定的な一言を残していった。
「瑞波千空は、もう居ない」
開いたままのドアから毒島が去って行く。
力なく肩を落とす未來。ゆっくりと世界から色が消えていく。
ただ、静かになった部屋には雨の音だけが満ちていた。
しばらく千空のベッドに腰を掛けていた未來。
少し落ち着いたのか、窓の外を眺める。雨は依然、止みそうにない。
どうすれば良かったのかなんてわかりきっている。
わかりきっているからこそ、どうしようもない後悔と自責の念が自分を蝕むのだ。
――喧嘩なんてするんじゃなかった。
千空が暴走したのならば、自分は彼を止めなければいけなかった。なのに自分は……止めるどころか彼に触発されて、自分まで暴走してしまった。
それで、この結果。こんなの、自分が殺したようなものである。
(ごめんね……ごめんね……)
心の中で詫びる未來。
そうだ、とふいに立ち上がる。
(お水、変えてあげよう)
机の花瓶に目をやる未來。見たところ花瓶の水はかなり減っており、どうやら今日はまだ水替えされていないらしい。
なんとなくだが、この薔薇を枯らしてはいけないような気がする。
だったら、自分が水を替えてあげよう。
それくらいしか、今の自分に出来ることはないから。
そうして机に向かう未來。
その時、千空のユーフォに着信があった。
(ど、どうしよう……これ、出た方が良いのかな……?)
そんなことを考えている間もコールは続いている。数秒も無視すれば鳴り止むだろうが、果たしてそれでいいのだろうか。千空に掛けてくると言うことは、相手は千空の死を知らない可能性がある。真実を教えた方が良いのではないだろうか。
一瞬のうちに思考を巡らせる未來。
答えは……
『あ、瑞波さん! 良かった、やっと連絡取れた!』
「あ、えっと……」
応答するだけしてみる。それが未來の結論だった。
『あれ、瑞波さんではなさそうですね……って、その声もしかして、鍵乃さんですか?!』
すると、通話の相手は意外にも未來を知っているような反応を見せた。「え、あ……はい」とはっきりしない返事をすると、通話相手はわかりやすくテンションを上げた。
『いやぁ、一度話したいと思っていたんですよ! 鍵乃さんの仮歌、めちゃくちゃ評判で!』
仮歌――なるほどと未來は合点がいった。おそらくこの通話の相手は、千空が参加しているコンペとやらの関係者なのだろう。千空はいろいろと参加していたみたいだし、突然連絡が取れなくなって困っていたのかも知れない。
『それで、瑞波さんいらっしゃいますか?』
話したいと言っていた割には随分と単刀直入な相手。まあ、先ほどの会話は社交辞令のようなものなのだろう。
「えっと……瑞波はちょっと……」
口ごもる未來。千空の事を知らせた方が良いとは思っているのだが、それを口にするのはどうにもはばかられた。口にしてしまうのが、どうしても怖かった。
やはり、心はまだ現実を受け入れられていないのだ。
『そうですか……しかし、困りましたね……いよいよプラチナディアのフィーチャリングアルバムが動き始めたので、デモだけでも頂きたかったのですが……』
「そうだったんですね……」
プラチナディア……確か去年メジャーデビューした超人気配信者で、千空も推していたはずだ。彼は自分の知らないところで、そんな凄い人のアルバムに関わっていたのか……あの時かなり忙しそうにしていたのも、これが理由だったのだろう。
隠されていたのは少しショックだったが、相手は相手で大変そうだなと思ったので、一応相槌は打っておく未來。
すると、通話相手は意外なことを口にした。
『そうだったんですね、って……ボーカルは鍵乃さんじゃないですか』
「え?」
ボーカルが自分……? 一体、なんの話をしているのだ。アルバムの事なんて自分は何も聞かされていない。通話相手が何を言っているのか、わからない。
困惑する未來。
だがしかし、そんな彼女に追い打ちを掛けるように通話相手はたたみかける。
それは……辛うじて耐えていた彼女の心を砕くには十分すぎるものだった。
『ほら、鍵乃さんがボーカル参加できるからって、彼めちゃくちゃ張り切ってたじゃないですか。瑞波さん、ずっと鍵乃さんがボーカルの曲を出したいって言ってましたからね!』
「…………え……?」
そして、通話相手が経緯を話し始め――未來は千空の本心を知ることとなった。




