幕間「少し昔のお話」
その男は、部屋をぼんやりと照らす天井の明かりで目を覚ました。
だが……自分がどこに居るのか分からない。
周囲を見回す男。十五畳ほどの部屋の中には、ベッドとテーブル、あとは計器類が置かれているのみで、ここが居住空間では無いことは一目で理解できた。
ベッド脇の窓に目をやる。室内の光が反射して見えづらいが、暗闇の中、深く飲み込まれそうな海が見える。どうやらここは沿岸部にある医療施設のようだ。
目を覚ます前の記憶を辿る男。どうして自分がここに居るのか、とにかくそれを思い出さなくては。
そうしてしばらく考え込んでいると、男はふいに思い出した。
――そうだ、自分は組織の人間に連れ去られてここに居るのだ。
ばっ、とベッドから起き上がる男。部屋のドアを開けると、その先には無機質な白い廊下が続いていた。人が居る気配は――ない。
一度ドアを閉めて、男は脱出した方がよいのか考える。自分が連れ去られたあの場には息子も居たので、その安否も気になる。
その時、机の上に置かれたユーフォが目に入った。見覚えのない、真っ黒なユーフォである。少なくとも、自分のユーフォではない。
では、一体誰の……?
とりあえず日付だけでも確かめようとユーフォの起動ボタンを押す男。画面に映し出された情報によると、どうやら自分は連れ去られてから一週間ほど目を覚まさなかったようである。
とにかく、日付が確認できたので机にユーフォを戻そうとする男。
すると、意外なことが起こった。
なんと、ユーフォのロックが解除されたのである。それも、生体認証のロックが掛けられていたにもかかわらずだ。
いよいよ訳が分からなくなってきた。どうして、他人のユーフォに自分の生体情報が登録されているのだろうか。
絶好のチャンスだとユーフォ内の情報を確認する男。本来なら他人のユーフォを漁るなど言語道断だが、今は非常事態。自分は連れ去られてここに居るわけなので、これくらいしても怒られる筋合いはない。
そうしてしばらくチェックを続けていると、気になる情報が目に入った。
「精神移植施術後の経過?」
そこに書かれていたのは、精神移植という禁忌とも呼べる医療行為とその実施について。どうやらこの施設では、人と人との間で精神移植が行われたらしい。
そして――移植の受け皿となった人物こそが自分であった。
(まさか、俺には別の人格が移植されているのか? いや、でも俺はちゃんと意識あるし……)
深く考え込む男。しかし、考えれば考えるほどこの状況と辻褄が合う。
連れ去られてから一週間目覚めなかった自分。
なぜか他人の生体認証を突破できる自分。
そして、精神移植を受けたらしい自分。
つまり、自分は連れ去られた後に精神移植を施され、中身だけ別人となったのだ。ユーフォの持ち主も、恐らく移植された精神の持ち主だろう。
だが、資料を読む限り精神移植が行われたのは今回が初めて。完璧ではなかったのだ。だからこそ、今こうして自分は目覚めたのだろう。
なんとなく事情が分かってきた男。ならばと、次の一手を考える。
(さて、俺の意識はもう戻っている。俺の能力ならばここから逃げるのはわけないが……)
一つ気になるのは、移植された精神が今どうなっているのか。もしかしたら二重人格になっているのかも知れないし、もう一度寝たら今度は移植された精神の方が目覚めるかも知れない。今このまま帰っても、家族や仲間を危険にさらす可能性がある。
(……今はまだ様子を見た方がいいな)
依然として息子のことは気になるが、あの場には自分の信頼する仲間が複数人居た。きっと大丈夫だと彼らを信じて、男は一度様子見をする判断を下すことにした。
(それに、ここに居れば組織の情報を掴めるかも知れない。自分が今置かれた状況を前向きに捉えて、自分にしか出来ないことをしなければ)
まずは自分が何者なのかを知る必要がある。
男はさらなる情報を探るべく、今一度ベッドへと向かう――
次に目を覚ましたのは、豪奢な装飾が施されたとある一室――そのソファであった。
ユーフォを確認する男。どうやら場所はラ・ベガにあるカジノ「エアリアル・エクスペリエンス」のようである。日付を見ると、最初の覚醒から数日後と言った感じだ。まだ、覚醒の条件は分かりそうにない。
とりあえず、自分の意識が覚醒していると言うことは隠さなければいけない。他人と会ってしまうなどもってのほかだ。もしもこの状態で誰かに会ってしまったら、相手の記憶と移植された精神の記憶とで齟齬が出来てしまう。
寝たふりをしながら状況を考える男。寝ぼけた様子をみせつつ室内を観察すると、どうやら監視カメラはないらしい。ひとまず起き上がっても問題無さそうだ。
眠っていたソファから立ち上がり、室内をくまなくチェックする。いくつか収納が置かれているので、指紋を付けないように中身を確認しようとして――
その時、背後でドアの開く音がした。
しまった、油断した――
まさかこんなにも早くピンチが訪れるなど、一体誰が想像できただろうか。
自分の迂闊さを呪う男。だが、事態はもう止められない。
扉が開き、通路から人が入ってくる。
「あれ、どうかしました?」
その声に男は振り向く。
そこに居たのは、これまた豪奢なスーツに身を包んだ男性。
驚いた顔を隠しもしないその男性は、男に向かってさらに声を掛ける。
――それが、この男――望月大地と、瀬城玲二のファーストコンタクトであった。




