11話 それぞれの生きる意味 96項「安息」
目を覚ませば、そこは知らない天井であった。
いや、知らないわけではない。まだ慣れていないだけで、この光景はすでに何度か目にしている。単に、新しい環境に適応するのが遅いだけである。
布団を剥ぎ取りベッドから降りる。時計を見ると、時刻は午前6時30分を示していた。こんな時間によく一人で起きれたものだと、我ながら感心する。
適当な服に着替え、寝癖直しウォーターで湿らせた髪をわしわしと整える。完璧とまでは行かないがそれなりに身なりを整えた千空は、あくびを一つしてから部屋の扉を開いた。
病棟のように無機質な廊下を歩く。
少し進むと、よく知った顔があった。
「あ、千空君。最近早いね」
未來である。
「まあな。未來も今から朝ご飯か?」
「うん、一緒に行こ」
食堂に向かって歩き始める二人。
カジノでの一件があってから10日ほどが経過した頃。
千空たちアイズホープメンバーはCBS本部――その中にある寮で生活していた。
「なんか、宿街と比べると窮屈だよね」
ちょっとした愚痴をこぼす未來。彼女の言うとおり、ここでの生活は宿街に居た頃よりも遥かに肩の凝るものだった。それはゆとりがないとかそう言う意味ではなく、空気が硬いというか堅いというか、ただ居るだけで普段よりも重力を強く感じるような、そういう居心地の悪さがここにはあった。
「俺が早起きしちゃうのも、もしかしたら慣れない環境で気が張ってるのかも」
「それはそれであんまり良く無さそうだけど……健康的な意味でも」
苦笑いをする未來。緊張や環境に慣れないストレスから目が覚めてしまうと言うのは、詳しくはないがきっと身体に悪いことなのだろう。自律神経なんかは諸に乱れそうである。
そんな風に軽口をたたき合っていると、二人は食堂にたどり着いた。寮の朝食はビュッフェ形式である。卵料理やベーコン、パンなど、朝からでも食べやすい品をトレーに取ると、二人は席に着いた。
「そういえばさ、作曲って最近どんな感じなの?」
「え?」
クロワッサンのフレンチトーストにベリーソースをかけながら、未來が尋ねる。
「ほら、もう三月も半ばじゃん? でもさ、二月の初めにRECしてから、もう全然だし……最近どうなのかな~って思って」
「あー……確かに」
千空自身もわかってはいたが、ここしばらく音楽活動に未來を呼んでいなかった。イヤホンが届いた後の2ヶ月弱はかなりの頻度で彼女を呼んでいたので、彼女からしても暇を持て余していたのかも知れない。
とはいえ、コンペに参加している以上こちらにも色々と都合がある。それに、マスカレードのことも同時進行で考えないといけないので、RECをしてばかりもいられないのである。
「まあ、色々忙しいしな」
「そっか。確かにばたばたしてたもんね、最近」
仕方ないかと割り切った顔をする未來。食堂に備え付けられたテレビからは「主要犯罪組織ワクワクファミリー壊滅」というニュースが流れていた。
「そうだ、じゃあさ、今日部屋って良い?」
「今日か?」
「RECが無いって言っても、作曲はしてるんでしょ? だったら――」
「あー……今やってるのは未來にも聴かせられないやつだからな……悪い」
「じゃあしょうがないね……」
今度は隠しもせずに残念そうな顔をする未來。千空はなんだか申し訳ない気持ちになった。
だが、無理なものは無理なので、心は痛むが潔く諦めて貰うしかなかった。
「っていうかさ、明日から任務なんだし、今日はゆっくりした方が良いだろ?」
「それはそうだけど……」
「俺たちはキャストを使わないといけないわけだし、任務があるって分かってるなら英気を養っておくのも仕事の内だって」
ソーセージにフォークを刺しながら千空が説法する。パリッと言う小気味よい音と共に、歯先から肉汁が溢れだす。
明日からの任務――それは、カジノ「エアリアル・エクスペリエンス」の調査だった。
この間の事件により、エアリアル・エクスペリエンスは無期限の休業となっている。表向きは最高責任者であるファル・ファリーナが失踪したことになっているので当然であった。
だが、実状は違う。ファル・ファリーナは組織により抹殺されており、カジノが組織のものだったということも判明済み。カジノ「エアリアル・エクスペリエンス」が営業再開する日は、恐らく来ないだろう。
現在、エアリアル・エクスペリエンスではCBSが調査を行っている。調査は宿街にもあったキャストを無効化する防護服を着て行われており、これなら記憶が改竄される恐れもない。
だが、それでも組織の情報はなかなか手に入っていないという。既に証拠となり得るものは全て回収されており、記憶を改竄される以前に、物理的に何も残っていなかったのである。ファル・ファリーナは組織のことを殆ど知らされていなかった様子だったので、組織の情報に繋がるものは殆ど置いていなかったのだろう。
それでも、エアリアル・エクスペリエンスは組織と直接繋がる施設だ。決定的な手がかりが見つかるかも知れないというのに、はいダメでしたとこのまま諦めるはずがない。
そこで登場するのが、未來と千空である。
「全部の部屋を見るわけだよね? 一日に一部屋しか観れないし、結構時間掛りそう……」
「重要そうな部屋だけでも、一週間くらいはかかるかもな」
千空たちが入った部屋だけでも、応接室にVIPルーム……廊下も合わせるとかなりの数がある。支配人ルームも当然あるはずなので、それらを全て確認しようと思うと途方もない時間が掛りそうだった。
「でも、千空君のお父さんの情報も手に入るかも知れないし、隅々まで探さないと」
「ああ、ありがとな。ま、気長にやっていこう。それに、一日で終わるならまだマシだよ」
そう言い、グラスのミルクを飲む千空。結露した水滴で手が濡れたので、備え付けの紙ナプキンでさっと拭き取る。
実際、一部屋の調査が一日で終わるのであればまだ楽な方だった。
未來の「REAXTION」は、一度の範囲設定で半径10メートルの範囲しか観ることが出来ない。だから、本来ならば一部屋見るだけでも数日かかる可能性すらあった。直径20メートル以上ある部屋なんて掃いて捨てるほどあるのだから。
だが、今ならそうはならない。
それは、未來のキャストが成長してきているからだった。
今の「REAXTION」は、一度の範囲設定で半径25メートル、千空の強化込みでは半径50メートルもの長距離を確認できるようになっている。それだけでなく、千空の強化無しでも細かい文字を読めるようになっており、これは掛け値無しにものすごい成長と言えた。
「ほんと、どんな訓練すればそんなに成長するんだよ……」
「えへへ……」
本人は照れ隠しなのか笑っているが、彼女の成長がなければ明日からの調査は地獄を見る羽目になっていただろう。そうなっていれば千空にとっても大変な任務となっていたので、本当に未來様々であった。
「てかさ、カジノってかなり重要な資金源だろ? そこを落とせたのって、めちゃくちゃデカいと思うんだよな」
「そだね。流石に他にもたくさん資金源はあるだろうけど、去年には鉱山も落とせてるから結構な痛手だと思う」
「つまり、父さんに近づくと同時に、組織へも着実にダメージを入れられてるわけだ」
にやりと笑みを浮かべながらソーセージを頬張る。
千空の目的は父を見つけること、そして父に認められること。だが、それを叶えるための行動が、マスカレードという世界の敵に対しても大きな槍となっている。
そう考えると、千空は自分たちがとても大きなことを成し遂げようとしているのではないかとさえ思えてきた。もしかしたら、このままマスカレードを壊滅させることが出来るかも知れない。
まあ、油断は一番の大敵なので、あまり調子に乗ることは出来ないが。
トレーに残っていたパンの最後のひとかけらを口に入れる。
「さて、お腹も満たされたことだし、明日からの任務に備えて今日はゆっくりしますか」
「じゃあさ、やっぱり部屋行って良い?」
すると、未來が懲りずにそんなことを聞いてくる。何度聞かれても無理なものは無理……と千空は断りかけたが、どうやら続きを聞くにそういうわけではないらしい。
「面白い映画見つけて……小説原作の映画なんだけど、良かったらと思って」
「あー、そういうことか。なら、ちょっと片付けるから待ってろよ」
快諾する千空。考えてみれば、作曲以外で部屋に人を呼んではいけないなんて法はない。映画を見るだけならゆっくり出来るだろうし、たまにはそういうのも良いかもしれない。
食べ終わった朝食のトレーを返却ボックスに返し、部屋へと戻る二人。
そうして、千空たちは任務前最後の休日をのんびり過ごすのだった。