月夜に咲く花
それは、明るい満月の夜のことでした。
町外れの一軒家の庭のかたすみに、色のあせた
リボンを、頭の後ろにつけたおばあさんが座
っていました。
おばあさんの前の小さな花だんには、まっす
ぐ伸びた一本の草が、古ぼけたヒモのような
もので物干し台に結ばれていました。
おばあさんは、なつかしそうに、そのヒモ
をさわりながら、草の先を見ました。
そこには、今にも開きそうな大きなツボミ
が、ひとつついていていました。
「何十年ぶりだろう。こんなにワクワクする
のは… 無理もないわね。長い間まった、約
束の日だものね。それに今日だけは、ひとり
ぼっちじゃないわ。もうすぐ、あなたが目覚
めるから。あのときのようにね…」
おばあさんは、想い出していました。遠い
昔の、まだおさげの似合う女の子だった、あ
の日のことを…。
その日も、満月の夜でした。
それがあまりにもきれいだったので、女の
子は部屋の窓を開けてお月様を見ていました。
「もう遅いから寝ようかな」
女の子が窓を閉めようとしたその時です。
庭のすみから、かすかな声が聞こえてきたのです。
「誰か、助けて…」
「えっ! 助けてって、だれ?」
「私は… 庭の…」
不思議に思った女の子は、急いで庭に出てみました。
「ねえ、どこにいるの?」
「こっち、物干し台の下です」
声のする方を探しましたが、誰も居ません。
「ここです。私の上にある物をどかしてください」
「どかしてって、何を? あれ! 洗濯物が
落ちてる。風で飛ばされたのかなぁ」
女の子が洗濯物を拾い上げるとまた、
先ほどの声がしました。
「ふぅ…」
「だ、誰?」
女の子は、声のした方を見ましたが、そこ
には、しおれかけた一本の草が、地面に寝そ
べるように生えているだけで、誰もいません。
「おかしいなぁ。ねぇ、隠れてないで出てきてよ」
「隠れてなんかいません。私はあなたの足も
とに生えています」
「…えっ! あなたなの?」
なんと女の子に話しかけたのは、目の前の
しおれかけた一本の草でした。
その草は女の子に向かっていいました。
「お願いです。私を助けてください」
「助けるって、何を?」
「私の頭の上の」
「頭の上って… あっ!」
よく見ると茎に、白い大きなツボミがつい
ていて、今にも開きそうでした。
「私に今の、一番輝いているお月様を見せて
ほしいの」
「お月様を? どうやって…」
「立ち上がれば見ることが出来るのだけど、
今の私の力ではもう、起きることさえも出来
ません。どうか私に、お月様を見せてください」
「うん、わかった。お月様が見えるようにす
ればいいのね」
女の子は、その草をすくい上げるようにそ
っと持ち、近くにあった物干し台に立てかけ
ました。
ところがツボミが重くて、うまく立てかけ
ることが、できません。
「うーん、どうしよう。何か支えるような物。
えーと、物干し台に結べるような物はないかなぁ」
女の子は、辺りを探しましたが、それらし
い物はどこにもありませんでした。
「無いかなぁ、細いヒモみたいな物… あっ、
そうだ! これなら、でも…」
女の子は思いついたように、お下げにさわ
り、手を止めました。
手にさわったのは、赤いレースのリボンで
した。それは、昨日の誕生日に、お母さんか
ら貰った大事な宝物です。
「でも、しかたがないよね。これしかないん
だから」
女の子はそういうと、右のお下げのリボン
をほどいて、ツボミのすぐ下の茎を、物干し
台に、そっと結んでいいました。
「これで大丈夫。これならお月様が、よく見
えるでしょ」
「本当にありがとう。これで、やっと咲くこ
とが出来るわ」
お月様の、やわらかい光をあびたツボミは、
少しづつ少しづつ、ふくらんでいきました。
その様子を女の子は、じっと見守っていま
す。まんまるにふくらんだツボミは、女の子
に、まるでおじぎをするように、ゆっくりと
開いていきました。
それは、真っ白の花びらを何枚も重ねたキ
クのような、とてもきれいな花でした。
「わぁ、きれい。私こんなお花、見たことな
いわ。ねえ、何ていうお花なの?」
「私は、月下草といいます」
「つきしたそう?」
「ええ。私はお月様の光でしか咲くことが出
来ない花なんです。でも、お月様の光は弱い
ので、七十年かかってしまうの」
「七十年も?」
「ええ。だから今日咲くことが出来なかった
ら、また七十年待たなければならなかったの。
でもね、お月様の光には、お日様の光には無
い不思議な力があるのよ」
「不思議な力? ああ、おしゃべり出来るも
のね」
「もちろん、それもそうだけど、もうひとつ
あるの」
「もうひとつって?」
「それはね、花を咲かせるために大切な宝物
を使ってくれたあなたに、お礼をするための
力。ひとつだけしか叶えられないけど、ぜひ
あなたの願いを叶えさせて」
「エーッ! 願い? そんな急に言われたっ
て… うーん」
女の子は、考えましたが、何も思いつきま
せん。
今、考えていることは、目の前に咲いてい
る、美しい不思議な月下草と、ずっとお話し
ていたいと思っているだけでした。
「それじゃあ、ねえ、私と友達になってくれ
ない? そして、今みたいに、毎日一緒にお
話しようよ」
「それがあなたの願い?」
「うん」
楽しそうに話す女の子に、月下草はすまな
さそうにいいました。
「ごめんなさい。それだけは出来ないの」
「えぇっ、どうして?」
「私も、あなたと友達になりたい。でも、咲
いていることが出来るのは、お日様が昇るま
での間だけ。明日になったら、次に咲く七十
年後まで、また長い眠りについてしまうの」
「ということは、次にお話できるのは私がお
ばぁちゃんになってから? でもそんな、ず
っと先じゃぁ私忘れちゃうなぁ… そうだ!
お願いすればいいんだ」
「えっ?」
「七十年後に、またこのきれいなお花を見せ
て。そしてまた一緒に、お話しましょう」
女の子の願いを聞いた月下草は、うれしそ
うに答えました。
「ええ。必ず叶えます。そして、またお話し
ましょうね!」
まるで昨日の出来事のように、おばあさん
は七十年前のことを思い出していました。そ
して目の前の月下草のツボミに向かっていい
ました。
「なつかしいわね。でも、今の私が判るかし
ら。せめて目印になるように、あの時の、も
うひとつのリボンを付けてみたけれど」
おばあさんは、そう言いながら頭の後ろに
つけたリボンを撫でました。
すると、ツボミからなつかしい声が聞こえ
てきたのです。
「どんなに時が経っても、私には判ります。
あなたの、あふれるほどの優しさのおかげで、
また咲くことが出来るんだもの」
月下草は、その声と同時に、ゆっくりと花
びらを広げました。
「ああ、きれい…」
おばあさんは、話したいことが沢山あった
のに、すっかり感激して、もう言葉が出てき
ませんでした。
月下草は、いいました。
「私が今、咲くことが出来たのは、あなたが
七十年の間、かかさず世話をしてくれたから
です。そのお礼に、またひとつ願いを叶えさ
せてください」
おばあさんは、その言葉を聞いて、微笑み
ましたが、すぐに目を伏せ、さびしそうにい
いました。
「またあなたに会いたいけれど、もう七十年
は、待てないわ。…それでね、無理なことと
は判っているけれど、あの時の願いを叶えて
ほしいの。明日の朝になったら、また、私は
ひとりぼっちになってしまう。もう、ひとり
はいやなの。今度こそ私と一緒にいてほしいの」
そういったおばあさんの目から涙がポロリ
と落ちて、月下草の花びらをぬらしました。
月下草は、涙にぬれた花びらをキラキラ輝
かせていいました。
「ええ。あなたさえいいのなら、一緒にいま
しょう。ずっと、ずっと。いつまでも…」
次の日の朝、おばあさんの姿は、どこにも
見あたりませんでした。家の中にも、庭にも。
ただ昨日、おばあさんが座っていた物干し
台のすみに、おそろいのリボンをつけた月下
草がふたつ。
仲良くそよ風に、ゆれているだけでした。
終わり