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第六話 先輩と後輩

 いつもなら瞳を刺す太陽の光も温かみをおび、都心部の新鮮ではない空気が今日に限っては清々しく感じる。

 つまり何が言いたいかというと、圧倒的開放感!

 しかしこれからどうするか。

 学校に戻る……のはないな。今の時間だともう四時間目くらいだし、この状態で午後の授業を受ける体力はない。

 

 なら、せっかくだしこのまま街をぶらついて暇を潰そうか。

 昼間でも人通りの多い並木道を僕はゆっくり歩きながら店舗が立ち並ぶ駅の方角へ降りていく。

 満開の桜並木だったであろうこの木々もすっかり新緑を芽吹かせ桜色の面影は一切ない。それでも隙間から溢れる木漏れ日が明暗のフィルタで街を輝かしく演出する。時折強く吹く風に木々は揺らされ耳触りのいい音を自慢げに立てた。

 

 駅前のスクランブル交差点では平日にも関わらず人々がごった返している。正直慣れ親しんでいるが面倒くさいことこの上ない。対面から来る人を避ける、前が邪魔で歩くスピードが制限される等々、歩くという行為をするだけでストレスを溜めるこの街を非常に億劫に感じる。

 

 だけどこういった人が集まる街にこそ店や物が集中することも確か。だからこそここに来なければいけないこともしばしば。物欲と面倒臭さが交差するこの現状が悩ましい。

 などと初めから色んな意味で諦めるという答えを出している問いかけをしながら、僕はスクランブル交差点に隣接する本屋に足を運んだ。

 

 この本屋は地上三階地下二階とかなり広くCDショップも併設されている。

また都心部だけあって、特設コーナーはもちろんのことアーティストのサインが飾ってあったり、ミニライブが店内で行われていたりと買い物以外でも大きく楽しめる店になっている。そんな理由で僕もぶらっと買い物以外で立ち寄ることが多い。好きなアーティストの直筆コメントやサインを見るとテンションが上がるというものだ。

 

 当然それ以外で訪れることもあるが、最近ではあまり明確な目的で来ることはない。

 今日は誰の特設コーナーが設置されているのかワクワクしながらエスカレーターに乗り二階へと足を運ぶ。

 エスカレーターを降りたところを左に真っ直ぐ行った突き当たりに普段特設コーナーが作られているが、今回は全く知らない新人バンドがメインのようだ。


 ただ、どうやら女性には人気があるようで昼間にも関わらず大学生くらいの女性が四人ほど歓声を上げながら写真を撮っている。

 そんな熱狂的な女性たちの姿を横目にしながら、僕は特に理由もなくルーティン的に新譜のコーナーを覗きに行く。


「あれ、夏代?」


 不意に後ろから声がかかり振り向くと、そこには黄色いパーカーに青いジーンズ姿の同級生が立っていた。


「やぁ新堂久しぶり。学校は?」

「同じような立場のやつに聞かれたくはないけど、見ての通りサボりだよ」

「不真面目なやつだなぁ」

「いやいや、制服で堂々とサボってるやつにだけは言われたくない」

「まぁこれには色々事情があるんだよ」

「事情ねぇ……」


 どうしてだか隠し事をしている彼氏を疑って見る彼女のような目で顔を見られた。

 ここであれやこれや今までの経緯を説明する必要はないし、説明したところでややこしくなるのは分かっている。相手が織原香苗というところを省いたとして、後輩女子と学校をサボってパンケーキを食べに来たなんて言えば彼女とデートしていましたと言っているようなもの。後々話が巡り巡って僕に彼女がいるとかとんでもない話が流れることは決定事項だろう。


「そういやさ、烏丸たちとはまだバンド活動続けてんの?」

「……それ中学時代のメンバーからいつも聞かれるど、僕らがバンドを組んでたことなんてないからな。そもそも新堂だって烏丸や宮原と組んでたんだから僕がメンバーじゃないってことくらい周知だろ」

「あれそうだっけ? お前もいつも一緒にいたからなぁ。けどさ何か前から何かしらやってなかったか?」

「ああー。まぁやってなくはないな」

「お、とうとう楽器デビューしたか!」

「してないしてない。ギターもベースも三日坊主だったよ」


 中学時代烏丸に勧められるがまま弦楽器に挑戦してみたが、格好つけて弦をスライドさせて指がボロボロになる、アルペジオを練習して指から血が出る、そもそも指が痛くなって練習出来なくなる等々の理由ですぐに諦めた。他にも宮原の勧めでピアノも少し触ったが両手が全く同じ動きをするので嫌になって辞めた。どちらにしても僕に努力を続けるだけの決意と熱意がなかっただけなのだが。


「ふーん。歌詞も書かなくなったって聞いたし、どうしたんだよ急に。前はあんなに楽しそうに書いた詩をみんなに見せて回ってたのに」

「Aメロしか書けてない未完成品を見せて回ってた黒歴史を本人を目の前に言うなよ……。あれだよ、人は変化をしていく生き物なんだ」

「退化じゃんか。俺的にはもったいないと思うぞ。趣味でも書き続けたらいいじゃん。それこそ烏丸たちも巻き込んでネットに上げるとかさ」

「いつまで経っても完成されない自分よがりの歌詞と睨めっこしてても仕方ないだろ」

「そこは頑張れよ。その先にゴールがあるんだろ?」

「しつこいなぁ。僕は無駄な努力をしないタチなんだよ」


 新堂にとっては全く無自覚だろうが、その一言一言は針のように鋭く小さな刃として僕を突き刺していく。

 昔馴染みは皆口裏を合わせたように同じことを口にする。その度に僕はこんな些細なダメージを受けていくのか。どれだけ繊細なんだよ僕は。

 心の中で自分に対してイラつきと悪態を吐きながら嘲笑にも似た吐息が零れる。


「なら、誰か僕を見つけてくれよ……」

「ん? 何か言ったか?」

「え……?」


 しまった。まさか無意識に何か口走った……? 

全く何を呟いたか覚えてない。ここで突っ込まれでもしたら後のフォローが出来ない。どう切り抜ける……。

 ワザとらしく着信もない携帯を耳に当てながら徐々に離れつつそのまま帰るか、それとも新堂の興味ありそうな烏丸と宮原を生贄に話をすり替えるか、逆に現在進行形で付きまとってくる後輩女子の対応法を聞いてみるか。

 咄嗟に頭をフルスピードで回していたが、新堂の次のセリフで一気に意識があらぬ方向へと持って行かれた。


「ああ、なるほど。さっき言ってた色々な事情ってのは学校サボって彼女とデートしてるってことか」

「は……? いきなり何言って……?」

「だって後ろの子息切らしながら凄い形相でお前の事睨んでるんだけど? 何したのお前?」


 新堂の急な方向転換に理解が追いつかない僕は、恐る恐るゆっくりと後ろを振り返る。

 そこには肩で息をしながら額に汗の粒を浮かばせた織原が僕を殺さんばかりの表情で立っていた。雑誌のインタビューのために整えていた髪の毛は風で煽られてボサボサ。汗を拭ったのかブラウスの右肩には薄肌色のファンデーションが滲んでいた。


「やーーーーっと見つけたああああ!!」


 至近距離での大声に僕は驚いた小動物のように体が跳ねた。


「ちょっと先輩先に行かないでよ! 凄い探したじゃん!」

「いやいや、じゃあねって言ったじゃん」

「誰も帰っていいなんて言ってないんですけど!!」

「誰もずっと付き合うなんて言っていないんですけど……」

「先輩のクセに生意気!」

「後輩のクセにしつこい……」


 猫のように毛を逆立てて怒る織原と犬みたくどうでもよさそうにあしらう僕との温度差が凄い。

 それよりどうして織原はこんなにも息を切らしているのだろう。

 あのやり取りの直後すぐに店を出れば余裕で追いついただだろうし、そもそも僕は並木道を一直線に降りてきたのだから店から少し出遅れたところで人ごみはあるものの左右を見渡せば僕の制服姿くらい視認出来ただろう。

 僕の嫌味に対してそこまでショックを受けて呆然としていたわけではあるまい。

それよりもこんなにも息を切らしてまで僕を探し出すということは、まだそれほどの用があるのか。


「取り込み中のようだし俺は帰るよ。またな夏代」

「あ、ああ……。またな」


 僕と織原をもう一度交互に見ると、新堂は物凄くニヤニヤしながらこの場を立ち去った。

 これ絶対後で知り合い中に面白おかしく広められる流れだ。明日が怖い……。いや、明日なのか? 今日中に色々とからかいメールが送られてくるのでないか……?

 被害妄想と分かりながらも僕が恐怖で悶絶していると、


「先輩って未完成の歌詞を皆に見せてたんだ?」


 どこから話しを聞いていたのか、先程の会話の中に出てきた内容の質問を口にした。

 黒歴史を後輩にもしなければいけないのか……。まぁ、あの時の妙なハイテンションで感想を聞きに見せて回った事実さえ伏せればいいか。

 だが僕が答える前に織原が続いて口を開く。


「凄いな、私なら躊躇っちゃう。これはよく書けた! って自分で思っててもそんなに簡単に人には見せられないよ。……簡単に否定されたら、嫌だもん」

「そんな褒められたことじゃないよ。あの時の僕はどうかしてたんだ。今だったらそんな簡単に見せない。それに……、いくら物語を思いついたって完成されなきゃただの文字の羅列だ」


 口にして昨日も烏丸に同じことを言ったなと思いだす。どれだけ僕は自虐が好きなのか。誰かこの陰鬱とした感情をギャグと捉えて腹を抱えて笑ってくれないだろうか。一瞬嫌な思いで心臓の辺りが混ぜ返されるような感覚を覚えるだろうが、すぐに僕自身も笑いに変えて偽物の笑顔を取り戻せそうだ。

 けれど織原は僕を真っ直ぐに見据えながら少し困ったように笑う。


「先輩と私って似てるね」

「どこがだよ? しっかりと人を感動させる歌詞を完成させてるプロと、アイディアを何個も浮かばせるだけで中途半端にそれを投げ捨てる時間だけ浪費する凡人が似てるわけないだろ」

「ううん、似てるよ。ちょっと意味は違うかもしれないけど似てる」


 少し視線を落として物憂げに呟く織原にこれ以上の悪態を僕は返せなかった。

 たった数秒だけいつになく元気のない彼女の姿に驚いたのか、それとも気に食わなくも織原香苗というプロの歌手に似ていると言われて戸惑いを覚えたのか、理由は分からない。

 ただこの時僕ははっきりと織原香苗のことを悩みの一つだって持っている年下の女の子だと認識した。

 だから僕は言葉を選ぶ。慰めるわけではない。でもいつものような意地の悪い悪態を口にするわけにはいかないとそう思った。


「じゃあ――」

「で! 次どこ行く?! 私汗かいちゃったからどこか涼しいとこ行きたいな。あ、それともいっそのこと汗流しにスーパー銭湯とか行っちゃう?」

「…………」


 一瞬で元に戻りやがったこの後輩。僕の気遣いを返せ。というかどうして僕はこんな嫌いな奴に対してちょっとでも考えを改めようなんて考えたのか。

 自分の理解不能な気持ちの揺らぎを頭の中で殴りつつ、後悔でその場に崩れそうな足を踏み締める。


「どうしたの先輩? おーい?」

「うるさい……。今僕は頭の中で自分を袋叩きにしてる最中なんだから話しかけないでくれ」

「突然何言いだしてるの怖っ……。そんなことより早く――」


 不意に織原の言葉を遮るように携帯のキラキラ星の着信音が響く。授業で習うような簡単なものではなくピアノアレンジされている変奏曲。

 僕は常にマナーモードにしてあるので、たぶんこれは織原の携帯だろう。

 やはり着信は織原のようで慌ただしくポケットから携帯を取り出すと、どうやらメールが届いたらしく心底嫌そうな顔で画面を見つめていた。

 ここまで表情を崩したのはここ二日で初めて。


「トイレなら一階にあったぞ?」

「そうそう、最近便秘気味でさ……って違う! 違わないけど違う!」


 どうやら本当に便秘のようだ……。

 まだ軽口に付き合う余力がある辺り嫌ではあるが、切羽は詰まった内容ではないらしい。


「急遽また取材が入ったぁ……。まだ先輩で――先輩と遊ぼうと思ったのにぃ」

「おい、今『僕で』遊ぼうって言ったか?」

「言ってないよ?」


 キョトンと首を傾げても可愛くないし、絶対この耳に入って来たからな。

屋上から思うことはあったけれどやっぱり色々と遊んでいたのかこの野郎。


「名残惜しいけど今日はここまでかぁ。楽しい時間はいつか終わっちゃうものだよね……」

「また来ればいいだろ」

「え、本当?! また付き合ってくれるの?!」

「誰も僕ととは言ってな――」

「可愛い後輩との約束だからね! はい指切り!」


 織原は嬉しそうに僕の右手を取ると自分の小指を絡ませて、周りの目など気にせずお決まりの歌をめちゃめちゃ上手く歌い始めた。

 どこまで恥ずかしいやつなんだこの後輩は。

 織原は指切りの歌が終わると、ニシシと悪戯っぽく笑い小指を立てた右手を振りながら「また明日学校でね」とこの場を後にした。


「そうか。あいつ同じ学校の後輩だったな……」


 知り合って二日目。今まで接点など皆無だった我が校の歌姫織原香苗にどうしてここまで懐かれたのか分からない。まず間違いなくこれまで好感度のある行動発言はなかったはず。まさか織原はそういう趣向の持ち主なのだろうか。


 どちらにせよ重要なのは土日を挟んだ来週以降も学校という顔見知りの多い中であの面倒臭い後輩と絡む可能性が出てきたこと。これ以上面倒事に巻き込まれるのはゴメンこうむりたい。

 まず第一に対処しなくてはいけないのはきっと烏丸と宮原の二人。

 僕は対応のシミュレーションをしながら再び陰鬱な気分に頭を抱えながら岐路に着いた。


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