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第三話 歌姫との邂逅

 普段からの習慣、というよりクセ。

 外出時は必ず耳にイヤホンをつけて音楽を流すことで世界の音をシャットアウトする。

 老若男女問わず多くの人が外出時イヤホンで音楽を聴いている姿を見るけれど、僕のように音をかき消すために音楽を聴いているわけではないだろう。

 気分の向上や、暇つぶし、曲の暗記など理由は人それぞれのはず。

 では僕はどうしてかと言うならば話は簡単。物思いに耽ることが好きだから。


 本当は中二病よろしく「世界が僕の犯した罰を苛む様に囁いて来るから」、とか寝ぼけたようなことを言った方が面白いかもしれないけれど、そんなことは一切ない。

 単純に外で発生するノイズが邪魔なだけ。

 意識を思考の渦に沈めるだけで気分がいい。本来はそうやって気分よく道を歩くのだが、今は何故か急に真ん中から動かない壊れた鞄のチャックを直そうと躍起になっている。

 歌姫様を生贄にしたプチ罰だとでもいうのか。


 しばらく四苦八苦格闘していた堅く固定されたチャックに匙を投げて天を仰いでいると、不意に家電量販店の店頭に置かれたテレビが目に入った。

 そこに映るのは黒いドレスを着こんだ十六、七歳程の少女。触れれば今すぐ崩れそうな陰鬱な表情で一輪の百合を胸に抱き湖へと沈んでいく映像が映し出されている。

 数秒後、『織原香苗ニューシングル』と画面下にテロップが入り、そこでこの映像がCDのプロモーションビデオだということが分かった。

 僕はおもむろにイヤホンを外し、テレビから流れる音を耳に取り入れる。


(この曲もか……)


 際限なくに頭の中へと入りこんで反響してくる歌と歌詞を聞いていると、腹の底から込み上げてくる黒い感情を覚えすぐにイヤホンで耳を塞いだ。

 ちょうど軽音部の友達から押し付けられた作りかけのロック調の曲が開始したところ。作りかけなだけあってお世辞にも拍手は出来ないが、精一杯不格好で作られた荒削りの曲はどこか心を落ち着けてくれる。


 足取りを戻しながら前を向くと、少し先にあるコンビニ前で制服姿の女子が大学生風の男二人に迫られている姿が目に入った。

 こんなに人の目がある中でよくナンパなんて出来るな、と度胸には感心しよう。しかし、相手の迷惑を鑑みないことは如何なものかと思う。

 

 まぁ、迫られている女子生徒もモテていることが明白になりまんざらでもないのかもしれない。どちらにせよ僕には関係のないことだった。

 僕は道行く不特定多数の通行人と同じく無関心のまま視線を前に戻す。

 一歩二歩三歩と迷いなく歩みを進め、いよいよ彼女達の横を通り過ぎる寸前だった。


「いい加減にしてもらっていいいですか?」


 イヤホンから流れる音楽がちょうど終わり外界の声が鼓膜を響かせた。

一秒ほどで次の曲が流れ始め再び外の音を遮断するが、今の一言が僕の顔と視線を横に動かす。

 肩にかかるパーマをかけた様な全体的にクセがある栗毛、小顔で薄くメイクのされた端正な顔と毎日見ている白いブラウスに指定の長さより短いグレー基調のスカートといった制服。春先だからだろうかスラリと伸びる足には黒いタイツを履いている。そしてブラウスの胸元に付けられたネクタイは一年生を表す赤。


――我が学園の歌姫、織原香苗がそこにいた。


 どうやら織原は烏丸達に捕まる前に学校を出ていたようだ。しかしながら彼女を生贄にしようとした手前このまま見捨てるのもなんだかバツが悪い。

 などと考えていると不意に織原と目が合い、自分の意志に反してイヤホンを耳から抜き取り、そのまま口が動いた。


「……何やってんの笠原さん。皆もうカラオケに集まってるって連絡来てるけど」


 口から出まかせにはありきたりな言葉だったが、ナンパ男二人を誤魔化すには十分だろう。

 織原も僕の意図を咄嗟に把握し、


「え、もうそんな時間なんだ! 三嶋君もわざわざ迎えに来てくれてありがとう! そんなわけでさようなら!」


 誰だよ三嶋君……、などとこの場で無粋なツッコミは入れるまい。

 意図を察した割に棒読み気味なセリフを発した織原がナンパ男二人の合間を縫って僕の傍に駆け寄ってくる。

 すると男達は僕を一度睨むだけで簡単に織原を諦め、次の瞬間には何事も無かったかのように新たなターゲットを探し始めた。

 諦めず蛇のようにしつこく追って来られたらどうしようか内心ではドキドキしていたが、ただの杞憂に終わってくれて事なきを得る。

 何はともあれこれで僕のミッションは達成された。


「じゃあ僕はここで」


 しばらく無言のまま織原と並んで歩き、男達が見えなくなったところでさらっと帰る宣言をするが、


「ちょっと待って!」

 

 肩に掛けた鞄を物凄い勢いで引っ張られ、その場に引き留められた。

 これは想定外の反応。


「……何か?」

「えーっと、まだお礼言ってなかったなって!」


 別にお礼を言われるようなことしてないし、した覚えもない。これは単なる気まぐれな罪滅ぼし。

 むしろこっちが謝らなければいけない立場だろう。謝る気などさらさらないが。


「僕は君を知り合いだと勘違いして呼んでしまっただけで、その声に僕が知り合いだと勘違いした君が勝手についてきただけだ」

「ふーん、キミって案外捻くれてるんだね」


 友達からもよく言われる言葉を改めてどうもありがとう。しかし、ほぼ初対面の相手から言われるとは思わなかった。


「それでもやっぱり気が済まないから何かお礼させてよ!」

「お礼ねぇ……。なに、ほっぺたにちゅーでもしてくれんの?」

「え……本気……?」

「……冗談だよ。本気にしないでくれよ」

「初対面だから性的なこと以外なら受け付けるよ!」

「……結構だ。それに女子が公共の場で性的とか口にするなよ。……はぁ、僕はもう帰る」


 女子から性的とか言われたら少しドキッとしてしまうだろ。そこは思春期男子にありがちな感情。

しかしナンパから助けただけでここまでしつこくお礼お礼と言われると何だか不信感を抱いてしまう。例えるならば女子からずっと前から好きでしたと告白されたけれど、実はバツゲームでしたとか言われるんじゃないかと疑い続けるそんな不信感……。ちなみに人生で一度として告白などされたことはない。いかん目頭が熱くなってきた……。

 それはともかく! いつもクールでどこか影のあるCDジャケットの織原香苗とは打って変わって陽気な姿に僕は少し面喰っていた。

 そんな僕の感情を知らない織原から、


「待ってよー!」


 と、再び強く鞄を引っ張られ引き留められた。今度は危うく尻もちをつきそうになったが何とか堪える。

 だがその拍子に鞄が肩から地面にずり落ち、半端に空いていた隙間から筆箱や生徒手帳、小さめの国語の教科書やらが飛び出した。引っ張るのならせめて袖とかを軽く引っ張ってくれれば少しはグッとくるのだが。


「ああ、ごめんなさい!」


 さすがに鞄が落ちて中身が出ることなど予期していない織原は、慌てた様子で膝をついて転がる筆箱と教科書を拾い上げる。

 だが一瞬教科書を掴んだまま織原は動きを止めた。


「夏代……斗真……?」


 ただ教科書に書かれた名前を読み上げただけではなく、どこか驚いたような声色だった。


「何? 人の名前に文句でも?」

「いやいや、君が代みたいにカッコイイなって!」

「日本の歴史ある国歌と平凡な一般人のフルネームを同列に褒めるなよ。そもそも漢字一文字しか合ってないからな! 読み方も違うし!」

「あはは、ごめんごめん。そんなに怒らないでよ。はいこれ教科書と筆箱」

「……どうも」


 僕は織原の手からそれらを受け取り鞄の中へ放り込む。

 チャックを摘まんで閉じようとするがやはり中間地点から動く気配はない。これは買い替えなければいけないパターンが濃厚である。


「ねえ、キミは『ネームレス』って知ってる?」


 唐突に投げかけられた言葉に僕は眉をひそめた。

 織原は突然何を言っているのか。意味の分からない問いに対して当然ながら僕はこう答える。


「……誰それ? 悪いけど聞いた事すらないな」

「そう……。聞いたこともない、か」


 知らないと答えられたことに対してか、それとも他に何か別の理由があるのか。僕を見る織原の目が僅かに細くなったような気がした。

 仮に僕が何かしら変なことを口走って織原に不快な思いをさせたのならば謝るが、ごくごく普通の返答で訝しまれる理由はない。


「もういい? 早く帰りたいんだけど」

「待って待って! じゃあ、お礼にこれをあげる」


 織原は自分の鞄の中から四角いクリアケース取り出し僕の手に握らせる。

 一体何を持たされたのか訝しみながらそれを傾けると、中にはまだデザインが施されていない白いままのCDが入っていた。


「自分のCDをお礼に人にあげるのはどうなんだ?」

「いやいやいやいや、私歌手とかじゃないんで。織原香苗とかじゃないんで。他人のそら似じゃないですか? そう、世界に三人いるって言われているそっくりさんじゃないですか?」


 どうしてだか織原は異様に焦り出し手と首を勢いよく振り否定をし始めた。まさかここにきて正体を隠していたとでも言うのだろうか。

 そもそも僕は「自分の」と言っただけで彼女を「織原香苗」だと読んだ覚えはない。

 どうやら焦ると自分で墓穴を掘っていくタイプのようだ。

 けれどどちらにせよ、


「返すよ。さっきから言ってるけどお礼をされることじゃないし、得体の知れないものを渡されても困る」

「得体の知れないものなんかじゃないよ! れっきとした私……じゃない。織原香苗さんの素敵な最新シングル……だよ?」


 もうすでに私とか口走っている時点でアレだが、今僕の手にあるのはいわゆる販売前の白箱的な物らしい。

 ただ単にナンパから助けただけにしては随分なお礼だ。

 それと同時になんて暴力的な優しさだろうか。彼女は僕を袋叩きにでもする気なのだろうか。


「そんなレア物ならなおさら受け取れないな。これは織原香苗のことを好きなファンの子にあげるべきだよ」

「ちょっとちょっと、キミのその言い方だとキミは織原香苗のことが好きじゃないみたいに聞こえるんですけど?」


 少し、返答に戸惑った。

 時間にしたらほんの一秒にも満たない時間の迷いだっただろう。

 けれどそれはどう誤魔化すかではなく、どう自分の答えを口にするかの迷い。

 答えなんか初めから決まっている。


「ははっ……、そうだよ。僕は織原香苗のことなんかこれっぽっちも好きじゃない。どこの誰だか知らない君に言うのは申し訳ないけれど、出来ることなら耳にしたくないね」


 思わず零れた笑いの後、真剣な顔で僕は素直な感情を彼女に告げた。

 対して目の前にいるどこの誰だか知らない彼女は、僕の目を真っ直ぐに見据えたまま感情の無い声で「そう」と一言風にかき消されそうな声で呟いた。


「それじゃ僕は帰るよ。君もまたナンパされないよう気を付けて早く帰りなよ」


 貼り付けた笑顔で気遣うフリをしつつ、渡されたCDを彼女の手に握らせる。

 踵を返し彼女を背にした瞬間僕の顔に笑顔はない。

 感じるのは心の奥底に鍵をかけて沈めてあったはずの悔しさと苛立ちだけ。

 消していたはずの感情に胸の奥を焼かれるような感覚に僕は自分の胸倉を握りしめ息荒く帰路に着く。


 これが僕と織原香苗との直接的なファーストコンタクト。

 そして、互いに知らないセカンドコンタクトだった。


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