第七話 昨日と今日の温度差
「なんだこれは………」
現在の時刻午前十時半、家のリビングでかなり遅めの朝ごはん食べている最中。僕は口に咥えた卵焼きを落としながらSNSに上げられた記事を見て愕然とする。
パートに出かける準備をしている母親から、汚い、行儀悪い、だらしないと注意されるがそれどころではないので無視する。
食事中にスマホをいじることが行儀の悪いことは百も承知だが、今時の若者のほとんどがしてること。今更行儀が、なんて言うのは親だけかもしれない。
そんなことはどうでもいい。今重要なのはスマホの画面に表示された写真と文章。
タイトルはスクープ!人気の歌姫白昼堂々制服デート!
パンケーキ屋に並んで歩いている二人。笑顔で横を向いている折原と、ハッキリ自分だと分かる後ろ姿の写真が載せられていた。
せめてもの救いは個人で呟かれたことと、僕の顔が映っていないこと。もし僕の顔が映っていれば今頃スマホには大量の着信履歴と受信メールが入っていることだろう。
しかし、昨日の今日でこの呟きには百件を優に超えるコメントと三百を超える拡散がされていた。
(何が大丈夫だ。何が案外バレないだ。思いっきりバレてネットにも上げられてるじゃんか!)
冷静に考えてみれば織原の存在がバレるよりも側にいた男子の存在を知られることにより僕にリスクが掛かるのは当たり前。織原の言葉を鵜呑みにして思考を放棄した昨日の僕を殴りたい。
けれどここで無理矢理ポジティブシンキング。
写真に写っているのは僕の後姿。こんなありふれた髪形と体つきの男子高生などこの世にごまんといるだろう。身バレさえしてなきゃ僕に降りかかる火の粉はない。
(いやいや、焦った焦った――ん?)
どうやらこの記事はスレッド表示が出来るようで、記事をクリックすると下にズラッとコメントやら写真やらが表示された。
『ここはあの駅のスクランブル交差点を上がったところの道だ。住所はココ!』
『マジか笑笑。地元だった笑笑』
『さらに制服は私立茜が丘高校! 織原香苗も在籍しているし相手の男も同じ学園の生徒だ! その証拠に学校の制服モデルのサイトも貼っときます』
『拙者正面から見たでござるが、男のネクタイの色は青でござったぞ』
『今の二年生が青いネクタイだよ』
『相手は年上なのか! くそ羨ましい』
『男の特定はよ!』
そこには昨日歩いた道の正確な住所や僕らの通っている学校。あまつさえ僕の学年までが晒されていた。
さらに長々と続くスレッドでは皆織原の横にいる僕の特定を面白おかしく冗談半分本気半分な雰囲気で行っている。
「…………」
そっとスマホをテーブルに置いた僕は落とした卵焼きを再度口に運び咀嚼する。
少量の砂糖が加えられた甘くしっとりとした卵に、出汁のまろやかなコク。これが家庭の……母の味なのだとしみじみ感じながら卵焼きを飲み込む。
続いて皮と身に食欲をそそる焼き色が付けられた塩と魚の香ばしい香りを漂わせる焼き鮭。一口口に運ぶと塩辛さが口の中を泳ぎ回り、咀嚼するごとに鮭の甘さがじんわりと顔を覗かせる。口に広がる旨味を残したまま真っ白に輝く白米を一口食べるのが最も至福の時かもしれない。
お茶を飲んで、ふぅと一息。
うん、朝ごはんが美味しい。
そして僕は何事も無かったかのように再びスマホを手に取り画面を起動させた――。
「…………ですよねー」
現実は現実のままである。
いくら逃避して朝ごはんを美味しく食べたところで目の前の事実がネジ曲がるわけでも、過去に戻るわけでも、あまつさえ無くなるなんてことはあり得ない。
事実を事実のまま受け止めざるを得ないこの状況に力無く顔をテーブルに額を打ち付ける。
見つめ合いたくない衝撃に背中を向けたまま固まったままいると、不意に手の中からスマホが掻っ攫われた。
「ん……?」
母親が自分のおかしな行動を見てスマホを取り上げたかと思い反射的に顔を上げるが目の前には誰もいない。右左と家の中を確認するが誰もいな――。
「なに!? 我が校の歌姫にラブが!?」
「え、ラブ?! 詳しくそこ詳しく!」
聞き覚えのある男女それぞの興奮した声が僕の背後から聞こえてきた。
振り向くとそこには……。
「昨日折原香苗が白昼堂々男子とデートしてたらしいぞ!しかもこの制服は我が学園の制服!
むむむ……さらに男子生徒の後ろ姿……どこかで見たような……」
「むむむ! 美容院に行くのがめんどくさくて伸ばしっぱなしになったような髪の長さ。ハンガーに吊るさないから余計にシワが取れにくくなってるみたいなブレザーとスラックス。履き方が悪いのか踵が若干潰れているパンプス。どこかで見たような……」
「お前ら探偵かなんかなのか?! そんな小さな写真でよくそこまでの判別つくな!?」
「ん? なんで夏代がそんなに焦ってるんだ?」
「焦ってなんてないですけどぉー?!」
「そういえばわたし一人だけ授業サボってた男子生徒を知ってる気が……」
「そんなピンポイント?! 全校生徒合わせたら結構な人数いなかったと思うんだけど!」
「誰も夏代だなんて言ってないじゃん?」
「確かにそうだけれども!」
「「変な奴!」」
「っていうかツッコミで追いつかなかったけど、お前ら何でウチにいる!?」
僕が振り向くとそこにはスマホを覗き込みながら眉間に皺を寄せる制服姿の烏丸と宮原の二人が立っていた。
「幼馴染の家に来るのに理由がいるかい?」
「……いついかなる時も他人の家に行く場合理由がいるだろ。っていうかどうやって入ったこの不法侵入者共」
鍵は母親が家を出ていくときに掛けているはず。家に僕がいるから掛け忘れている可能性もなくはないが、基本的にいつもの防犯意識が働いているはずだ。
「どうやってって、玄関先で夏代のお母さんに遊びに来ましたって言ったら普通に入れてくれたよ?」
宮原が何言ってんの? と小首を傾げる。
お母さん! まだ息子が寝間着の上下スウェットでご飯食べてるのに、勝手に他人を家に招き入れないで!
くそぅ、スマホの記事に集中していなければコイツらが入ってくる気配に気づいてある程度の対処はできたのに……。それはそうと早くスマホを取り返さなければ!
烏丸が椅子の背もたれを押さえながらスマホを見ているせいで立ち上がれない僕は、腰を捻り右肩の関節が許すまま右手を伸ばしスマホを下から攫う。
よし取り返し――。
「取られたところで呟いた人のIDは覚えたから意味ないわ」
獲物を前にする狩人のような目をこちらに向け不敵に笑う宮原が怖い。以前教室で恋愛話をしていた女子たちも同じ目をしていた気がする。つまり女子……怖い。
「それじゃ今から目的そっちのけで第一回『投稿された写真に写る歌姫織原香苗の相手は誰だ』討論会を開始したいと思います」
朝からなぜそんなにやる気スイッチが入っているのか。宮原は僕の対面の椅子にどっしり腰かけ、どこかの司令部に鎮座する司令官のようにテーブルの上で手を組み僕を見つめる。
宮原の背後に燃え盛る炎の錯覚が見える。
「そんなの開催するんなら帰れ!」
「何よ! 最近めっぽう聞かなくなった恋バナ会を今ここで開催するだけじゃない!」
「おい烏丸! コイツなんとかしろ!」
薄く浮かべた笑顔を顔に張り付けて横に振る烏丸。
「参加してもいいけどな……。その代わり課題は今後一切手伝わないぞ」
「ひぃっ……! そんな殺生なぁ!」
さっき言っていた家に来た『目的』ついてはまだ口にされていないが大体分かる。
二人が制服姿だと言うことは学校に行ってきた、もしくは今から行くというのは間違いない。ではなぜ学校という単語だけで事が分かるのか。この二人と学校で密接な関係があるのは大きく勉強と音楽の二つ。
今日は土曜日の午前中、それに加えて馬鹿二人組ということは補習の可能性。それで課題をたんまり出されて早々に自分たちでは終わらせることを諦め手伝いを求めにやってきた。もしくはこの間言っていた楽曲製作に関わることで部室に行って話をまとめようとしつつとりあえずぶっつけ本番でこの近所にある割と大きな貸スタジオを使いに来た……が、やはり話が進まずここに駆け込んできた。可能性はこのどちらか……いや両方か。
「今から課題に専念して休み明けを楽にするのか、恋バナ会を開いて今後の課題を地獄にするのか五秒だけ待って――」
「さぁ課題をしましょう、今すぐにしましょう! 烏丸お茶菓子買ってきて! 先生は三元堂の芋羊羹をご所望よ!」
「何で俺が!? しかもそこ結構距離あるんですけど」
結構距離があるどころではない。
この家の最寄駅から五つ離れた駅で降りてそこから徒歩だと二十分ほど。この家からだと大体計一時間はかかる。
ちょっとコンビニにお使い行ってきて、みたく気軽に言える距離ではない。
ちなみに三元堂の芋羊羹は僕の大好物だ。さすが幼馴染よく知っている。
「いいから行って来い! 課題なら後で写させてやるから!」
「この暴君!! 絶対後で写させろよな!」
それでも行ってしまう烏丸。宿題をタダで写させてもらう魔力に取りつかれるなんて、なんて愚かな……。自分で解かなければ全く身にならないというのに。
「さぁ先生早くこの不肖な私めにご教授を! 特に数学のご教授を! 今度赤点取ったらママにお小遣い減らされるのよぉ!!」
「はいはい……ちょっと待ってろ。今着替えてくるから」




