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第二十七話 そして絶望が絡みつく

「僕は自分の意思でお前を助けた記憶はないよ。しかも二回って。なおさら記憶にないな」

「いいんだよ。わたしが勝手に感謝してるだけだから」


 返したのは恩じゃなく仇だけどね、と織原は舌を軽く出していたずらっぽく笑う。


「感謝してるなら僕の言うことも一つくらい聞いてもらうぞ」

「ここで初体験はちょっと……」


「お前本当に僕をどんな目で見てんの?!」

「えーっと、色んな意味で性的に?」


「うるせえよ!」

「聞かれたから恥ずかしい思いしながら答えたのに! 酷くない?」

「酷くない!」


 そうだった。こいつは挟める時にどうでもいいやり取りを入れてくる奴だった。

 けれどすぐに笑い声は収まり、無言で僕の言葉の続きを促してきた。

 

 ふと、右手にじんわりと鈍い痛みが走っていることに気がつく。どうやらまた無意識に爪が食い込むほど強く握りしめていたらしい。

 どれだけ緊張しているのか僕は。


 もしかしてこれを見て織原はくだらないやり取りを挟んだのだろうか。

 何にせよ体の強張りは緩み、喉も詰まっていない。いつも通りリラックスした状態だった。


「僕の願いはただ一つ」

「自分だけの詩を取り戻せ。それでもう一度僕らの……僕の憧れた織原香苗を見せてくれ」


 僕の言葉を聞いてどこかくすぐったそうな笑顔を浮かべて喜ぶ織原。

 少しだけ可愛いと思ってしまった。


「じゃあわたしからもお願いしちゃおうかな」

「おい僕の声は無視か」

「先輩も自分のための作詞をやめないで。あと今度からは一人で作れるよう努力もしてね」


 中々難しいことを言ってくれるなコイツは。

 だがそう思うと同時に僕は違和感を覚えた。今度から一人で作詞できるよう努力しろ、とはまるで僕がネームレスの曲を一人で作っていないことを知っているような言い方だった。


「あとは、わたしの後を継いでおくれ」

「お前さっきから何言ってるんだ――」

「ゲホ……ゲホゲホゲホゲホ!」


 僕が聞き返したと同時に織原が激しく咳き込み始めた。

 手で口を押さえて堪えようとするも織原の表情は苦悶のもの。ついには力なく地面に膝をついた。


「おい、大丈夫か!」

 

 あまりにも異様な光景で咄嗟に背中をさすってやるが、苦しそうな表情は変わらない。

 ようやく咳がおさまりかけ、織原が口を押さえていた手を離す。

 口元から赤い雫が流れ、掌からも赤い液体が滴り出した。


「お前……それ……。待ってろ先生呼んで――」

「いい……。大丈夫だから」

「大丈夫ってお前! 血吐いてるだろ!」


 頭の中では織原が死んでしまうのではないかということで一杯になっていた。

 僕は狼狽しながら織原と屋上の入り口へ交互に視線を送る。

 

 この間倒れられた時も実は焦りはあったのだが、今回ばかりは気が動転していることが自分でも分かった。

 息も絶え絶えな織原が左手で僕の袖を強く引っ張る。


「ビックリさせてゴメンね。ティッシュとか持ってない?」


 鼻を噛みたいから、みたく軽い流れでティッシュの有無を尋ねてくる織原はとても冷静だった。

 それは狼狽していた僕が正気を取り戻しかけるほど。

 

 慣れるほどこれを体験しているのだろう。

 肩で息をしながら呼吸を整える織原は、僕をしっかり見据えて恥ずかしそうに告白する。


「わたし病気なんだ」


 今の光景を見てそうだと察してはいたが、本人の口からその言葉を聞いて改めて愕然とする。

 顔から指の先端から血の気が引いていくのが分かった。


 今僕は彼女になんて言えばいい。

 浮かんでは消えていく言葉を並べても、それは単なる綺麗事にしかならない。


 彼女の震える唇、今にも溢れそうな滲んだ瞳、触れれば崩れそうなその存在を前に僕は今日何度目かの言葉を詰まらせる。

 病気? どこがだ? あの時まで元気だっただろ。倒れたのは興奮して過呼吸になったからじゃないのか。僕が追い詰めたせいで病気になったのか? それならまず謝罪をしてそれから――。


「自意識過剰だな先輩は」


 その声で無意識に俯いていた顔を上げる。


「先輩の過失は一切ないよ。わたしという可愛い女の子を虐めた罪は大きいけどね」


 寄せては返す波のように僕の感情が揺さぶられる。

 精神的なことが原因じゃない。だとすればどこに不調があるのか。あれだけ元気だった彼女のどこに……。

 

 そこで僕は、ハッと思い出した。

 何度か聞いたことがある。カフェで、僕の家で、そして今ここで。


「どこが……」


 頼むからそこだけはやめてくれと心が叫ぶ。


「どこが、悪いんだ……?」


 僕の質問に織原は申し訳なさそうに薄く笑うと、自分の右手をそこに持っていく。


「――喉」

 

 聞き間違いではない。

 彼女の右手が視覚的にもそれを訴えている。


「嘘だ」


 だからといってそれを否定せざるを得なかった。

 信じることなど出来ない。


「本当」


 目頭が熱くなり迫り、上がってきた嗚咽を無理やり飲み込んだ。

 僕がここで悲しむのは筋違いだ。一番苦しいのは彼女なのだから。

 

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