第7話 まろまろ
別にこんなに一生懸命練習されるとは想定外だった。
傷が良くなるまで遊べない、だけどなにか一緒にしたい。
そういう所での答えが魔法を教えるという事だった。
だがリントブルムはわかっていなかった。
彼女が、アナスタシアが、超が付くくらいでは収まらないほどのバカ真面目であることを。
あの日からもうずーとアナスタシアは目が悪くなるんではないかと心配になるくらい目を凝らして#魔素__マナ__#を見ることに必死になっている。
あの後、すぐに#魔素__マナ__#が見えなくなったと言ってそれ以来ずっとこうして空中を凝視している。
リントブルムは思った。
(教えるなんて言わなきゃ良かった。)
と。
話しかけてもアナスタシアは返事もしないくらい集中していた。
この集中力を持ってしても今まで魔法が使えなかったことが不思議なくらいである。
リントブルムが魔法を見せてから3日という時間が流れた。
アナスタシアの傷も程よく癒え、体も動くようにはなってきている。
それなのに身動き一つ取らずジーっと#魔素__マナ__#を見られた日には、リントブルムにとっては退屈な時間がさらに退屈になってしまう。
一人の時は大したことはなかった退屈だが、誰かが横にいるだけで退屈は大きくなってしまうものなのだなと思ったものだ。
一方アナスタシアはというと、人生の中でも充実した日々を送っていた。
自身の成長に限界を感じていたアナスタシア。
肉体の鍛錬はすでに限界値を迎え、驚きの若さである種の到達点へと達してしまった。
故に魔法が使えないというハンデがなければ彼女は歴史上もっとも高名な勇者となっても不思議ではなかったのだ。
だが貴族は完璧さを求めるもの。魔法を使えないという云わば欠陥品のようなレッテルを貼られたアナスタシアはその美しい見た目も貴族達の癪に触ったのだろう。不当な評価を受け続けた日々だった。
それでも王国有数の勇者になれたのはこの集中力があってこそなのだが。
#最早__もはや__#この【ユグドラシル】へ入った時点で奇跡の攻略か名誉の死しか道のなかったアナスタシアにとって今さら評価などなんの価値もないものなのだが。
だから今の彼女にとってこの環境は願ってもないものなのかもしれない。
ルイナ家の一員として評価を気にしてきた人生だったがここでは何も気にしなくていい。
ただ魔法を鍛錬できるという喜びだけが彼女を動かしていたのだ。
ただアナスタシアは知らなかった。
#魔素__マナ__#を目視するというこの訓練。
これがアナスタシアの魔法の才能を大きく開花させていたことを。
このフロアの特殊な魔法陣により、高濃度の#魔素__マナ__#を浴び続けたアナスタシアの体は絶対的な魔法適性のない体質から大きく変化し、魔法を取り扱うに理想的な体質へと変化していた。
それは魔法への感度を上昇させ、今まで感じることのできなかった#魔素__マナ__#を認識というものを変えるだけでいきなり目視させるまでの結果を生むことになる。
そしてその認識を変えるという事がこと魔法に置いて最重要スペックになりえる事なのだ。
アナスタシアは今日も#魔素__マナ__#を見続ける。
これだと思った事をとことん突き詰める。
それがアナスタシアだ。
だがしかしだ。それではリントブルムは遊ぶことができない。
一人遊びをしていてもアナスタシアが気になって仕方がない。
逆に集中できない。
考えた彼が出した答えは、結局彼女の横に座り同じ事をまねるという事であった。
すでに十二分にアナスタシアのしていることをこなすことができるリントブルム。
だが同じ空間で同じことをする。これだけでも楽しいという事にリントブルムは気づいていくことになる。
自分のしたい事だけ主張していた彼は、ここにきて相手に合わせるという社会性を学び始めていた。
これはこれで何百年も生きている彼からすれば大きな発見なのである。
それから1週間の時間がたった。
毎日のように#魔素__マナ__#を見ようと空中を睨み続けたアナスタシアは驚異のスピードでそのコツを会得していく。
もちろんまだ、意識的に集中しないと見えはしないが初めてリントブルムが見せてくれたあの景色がアナスタシアの視界に広がっていた。
「リントブルム、君が見せてくれた景色をやっと再現できるようになったぞ。私にも見えるんだ!!」
喜々としてリントブルムに話しかけるアナスタシア。
「フンフン! それは良かったよ。どうしてだろうね? アナスタシアが喜んでる姿を見ると僕までうれしくなるや。」
フンフンとリントブルムは鼻を鳴らしながら興奮気味に語る。
まるで自分のことのように喜んでいるようだ。
「ありがとう。君がこの素晴らしい景色を私にくれたのだ。感謝するよ。」
美しい赤い髪をサラリと右腕でかき分けながら凛とした笑顔をリントブルムに見せていた。
傷も謎の魔法陣のおかげですっかりと良くなり、やっと本来の笑顔も見え始めたのだろう。
だがリントブルムはそれが何を現すのかよくわかっていた。
アナスタシアはいつかここを出ていく。
いや、いつかではない。傷が治ればここを出ていくのだ。
それは明日かもしれないし今この瞬間かもしれない。
今まで退屈という感情はあったリントブルムだが寂しいという感情を初めて体感している。
「僕は何もしてないよ。アナスタシアが頑張ったからできたんだよ。」
アナスタシアが喜べば自分もうれしい。ただ自分が悲しい顔をすると彼女も悲しいのではないだろうか。
そう思ったリントブルムは精一杯笑って答えて見せた。
「フフ、ドラゴンの表情は読み取りづらいと何かで読んだことがある。フフフ、誰が言ったのやら......。」
産まれて初めて自分の気持ちとは違う表情を見せた事、これはリントブルムの心の成長と言ってもいいだろう。
そんな引きつった笑みを浮かべるドラゴンにアナスタシアも笑いがこみ上げてきた。
リントブルムは自分が演じた嬉しさがやはり伝染したんだと思い、さらに引きつった顔をアナスタシアに見せる。
それを見て、笑ってはいけないと思いながらもその引きつった笑みを見るとどうしても笑ってしまうアナスタシア。
アナスタシアにとっても自分と別れるのを惜しんでくれているというのは感じる。
もちろん死んだ仲間のためにも先へと進む事をやめることはできない。
だがリントブルムと一緒にいてわかったが、どう不意を突こうが油断させようが自分に勝機はないだろう。
それに彼女自身が彼にそんな事をしたくはないと思い始めていた。
リントブルムはアナスタシアの事情を知らない。
だから怪我が治ればおうちに帰るのだろうと思っているのだろう。
彼に私を殺せというのも酷な話なのだろうなとアナスタシアは思う。
それならばもう少し、彼に魔法を習ってみたい。
それが本心だった。
「なぁリントブルム。」
改まって話すアナスタシアにビクリと反応するリントブルム。
ついに来た。聞きたくないとアナスタシアに背中を向け耳をパタンと閉じる。
さっきまでは我慢できたが、別れの言葉を直接言われるのは我慢できない。
(絶対泣いちゃう。泣いたらアナスタシアも悲しくなっちゃう。)
リントブルムは大きな尻尾と翼を縮こませでている。
背中から伝わる哀愁にまた笑みがこぼれるアナスタシア。
「実はだな。その......キミさえ良ければなんだが......もう少しここで魔法を教えてほしいのだが......どうだろう?」
耳を閉じても聞こえてくる声。
その声を聞かないように頭で違う事を考えていたが、すんなりその言葉は頭の中に入ってきた。
耳を下げたままクルリとアナスタシアに頭だけふり返り――
「僕が良ければなんておかしいよ。だって僕はもっとキミにここにいてほしいんだからさ。」
目をウルウルさせながら引きつった笑みを見せるリントブルム。
彼はおそらく今日初めて、うれしくて泣いてしまったんだろう。