11話 それぞれの生きる意味 102項「決定的」
千空はベッドに座り込んでいた。力なくうな垂れて、膝の間で組んだ手を眺めている。
「大丈夫……?」
ドレッサーの椅子に座った未來が声を掛ける。「ああ」という彼の返事は、普段の千空からは想像も付かないほど弱々しかった。
瞳をつぶる千空。先ほどから、口元以外が微動だにしていない。
宇津峰心愛と話した通話の翌日――時刻は午前11時。
結論として、カジノの調査は予定通り行われたし、千空の父の姿も無事確認できた。
その結果が、この状況である。
「本当は、心のどこかで分かってたはずなんだ。昨日、あいつから話を聞いたときに」
「うん……」
朝早くからカジノに出向いた二人は、心愛の話の通りに支配人ルームを「REAXTION」で確認した。そして、過去の映像の中に千空の父の姿を見つけた。
だが、そこで千空は現実を突きつけられることになった。
「あれは……確かに、俺の父さんだった。でも……」
映像に映った父は……当然と言えば当然だが、組織の人間として行動していた。心愛は彼の父が組織の人間であるかのような口ぶりで話していたのだから、当然に決まっている。
それでも……確定では無い。だから、千空はその可能性を無意識に除外していたのだろう。心愛の話を聞いてなお、その可能性を考えることを無意識に拒んでいたのだろう。
それが……それほどまでに拒んでいた可能性が……今日、確定してしまった。
父の映像を観て、確定してしまった。
「……」
未來は黙って彼の隣に座った。彼に手を伸ばそうとして、引っ込める。こんな時、なんて声を掛けて良いのか分からなかった。行き場を失った手があてもなく彷徨い、空を掴む。
そのとき、部屋のドアが勢いよく開いた。
「おい、聞いたぞ! ついに見つけたんだってな!」
それは、話を聞きつけてやってきた静也であった。後ろを見ると毒島とレオーネも居る。彼らが任務を行っていたセント・ジャックはラ・ベガからそこまで離れていないので、飛行機で直行してきてくれたのである。
「……ふむ、なんとなく予想は出来ていたが……やはりな」
毒島が呆れたように頭をかく。彼は千空がこういう風になるだろうことを予想していたのだろう。心愛が千空の父について話したあの時から。
「まあでも、キミの父親がアルメリカに居ると言うことは確定したじゃあないか」
静也が千空の隣に座り、背中をポンポンとたたく。今の彼は千空と同じような状況にある。だから、彼は未來が理解したくてたまらない千空の感情を理解できるのだろう。今の千空に必要なのは、自分では無く彼のような理解者なのだ。
「……ああ、見つけやすくはなったと思う」
「だろ? それにだな、この辺りに拠点がある可能性もあるんだろ? だったら、キミのロケットを見せて聞き込みをしてみるのはどうだい?」
建設的な意見を出す静也。ここに来るまでに、彼なりに色々と考えていたのだろう。
だが、それはあまり良い提案では無かった。
「多分、意味ないと思う……」
未來が呟く。静也が理由を尋ねてきたが、それには千空が答えた。
「父さんは、カジノを去るときマスクと帽子をしていたんだ。それに服装だって全く違う。目撃者がいたとして、この写真と同一人物だって気付く人はいないと思う」
それは、この場で千空と未來のみが知る情報に基づいた判断だった。カジノで過去を見た二人だからこそ出来た判断である。
そもそもの話、千空は出自を隠した身だ。父と千空の二人が写ったこの写真を不特定多数の人間に見せるという行為がどれほどの危険を孕んでいるのか、静也は理解していない。
やはり、自分が千空の理解者にならなければいけない。
「もう少し情報があればいいんだが……」
静也が背中からベッドに倒れ込み、ベッド全体が少し揺れる。
すると、レオーネがとある可能性を挙げた。
「……もしかしたらよ、ハイテク企業が隠れ蓑になってるってことはねえか? NIT社もそうだったんだろ?」
「……確かに、その可能性はあるかも……!」
それはかなり良い着眼点だった。九十九がNIT社でそうしていたように、マスカレードのメンバーも表向きは経営者をしているかも知れない。心愛だってカジノの支配人をしていたのだから、あり得る話であった。
「うむ……宇津峰心愛の言うとおり千空の父親が西海岸沿いに拠点を構えているのであれば、可能性はあるな……調べてみるか」
早速毒島がユーフォを起動する。複数のタブでテキパキと検索し、あっという間に企業の情報を集めていく。
「Doodle、ノブナガ社、CYBERSKY……巨大企業がかなり多く集まっているな」
検索結果を口にする毒島。Doodleはユーフォの設計・販売を行っている企業で、CYBERSKYはAI開発の最先端を行く企業だ。どちらも世界的なハイテク企業である。ノブナガ社は聞いたことがなかったが、どうやら日系の医療機器メーカーらしい。
「ボクらには想像も付かないような、それこそNIT社が霞むほどの世界的大企業だな」
「だが、即座に何かの情報になったわけでは無いな。CBSに調べて貰うことは出来るか?」
「ああ、ばっちり提言しとくぜ」
任せとけと胸を叩くレオーネ。ラヴビルダー――それも総帥チームのメンバーなので、ある程度の発言権は持っているのだろう。
それにしても、CBSが調べてくれるというのは心強い。先の企業群がマスカレードと繋がっているかは未知数だが、直接繋がりが無くても何かしらの情報は掴めるかも知れない。頼れるのであれば頼っておいて損はないだろう。
その時、置き去りにされていた千空が突然口を開いた。
「あのさ、ひとつ気になってることがあるんだ……言って良いか?」
「ああ、なんでも言ってくれ。そもそもお前のことだからな」
毒島に促され、一呼吸おいてから千空はその疑念を口にした。
「カジノで観た映像……確かに、あれは俺の父さんだった。でも……『瞳』が違ったんだ」
虚ろな様子で千空が語る。その姿は、この世の終わりを思わせるほどであった。
人の瞳は、その人の精神や信念を如実に映し出す。心が変わらない限りそれが変わることは無く、静也の父や心愛、九十九も、犯罪組織に居ながら気高い意志をその瞳に宿していた。
だが……映像で見た彼の父の瞳は……酷く濁っていた。
「今の父さんは……本当に墜ちちまったのかもって……」
額に手を当てて俯く千空。
すると、毒島が千空の頭に手を乗せた。
「今のお前は冷静じゃ無いから気付かなかったかもしれんがな、そもそもお前の父親は攫われたんだ。目がおかしいって言うなら、それこそ不本意で組織に従っているだけかもしれんし、操られているだけという可能性だってある」
「!?」
「それにだな。断言させて貰うが、お前の父はどんなことがあろうと組織に与するようなことはしない。これは、俺だから断言できることだ」
その言葉は、今の千空にとって一番欲していたものだろう。友人である毒島の言葉には、確かな重みがある。彼は、彼にしか出来ない方法で千空の塞ぎ込んだ心を連れ戻したのだ。
しかし、それは悪手だったのかも知れない。
彼の言葉を聞き、千空が一気にまくし立てる。
「だったら、一刻も早く手がかりを……西海岸沿いに拠点があるかもしれないんだろ!? その辺で大きな都市ってどこがあるんだ?!」
「一番近いのはニューアンジェルスだな。そこから少し南下するとセント・ジャック、北上すればセント・ジョゼとセント・ジョバンニがあるが……」
「それじゃあ、そこに行って……!」
「ちょっと待って千空君!」
慌てて止める未來。暴走を始めた今の千空には、筆舌に尽くしがたい危うさを感じた。
「詳しい情報が無いのに向かっても、危ないだけだよ!」
「危なくてもなにか出来ることをしねえとなんだよ! それに、父さんを探すことはマスカレードを調べることにもなるし……」
「でも……今の千空君は、全然頼れる気がしないよ……!」
「……!」
未來の言葉に、一瞬の躊躇いを見せる千空。
その隙を逃さず、毒島が理路整然とたたみかける。
「千空、これはお前だけの問題じゃ無い。ある程度の確証があった廃ビル調査で、楓が重大な被害を受けた。車の中で待機していた楓がだぞ。むやみな行動は、周りも巻き込むんだ」
「……っ」
毒島に詰められ唇を噛む千空。相当な力だったのだろう、口の端から血が滲んでいる。
だが、それでも千空は止まらなかった。
「……だったら一人でやるさ! そうすりゃ皆は安全だろ!」
「それをヤケクソというんだ、千空!」
「ヤケクソだってなんだっていい! これは俺の問題なんだよ!」
そう叫ぶ今の千空には、あの時のような頼もしさなんて欠片も無かった。少し触れるだけで全てが壊れてしまいそうな、そんな感じだった。
――私も協力するよ。私のキャストは過去を観ることが出来るから。
――助かるよ。
あの日の千空は、もういないのだろうか。父を探すことを協力すると言った未來に、笑って感謝を伝えてくれた千空は。彼が周りを拒絶してでも進むというのであれば、それは二人で頑張ってきたこれまでさえもが嘘になってしまうようで……それが、悲しかった。
「だめ……だよ……」
力なく呟く。このまま千空を止められなかったら、彼はいともたやすく、悲劇のようにあっけなく死んでしまうのでは無いか――そんな恐怖が、未來を支配した。
その時、千空がぽろっと零す。
「……まあ、両親健在の未來にはわからないだろうな」
それは、きっと無意識だったのだろう。
それでも……その言葉は、不安定になっていた未來の心を揺るがすには十分だった。
「おいキミ!!」
静也が机を激しく叩き声を荒らげる。
突然豹変した彼の様子に、千空はハッとした表情を浮かべ口元を押さえた。
だが、既に遅かった。
決定的だったのだ。
その言葉は、明確に未來の地雷を踏み抜いた。
「わからないよ」
未來は小さく呟く。押さえようとしたけど、口からこぼれてしまったというように。
だが、一度こぼれてしまったものは取り返しが付かないものだ。
大波のように、一気に押し寄せる。
「わからないよ! 私には生まれたときからお父さんもお母さんも居たんだ……千空君の気持ちなんて分かるわけない……でも、分かろうとしてきたつもりだった!」
分かろうとしてきた……というのは、都合の良い言い方なのだろう。
ただ、自分が分かってあげたかった。
きっと、それが本音。
でも、彼の言葉は……彼女が今まで大切にしてきた想いの全てを否定するのと同義だった。
千空には、一ミリも届いていなかったのだ。
「それにさ……最近音楽で全然呼んでくれないじゃん……聞いてもなんか曖昧だし……もう、私要らなくなっちゃった……?」
自分で言っておいて、思わず目元を押さえる。ちゃんと考えればそんなことありえないって分かるはずなのに、今の未來は冷静では無かった。冷静では居られなかった。
だから、千空の「いや、そうじゃないんだ…………」という言葉さえも、聞こえない。
もうなにも、きこえない。
「わかんないよ……千空君の事、もう何もわかんない……!」
自分でも驚くほどの激情が身体の自由さえも奪う。
未來は脇目も振らず部屋を飛び出した。
彼女が最後に見た彼の顔は、今まで見た誰よりも悲しげな顔をしていた。
「はぁ……」
ホテルの屋上で、千空は一人黄昏れていた。
フェンスにもたれかかり、ぼうっと遠くの雲を数える。
「アイズホープの男ってのは、どいつもこいつも黄昏れてるな」
「静也……」
「ま、もう一人の黄昏男はボクなんだがね」
静也が千空の隣に座り込む。フェンスを背もたれにしているが、痛くないのだろうか。
ふうとため息を吐き、空を見上げる静也。
そのまま、千空へ目を合わせることもなく話し始める。
「……言ってしまったものは仕方ないさ。これは受け売りだが、起こってしまったことを後悔してもそれが覆ることはない。たとえ1分前――いや、1秒前の出来事だったとしても、それはもう〝過去〟でしかないんだからな」
その話は、いつか聞いたことがあった。
確か、楓のお見舞いで優奈が……
「それって、神木さんが言ってたっていう――」
「なんだ、優奈の奴、話してたのか。まあいいさ。だからだな、キミが今すべきことはなんなのか、わかるんじゃあないのか?」
「……わかってはいるはずなんだ。でも……俺、怖くなっちまってさ」
俯きながら強く瞼を閉じる千空。こうなると、てこでも動かなそうである。
そんな千空の様子にしびれを切らしたのか、静也は「仕方の無い奴だなキミは」と言い放ちユーフォを起動した。そして、おもむろに誰かに通話を掛ける。
静かな屋上にコール音が響く。無機質な電子音が数回繰り返され――通話相手が応答した。
画面に映ったのは、風見だった。
「あ、風見ネエさんかい? 実はかくかくしかじかでさ」
風見に事細かく説明する静也。
しばらく話を聞き状況を察した風見が、千空に問う。
『なるほどネ。それで千空ちゃん、なにが怖いのカシラ?』
「……俺、さっきあんなこと言うつもりなんて無かったんです。なのに、咄嗟に口から出てて……それってつまり、俺の本心って事じゃないのかなって。だとしたら、俺は……」
風見に答える声が恐怖で震える。自分は、父親のことであんなに熱くなっていたのに……心の中は冷たかったのだろうか。
すると、風見は意外なことを口にした。
『……あのネ、千空ちゃん。人ってのはね、得てして本心とは裏腹のことを言ってしまうものヨ。特に昂ぶってたりすると、表面的な感情が相手を傷つけるための言葉を選んで吐き出してしまう。そう言う生き物ヨ、人は』
諭すように告げる風見。
人は本心と裏腹のことを言う……そんなことは、考えたこともなかった。
「それじゃあ……」
『千空ちゃん自身はどうなの? 未來ちゃんに対して本気でそんな風に思っていると思うノ?』
「……!」
ハッとする千空。そうだ……そうだったと、自分の中にある心が声を上げる。
未來は自分の事を分かろうとしてくれていた。それは千空自身も理解していたし、だからこそ、いつだって自分は未來のことを信頼していたんじゃないか。単に仲間だから、と言うだけではない。
そんな未來に対して、「どうせわからないだろ」なんて本心から思うだろうか。
いや、そんなわけがない。
そんなわけが、なかったのだ。
『未來ちゃんだって、きっと同じよ。千空ちゃんにあんなこというつもりなんてなかったハズ。だったら、未來ちゃんも千空ちゃんの言葉が本心じゃないって分かってるんじゃないかしラ?』
千空は、静也がどうして風見に通話を繋げたのかを、今になって完璧に理解した。
「……そうですね。そうですよね。ありがとうございます、風見さん」
『自分の事は、自分が一番知っているものヨ。だったら、自分が一番信じてあげないと』
「はい……!」
自信を持って答える千空。その姿には、今まで通りの頼もしさがよみがえっていた。
「さて、これは独り言だが……レオーネが、一階に未來が居たと言っていたな。これは、独り言だからな?」
気取った真似をする静也。どう考えても、独り言なわけがない。
だが、今の千空にはそれがありがたかった。
「ちょっと、行ってくるよ」
早足で屋上を後にする千空。募る思いが、胸の鼓動を早くする。
ちゃんと、伝えなくては。
そうして千空はホテル内を駆ける。
それが、今の自分に課せられた最大の責務なのだから――
ホテル一階――エレベータ脇にあるふかふかのソファ。
そこに座るのは一人の少女。手のひらには彼女専用のモニターイヤホンが載せられている。
未來は、一人で反省会を開いていた。
(はぁ……なんであんなこと言っちゃったんだろ)
深々とため息をつく。先ほどの自分は本当にどうかしていた。
(だめだなぁ、私。千空君がお父さんを見つけることにどれだけ真剣なのか、私が一番わかってなきゃいけないハズなのに。何言ってるんだろ)
少しさみしげな顔をした後、イヤホンを耳に付ける。千空がくれたそれを付けると、心が落ち着くような気がした。そんな気がする時点で、実際に落ち着いているのだろう。
だからだろうか。まるで嵐のようであった先ほどとは違い、ひどく冷静になれる。
(考えてみれば、探してすらなかった静也君のお父さんは先に見つかったんだよね……もしかしたら、心のどこかで焦ってたのかも。そんな時、やっとの思いで手がかりが見つかったわけで……ああなるのも、無理はないよね)
それは、核心であった。分からないと言いつつ、未來は千空のことをかなり高い解像度で理解していたのである。彼女の分かりたいという思いは、それほどまでに本物で……強かった。
(よし、ちゃんと謝ろう)
覚悟を決め、目をつむる。
その時、声がした。
「未來……」
目を開けば、目の前に千空がいた。
それも……偽りの姿なんかじゃ無い、見慣れた彼の姿で。
「ちょっとさ、外歩かないか?」
「え、でも……」
尻込みする未來。静也のことがあったので、単独行動は制限されている。
だが、そんな未來に彼はなんてこと無いだろと告げる。
「俺が来てるから、二人組ではある」
「うん、それもそっか」
簡単に提案を受け入れる未來。考えてみればちゃんと二人行動のハズなのに、どうして単独行動だなんて思ってしまったのか。さっき頼もしさを感じなかったからと言って、それは流石にあんまりである。
ソファから立ち上がると、未來は自身に掛けられた「SIMPLE」を解除する。もちろん、理由は言うまでも無い。彼がそうしているのだから、自分もそうしたかった。
ちゃんと……本当の自分で話がしたかった。
きっと、彼もそうだろうから。
「じゃ、いくか」
「うん」
そうして、未來はラ・ベガの街へと繰り出して行くのだった。
ちゃんと仲直りできることを期待して……
「……というわけで、二人は外へ向かった。それと、変装を解除していたから、二人の帰りは車になる。以上だ」
『ああ、わかった。すまんな』
千空と未來の様子を確認し、事後報告を行うエルフォード。先ほど部屋に居なかったのは、ホテルの入口で敵の警戒をしていたからである。未來が部屋を飛び出すのを毒島が止めなかったのも、それが理由だ。
『それにしても……二人とも、最近はしっかりしてきたと思っていたんだがな……未來なんて、今まで見たことも無いようないい顔をするようになっていたし。二人とももうすぐ高二なんだから、もう少し……』
「……まだ高二、だ」
『ん?』
含みのあるエルフォードの言葉に、眉をひそめる毒島。
そんな彼にエルフォードは静かに答える。
「……高校生って、何かと責任を背負わされたりするが……まだまだ全然子どもだ。何かを決意して、成長して……でも、成長したままで居られるのなんてフィクションの世界だけで、ちょっとしたきっかけで逆戻りしてしまうのが現実だ」
その言葉には、ちょっとした憂いが込もっていた。彼がラヴビルダーに入る前に何をしていたのかは誰も知らないが……もしかしたら、子どもを相手にする仕事だったのかも知れない。
『……そうかもしれんな。俺も少し、頭を冷やした方が良さそうだ』
「そんな、とんでもない――」
とその時、エルフォードは背後から声を掛けられた。
毒島に「すまない」とだけ断りを入れ、声のした方へ振り返るエルフォード。
一体、誰が声を掛けてきたのだろうか。心当たりが無い。
振り向き際に顔を確認する。
だが……
その人物を見て、エルフォードはひどく戦慄した。
最悪の事態とは、突然やってくるらしい。
同時に、自分はとんでもないミスを犯してしまったようである。
目の前には――変装したままの千空がいた。
「千空……か? どういうことだ……さっき、SIMPLEは解除したんじゃ無いのか?」
「なんのことです?」
首をかしげる千空。
エルフォードが何を言っているのか、分からない。
どうしてそんな顔をするのか、わからない。
「さっき、元の顔で未來と出かけていったんじゃないのか……?」
「出かけ……誰の話を…………!?」
だが、続くエルフォードの言葉であることに気づき、ユーフォを確認する千空。大急ぎで位置情報アプリを起動して、未來の位置を確認する。
遠い……未來の位置を示すマーカーが、ホテルから離れていく。もう既に、数百メートルは離れているのではないだろうか。
――むしろ厄介なのは、変身能力の方かな。
顔が青ざめていくのを感じる。
どうして一人にしてしまったのだろうか。
膝が崩れそうになる。
だが、そんなことをしている場合では無い。
千空は走り出した。
頼むから間に合ってくれと、今までに出したことの無いほどの全力で市街地を駆ける。
かつて無い恐怖が、千空を包み込んでいた。
「ねえ、千空君。さっきのことだけど」
歩きながらおもむろに切り出す未來。
二人でホテルを出てから、十分ほど歩いただろうか。
そろそろ……頃合いな気がする。
「その……私ね……」
握った拳に力が入り、微かに震える。
未來は、勇気を振り絞ってその先を告げようとした。
だが……
「私――」
「悪い、お前が言おうとしてる言葉、俺じゃ受け取れない」
未來が全てを口にする前に、千空はそれを遮った。
「え……?」
一瞬、頭が混乱した。
受け取れない……それは、仲直りをする気は無いと言うことだろうか。
いや……それはない。だって、外に誘ったのは千空からだし、先のことを取り戻そうとしていないのであれば、そんなことをする意味が無い。
では、彼の言葉は一体……?
その時、ふとユーフォが鳴り響く。
今はそれどころでは無い――そう思い未來は着信を無視しようとしたが、ふと見えた着信相手の表示に、彼女はひどく戦慄することになる。
[瑞波千空]
思わず、目の前の人物から後ずさる未來。
ユーフォに表示された名前……それは、紛れもなく彼のものであった。
ふと、昨日の話を思い出す。
不夜の光には、変身能力があるという話を。
だが、未來が全てを理解した頃にはもう遅かった。
未來の身体にスタンガンがあてがわれ――
そこで未來の意識は途絶えた。




