11話 それぞれの生きる意味 106項「叢雲隠れ その2」
その日は、随分と天気が良かった。
オフィスのテーブルで向かい合うように座る優奈と神木。
窓から入る日差しが、暖かに二人を照らす。
「優奈さん。優奈さんがそんなにもサキちゃんのことを後悔しているのは、どうして?」
「どうして……だって、サキは大切な親友で……それなのにあたしは……腕を……ピアノだって……」
優奈は答える。その大人びた声に、幼子のようなか弱さを載せながら。
そんな彼女に、神木は尋ねる。
「それじゃあ、どうするのが良いと思う?」
「どうする……のが……」
自分の能力が、サキにとって命よりも大切なはずの腕を――その輝かしい未来を奪った。
そんな自分がすべきこと。
後悔、懺悔、そして贖罪――本当にサキがそれを望んでいるかはわからないし、どうすればそれを果たせるかも分からない。
ならば、彼女が望むことは何か。彼女の想いを果たすには、どうしたらよいのか。
たくさんたくさん考えて、考え抜いて……優奈はそれを口にした。
まるで、春の日差しが彼女を後押ししたかのように。
「……生きます。いつか、前を向いて歩けるように」
それが、彼女の出した答えだった。
それだけが、サキが今までしてくれたことを否定しない、唯一の方法だから。
いじめられていた優奈を助けてくれたサキ。彼女はずっと、自分も標的にされる可能性を省みずに自分を助けてくれた。優奈の命も人生も、サキが守ってくれたものなのである。
だったら、親友が守り抜いたものを、自分自身が守らなければ。
優奈の言葉を聞いて、聖母のような微笑みを浮かべる神木。
そして、この言葉を伝える。
「過去はね、どんなことがあろうと絶対に無くなったりはしない。だったら、今、貴女に出来ることを考えないと」
それが、彼女の心をギリギリのところで止めた神木の言葉。
それを聞いても、当時の優奈は「FLORA」を我が物にすることは出来なかった。
だが、今の彼女ならば……
――もう、苦しまなくて良いんだよ。
その言葉に、優奈の心は真の意味で解放されていた。
彼女を捕らえていた呪縛は、ほんの少しのしこりも残さずに消え解けていた。
だから……もう、大丈夫。
優奈はもう――道を歩み始めたのである。
――――
――
優奈の胸にナイフが直撃し、女は勝利を確信する。当たった場所はぴったり心臓部分。地面と水平に振るわれたナイフは、確実に優奈の心臓を貫くはずである。
だが……そうはならなかった。
「な……馬鹿な?!」
女が驚愕の声を上げる。
優奈の胸に刺さったはずのナイフが、音も無く宙に散っていく。
まるで、風に吹かれた花びらのように。
ナイフそのものが花となって、その命を終わらせるかのように。
それは比喩でも何でも無かった。
だって、実際にナイフが花へと変化していたのだから。
「これが――あたしの力よ」
そう答える優奈の手のひらから、無数の花びらが散ってゆく。
それは、彼女の新しい能力。
いや――新しいというのは正確ではない。
だってそれは、彼女が元々持っていた力なのだから。
触れたもの全てを望む植物へと生まれ変わらせる。
それが、進むべき道を歩み出した優奈が取り戻した力であった。
「……っ、一本防いだところで、これなら受けきれない!」
女がナイフをがむしゃらに投擲する。無数のナイフが優奈に迫り――だが、その全ては彼女の皮膚薄皮一枚のところで止まり、見るも美しく散っていく。いとも儚く消えてゆく。
それだけではない。優奈の力はこんなものではなかった。
「あなた、あたしの足の一部が植物化して地面に潜り込んでいるのに気付かなかったの?」
「?!」
それは、DAMAGEと戦ったときにも見せた優奈が持つ技の一つ。そうして地中から伸ばした足で敵を捕らえ、植物化させるのだ。
しかし、敵の姿が見えない今それは不可能。
今回の目的は、それでは無かった。
「これは、大切な友達と再会できたことで……あたし自身が取り戻した何か。あたし自身が、もう苦しまなくて済むように。もう、立ち止まらなくて済むように」
大切に抱きしめるように胸に手を当てる優奈。
FLORA――
それは、優奈の持つ咲への想いそのものだった。
だが、その想いは彼女を傷つけてしまった。
だから、優奈は封じ込めていたのだ。自分にそんな資格はないと、理性によってその本心を。
――彼女は変わった。
そして、彼女への変わらぬ想いを取り戻した。
その想いは、もう誰にも縛られない――
「FLORA――BE GLORY!!」
張り上げたその声と共に、周囲の木々がざわめき始める。
そして――次の瞬間、辺りに春の息吹が訪れる。
周囲に佇む木々――その全てが、花びらとなって散っていったのである。
一体何が起こったのか。
それは、至極簡単なことだった。
彼女の「FLORA」が変化させるのは、何も動物や無機物だけではない。その力は、〝触れたもの全てを望む植物へ生まれ変わらせる〟能力。それはつまり、植物を別の植物へ生まれ変わらせることだって可能ということ。
だから、優奈は願ったのだ。そしてそれに答えるように、地中に這わせた優奈の足は辺り一帯の木々全てを「花」へと生まれ変わらせたのである。
陰を作る存在を失った辺り一帯に、暖かな太陽光が降り注ぐ。
もはや女に、逃げ隠れする場所など無かった。
陽の光が女を照らす。
「くっ……ならばっ!」
女が腰の辺りで何かを操作すると、背負っていた機械がキィーーンという大きな音を上げながら起動する。そして、女の身体が地面から離れ――それは、財団襲撃事件の話で耳にしたホバリング装置であった。
女にスタナーを向ける優奈。そんな優奈を嗤う女。
「空中に居るのにスタナーが効くかよ!」
勝ち誇った顔をする女の足は、既に大地と接触していない。これでは電気が流れる経路が存在せず、女の身体に電流が流れることは無い。
……本当にそうだろうか。
「これは――いつの間に!?」
女が足下を確認すると、そこには無数の蔦が巻き付いていた。なんてことは無い、それは先ほど優奈が花へと変化させた木々の一部である。地面から生えた、単なる蔦である。
すなわち……女の身体は大地と繋がっていることになる。
スタナーの電気弾から身を守るようにマントで身体を覆い隠す女。
このとき、得意のナイフで足に絡まる蔦を切断していれば話は変わったのだろう。
だが、それはあくまで〝もしも〟の話でしかない。
優奈は告げる。
「あなた、忘れてないかしら。自分がずぶ濡れだと言うことを」
水浸しの物体には、電気が良く通る。
それは当然、マントも同様であった。
「しまっ――」
その声を最後に、女の言葉が途切れる。代わりに響くのは、絶叫。
優奈が、何の躊躇いも慈悲もなくスタナーのトリガーを引いたのである。
流れた電流によりホバリング装置が故障し、女の身体が地面へと舞い戻る。
どさっと言う音と共に地面に倒れ伏した女を縛り上げ、蔦を硬質化して固定する。そして、女のこめかみにスタナーをあてがい、もう一度トリガーを引いた。それは、スタナーへ新たに搭載された「ペネトレイトモード」。インナーローダーを破壊するためだけの機能であった。
役目を終えたスタナーをしまいながら、雪のように積もった花びらの絨毯に倒れ込む優奈。
彼女は思う。
自分は、やっと本当の自分になれたのだと。
自身の手足に掛けた植物化を解除する優奈。その手は、自由に動くことができた。
「本来なら、後遺症なんて残らないのね」
そう呟く優奈は、ふうと一つため息をついて空を眺める。
そんな彼女の耳に、吉報が届いた。
「優奈さん! 無事ですか!? 装置を解除できましたよ!」
心配そうに駆け寄る神木に、手を振って答える優奈。既に女の全身は大木に飲み込まれており、この状態では四肢を動かすことさえ困難だろう。インナーローダーも破壊しているので、未知の能力を使われたり記憶を消去されたりすることも無い。
「こっちは問題ありません。それで、機械はどんな感じなんですか?」
起き上がりながら尋ねる優奈に、神木はにっこりと笑って答える。
「完璧です。停止コードをアップロードするまでが大変でしたが、しっかり全ての機能が停止しましたよ。旧NIT社での経験が生きました」
「それは……良かったです……」
ほっと胸をなで下ろす優奈。神木はNIT社に居た頃、システムに不正アクセスして九十九たちの情報を盗み出したりしていたらしいので、その時の経験が役立ったようである。
ふと中央センターの方を見ると、どうやら風見も住民たちの避難を完了させたらしい。そこには人っ子一人居ない閑散とした空間が広がっており、緊急時における風見の手際の良さを再確認することが出来た。
「総裁にも連絡を……あら……?」
その時、突然辺りが暗くなり始めた。そういえば、今日は皆既日食の日だと聞いていた。時刻は聞いていなかったが、どうやら、月が太陽を覆い隠し始めたのだろう。
とはいえ、暢気に観察をしている状況では無い。敵の脅威が去ったとは言え、まずは周囲の調査を行い、安全を確認した上で、隔離している住民を解放しなければならない。
「せっかくだけど、仕方ないですよね。さっさと総裁に連絡しますね」
「はい。私は他に装置が無いか調べましょう。その女に自白剤を飲ませて……っ?!」
すると、女を見た神木が激しく目を見開く。
一体何が……と優奈も女に目を移し、とあることに気付いた。
気付いてしまった。
女たちの能力は、陰に入ったときに姿を消す能力。
だから、日向を上手く使うことが出来れば、まあ戦いようもあるだろう。
だが……なっているじゃないか。
日食が始まったと言うことは、この宿街全体が月という衛星の陰に。
……もしも、あの逃げた男がこの女と同じ能力を持っているのだとしたら――
「真佳が危ない!!」
優奈の叫びが虚しく霧散する。
木々を失った林では、その声はこだましなかった。




