11話 それぞれの生きる意味 110項「昏き因縁」
毒島は静也と共に大急ぎで千空の援護に向かっていた。
千空は今、未來を抱えて一人で脱出を目指している。そんな状況で能力者と遭遇してしまえば、彼は非常に不利な戦いをする羽目になるだろう。未來を守れるかすら、分からない。
せめて自分が合流しなくては。
自分がいれば、仮に能力者が現れたとしてもなんとかできる。
「くそっ……ボクの能力がっ……もっと早く進化していればっ……!」
息を切らしながらそうぼやくのは静也。実は、カジノでの一件があった後、楓と同じように静也のキャストにも変化の兆しが現れていたのだ。彼女と同じく彼も因子には変化がなかったため、このまま成長すれば新たな力を得ることが出来たのだが……今のところ完全な成長は出来ていない。「INSIDE」の本質は「守ること」なので、キャストの成長が間に合っていれば……という想いが強かったのである。
「言っていても仕方が無いっ……先を急ぐぞ!」
その時、遠くの方から大きな爆裂音が聞こえた。おそらくエルが能力を発動して何かしたのだろうが、それだけの体力があるのならば心配する必要は無さそうだ。
とにかく、二人は千空と合流することだけに集中する。既に施設崩壊のことはユーフォで伝えているので、後は合流して一緒に脱出するだけである。
そうして、3分ほど足を走らせた頃だろうか。通路の先に一人の人間が立っているのが視えた。仮面を付けていることからも、それは組織の人間で間違いないだろう。
走りながらスタナーを構える毒島と静也。
今は一刻も早く千空の援護に向かう必要がある。
こんな奴に構っている暇など……
その時、毒島はあることに気付いた。
――目の前の人物が付けている仮面に、見覚えがある。
間違いない。この人物が付けている仮面は、鉱山の調査で見たあの仮面と同じである。そして、その人物の手元――そこでは、コインのマッスルパスが行われていた。
つまり、この男は……
「芦宮……やっぱりお前だったのか、カールは」
残念そうに毒島が告げると、男は静かに仮面を外した。
そこに現れたのは、アイズホープメンバーも会ったことのある警官――芦宮の顔だった。
「な……ッ!? ど、どうして?!」
驚愕の色を浮かべる静也をよそに、芦宮は静かに尋ねる。
「敵いませんね。いつから気付いてたんですか?」
「最初に警戒したのは宿街祭だな。その後、警察にスパイがいると聞いて確信したよ。思い返してみれば、お前が日本に戻ってきたのも鉱山の事があった直後だったしな」
淡々と語る毒島。実は、毒島は随分と前からカールの正体が芦宮ではないのかという疑念を抱いていたのだ。そして宿街祭で抱いた疑念は、その後の捜査の進展により確信に変わった。
だが、身内だと思っていた者が最初から敵だったというのはやはりくるものがある。毒島の眉間には深いしわが寄っていた。
「そこまでバレてたんですね」
「風見も感づいてたからな。それよりも、正体を明かして良かったのか? もう、警察には居られなくなるだろう?」
「もともと戻る気はありませんでしたよ。出雲さんにも警戒されてたみたいですからね。聞いて下さいよ。出雲さん、私に渡した資料だけデータを改竄してたんですよ? 本当にびっくりしましたよ」
コインを投げてはキャッチし、投げてはキャッチしを繰り返す芦宮。芦宮として振る舞っていたときにその手癖を見せたことはなかったので、その徹底ぶりには関心するものがあった。
「正しい世界に還るんだってな。一体、お前たちは何をするつもりなんだ?」
「――さしずめファルからカジノで聞いたと言ったところですかね。私たちは、この腐った世界を変える。それだけですよ」
そう答える芦宮の瞳は――ファルの様には輝いていなかった。
まるで泥水のように酷く濁った瞳。
そこに気高さは……ない。
「財団襲撃事件で俺の友人――望月刑事の弟・望月大地を連れ去ったのも、そのためなのか?」
「ええ。世界を変えるためには、彼の能力が必要だったみたいです」
「……」
光を、感じられなかった。
心の内が読めない。
彼らが目指しているものが何なのか……もはや推理することすら叶わなかった。
「……そうですね。せっかくですから、一つ話しておきましょうか」
「もういい。そんな時間は無い。やるぞ、静也――」
だが、そんな毒島を遮り芦宮は強引に続ける。
毒島が聞かざるを得なくなる、とっておきの話を。
「組織が望月刑事を殺したあの日……私もあの場に居たんです」
「なんだと……ッ!?」
耳を疑う事実に目を見開く毒島。
それは、毒島にとって忘れることの出来ない記憶――その真相に迫るものだった。
芦宮が話し始める。
ザラキエル事件――それは、15年前に起こった拉致事件である。その事件では現場に証拠が残っておらず捜査が難航していたが、神隠しのように人が忽然と消えてしまうことから、サリエルシンドロームを悪用した犯行であるとの見解が強まった。
政府は、捜査内容を外部に漏らさないよう最善の注意をした上で、全国民を検査に掛けることにした。検査には神木の父・望月陽大も政府の関係者としてその検査に参加しており、そうして行われた検査により、前回の検査から今回の検査の間にサリエルシンドロームを発症している者が絞られた。
そして、望月陽大が担当した発症者こそが毒島だった。毒島が持つ能力は「意志の阻害」。彼の能力ならば、現場に証拠を残さずに被害者を無力化し、連れ去ることが可能だった。事件の被害者に毒島と関わりのある人物が居たこと、彼に事件当時のアリバイがなかったことなどから、捜査当局では毒島が犯人である確率が高いとの結論が下された。
しかし、望月はその結論に待ったを掛けた。望月は毒島への取り調べなどから、彼が犯人ではないのではないかと考えたのだ。さらに、現場に残されていたとある痕跡……それは、真犯人を特定するに足る証拠となり得た。
ならばと、望月は個人的に捜査を始めた。このままでは、彼が犯人にされてしまうから。
だが……望月が事件の真相に迫り始めたことをマスカレードは察知した。警察内部に潜入していた芦宮は、ザラキエル事件の捜査状況を組織へ送っていたのだ。組織が九十九にザラキエル事件の担当刑事を教えることが出来たのも、そのためである。
そして、マスカレードにとって九十九が捕まるのは非常に都合が悪い。
だから、殺したのだ。真犯人が九十九であることが、明るみに出ないように。
毒島への聞き取り中に望月が殺されたのは、それが理由だったのである。
「その時、ツイスト――氷の能力者の補佐をしていたのが私です」
「お前が……ッ!」
「ぶっさんっ!?」
目にもとまらぬ速さで芦宮に詰め寄りその胸ぐらを掴む毒島。だが、静也の呼びかけでハッとしてすぐに飛び退く。千空に冷静さについて説いておいて、これでは世話がなかった。
そんな二人を見ながら、掴まれてシワの出来たスーツをトントンと整える芦宮。一歩も動じていないことは、その様子からも明らかだった。
「それにしても驚きましたよ。あのとき望月刑事が庇った毒島さんが、政府のキャスター組織に入ってるんですから……まあ、キャスターにはなれなかったみたいですけど。毒島さんの能力、結構危惧していたんですよ?」
「危惧……だと?」
「ええ。本当はあの日、毒島さんも殺すつもりだったんです。でも、そうはならなかった。それは、毒島さんを庇って望月刑事が撃たれた瞬間に、毒島さんの念波反応が増幅したからなんですよ」
芦宮が言うには、組織からは望月と一緒に毒島も始末するように命令が出ていたらしい。毒島の能力は厄介だったため、当然ではあるが最優先で殺すのは毒島の筈だった。
しかし、毒島を庇った望月が氷の弾丸に貫かれた瞬間、芦宮が常にチェックしていた毒島の念波反応が一気に増幅した。そしてその爆発力は、芦宮も冷や汗を流す程に大きかった。
彼の能力は相手に触れなくとも発動できる。このままでは自分たちも行動不能に陥り、そのまま警察に掴まってしまう。
だから、攻撃を中断して退避するように指示を出したのである。
「なるほど……俺の能力で自分たちが捕まる可能性があったから、逃げたワケか」
「その通りですね」
腑に落ちる毒島。
「それで、どうするんだ? ここで俺たちも殺すのか?」
スタナーの銃口を芦宮に向けつつ毒島が尋ねる。自分たちの前に現れたと言うことは、それが目的なのだろうから。
しかし、芦宮の答えは違った。
「私はボスからある程度の自由意志を与えられています。毒島さんとは顔見知りですし……なにより、出雲警部の友人ですから。毒島さんは助けてあげますよ」
「え、ボクは?」
「もちろん、ナポリの息子の静也さんも助けてあげますよ」
「そうか、それは助かるな。俺らが助けてもらえるなら、他の奴らも全員助けられるからな」
「どうでしょうね」
そう返す芦宮に、不穏な含みを感じる毒島。
どうでしょうね……その言い方が、何か引っかかった。
なにか……重大なことを見落としているような――
それでも、問い返すことはしなかった。
ただでさえ昔話に花を咲かせてしまったのだ。今は時間が惜しい。
「俺らはもう行くぞ」
「どうぞ、ご自由に」
やけに素直な芦宮に不気味なものを感じつつ、二人は再び走り出した。
相手に乗せられて時間稼ぎに付き合ってしまうなど、珍しく不覚を取ってしまった毒島。
これが致命的なミスとなることだけは避けなくてはいけない。
そうして、毒島と静也は千空との合流を目指す。
施設崩壊まで――残り5分。
未來を背負い、千空は施設内を疾走する。
エルフォードが失敗したときの脱出経路は事前に確認している。
後は、施設が崩壊する前に毒島と合流し、未來を連れてここから逃げるのみである。
背中の未來が揺れる。意識のない人間は重いとはよく言ったもので、本人に掴まる意思がない分、彼女を落とさないように背負いながら走るというのは相当な重労働であった。
「くぅー、腕が死ぬぞこれ!」
苦悶の表情を浮かべる千空。未來の手を手前でしっかりと掴んでいるので、一応はずり落ちたりすることはないだろう。だが、彼女の体重の殆どを腕で支えることになるので、長時間続けるにはいささか苦しいものがあった。
だが、道は分かっている。このまま走り続ければ、未來を助けることが出来るのだ。何やら大きな爆発音も聞こえてきたし、早くハッチまでたどり着かなければならない。
照明の消えた狭い通路を、ユーフォの明りとマップを頼りに進んでいく。
しばらく走ると、通路の壁に一人の人物がもたれかかっているのが目に入った。その人物の佇まいにはどこか見覚えがあり……近づいてみると、それはナポリ――静也の父であった。
「望月……愛緒――」
「あお……? いや、誰ですかそれ」
思わず突っ込む千空。変装しているので別の誰かと間違えているのだろうか。なんとなく聞き覚えのある名前のような気がするが……
「ああ、そうか……千空君だったかな。静也がいつも世話になっているね」
「……まあ。」
はっきりしない返事をする千空。敵意のようなものは感じないが、一体何が目的なのだろうか。彼に会うのは二度目だが、その人となりはよく掴めていない。
「俺たちの邪魔をするってわけではなさそうですけど……」
「そうだね。その娘はもう組織にとっては用済み――逃げても逃げなくても関係ないよ」
用済み――その言葉に不快感を示しつつも、千空は確信した。やはり、彼からは敵意も害意も感じない。
それに、彼の言葉遣い……カジノで会った時の事務的なものとは違い、今の彼は本当に息子の友人を相手にするときのようなやわらかさで千空に接していた。
「静也のお父さん……あなたは一体……?」
千空には、この人物の存在が理解できなかった。
彼もファルと同じように、組織の全容を知らされずにここに居る?
そんなはずはない。だって、彼は未來が組織でどう扱われているのか知っているような口ぶりだったのだから。
それじゃあ、一体――
すると、ナポリは静かに口を開いた。
「一つだけ、伝えておこうか」
「?」
眉をひそめる千空をよそに、壁から背を離し背筋を伸ばすナポリ。
しっかりと千空の目を見据えるその顔は、微かなもの悲しさを帯びていて――
「君のお父さんの意志は、死んではいない」
「?!」
言葉を失う千空。
父が――なんだ、頭が混乱する。ナポリは、今なんて言ったのだろうか?
ナポリはそれだけ千空に伝えると、千空の脇を通ってその場を去ろうとした。
「待ってくれ……父さんのこと、何か知ってるのか?!」
慌てて引き留めるも、ナポリはつかつかと通路を進み、もう振り返りさえしない。
ただ、背を向けたまま呟く。
「君には使命がある。まだ死ぬ時じゃあない」
「それって……」
「――早く行くと良い」
そして、ナポリの姿がゆっくりと闇に消えてゆく。照明の消えた地下施設の通路は、新月の夜を思わせるような暗さを纏っていた。
「言われなくても――」
千空は再び走り出す。マップの情報が正しければ、もうすぐ外に出られるはずである。そうなればきっと……未來を助けることが出来る。
そんな思いを胸に、無我夢中に暗い通路を進んでゆく千空。
そうして見えてきた、一筋の明かり。
その先に、どんな運命が待ち受けているのか。
――運命というものは、どうしてこうも残酷に進んでゆくのか。
カウントダウンは……残り僅か。




