第五話 映えとパンケーキ
いくつか僕は自分に言いたいことがある。
まず一つ目。どうしてのこのこと織原の後を付いてきたのか。
のこのこと言っても学校の屋上から校外に出るまでは完全にコソコソと教師の目を盗んでいたけれど。学校の敷地を出た後ならばいくらでもエスケープ出来たはずである。
そして二つ目。なぜこの異空間に鎮座しているのだ。そもそもこの空間には僕しか男子がいない。
自分の周囲どこを見渡しても女子女子女子。もっと年齢を重ねれば平気になるのかもしれないが、思春期まっさかりの男子高校生にこれは辛い。
耳を澄ましてもどうしてここに男子がいるのか等の声は聞こえて来ないが、女子の姦しく恋愛トークや仕事の話などを生々しく語っている声が耳を打つ。
唯一救いなのは目の前に置かれた中身が何なのか把握できないほど真っ白な生クリームに包まれたパンケーキ。これを食している間は何も考えなくていい。ただひたすらに食へ没頭すればこのピンク空間を忘れられる。
だが、僕がパンケーキにフォークとナイフを入れようとした瞬間向かいの席に座る織原からちょっと待ってとの制止。席を半立ちになりつつスマホを片手にあーでもないこーでもないとぶつぶつ呟きながら、自分の注文した全高二十センチはあろう巨大なパンケーキと僕のパンケーキを交互にスマホで撮影している。
これがいわゆる今流行の映え食べ物なのだろう。
映えなくていいから早く食べさせてくれ。
「もうちょっとだけ待って。もう少しでベストショットが決まりそうだから!」
「というか変装とかしなくて大丈夫なのかよ。バレたら面倒なんじゃ?」
「んー? 変装ねぇ。意外としなくても大丈夫だよ。堂々としてれば逆にバレないもんだよ」
「いやいや、いくらメディア露出が多くないって言ってもさすがに……」
なんて言ってる傍からこちらをチラチラと見てくる視線に気づいた。
僕らの席の向いにあるテーブルの女子二人組。口を手で隠し、声が漏れないよう交互に相手の耳へ口を近づけながらヒソヒソ話をしている。
いや、これ完全にバレてるじゃん。逆に堂々としてるからバレるのでは……。
「あ、あの……」
向かいの席の二人が話し合いの末、意を決したのかこちらに声を掛けてきた。
織原は写真に夢中で声に気が付いていないらしく返事をしない。どれだけ撮ってるんだこの女。かれこれ五分以上カメラ構えてるんですが……。
「……あ、あの良いですか!」
再度勇気を振り絞って織原の顔の横から声を掛けた。
一気に自分の世界から現実へと引き戻された織原が肩を跳ねさせ、目を丸くして反応する。
「はい、何でしょう?!」
「急にすみません。あの……歌手の織原香苗さんですよね?」
はい、バレた! バレました!
この場合一緒にいる僕立場的に物凄いマズイのでは?
「え? 違いますよ?」
織原はキョトンとした顔でハニカミながら答える。
「よく言われるんですよー似てるって。でも全然違うんですよ。というか、有名人が何の変装もなく堂々と昼間からこんなところ来なくないですか?」
「そ、そうですね……」
「それに有名人がこんな風に制服のまま学校サボってこんなところ来ないでしょ。さすがに品位疑いますよ」
「けどそういう人もいるんじゃ……」
「ですかねぇ? でもまぁ、本人が違うって言ってるんだから違いますよ。それと連れが暇そうなんでこの辺でゴメンなさい」
そう相手に一切話の流れを掴ませることなく淡々と慣れた流れで会話を切っていく。
声を掛けてきた二人組の織原の透明の圧力のような会話に押され疑いの眼を向けつつもテーブルに戻って行った。
やれやれ、と軽く首を振りながら席に座る織原。どうやら今の声掛けで写真への集中が切れたらしい。
「お待たせ。じゃ、食べようー」
「おい」
「ん? 先輩パンケーキ嫌い?」
「今聞くかそれ! 普通店入る前に聞かないか!?」
少し大きめのツッコミに周囲の、特に向かいの席の客に鋭い視線を向けられた。
ゴホンと一つ咳払いを入れ、僕はテーブルに少し体を乗り出し声のトーンを押さえる。
「普通にバレてたよな。意外とバレないとか言いながら声掛けられてたよな」
「でも最終的にはバレなかったでしょ。そんなもんだよ」
「お前が身バレしたところでどうでもいいけど、一緒にいる僕まで巻き込まないでくれよ」
「織原香苗熱愛発覚! 彼氏は同じ高校の同級生? って? それも大丈夫だよ。織原香苗は大物じゃないしねー」
「それでも今の時を騒がすシンガーソングライターなんだろ?」
「織原香苗のこと興味なかったんじゃないの?」
「ああ、興味ないね。単に世間一般的に知られてる知識だ。逆に僕らの年代で織原香苗を知らない方がレアケースだろ」
「それは残念。それはともかく早くパンケーキ食べようよ。お腹空いたよー」
僕が誰を待って食べなかったのか気にする様子もなく、織原はナイフとフォークを構えパンケーキを頬張っていく。
自分勝手な奴だとため息を吐きながら僕も自分のパンケーキを綺麗な四等分に切り分ける。
ちなみに僕の頼んだパンケーキは本当に普通のパンケーキ。フルーツも無ければ生クリームも乗っていない。ただミントが上にポツンと乗せられたメープルシロップを後からかけるタイプのもの。まさかここまで食べるのを待たされると思っていなかったのでこれを選んだことに幸運を覚える。織原には注文当初全く面白くないと批判を食らっていた。
うん、冷めてもおいしい。正解正解。
対して織原が頼んだものはフルーツやら生クリームやらがゴテゴテと乗せられたパフェのようなパンケーキ。作り立てはそりゃ絶品だろうが、時間が経ったらどうなのか心配なところ。
しかしそこはさすが本職が作っているだけあるようで、写真撮影も加味しているのか時間が経っても美味しく食べられるようになっているらしい。
織原はパンケーキを小さく切り分けながら笑顔で口に運び続けている。
僕が黙々と半分程食べた辺りで織原が口を挟んだ。
「先輩さ、『ネームレス』のこと知ってるよね?」
「またその話題? 昨日も言ったと思うけど知らないな」
「嘘だね。もらいっ」
「あ、勝手に食うな……! あー、もういいよ一切れくらい」
「うーん、シンプルだけどそれがまたおいしいー。あ、私のは嘘つき君にはあげませーん」
「いらないよ……。っていうか何だよ嘘つき君って。そもそも、そんな変な名前のやつ知らないって言ってるだろ」
「ふーん。そんな変な名前のやつ、ね」
織原が手に構えたナイフとフォークを皿の上に置き、手を組んで顎を乗せる。今から謎解きでも始まるかのようなポーズだ。一体今の会話のどこに謎が発生したというのか。
「昨日も今も私一言も『ネームレス』が人だって言ってないんだけど」
「そうだったか?」
僕は昨日の会話を思い出しながら最後のパンケーキを口に運ぶ。
うん、全く思い出せない。まぁ、思い出せたところでどうということはないのだけれど。
「大抵知らない単語が出たら『何それ』とか『どんなの?』とかまずその存在のことを聞くよね。けどキミは昨日も今日も『誰それ』って答えてる。つまり『ネームレス』が人のことを指すって知ってたってことよね」
どうなのよ、と織原がテーブルに体を乗り出して僕に追及する。
僕は焦って口ごもることもあたふたと戸惑うこともなく淡々と反対意見を口にした。
「だって『ネームレス』だろ。つまり名無し。基本的に名前=人を指す言葉だろ。確かに名状しがたいとか世に知られていない、とか色々意味はあるけど、授業では『名前のない』で習うんじゃないのか。だから単純に名無しって名前のハンドルネームか何かだと思っただけだ」
「ふふん騙されないわよ。口では難しいことなんて簡単に言えるけれど、真実ってのは常にひた隠しにされてるものよ! 確かそんなことシャーロック先生が言っていたような気がするわ!」
「小説の読み過ぎだろ。……仮に僕がそれを知ってたとしても隠すメリットないと思うんだけど?」
「そんなこと言って誤魔化そうとしてるところがまた怪しい!」
「怪しいって……。誤魔化すも何もコレが真実だよワトソン君」
「もう埒が明かないよ。ハッキリと言わせてもらうね。ズバリ、先輩が『ネームレス』の正体だ!」
「違います」
「ガーン!!」
口でガーンって言ったぞこの人。効果音を口で言う人は初めて見た。
それにしてもたった一言に対して不信感を得ただけでここまで思い込みで行動出来るものなのか。とんだハタ迷惑な話である。
織原は自分の推理に相当自信があったのか、前のめりにしていた体をゆっくり戻し力無くテーブルに突っ伏した。
結果的に僕をここに連れてきた目的はそれを聞き出すためだったようだ。たったこれだけのことをわざわざこんなところで聞かずとも学校の屋上で事足りたのでは? そう考えると深く長い溜息が口から漏れた。
僕らが醸し出す不穏な空気に周囲の女子たちが別れ話? 喧嘩? それとも出来ちゃった? などとあられもない妄想を口にしている。
勝手に恋人同士認定するの本当にやめてほしい。そして、最後のやつ今のやり取りのどこをどう見て妄想したんだ。
「しかし『ネームレス』ねぇ……」
「え、詳しく知りたい?」
「いや別に」
思わず本音が零れてしまう。
いい加減パンケーキも食べきったのでそろそろ帰りたい。
だが織原は僕の帰りたいオーラそっちのけで「そこまで知りたいのなら教えてあげるわ!」と、鼻高々と彼らのことを語り始めた。
誰も知りたいなんて一言も言っていないが、織原の滑り出した舌は止まらない。
「『ネームレス』はネットに音楽をアップしてる投稿者のことだよ。知る人ぞ知るってやつ。まだ全然有名じゃないけれどいつか必ず日の目を浴びる程の才能を持ってるんだよ!」
今流行の動画投稿者の音楽版。説明するまでもないだろうが、自分の作った曲をサイトにアップロードし世界中の人へ配信する人のことを指す。それで音楽のプロ世界への招待を受ける人もいれば動画数を稼いで生計を立てている人もいる。まさに誰もが気軽に足を踏み入れることが出来る現代版ゴールドラッシュと言えるだろう。
「アップされるのは基本的に一ヶ月に二曲。結構早いペースで上げてるんだ。ストックでもあるのかなぁ? 楽器は基本打ち込みだと思うんだけど、ギターだけはたまに生音入れてる気がするんだよねぇ。でもクオリティも落とさないところが凄いよね。大体ハイペースで曲を作り上げるとなるとどうしても省略しちゃう個所も妥協せざるを得ない個所だって出てくるはずなの。それにボーカルは女性の声なんだけど少しエッジ感のある声質でね、ブレスの使い方が凄く上手いの! それに特に高音域で強い共鳴と共に鳴るビブラートは圧巻なの! でも極めつけは作詞なんだけど――」
織原とは出会って間もないが最もテンションの上がった瞬間を今目撃した。饒舌というのはまさにこのことを指すのだろう。一切噛まない流れるような舌使いと口の動き、一文字一句ハッキリと聞き取れるこの言葉が彼女の持ち味。
ここまで何かに熱中して熱く語れるのは凄いと思うが正直言ってウザイ。
しかし音楽投稿者ねぇ……。
「……やっぱりお門違いだな」
「何が?」
「僕が『ネームレス』じゃないってことを後押ししよう。僕は作曲出来ないし楽器も弾けない。あまつさえ楽譜も読めないんだから打ちこみなんて高度な事出来るわけがない。これで僕が『ネームレス』だって疑いは完全に晴れたな」
「むぅ……」
「よかったな、これで候補者が一人潰れた。用はもう済んだだろ? 僕はこの辺でお暇させてもらうよ」
僕は席を立ち上がりテーブルの伝票を掴むとレジの場所を確認する。途中後ろで織原が咳き込む声が聞こえたが、パンケーキが喉にでも絡まったのだろう。
足を進めるたびに通り過ぎるテーブルから向けられる興味と奇異なものを見る視線が痛い。
本来ならば二人分の支払いをする必要はないが、一応先輩である以上支払いをしなければならないだろう。よかった、ギリギリ財布にあるお金で足りる。
そのままレジで会計を済ませて外へと出た。