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第四話 屋上での再会

 空が青い。

 学校の屋上に寝転がり見上げた空に白はどこにもなく、視界一杯に澄みきった青が広がっていた。

ジッと見つめていると自分の存在すらも空へと溶けていってしまいそうな感覚に陥る。

 しかし煌々と照る太陽の光には勝てず、限界を迎えた瞳を自分の右腕で覆い、自分の体の感覚が戻って行く。

 グラウンドから聞こえてくる生徒達の楽しそうな声、風で擦れる校庭の大木のせせらぎ、近くの道を走る車の喧騒。視覚を覆った分聴覚が研ぎ澄まされていくのが分かる。


 時折気分転換のため授業をサボって屋上へと忍び込むことがしばしばあるが、教師に見つかる可能性もあるためそこまで頻度高く侵入は出来ない。だが危険を冒してまでも足を進めるということは自分の中に渦巻くものを排除できていないということ。

 自分のモヤついた感情なんて適度に好きな事をして発散すればコントロール出来ると思っていたが、如何せん腹に溜まった黒い感情があまりに渦巻きすぎると何も手につかなくなるとは考えてもみなかった。


 だからこうして何もせず極力頭を空っぽにして寝転がりながら腹に渦巻く黒い感情を太陽の光で浄化している。

 では、本当に解決できているかと聞かれれば……そんなもの出来ているはずがない。

そもそも言葉で言うのは簡単な頭を空っぽにすることなんて普段の生活からしたことなど皆無である。何も考えていなくても常に自分の周りには音も光も臭いも、肌触りだってある。自分以外の外の 世界はどこにいても情報に溢れている。部屋で布団を被って暗闇に閉じこもっているのとはわけが違う。


「……回り始めた世界で僕らはそれぞれの道を描く。十年後の未来はきっと輝いて見えるんだ。だから進もう迷わずに――」

 

 止めたつもりでもふとした拍子に浮かんできてしまう歌詞を思わず口ずさんだ。

 この青い空の下同じ学び舎でそれぞれの青春を送る僕らがどんな道を見つけ進んでいくのか、それを自分が俯瞰して見届ける詩。

 しかし詩の道筋が垣間見えた途端、僕の足元は崩れ去り頭の中から言葉が姿を消していく。


「やめだやめだ……。自分の感性にだけ任せた詩はもう作れないって分かってるだろ……」

「え、やめちゃうの? せっかくいいフレーズだったのに」

「は……? って、うぉわーーーーー!」


 不意に横から投げられた声に僕は素っ頓狂な裏返った声で驚き、反射的に尻もちをついたまま縁際まで後ずさった。

 屋上への侵入がバレたことへ焦りと、誰も来るはずがないという決めつけを崩された恐怖と誰かに聞かれた恥ずかしさで息が異様に荒くなる。まるで今しがた五十メートルのタイムを計ったかのよう。


「そんな大きな声出したら先生達にバレちゃうよ、『三嶋くん』?」


 手でスカートを押さえながらいたずらっぽく片目を瞑り、わざとらしく唇に指を添えた織原香苗がそこにいた。

 どうしてこのタイミングで織原が現れたのか。まさか僕がここにいることを知っていてやってきたのか。それならば昨日の暴言に対する仕返しに……?


 有名人織原香苗の力を使えば僕如き一般人など簡単に貶めるは容易だろう。

 怪しい黒服に捕まえられそのまま海外に拉致……、昨日の態度をメディアで晒され今後の高校生活後ろ指を指されながら生きていく……、これを機に脅され一生織原香苗に服従して暮らしていく……。どれも僕の人権を侵害している想像だが、実際テレビ番組で観る怖い人達の中ではあるあるの事象だろう。

 織原香苗が何を考えているかなど分かるわけがないが、いつでも逃げられるよう警戒心は緩めない方がよさそうだった。


「ちょっとちょっと、『三嶋くん』に対するツッコミなし? 誰だよ三嶋って! とか、違う僕の名前はサマージェネレーションだ! とか色々あるでしょう。面白くないなぁー」


 ……なんだサマージェネレーションって、とポカンとしていた僕だったが、数秒後には夏代の英語読みだということが理解出来た。

 しかし、一人で勝手に喋って一人でノリツッコミを繰り広げるヤツが本当に若者に人気の歌姫なのだろうか。芸能人で言うテレビの向こう側と現実では違うという二面性?


「黙ってないで何か返してよ。私がずっと独り言話してる変な人みたいじゃん」

「……実際その通りだと思うんだが」

「あ、返事したね。これで独り言じゃなくなったー」


 どこか嬉しそうにハニカム織原。

 こっちとしてはいきなり平穏を破られた驚きと、昨日の報復に来たのではないかという動揺で内心穏やかではなかった。

 だが、このまま彼女に永遠と喋らせ続けてもこの肝を冷やす事態が解決するわけではない。

 とりあえず探り探り会話を進めていくしかなさそうだ。


「どうして歌姫様がこんなところに? 今はまだ授業中のはずだけど?」

「それを言うならそっちだって同じじゃん。やーいサボり魔!」

「どこの小学生の煽りだよ……」

「冗談よ冗談。さっきまで雑誌の取材があってね、着いたのが授業中だったからどうしても入り辛いじゃん。だから誰の目にもつかない屋上に来たってわけ」

「ふーん。雑誌の取材、ね。そんなに忙しいなら別に学校来なくてもいいと思うけどな。正当な理由なんだから僕なら喜んで休むね」

「私にとってはとっても――なんだけどな」

「ん? 何て?」

「皆に会える楽しい学校なんだから簡単に休めないって言ったの! こう見えても私は真面目なんですよーだ」


 頬を膨らませながら不機嫌っぽく振る舞いながら時折笑顔で僕をからかう。

違う。多分だけれど違う。

 今は年相応の少女が友達と他愛ない談笑をしているような感じだが、さっきの一瞬だけは全く雰囲気が違った。それはどこか暗い影を落とす、歌手織原香苗の姿だった。

だからといって僕が気にすることではないのだけれど。


「って、あれ?」

「どうした?」

「……ネクタイ青くない?」

「そりゃそうだ。二年生だからな」


 ちなみに三年生のネクタイの色は黄色である。赤青黄、まるで信号のよう。

しかし昨日も制服姿で出会って少しだが話したはずなのだが、今頃気が付くとは。


「嘘、先輩?! ヤバッ敬語使ってない!」

「いいよ今さら……。運動部でもあるまいし」

「あ、そう? ならこのままでいくね!」

「心変わり早いな!」


 まぁ、僕も軽音部の先輩たちにほぼタメ口で話しているようなものだから正直どっちでもいい。お互い話しやすい口調が一番だろう。

 でも後輩からの先輩呼びは少しグッとくる。


「やれやれ……」


 僕は寝転びっぱなしで重たくなった腰を上げ、ズボンについた砂を両手で軽く払う。さっき後ずさったせいで尻に大量の砂が付いていた。今非常に手を洗いたい。


「そんじゃここは譲るよ。次の休み時間までゆっくり休んでな」


 誰かが傍に居ては、特に織原香苗ならば尚更意識してしまい休まるもの休まらない。

 気取られないよう深い呼吸に似せたため息を吐きながら僕は出入り口扉へと足を進めた。


「え、ちょっとちょっと。ここで話し相手になってくれないの? 次の休み時間までまだまだあるじゃん。私暇なんですけどー」


 暇なんですけどー、と言われたところでどうしろと……。

 授業終了までのあと三十分間恥をかなぐり捨てて一人漫才でもして笑わせ続ければいいのか? 想像するだけで地獄すぎる。

 僕は頭に浮かぶ地獄絵図を物理的に手で追い払いながら、織原の要望を無視しそのまま足を前に動かす。


「学校の屋上で可愛い後輩女子と二人っきりでお喋りなんて青春だと思うんだけどなぁ」


 別に今織原香苗とじゃなくてもいい。というか自分を可愛いとか言う時点で拒否反応。それに青春とか正直どうでもいい。

 僕は構わず歩みを進める。


「私のことをもっと知るチャンスだよ! 趣味でも恋バナでもどんと来い!」


 全く耳に入らない。

 興味ないし、そもそも時間の無駄。静かに過ごしたいからここに来ているのにこれ以上ストレスを溜めたくはない。


「今なら織原香苗の製作裏話なんか聞けちゃうかも!」


 全部自分のことじゃないか、と心の中でツッコむ。

 昨日のやり取りを完全に忘れたわけじゃあるまい。忘れてくれていたのならば僅かながらも僕の心に刺さった棘を抜くことは出来るのだが。

 それとも単純に図太いだけ? もしくは逆にアンチをファンとして取り込もうとしてる?

 どちらにせよ僕は織原香苗とこれ以上関わり合う気はない。向こうが現状何を企んでいるのかは分からないが、厄介ごとに首を突っ込んでいく趣味はない。

 僕は屋上扉のノブに向ってゆっくりと腕を伸ばした。


「分かりました。今から大声で助けを呼びます」


 一瞬何を言ったか理解出来なかったが、不穏な空気を肌で感じ取り思わず振り向く。

 すると織原が大きく息を吸い込んでいる姿。

 だからと言ってなんのだ。ここで大声を出されても外の喧騒で大半はかき消される。もしグラウンドにいる生徒達に届いたとしてもどこから声がしたのか、そもそも気のせいかの判断に迷うところだろう。


 ただし下の階にはハッキリと声が伝わってしまうため他よりも早い判断で屋上に教師が到着するかもしれない。だからと言って、教師ならまず教室にいる生徒達を落ち着かせ隣のクラスの教師と少しの協議を行わなければ不可解な声の元にはやって来ないはず。未知への接触は必ず誰かといなければ不安で行動できないというのは人間の心理の一つだろう。

 教師達がもたもたしている間に全力で階段を駆け下りトイレや空き教室にでも逃げ込んでしまえばこの場は無事にいなすことが出来る。


 問題があるとすれば織原が僕の名前を出した場合の後始末と今後屋上が使えなくことか。

 だが、前者は何とでもなるだろう。織原が何を言おうと彼女の衣服は乱れていないし、襲われた証拠などない。それに有名人の織原が襲われたなんて知られれば彼女の今後にも響く可能性がある。そんなリスキーなことわざわざ進んでしないだろう。


 なんて長々と考察を垂れているけれど、それは家に帰って落ち着いてからのこと。

 一秒にも満たない一瞬の間でこんな深々と考えられるわけがない。

 だからこの時は、理性よりも体が反射的に動いた。

 織原の息を吸い込む姿を横目見て後ずさった一歩が完全に失敗の一手。

 そのまま完全に体を織原へと向け陸上競技のスタートを切るかのように地面を蹴った。

 一歩二歩三歩。

 さっきはもっと歩いたような気がするけれど、飛び跳ねるように地面を蹴った僕は三歩で織原の元へと辿り着く。

 それは彼女が息を限界まで吸い上げ喉を絞り、声を張り上げようとした瞬間。

 僕は右手をいっぱいに伸ばし彼女の口を塞いだ。


「むぐっ」


 走った勢いに任せて口に手を当てたせいで顔を叩いたようになり織原の体が仰け反った。

 このまま倒れるのはマズイ。咄嗟に織原の腰に手を回し体勢を安定させる。

 ホッと一安心し息をつくなり、お互いの視線がぶつかった。すると織原は何やら考えるように目を逸らして首を傾げるともごもごと口を動かす。


「初めてがここっていうのはちょっと……」

「何口走ってくれてんの!?」

「え、じゃあ今から保健室にでも――」

「お前もうちょっと恥じらいと自分を大切にしろよ!?」

「でも私今襲われてるしなぁー」


 はっ! と今織原を拘束しているこの状況のマズさに気が付く。

 余計に言い逃れができない状態を作ってどうするんだ僕は。

 緊張と不安で凝り固まった頭のギアが割れそうな悲鳴を上げつつ思考を回転させていく。

 一体どれが正解なのか。

 このまま手を離し再び逃走してもまた大声を出すと脅されそう。ならばこの場で織原と満足いくまで恋バナに花を咲かせるか。不毛だ。そもそも恋バナなんて出来る経験値はほぼない。

 なら、一番楽そうなのは織原自身について勝手に一人で語らせることか。全く興味はないけれどあと三十分そこそこなら耐えられるだろう。

 どうせこの状況下で弱い立場にあるのは僕なのだから。

 僕は諦めて口から出かけたため息を飲み込み、一拍置いて口を開――。


「じゃあ、今から学校サボって街に遊びに行こっか」

「……はぁ?」


 全く予想していなかった提案に僕は声を裏返して驚いた。


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