11話 それぞれの生きる意味 98項「想うからこそ」
千空と未來がカジノの調査に向かった後――
静也は、CBS本部内のカフェで一人黄昏れていた。
「ふぅ……」
コーヒーカップをコースターに置き、左手の中身を眺める。
それは、カジノで耳から引きちぎった――父とおそろいだというイヤリングであった。一度は捨てようと思っていたのに、静也は結局それを捨てられずにいた。
「…………」
じっとイヤリングを見つめる。
すると、後ろから声を掛けられた。
「珍しいわね、静也。あんたがそこまでセンチになるなんて」
「なんだ、優奈か」
いつもの調子で優奈へ返事をする静也。だが、やはり普段の明るさには欠ける。
「悩んでるのね」
「……キミは、どう思う?」
優奈に尋ねる。「どうって?」と問い返す優奈に、静也は静かに続けた。
「マスカレードにも、ファルのような人間がいた。強い信念を持ちながらも、正義を信じる心を利用されている人間が」
ファル・ファリーナ。彼女は、保護区という世界の闇の側面を嘆き、それを変えることが自身の正義だと信じて行動していた。それが、利用されているだけとも知らずに。それが、悪だとも知らずに。
勿論、キャストを悪用していたことは悪だろうし、そこは覆しようがない。だが、彼女は勝負で不正はしていないし、カジノの売上も彼女の実力によるものだった。そして、その売上が真の悪に使われることなど微塵も知らなかった。
果たして彼女は、本当に悪だったのだろうか。その答えを見つけることは叶わないのだろうけど、静也は、彼女が真に悪だったとは思えなかった。
「ボクの父さんは……これが自分の正義だと言った」
「……そう」
「眼が、同じだった」
ひときわ強く、静也はその言葉を口にした。
静也の父――彼の眼は、嘘をついている人間の眼ではなかった。強い信念を持った、そんな眼。千空たちアイズホープのメンバーや、ファル・ファリーナと同じ瞳。
彼の信念に、きっと偽りはない。
だったら……
「ボクは、信じるさ。父さんを」
左手を握りしめる。これは、自分たち家族を繋ぐ最後の糸――そんな気がした。
彼はどうしてマスカレードにいるのか。
ファル・ファリーナのように騙されている?
何か別の理由があって、本心からマスカレードに入った?
彼がどんな考えを持ってマスカレードにいるのかは分からない。
それでも……
信じなくてはいけない。
父のこと。
そして――父の信じる正義のことを。
「ま、あんたが決めたんならあたしはそれで良いと思うわ」
「ずいぶん適当だな」
「これは、あんたが決めることだからね」
「……確かにな」
それは、核心を突いた答えだった。この問題は静也とその家族の問題であって、優奈が関わるべきことではない。優奈はそれをよく理解していた。
彼が彼女に話をしたのも、自分で決めろ、そう言って欲しかったからなのかも知れない。
「そうだ、キミも何か頼んだらどうだい?」
「そうね。カプチーノでも頼もうかしら」
静也に促され、優奈が呼び鈴を鳴らす。
日当たりの良いカフェで、穏やかな時間が過ぎてゆく。
優奈がカプチーノを飲み終わってからしばらくした頃。
毒島が現れた。
「おお優奈、こんな所にいたのか」
「あら、ぶっさん」
どうやら彼女を探していたらしい。やっと見つけたとでも言いたげな顔をしているが、だったら通話を掛けてこれば良かったのにと思わざるを得ない。
「なにか用かしら?」
「ああ、会わせたいやつがいてな。まあ、付いてきてくれればわかる」
あまりにも突飛な話に、怪訝な顔をする優奈。だが、静也が「行ってみればいいじゃないか」と後押ししたので、彼女は仕方なく毒島に付いていくことにした。
本部内を少し歩き、駐車場へ向かう。乗り込む車は外から中が見えないようになっており、顔が割れているアイズホープメンバーでも安心して乗ることが出来た。
「結構遠いのかしら?」
「いや、隣町のビッグ・ハウスまでだからそうでもない。一時間って所だな」
後部座席に座る優奈の隣で腕を組む毒島。日ノ和に居た頃は運転を担当することが多かった彼も、アルメリカではCBSの人間に頼り切りである。
そうして車に揺られること50分。
やってきたのは、SS研究医療施設であった。アルメリカのサリエルシンドローム罹患者収容施設「天のゆりかご」と連携しており、キャスターの患者も受け入れてくれるらしい。
しかし思い当たる節がない。当たり前だが、アルメリカにキャスターの知り合いは居ない。
面会の手続きを終えた毒島に、なすがまま付いていく優奈。エレベーターに乗り込むと、二人を乗せた鉄の箱は目的の階へと昇っていく。怪訝な表情が、収まりそうにない。
本当に、毒島は一体誰と会わせようとしているのか。
ピンポンという音と共にエレベーターのドアが開く。
もしもしょうもない相手だったら……そう思いながらエレベーターを降り――優奈は、心臓が止まりそうな感覚に襲われた。
――聞こえるのだ…………懐かしい音色が。
頭が何度も否定する。
そんなはずはないと。
そんなこと、あるはずがないと。
それでも、期待せずには居られない。
毒島に言われた部屋に近づくにつれ、ピアノの音はどんどんと大きくなってくる。
部屋の扉をしずかに開く。
そっと、この音色を邪魔しないように。
「サキ……」
そこに居たのは……かつてのようにピアノを演奏する親友。
自分が未来を奪ってしまったはずの相手。
もう、会ってはいけないはずの相手。
相花 咲。
ピアノの音色が静かに止まる。
彼女がこちらを振り向き――
「ゆーちゃん!」
7年。
本当ならば、今頃彼女は輝かしい舞台に立っていたかも知れない。
その可能性を奪ったのは、自分だ。
だから、今この瞬間に喜びを感じている自分が許せない。
自分に、そんな資格はないというのに。
でも、だとしても……
「サキ……良かった……本当に良かった」
こちらへ飛び込んでくる彼女の身体を、優奈は優しく抱きしめることしか出来なかった。
「ゆーちゃん……えへへ」
「サキ……あなた、腕が……」
サキの右手を両手で握る。大切な大切なものを、心から抱きしめるように。
そんな優奈の手が、しっかりと握り返された。
それだけで、一体どれほど彼女が救われただろうか。
涙をにじませる彼女の瞳を見たとしても、それを理解することはかなわなかった。
「もう、大丈夫なのよね……?」
「うん。そのために、この施設に送られたから」
優しい笑みを浮かべるサキ。優奈の瞳から一筋の雫がこぼれる。
サキはあの事故の後、一度は日ノ和のSS研究医療施設に送られたそうだ。しかし、日ノ和ではサリエルシンドロームの影響による傷病の前例が少なく、また「FLORA」による症状も情報が全くなかったため処置のしようが無かった。
しかし、サキは世界的にも期待されているピアニストである。国としても失うわけにはいかず、より高度な技術と膨大なデータを持つアルメリカの施設へと転院させられることになり、今日までここで過ごしていたのだという。
「それじゃあ、少しずつリハビリをして今みたいに……?」
「ううん、違うの。ほんの数ヶ月前までは、全然動かなかったよ」
「……! あたし……本当になんてことを……」
「わわ、謝らないで! それにね、この腕は、ゆーちゃんのおかげで治ったんだよ?」
「え……それってどういう……」
不思議そうに首をかしげる優奈に、サキは説明してくれた。
というのも、彼女が言ったように、腕が動くようになったのはここ最近のことで、それまでは「FLORA」の影響が残っており動く気配すら見せなかったらしい。
しかし、半年前……とあることが起きた。
それは、優奈が「FLORA」を使えるようになったこと。
「そのおかげで、キャストの詳しい情報が手に入って、治療が進んだんだよ」
「そうだったの……」
優奈が「FLORA」を使えることになったことで、人体を植物化させる時の念波特性や伝子への干渉の性質などが解析可能になった。各国のSS研究医療施設はサリエルシンドローム罹患者収容施設と連携しており、天使の宿街や天のゆりかご経由で情報をやりとりすることが出来るため、優奈の「FLORA」についての情報はこの施設にもすぐに共有された。
その結果、サキの症状の解析も進み、彼女の腕に残されていた影響を取り払うことに成功したのだという。
優奈の覚悟が、自分が苦しめていた相手をも救ったのである。
「でも……それじゃあ……」
思うところがないわけではない優奈。彼女の精神がキャストの制限などをしていなければ、咲はもっと早くに腕が治っていたかもしれない。輝かしい舞台に立てていたかもしれない。
やっぱり、何から何まで自分のせいで――
そのとき、サキが優奈を抱きしめた。
「サキ……?」
「ゆーちゃんが考えそうなこと、わかる。でも、それは違うよ。だって、ゆーちゃんだって、いっぱいいっぱい苦しんだじゃん。もう、苦しまなくていいんだよ」
優奈を抱きしめる腕に力が込められ……ほおを伝う二つの雫が混じり合う。
心の中の奥深くに残っていたもやが、すーっと晴れていく。
このとき、優奈は本当の意味で救われた。
彼女はもう……自由だ。
「あのね、今度……コンサートに出るんだ。『事故によって夢を諦めたピアニストが、奇跡の復活』だってさ」
「うん……うん……!」
「本当は誰にも言ったらだめなんだけど……ゆーちゃんにだけは、自分の口から伝えたかった」
「……聞けてよかった。サキ……」
再び抱きしめ合う。
二人の絆は、簡単に途切れなどしなかった。
それはきっと……どんなに離れていたとしても、互いが互いを想っていたから。
心の底から想っていたから。
人の愛は儚くとも――確かに強かった。
その後、二人の居る病室からはピアノの音色が響いていた。
数年越しの演奏会。
観客は、演奏者が誰よりも想った相手。
ただ一人。
エアリアル・エクスペリエンスに着いた未來と千空は、現地のCBS捜査官から調査する部屋についての説明を受けていた。
「わかりました。今日はVIPルームを調べるんですね」
「VIPルームか……あの仕掛けはもう大丈夫なんですか?」
隣で聞いていた千空が捜査官に訪ねる。ファル・ファリーナと戦ったあの日、VIPルームでは防衛タレットという名の兵器がその残虐性を余すことなく発揮していた。
だが、それは杞憂だろう。
そんな未來の考えを肯定するかのように捜査官が答える。
「大丈夫ですよ。施設内に配置されている敵性機器はすべて回収しましたから。スキャン漏れもないはずです」
あの日……防衛タレットを前に、未來たちは前回逃げることしかできなかった。今回もアレが残っているのだとしたら……と千空は考えたのだろうが、すでに捜査官が何事もなく捜査できているのだから、それはあり得ない話であった。
「心配しすぎだよ」
「いや……まあ、そうだよな」
何か言いたげだったが、押し黙る千空。彼は自分のキャストの性質ゆえに、人を庇うことが自分の仕事だと思っている。確かに、メンバーとしての役割ならばそれが正しいのだが……それでも、やはり気負いすぎにも思ってしまう。
だが、それを否定してしまっては――千空自身を否定することになる。それに千空は自分たちを守ってくれているのだから、そんな考えを持つこと自体が失礼なのかもしれない。
守られている側の自分たちにできることはただ一つ。
彼がこの先も、何事もなくメンバーとして居られること。
それだけだった。
「じゃあ、頼むぜ未來。なんてったって、最近の『REAXTION』はすごいからな」
「うん、まかせて」
頬をかきながら頷く。おとといの食堂でもそうだったが……彼は未來のキャストが成長していることを手放しに褒めてくれる。
だが……未來のキャストが成長したのは、紛れもなく千空のおかげであった。
深い霧の中に迷い込んでいたこんな自分に、進むべき道を見つけさせてくれた。
彼が、自分の手を引いてくれたのだ。
だったら……と、未來は思う。
このカジノでは、彼の父親の手がかりが見つかるかもしれない。
千空の気持ちはわからない。未來には、父親が拉致された経験も記憶を失った経験もない。
でも、わからないからこそ……少しずつ知っていきたいし、寄り添いたい。
なにより、力になりたい。
不思議な気持ちだった。他人に対してこんな風に想ったのは初めてのことだった。
もちろん、アイズホープの仲間のことは大切に思っていた。
でも、彼に対する想いはそれとはまた違う感覚。言葉にできない、不思議な感覚。
それは、本来あるべきものではないのかもしれないけれど。
想いは、確かにそこにあった。
(最近音楽は機会ないし、こっちで力になろう。だって、お父さんを探すの手伝うって約束したんだもんね。……よし、頑張らないと!)
未來は深呼吸をして気を引き締める。
そうして、長い長い捜査が始まった。
これが、彼女の進むべき道である。




