最終話 空色紙飛行機
あれから三年。
大学2年生になった僕はどうなったかというと、ベースを始め本格的にネームレスの舞台に立つことになった。動画撮影は織原が抜けたため当時の高速ペースは崩れたが、それでも定期的にサイトにアップして存在をアピールし続けている。
そんな日々邁進し続けている僕は、絶賛大学に向けて全力で走っている最中だった。
まさかこんな大切な時に寝坊するなんて。そして烏丸なんぞに電話で起こさせるなんて屈辱でしかない。
肩からずり落ちそうになる黒塗りのベースケースを幾度となく担ぎ直し、息も絶え絶えにひた走る。
心臓の音がうるさい程耳を打つが、これは焦りからかそれとも不安からか。
大学が近づくにつれ増える人たちの合間を縫う……ように進みたかったが、スクラムを組むように固まる女子生徒を前にすると勢いを落とさざるを得ない。
ポケットが振動する。
どうせ烏丸からの電話だろう。
今ならまだ集合時間に辛うじて間に合うはず。
途切れては再度掛かってくる電話を一旦無視して、無理矢理スクラムの間を通り抜けた。物凄く睨まれたが気にしている暇はない。若干怖かったけれども。
学園祭と書かれた看板が取り付けられた正門をくぐり抜けて最後のダッシュ。
「おっせえよ夏代! 来ないかと思ったぞ!」
「うる……せえ! 集合時間五秒……前に……着いたんだから……セーフだろ!」
集合場所のクラブ棟に到着早々烏丸が僕に詰め寄ってくるが、息も絶え絶えになる僕はそれをあしらいながらとりあえずベースケースを床に置く……と同時に頬に痛みが走った。
「今から本番なのに無駄な体力使わない!」
宮原が喧嘩両成敗と言わんばかりに、僕の顔をパーで烏丸の腹をグーで次々に殴っていった。
「夏代あんた今日は忘れ物ないでしょうね。前みたいにベースケース開けたらベース入ってなかったなんて絶対にないわよね」
「任せろ。今回はピックだってちゃんと入れて痛い!」
「調子に乗るな! っていうピックなんて使わないでしょ! 素人か!」
今度はチョップが頭に振り下ろされる。
緊張をほぐすためのギャグだったのだが、今の宮原には効かないようだ。
よかった。玄人ではない! とか続けて言わないで。
けれど素人かと突っ込まれるということは、三年間必死に練習した成果を認めてくれているのだろう。これは嬉しい限りだ。
「それはともかく今日の布陣はどうするんだ? 練習通りでいいのか?」
烏丸が腹をさすりながら僕らに尋ねる。
練習通りというのは宮原がギターボーカルになるという形。
高校で行ったあのゲリラライブ以来なぜか僕がボーカルを務めることも多々あった。宮原曰くギターに専念した方が私の実力が際立つ、だそうだ。
それでも僕らの楽曲は女性ボーカルを基準とした物が多いため必然的に宮原がボーカルになる。だが今日に限って選ばれた三曲はどちらが歌っても問題ないものになっていた。
だからといってさすがにベースを弾くだけで精一杯の僕にボーカルまで任せることは---。
「年に一度の学祭よ。雨で中止になった去年の雪辱を晴らすわ。だから夏代あんたがボーカルね」
「そうか頑張れよ夏代!」
出た出たネームレスミラクル。
「だからどうして大切なことをさらっと決めるんだお前らは! 練習通りでいいだろ……!」
などと反論したところで僕らの中で基本的に一度決まった多数決は覆されない。
「せっかくの学園祭だ。普段とは違うことしたほうが面白いだろ」
「烏丸のくせにたまにはいいこと言うじゃない」
烏丸が慰めなのかエールなのか分からないが僕の肩を軽く叩く。
ほんと昔から失敗なんて二の次だなコイツら。いや僕も同じか……。
「……失敗しても知らないからな」
「そんときゃ来年リベンジすればいいだろ」
腹を括るしかない。
いつだって本気でやってきたんだから今日もいつも通りやるだけだ。
と頭で自分に言い聞かせたところで緊張が解けるわけじゃない。震える手を堅く握りしめる。
「無駄に筋肉硬くしない」
「行くぞ夏代!」
宮原と烏丸それぞれに背中を叩かれる。
学祭委員の男子生徒が順番を知らせにやってきた。
僕らは楽器を手にステージへと歩く。
「ほんとはもう一人ギターがいたほうが盛り上がるんだけどなぁ」
歩き始めた直後宮原がぽそっと呟いたのが聞こえた。
ネームレスの動画投稿では足りないギターを打ち込みで補っている。
だから僕ももう一人欲しいと思うが、いまさら言ったところでどうしようもないことだ。
そもそも僕はそんなことを気にしている暇はない。
ステージから見る景色はとても輝かしいと同時に魔物が住んでいるといつも思い知らされる。
その魔物を飼い慣らすか共存しなければ本来の実力は出せない。
僕に魔物を飼い慣らせるほどの実力はまだ無いと思う。
だから楽しむ。
ここにいる全ての人の中で一番楽しんでやる。
本日は晴天なり。
僕は一つ深呼吸をし、烏丸と宮原に目配せし開始の合図を送る。
さあ行くぞ、まずはマイクパフォーマンスだ。
「皆さんこんにちは!僕らは---」
意気込んで僕らのグループ名を名乗ろうとしたその時だった。
「ちょっと勝手に始めないでよ! 一人忘れてるんじゃないですかー? 遅れるって電話したのに出ないしさー」
ギャラリーの中から声が飛ばされる。
イレギュラーにざわつく人混みをかき分けて姿を現したのは、黒いキャップを深く被りベージュのオフショルダーとブルーデニムの誰か。背中には白いギターケースを背負っている。
そのまま躊躇いなく進み、遂に真正面からステージへと上がり込んだ。
その瞬間、白いキャップが風で飛ばされる。
「お前っ!」
「まじかっ!」
「うそっ!」
僕たち三人はあまりの驚きに絶句する。
髪の毛がかなり伸びているが、その生意気そうな顔を見間違うはずもない。
キョトンとする僕らを他所に、謎の人物は早々とギターケースからギターを取り出し足元のアンプに繋ぎ始めた。
「お前ギター弾けたのかよ」
「ちっちっち。暇人を舐めてはいけない。三年で軽くマスターしたっての。そっちのベースとは比べ物にならない仕上がりだよ、きっと!」
「確証ないんかい! まぁいいけど……。で、お前が歌うのか?」
「いやいや歌うわけないじゃん。ここは先輩が主役でしょ。どれだけ成長したか見ててあげる。ささ、マイクパフォーマンスをどうぞー」
三年経っても変わらないその生意気な口を開いたまま彼女は立ち上がり、とうとうギャラリーへと顔を向ける。
刹那、突如現れた織原香苗の姿に会場のボルテージが一気に跳ね上がった。
熱を帯びた歓声や黄色い悲鳴、唸り声のような雄叫び。それらが混じって爆発する。
このメンバーでのチーム名。それなら一つしかないだろう。
約束を果たすよ。
「初めまして諸君!我々が『ネームレス』だ!」
これ以上上がらないと思った会場の熱がさらに上昇した気がした。
肌を刺すような痺れるような歓声。あの時と同じ感覚。
ここが僕らの新たなスタート地点だ。さあ進もう。もう臆するものは何もない!
「それでは一曲目、聞いてください……『空色紙飛行機』!」
タイトルコールと同時に左にいた織原が一歩前に踏み出し、水色の紙飛行機をギャラリーに向かって投げ飛ばした。
そして織原が振り返った瞬間。
僕らだけが聞こえる音量で示し合わせたように満面の笑顔と恥ずかしさがこもった皮肉げな笑顔で言葉を交わす。
「ただいま!」
「おかえり」
僕が飛ばした紙飛行機。あれには過去を捨て去る意味があった。
君が飛ばした紙飛行機。これにはどんな意味があるのだろう。
決まっている。
それはきっと---未来へと向かう出発の合図。




